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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


かたわら


1

 出掛け際に鳴った電話のベルに、シュライン・エマは軽く眉を顰めた。
 こういうタイミングで掛かってくる電話の用件は、何故か厄介なものであることが多い。
 草間は外出しているし、今事務所にいるのは風邪をひいた常駐メンバーの代わりに留守番役をかってでてくれた海原みなもだけだ。もし用件がクレームであるなら、中学生の彼女にその対処は難しいだろう。
 嫌な胸騒ぎを感じながらも、電話を取ろうとするみなもを軽く制してシュラインは受話器を手に取った。
「お電話有難うございます。こちら草間興信所でございます」
 シュラインの声に、電話の向こうの人物が一瞬惑ったように沈黙した。
「もしもし?」
 何かご相談ですか、宜しければお話伺いますけれども。
 そう告げようとしたシュラインの耳に、小さな笑い声が届く。
「……あの?」
「草間武彦さんはいらっしゃいますでしょうか」
 受話器の向こうから聞こえてきたのは、恐らく自分とそう年齢は変わらないであろう女性の声だ。
 丁寧な口調に反して名前を名乗ろうとしないが、「相談」段階ではよくあることなのでシュラインも気にしない。
「申し訳ございません、草間はただ今外出しておりますが」
「さようでございますか」
 不在だと言ったにも係わらず相手の女性の口振りはどこか楽しげで、シュラインは軽く首をかしげる。
 クレームではないようだが、心が妙にざわつく。
「では恐れ入りますが、お戻りになられましたら折り返し御連絡頂けるよう、ご伝言をお願いしてもよろしいでしょうか」
「かしこまりました。では、お名前と御連絡先をお願い致します」
 シュラインは手元のメモ用紙にさらさらと伝言と現在時刻を書き記す。
 そして。
 名前と電話先を聞き逃すまいと耳を澄ましたシュラインに、笑みを含んだ声で彼女はこういった。
「……昔の女とお伝え頂けますでしょうか。それでお分かり頂けると思います」
「…………え?」
「では宜しくお願い致しますね」
 強く押し付けたペン先がメモ用紙に黒い染みを作る。水性のインクはじわじわと円を広げていく。
 シュラインの心に不愉快なその言葉が浸透していくように。
「……むかしのおんな」
 呻くような声に、それまで黙って会話を見守っていたみなもが「大丈夫ですか」と声をかけたが、シュラインには聞こえていないようだった。みなもは、受話器を握ったまま眉間に深く皺を刻んだ年上の女性の姿に、小さく溜息をついた。
「大丈夫で……ないですね」


「シュラインさん、この電話を受けた後、とても怒っていたようなんですけれど」
 草間武彦が外出先から事務所に戻ると、留守番役の海原みなもが困惑顔で一枚のメモを差し出した。
 そこには電話を受けた時間と、戻り次第連絡を欲しい旨が書き記されていた。だが連絡先や相手の名前はなく、インクの滲みで出来たのだろう黒い円がサイン代わりとでもういうように残っている。
「で、相手の名前は?」
「あの、それが」
 戸惑う素振りを見せるみなもに、草間は首を傾げる。
「どうした?」
「電話をかけてきたのは、ですね。あの、……むかしのおんなさんです」
 意を決してその言葉を口にしたみなもに、草間は一瞬の間を置いて「は?」と問い返した。
「ええと、ですから、昔の女といえばわかると言っていたそうで……」
 おずおずとした口調で告げたみなもの言葉を正確に理解した途端、草間は苦虫を潰したような渋面を浮かべる。
「………あのバカッ…」
 小さな声で罵倒の台詞を吐くと、草間は乱暴な仕草で携帯電話を取り出し、メモリからある番号を呼び出した。だがコール音が響くばかりで繋がる気配はない。草間は一つ舌打ちをして携帯を閉じる。
 その途端事務所の黒電話のベルが、けたたましく室内に鳴り響く。
「………」
 草間は沈黙したままおもむろに受話器を取った。
「あ、草間君?」
 電話の向こうから聞こえてきた明るい声に怒りが増すが、怒鳴りつけた所で相手は痛くも痒くないということを経験上草間は知っている。
「もーしもし、草間君?」
「………おかけになった電話はただ今電源が入っていないか、電波の届かない……」
「そこのアンティークな黒電話にかけてるのにそれはないでしょ。あ、何、その様子だとやっぱり、美人と噂の彼女と一波乱あった? 昼ドラのような愛憎劇になりそう?」
 楽しげな口調の女性に草間は深く溜息をついてみせる。
「俺はお前の書く小説の登場人物じゃないんだ。ただでさえ俺の目指す日常からはほど遠いってのに、変なチャチャを入れるのは勘弁してくれ」
「うん、だから少しシリアスな日常をね、プレゼントしようかと」
「いらん。で、何の用なんだ」
 相手の提案を一蹴して、草間は先を促す。
「デートのお誘い、って言ったら切られそうね。依頼よ、依頼。もちろん──怪奇系」

