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<東京怪談ノベル(シングル)>


桃華の精に見初めらるるのこと



 富もある。
 地位もある。
 有形無形に限らず、力もある。
 だが、彼に宿りし鬼気の渇きは、そのようなもので癒されようはずもなかった。
 荒祇天禪は、鬼の者である。
 かつてはこの地の鎮護にも一役買っていた時代もあったが、そのような霊性は、この鉄と汚水に満ちた苦界……東京からは失われて久しい。今や、悠久とも云う時を生き永らえた、力余りし者が暮らすには窮屈過ぎる場所だ。
 そんな、街の姿をした檻の中で、彼に潤いをもたらすもの。それは例えば、奇縁が生む人や物の忌みであった。
 アンティークショップ・レン。
 ここに流れてくる品物には、時として、忌みの縁を解き放つ必要があるのだという。
 そして、世の中には、その忌みに自ずから進んで近寄っていく者がいる。己の内の渇きを、少しでも潤そうとするかのように。
 荒祇天禪。彼は、そんな男だった。
 店名が、店主の名前に由来していると、彼は微塵も思ってはいない。
 煉獄の"れん"であろう……そう感じている。
 そして、今日も、彼は煉獄へと遊びに来た……そのつもりだった。

  ◆ ◆ ◆

 だが、彼を待っていたのは、およそ忌みとは遠く離れた、どちらかと云えば哀しみを背負った存在であった。
「これは、なんだ」
「桃の盆栽よ?」
 天禪の問いに、事も無げに応える店主・碧摩蓮。
「お前は、嘘をついているな」
「まさか」
「そうでなければ、言葉足らずだ」
 闇の中から問いかけるような……ただ低いだけではない、潜む鬼性を思わせるバリトンに、連はくすりと笑い、
「あなたのためを思って、そう言っているのよ?」
「ほう……」
 生返事と共に、天禪は、その太く固い掌で、小さな鉢を持ち上げた。
 なるほど、桃の盆栽である。
 どこか厳かな雰囲気のある、松や桜のそれとは違った、寂びにも近い趣を感じ、天禪は得心いった風に頷いた。
「これは、よい盆栽だ」
「確かにそうかもしれないけどね……あんたにも、分かっているんじゃないの?」
「何がだ?」
 蓮は目を皿にしながら、どこか邪悪な笑みを浮かべて、
「光源氏計画だっ」
「ヒカルゲンジ……」
 それを意図したかしまいか、怪訝な表情を浮かべる天禪。
「少し前に、流行っていたな」
「そっちじゃないッ」
 軽く肩を叩かれた。
 これが噂の「突っ込み」か……漠然と思う天禪であった。
「わざとらしく云うんじゃないの。全く……あんた本当に、東京で護り者やってたの?」
「まあな。昔話にもならんが」
「源氏物語。超有名な古典じゃないの。いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。自分のアイデンティティに加えておきなさい」
「難しい横文字だな。それに、俺が、まだ生まれていない頃の話だろう」
「なんだい……そこまで知ってるなら、"おさなごのみ"の謗(そし)りを受けるのも周知の上、ってことかしら?」
 呆れたようにキセルを吹かす蓮に、天禪は前衛的な微笑を崩さず、
「戯れも悪くなかろう」
「悪い戯れと書いて、悪戯(いたずら)と読む」
「おまえは本当に、博学な女だな」
 久しぶりに見かけで損をしているのかもしれない――そう思うと、笑いの一つもこみ上げてくるような気がした天禪であった。

  ◆ ◆ ◆

 およそ樹齢は二百と余年。
 にも関わらず、この桃華仙は、その躰と赤心を、現界の血肉と意志へと昇華出来ずにいる。それは、鈍い瘴気の漂うこの街……東京では、致し方の無いことではあるのかもしれなかった。
 それでも、天禪は、この華仙を、活かすことを選んだ。
 蓮が言うように、無垢なる精であったが故に。
 もし、ここで自分が何らかの縁を振らねば、自らが消えて行くことすらも分からないまま、その存在を散らしていく。
 それは、とても哀しいことだと、天禪は思った。
 慈しみや、憐憫による感情ではない。
 もののあはれ。寂び。やまとことばでしか表せぬ気持ちが、天禪をして、華仙を愛でるのもよかろうという思いを起こさせた。
「……どのような神気を送れば、こいつは目覚める?」
「桃だから、五行でいうところの金だろうね。陰中の陽にして白虎が象徴。西、秋、夕方、義、白、魄を表す」
「義というのは良い響きだな」
「三国志の桃園の誓いが、桃の林たる所以ね。けれど、この桃に必要なのは義では無く、もっと直接的な概念。男性的なものと言って良いかもね」
「ふむ……」
 まるで気をやるように――陰中の陽を思い浮かべる。
 手にした桃華の陰中へ陽気を、男が女に情を重ね、その心と身体をくれてやるかのように。氷を炎が溶かすかのように。
 すると、どうだ。
 か細い枝葉は、内より出でし燐光に取り込まれ、その光は鉢を勢い良く飛散させながら、蓮の店の中をせわしなく飛びまわり……長くはない時間を経て、天禪の眼前に落ち着くに至った。
 破片が切り裂いた頬の切り傷を、全くと言ってよいほどに介さず、天禪は超然としたその表情を崩さないままに、その光に向かって言い放った。
「俺の気をくれてやったのだ。その姿を顕し、礼をするが筋であろうよ」
 静かな、けれども重みある問いかけに、桃華の光は瞬きをする瞳のように震え……こぼれた光が拡散する中に生づりしは、はたして蓮が指摘していた通り、幼いというには熟れ過ぎた、しかし成熟したというにはまだまだ青い。そんな、世にも美しい桃華の精であった。
 清楚で、可憐。それでいて――
「ほう……」
 天禪の頬から僅かに流れる血を、その小さなくちびると、たどたどしい舌遣いで吸い上げるその表情には――妖艶なものなど何一つなく、純粋な好意と心配だけが宿っていた。
 みぃーちゃったー、みぃーちゃったー。
 スーツ姿に抱きつく穢れ無き裸体を前にして、蓮は、このことを誰にちくってやろうかなあと考えて、その結果を想うに肩で笑いをこらえるのがやっとであった。