 依頼者の依頼内容は次のようなものだった。
 都下にある美術館で最近「奇妙なこと」が起こるっているらしい。
 最近収蔵された油絵の中に描かれた女性が、時折涙を流したり、絵の中から消えたりするのだという。また雨漏りもしていないのに、その絵の周辺が水浸しになったこともあったそうだ。その状況の打開を図って欲しいという。
 
「うちの死んだ祖父さんが、そういう「妙なこと」好きだったでしょう。あたしもその手に詳しいと思われてるみたいで、拝み屋知りませんかって美術館のスタッフから連絡が来たの。そこのオーナーにも頼まれたし」
「うちは拝み屋じゃない」
 不機嫌そうに告げる草間に、彼女は知ってるわ、と笑う。
「でも怪奇事象の調査も得意。否定できないわよね」
「……その現象の原因を調査すればいいんだな?」
「そうよ」
 草間は手近のメモに事象の概要を書きとめる。
「で、依頼者……美術館のスタッフか、そのオーナーとやらに会って打ち合わせをすればいいんだな?」
 草間の言葉に相手は少し沈黙したのち、小さな笑い声をたてた。
「今回のこの件、あたしが依頼者よ。オーナーは今、海外にいるの。それで、あたしが全権委任されてる。調査費や日程についてもあたしに言って。ああ、美術館や絵についての資料はさっきメールで送ったから」
「……」
 口をへの字に曲げ不本意そうな表情を作った草間の顔が、まるで見えているかのように彼女の声は明るい。
「今回の調査、楽しみにしてるわね、草間君」
 
 一通りの打ち合わせを終え、電話を切った途端、草間は大きな溜息をついた。
「厄介な……」
「あ、でもなんか、草間さんとても楽しそうでしたよ。やっぱり……昔の女(ひと)だからですか」
 みなもの言葉に草間は大仰に首を横に振ってみせる。
「あれは昔からの友人だ。……シュラインの前では間違ってもそんな台詞を言うんじゃないぞ、みなも」

 
 ざわめきに満ちたロビーの片隅に設置された椅子に腰掛け、シュラインはふぅと小さく吐息を漏らす。
 深みのある澄んだチェロの音色が、耳の奥で未だに響いている。
 それは先ほどまでこの市民ホールで行われていた演奏会で、初瀬日和が愛器で奏でていた音だ。
 アマチュアの音楽愛好家が集まったという市民フィルのメンバーと、新進の若手音楽家たちが集い開催された演奏会に、将来を嘱望されるチェリストの一人である彼女もまた参加していたのだった。
「キミが勧めるだけあって、彼女の音はよかったですね」
「そうでしょう」
 シュラインの傍らで穏やかな笑みを浮かべているのは、彼女の友人であるセレスティ・カーニンガムだった。
 リンスター財閥の総帥を務める彼は、企業家として文化事業の面にも詳しく、また音楽への造詣も深い。
「あともう一つ先の領域に行くことが出来たなら、誰もが彼女の音を追わずにいられなくなるでしょう」
「そうね、今ある音に更に深みと艶が加わったら」
 そんな会話を交わす2人を、控え室から出てきた日和が見つける。
「シュラインさん、セレスティさん」 
 駆け寄る少女にシュラインは立ち上がり、セレスティは車椅子に座したまま微笑を浮かべる。
「お2人とも忙しいのに有難うございました」
「いいえ。とても有意義な時間を過ごせました。素敵な演奏でしたよ、日和さん」
 セレスティの言葉に、日和は照れくさそうな笑みを浮かべる。
「有難うございます。シュラインさんは事務所の方空けて大丈夫でしたか?」
「え……ええ」
 演奏会の最中は忘れていられた「あの電話」のことを思い出し、シュラインは我知らず憮然とした表情を作ってしまう。
「シュラインさん……?」
 その様子に日和が訝しげな眼差しをシュラインへとむける。
「ごめんなさい。ちょっと出かけ際におかしな電話が掛かってきたものだから」
「おかしな電話、ですか?」
 そういえば、とセレスティは穏やかな口調で言葉を挟む。
「演奏が始まるまで少し気が乱れていましたね。その電話のせいですか」
 2人の言葉にシュラインは深く息を吐き出すと、実はね、と事のあらましを話し始めた。


 午前の診療を終え、園内に用意された自分の個室に戻るなり鳴り響いた電話に、梅海鷹(メイ・ハイイン)は眉を顰めた。
 長かった残暑と突然の秋の到来……気温の寒暖の差で海鷹の勤める動物園の動物たちも体調を崩しがちだった。急患か、と取り急ぎ電話を取ると、聞こえてきたのは相変わらず愛想のない草間武彦の声だった。
「やあ、草間じゃないか。どうしたんだ? ここに電話をかけてくるとは珍しい」
「あんたの携帯電話が通じなかったんでな」
 草間の言葉に、ここ数日は昼となく夜となく動物たちの診療、治療が続いため、携帯電話をオフにしたままであったことを海鷹は思い出す。
「ああ、悪かった。仕事が忙しくてな。それで、私の力が役に立ちそうな依頼なのか、今回のそれは?」
 なにやら含みをもたせた楽しげな口調の海鷹に、草間が電話の向こう側で一瞬黙り込む。
「……何か知っているのか? 海鷹?」
「昔の女とやらからの依頼なんだろう? 詳しい依頼内容は守秘義務だとかで聞いていないんだが」
 海鷹の言葉に草間の声は一層低くなった。
「誰から聞いた」
「海原家の……」
「みなも、お前か!」
 みなまで言う前に、草間が背後に向って怒鳴る。それと共に少女の小さな悲鳴が聞こえた。どうやら彼女は今日もアルバイトを探して草間興信所を訪れているらしい。
「おいおい、そう怒るなよ。うちの動物園で風船配りのアルバイトをしてもらった時にちらりとそんなことを洩らしていただけだぞ。……まあ、お前も27歳の男だからな。色々あるだろうよ」
 海鷹の年長者らしい台詞に、草間は深い嘆息をつく。
「言い訳に聞こえるかもしれないんだが、それはデマだ。で、本題なんだが今回の件、あんたの力を借りたいんだが、本業の都合はどうだ?」
「そうだな……」
 海鷹はカレンダーに書き込まれたスケジュールへと視線を向けた。
 
 
2 

 事務所に集まったメンバーに手渡された資料に、問題のその絵の写真はあった。
 描かれているのは、20代後半から30代前半と思われる若い女性。
 彼女は窓際に置かれた木製の椅子に無造作に腰掛け、ぼんやりと外へと視線を向けている。
 タイトルは「風待ち」。
 光をはらんだような、淡い色彩で描かれた絵だった。
「もっとなんていうか淋しい感じの絵かと思ってました」
 資料を手にしたみなもは、その絵をじっと見詰めながらそう呟いた。
「本当に。これを見た限り、水とはあんまり結びつかない感じですよね」
 みなもの言葉に日和が頷くと、
「絵から出てっちまいそうな、そんな軽やかさは感じるがな」
 海鷹が首をひねる。
「皆に集まってもらう前に、その絵についてこちらでも調べてみたんだけれど、ほとんど分からなかったというのが実情よ。どうやら未発表の作品みたいね。それに作者も途中で筆を折った方のようだし」
 シュラインが資料の束をめくりながら絵についての補足を付け加える。
「あの、筆を折るって?」
 みなもが首を傾げると、セレスティが微笑を浮かべる。
「絵を描くのをやめてしまうということですよ。……私の方でも財閥のデータベースで検索をかけてみたのですが、その絵についてのデータは見つかりませんでした。作者が芸大卒業後、30代前半で絵を描くのをやめてしまっているためでしょう。学生時代は将来を嘱望された方だったようですが」
「そうね、その後は親の跡を継いで画商の2代目」
 そこでシュラインは資料から視線をあげ、周囲を見渡す。
「娘さんが都内にいるから、この絵のバックグラウンドについてはそちらから聞くことが出来ると思うわ。あとは実際「絵」の起こす怪異の確認ね。ということで、一旦調査グループを二手に分けましょう。じゃあ……」
 シュラインがてきぱきと指示を出している間、草間は睨みつけるように写真を見つめていた。
 
3 

 草間が事情を説明し終えると、「画家」の娘であるというその女性は小さく溜息をついた。
 父親の跡を継いで画商を営んでいるという彼女の家の応接間に、草間と日和、海鷹は通されていた。
「そうですか、そんなことが……」
 「怪異」に対して懐疑的な様子を見せる人間が多いにも係わらず、30代後半であろうと思われる彼女は何か思い当たる節があるのか、神妙な顔をしている。
「何かご存知なんですか?」
 日和の言葉に彼女は小さく頷くと立ち上がり、彼女はこちらへおいでいただけますか、と3人を別室へと案内した。
 そこには。
「あ……」
 それを見て日和が小さく声をあげる。
 20畳近くあるであろうその部屋には、号数の異なるいくつもの絵画がバランスよく並んでいた。その中でも目を引くのは、同じ人物を描いた3枚の絵だった。木製の椅子に座り、眠っている女。セーラー服姿の幼い少女と共に笑っている女。椅子から立ち上がろうとしている女。いずれも「風待ち」と同じ女が描かれている。
「「風待ち」はシリーズの中の1作ということなのか?」
 呟いた海鷹の言葉に、女性は笑みを浮かべながら頷いた。
「シリーズというコンセプトで描いた訳ではないんですけれども、この3点含めて6点、同じような作品があります。もう1点は私の書斎に。「風待ち」は紆余曲折を経て父の友人でもあった今のオーナーに。もう1点は母の実家に」
「お母様のご実家……ですか」
 不思議そうに首を傾げる日和に、女性は「ええ」と頷きながら、視線を絵の中の女性へと遣った。
「この絵の女性のモデルは私の母なんです。父よりもだいぶ前に亡くなりましたけれど。こちらの絵の中の少女は小学生の私なんですよ。書斎にあるものには母と私と父が並んでいます。母の実家にあるのは肖像画のようなタイプのものと聞いています……とは言っても母方の実家とは絶縁状態なので、今もあるのかどうかは分かりませんけれど……」
「今回の「風待ち」にまつわる怪異にご母堂が関係あるとお考えですか」
 丁寧な口調で尋ねる海鷹に、女性は一瞬沈黙すると、ゆっくりと息を吐き出した。
「母、というよりは「風待ち」の絵自体と申し上げた方がよいかもしれません。……あの絵は未完の絵なのです。いえ、作品として未完と申し上げた方がいいのやかもしれません」
 そう言うと一冊のスケッチブックを彼女は棚から取り出してきた。
「父のスケッチブックです。ご覧下さい」
 その古びたスケッチブックには、様々な表情をした「彼女」がいた。
 そしてその中には、目の前にある絵の下書きと思しき構図のものもある。
「これが風待ちの下書きです」
「これは……」
 そこには「風待ち」の下書きと、もう一枚、青年が椅子の傍らに立ち、誰も座っていない椅子へと視線を落としているという絵が描かれていた。
「「風待ち」の対として考えられた……「夜明け」と言います。結局描かれることはありませんでしたけれど」
 水彩絵具で着色されたそれは、「風待ち」とは異なり夜の闇に沈んだような色調な絵だった。
 近頃、と画家の娘は言葉を続ける。
「よくこの「夜明け」が夢に出てくるんです、母と一緒に。……母は生前、時折遠い目をすることがありました。置き忘れた何かに思いを馳せていたとでもいうか、何かを待っていたというか。私はあまりそんな母の表情が好きではなかったんです。……父と母は駆け落ち同然で結婚しました。母の遠い目は、そのことを後悔している、……そんな風に見えて仕方なかったんです。だから私自身はあの絵はあまり好きではなくて。ああ、ごめんなさい、夢の話でしたね。夢の中で母は「夜明け」の絵を探しているんです。泣きながら。だから、私のみた夢は今回のことの兆しだったのかもしれないと、お話を伺って思いました」
「こちらの「夜明け」について詳しいいきさつはご存知ではありませんか?」
 草間の言葉に女性は、ゆっくりと首を横に振る。
「何も。父がどうして「風待ち」の対にこの青年を描いたのかも、完成させることなく筆をおいたのかも」
 そこで女性は一旦息をつく。
「けれど……母が待っていたのはこの男の人なのかもしれないと思います。娘としては複雑なのですけれど。だから、あの絵が騒いでいるというなら、絵がかれることのなかったもう一つの絵のせいではないかと、そう思うのです」
 そう言うと「画家」の娘は寂しげな微笑を浮かべた。




 その美術館は緑に囲まれた郊外の静かな森の中にあった。
 常設展示は郷土画家を中心に、イベント展示では最近亡くなった日本画家の追悼展示を開催している。
 著名な人物であっただけに平日の夕方だというのに、人の入りは意外なほど多かった。
 「風待ち」はその怪異から展示室から倉庫に移されているとのことだった。
 案内役を買って出てくれた学芸員の青年に導かれ、セレスティ、シュライン、みなもの3人は目的とする部屋の前に立つ。
「こちらです」
 鍵を持った青年が扉を開けた瞬間。
 空気を伝って届く「悲」の感情にセレスティは柳眉を軽く顰めた。
 
──どうして。どうして。

 悲哀に満ちた呟きが、音にならない言葉となって部屋の中にこだましている。
「シュライン」
「何?」
「キミには彼女の声が聞こえますか?」
 セレスティの言葉にシュラインは頭を左右に振る。
「いいえ。なんとなく、淋しい、という波動というのかしら、気配というのかしら、そういったものは感じるけれど」
「そうですか」

──どうして死んでしまったの、あなた。
──どうして死んでしまったの。約束を果たさぬまま。

「キミはどうですか、みなもさん」
「あたしもシュラインさんと同じです。なんとなく哀しい感じがするっていうくらいで」
 みなもとシュラインは部屋の奥の壁にかけられている絵の前へと進む。
 白い、光の爆ぜたようなタッチで描かれた「風待ち」。
 その小さな倉庫には「風待ち」以外の絵はなかった。それを問いただすと、水気を嫌ってすべて別の部屋に移動させたのだという。
 
──どうして。私は待っていたのに。
──約束の果たされる日を。
──どうして私は1人なの。

「セレス、あなたには何が聞こえているの?」
 シュラインの問いにドア近くにいたセレスティはゆっくりとした歩調で絵に向って近づいていく。
「詳しくは分かりませんが。どうしてどうしてと繰り返しています。何故約束を果たさぬまま死んでしまったのかと」
「死んだ……? ということは「画家」のことを言っているのかしら」
「じゃあ、画家さんに約束を守ってもらえなくて、哀しくて泣いてるってことなんでしょうか」
 問いを重ねる2人に、セレスティは小さく頭を振る。
「そこまでは……」
 シュラインは部屋の入り口に立つ学芸員の青年に向き直る。
「この絵が美術館に収蔵されるに至った詳しい経緯をご存知ですか。それからこの絵に異変が起こるようになった時期は?」
 彼女の問いに青年は言葉を吟味するように数瞬沈黙し、おもむろに口を開いた。
「こちらの絵はもともとオーナーの姪御さんに「画家」から形見分けということで贈られたものなのだそうです。けれどその姪御さんが非常にこの絵を嫌ったそうで……、オーナー曰く、押し付けられたのだそうですが、「画家」のお嬢さんに了解を得た上でうちの方で管理させていただくことになったのです」
「その姪御さんはどうしてこの絵を嫌ったのかしら。確かにインテリアとしては少し大きいけれど、素敵な絵よね」
「あー、それはですね。お嬢さん、この絵の女性にそっくりなんですよ。この絵の女性のモデルは、オーナーのお姉さんだそうですから、仕方ないことなのかもしれないですけれど。それが嫌だったようで」
「今のあなたのお話だと、画家はモデルになられた方の血縁者ということで、この絵をその姪御さんに贈られた……。けれどその姪御さんは絵を嫌ったために、こちらで引き取ることになったということでよろしいでしょうか」
 セレスティが同意を求めると、青年は大きく頷く。
「はい、そのように伺ってます。あと、異変が起こるようになった時期ですが、一般公開されてからだと記憶しています。僕自身は彼が何か関係あるんじゃないかな、と勝手に思ってるんですけれども……」
「何かあったんですか?」
 期待に満ちたみなもの視線に、青年は照れたように笑い、実は、と言葉を続ける。
「こちらの絵を一般公開してからしばらくの間、若い男が毎日のようにこの絵を見に来ていたんです。美大生という感じでもなかったなあ。その彼が来なくなってからなんです。変なことが起こるようになったのは」
 どんな感じの男の人だったんですか、という問いに学芸員の青年は、言葉を探すように唸りながらこういった。
 ひっそりとした、夜のような男でした、と。
 
 
5

「しばらく、そのまま待ってみたんだけれど、怪奇現象は起こらず。警戒されてしまったのかしら」
「娘の所にある他の絵については、全く現象は出ないそうだ」
 事務所に戻ったメンバーは、互いの調査で判明した情報を交換し合っていた。
  
「何か引っかかりを覚えるんだけれど」
 日和は呟くと、ノートに走らせていたペンを止め、じっと自らが書き記した情報に目を落とす。
「そうですね、なんていうか、こう胸がもやもやする感じですね。何に、という訳ではないんですけれど」
 日和の隣に腰掛けていたみなもも、彼女の言葉に小さく頷いた。
「何かしら」
「ちょっと、色んな人が出てきたせいでしょうか……」
 小さな声で囁きあう年少組の二人に草間が声をかける。
「みなも、日和君、どうかしたか?」
「あ……あの画家の娘さんのお話と学芸員のお話を聞いて、ちょっとモヤモヤするなあって日和さんと言っていたんです」
 すみません、と2人が頭を下げると、草間が小さな笑みを口元に浮かべた。
「多分2人が気に掛かっているのは、今回の調査の外側の部分だと思うんだが。──このヒントをやれば分かるだろうか。今回の依頼人はとても「風待ち」のモデルに似ているんだ」

「今回の調査はあの絵の怪異を止めること、よね。武彦さん」
 シュラインは事務所のホワイトボードに事件のあらましと得た情報を簡潔に箇条書きしていく。
「依頼人の女性はとても……なんていうのかしら、思わせぶりというか、事態を混乱させるのが好きな方なようだけれど」
「……そういう奴なんだ」
「お前もなんというか、厄介な女に見込まれたもんだなあ」
 鷹揚に笑ってみせる海鷹を草間は軽く睨みつける。
「あんたも状況を複雑にするような発言はやめてくれ」
「依頼人の方については置いておきましょう。確かに事態を複雑化させる方のようですし」
 穏やかな笑みを浮かべセレスティが2人の間をとりなし、シュラインに向き直る。
「今回の調査で、描かれなかったもう1枚の絵、もしくはその美術館に現れた男の人が鍵になるのではないか、ということが分かりました。その男の方にお話を伺ってみたいところですが、彼を見つけるのは時間がかかる難しいことだと思います。そして彼を絵に縛り付けることは決してできない」
「ってことは、必然としてもう1枚の絵、が必要ってことだな」
 海鷹がソファから勢いよく立ち上がる。
「よし、草間、あのスケッチブックを借りにいこうぜ」
 海鷹の声に、草間はやれやれといった風情で席を立った。
「それが事件解決の1番の近道だろうな」
「武彦さん? 海鷹さん?」
 シュラインが訝しげな声をかけると、海鷹はにやりと笑ってみせた。
「エマ君は私の力を知っているだろう? 仮面の力で「夜明け」を用意する」
「仮面の力って、絵を描くことが出きる12支なんてあったかしら……」
「まあ、知らない奴には簡単な「なぞなぞ」になるかな。あててみなよ。じゃあ、行って来る」
 そう言ってひらひらと手を振ると、草間と連れ立って事務所を出ていってしまった。
「なぞなぞ? 洒落ってことかしら」
 首を傾げるシュラインにセレスティが小さな笑い声をたてた。
「ああ、確かに洒落が聞いていますね」
「分かったの? セレス?」
「ええ、9番目、ですよ」
 

6

 「彼女」は闇の中でひっそりと涙を流していた。
 美術館の地下、月の光さえ差し込まぬこの場所は、「彼女」には牢獄のようなものだった。
 どうして自分はこんな場所にいるのだろう。
 帰りたい。寒い。哀しい。寂しい。色々な思いが錯綜する。
 帰りたい、あの場所に。
 
──あの場所?

 その言葉に「彼女」の中に浮かび上がるイメージがある。
 それは決して「彼女」のよく知る「画家」の家ではなく、緑に囲まれた旧い日本家屋だった。
 ああ、そうだ、と「彼女」は思う。
 「彼女」──「風待ち」はモデルとなった「画家の妻」の、捨ててきた家への思いを表現したものだった。
 二度と帰ることの出来なかった家。捨てて出てしまった旧い……因習。
 「風待ち」は 後悔はしていないと笑っていた「画家の妻」の中に見え隠れする「家」への思いを、「画家」が描き出したものだった。

──ああ、あなた。

 「彼女」は画家を思う。
 妻の死を契機に筆をおいた画家。けれどいつか、いつか必ずお前の半身を描いてやろうと約束してくれたのに。「画家の妻」が厭い、捨て、それでも思い馳せずにはいられなかった「家」を象徴した「風待ち」の対、「夜明け」を。それまで眠っておいでと言っていたのに。

──それなのに、あなたは死んでしまったのね。もういないのね。

 「画家」がいないことが哀しい。
 「夜明け」がないことが寂しい。
 
 あのまま目覚めることなく眠っていればよかったと「彼女」は嘆く。
 「彼」に気付かなければ眠り続けていられただろうか。
 あの家の匂いを身にまとった青年に気付かなければ、自分はずっと眠っていられたのだろうか。
 何も聞かず、何も知らず。
 「彼女」の涙が床に落ちる。

「あの、こんばんは」
 いつの間にか「彼女」の傍らに一人の少女が立っていた。
 セーラー服姿の少女は、気遣うような笑みを浮かべて「彼女」を見つめていた。
 どこか懐かしい気がするのは彼女の身につけている、清楚な制服のせいだろうか。
 少し「画家の娘」が着ていた制服に似ている気がする。
「以前に一度会ったことがあるんですけれど、きっと覚えてはいないですよね。あの、今日は絵を持ってきたんです。あなたの嘆きが和らげばいいんですけれど」
 自信なさげに笑みを浮かべ、少女は自分の背後を指差す。
 そこには一枚の絵が立てかけてあった。
 慕わしく、懐かしい匂いのするそれは、確かに「彼女」が待っていたものだった。
 
 

7

 美術館の片隅に並べられた2枚の絵の前に日和は立っていた。
 黒と白、男性と女性、同じタッチで描かれた2枚の絵の傍らにある小さなプレートには画家の名前と「風待ち」が描かれた年が記載されていた。ただ、タイトルだけが変更されている。
 2枚の絵を見た画家の娘はこの作品に「懐古」と名づけた。 
 草間が依頼人から聞いた話によると、その後、「彼女」の涙を見たものはいないという。
 「彼女」は海鷹の用意した「夜明け」に納得したらしい。
 もちろん、海鷹が描いたというのは、「彼女」にも他の誰にも秘密だった。今回の調査に参加したメンバーも画家の娘も美術館のスタッフも沈黙を守るということを約束した。
「彼女」のために。
「あなたの涙が止まって良かった」
 日和は「彼女」に向って微笑みかける。
 今日はこの絵の前で人と会う約束をしていた。「彼」はこの絵を見てどう感じるだろう。
 聞いてみたい気がした。
「おーい、日和」
 入り口の方向から「彼」が小さく手を振って歩いてくる。
 日和はそんな彼に向って、しーぃ、と口元に指を当てながら……満面の笑みを浮かべた。
 
 
 END
 




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

3935 / 梅 海鷹 / 男性 / 44歳 / 獣医
3524 / 初瀬日和 / 女性 / 16歳 / 高校生
1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥
1252 / 海原みなも / 女性 / 13歳 / 中学生
0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 草間興信所事務員


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■         ライター通信          ■
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初めまして、または2度目まして、ライターの津島ちひろです。
今回はご参加有難うございました。
そして、今回も大変お待たせいたしまして申し訳ありません。
今回の作品は、草間さんよりも私の方が「謎の女」さんに振り回されてしまいました……。
「謎の女」さんの部分の伏線では、解決できていない部分も残っていますが、
こちらはいずれ別の作品で徐々に明らかにする予定ですので、
機会がありましたら、またご参加いただけると幸いです。
蛇足ですが、今回のキーは、「2人」や「片割れ」というものでした。
そのせいで1部の方にはご迷惑をおかけしております……。
なお、今回個別シナリオは組み込んでません。

梅 海鷹様
初めまして。
プレイングを拝見して、思わず作中のPCさまのように、「上手いなあ」と笑ってしまいました。
大人の男性で、うちの草間さんにとって、今回は救いのような存在でした。
2人の会話が書いていてとても楽しかったです。

初瀬日和様
ご参加有難うございます。こちらこそ日和さんを描かせて頂けて嬉しかったです。
ぜひともチェリストな部分の日和さんを……、大切な方と仲のよさそうな日和さんを……と、
今回欲張ってみました。……ですが、まだまだ精進が必要でした。

セレスティ・カーニンガム様
初めまして。
視力が弱いということでしたので、今回は聴力の方で頑張って頂きました。
穏やかな方で、シュラインさんと草間さんの間に決定的な波風が立たなかったのは、
(立てられなかったのは)この方のおかげです。

海原みなも様
はじめまして。
物語の要所要所で活躍して頂きました。そのせいで草間さんに怒鳴られたりしてしまって、
ごめんなさい。セーラー服姿もそうですが、性格もとても可愛らしくて、
学芸員のお兄さんのようにデレデレしつつ描いてました。

シュライン・エマ様
今回も有難うございました。そして、今回は申し訳ありません。
作中でとてもご迷惑をおかけしております。ですが、今回草間さんとシュラインさんを描くのが、
とても楽しかったです。プレイングもいつも丁寧で有難うございます。


皆様、今回は本当に有難うございました。
機会がありましたら、またどうぞお願い致します。