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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


水妖の夢

【壱】

 アルバイトに誘われた。
 雑踏のなかでどうして自分なのかと思う唐突さだった。
 それでも結局声をかけてきた本人、三下忠雄のどこか頼りなげな雰囲気とおどおどした態度に警戒心を抱くこともなく羽角悠宇は初瀬日和と共に月刊アトラス編集部に足を運ぶことになった。三下の云う話に興味を引かれたというのが本心だ。警戒心などはなから持ち合わせていなかったのかもしれない。日和が傍らで終始不安そうにしていたのが気になったが、編集部に辿り着いて編集長である碇の姿を前にするとそれも少しは緩和されたようだった。
「事の詳細はさんしたくんのほうから聞いていると思うけど、本当に引き受けてもらえるのかしら?安全が保障できるかと云われたら、正直できないわ」
 いかにもできる女性といった雰囲気の碇が悠宇に向かって云う。
「大丈夫です」
 答えた言葉に根拠はない。勢いだと云われればそれまでだ。それをわかっているのか傍らに腰を落ち着けている日和が不安そうに悠宇を見る。
「引き受ける限りは、危なくなったら自分の身は自分で守るつもりです。勿論日和のことも」
「そう……。ならお願いするわ。さんしたくんも連れて行ってもらってかまわないし、いざとなったら盾くらいにはなるでしょう」
 笑って平然と云う碇の言葉に三下が表情を曇らせる。第一印象からしてどこか頼りない雰囲気だったが、碇の隣にいるというそれだけでそれは倍増する。けれど悠宇は三下に頼ろうなどとは少しも思っていなかった。
 湖で発生した行方不明事件。原因は不明。狙われるのは常に男性だけ。その被害者に編集部の関係者が含まれていることが発端で調査するに至ったのだと三下は説明してくれた。三下はその事実にすっかり怯えきっているようだったが、悠宇は本当に怯える必要があるのだろうかと思った。男性ばかりが行方不明になる。その裏には何がしかののっぴきならない事情が隠されているのではないかと思ったのだ。水神様の祟りという言葉が気になったせいかもしれない。近隣の住人も近づくことのない湖。近づけば水神様の祟りがあるというのである。しかし悪しき者だけが人に害を及ぼすわけではないような気がする。守りたいもの、守らなければならないものがあるのだとしたら人が悪だと断罪してもそれが本当に罪だとは誰が断言できるだろう。
「一つ訊いてもいいでしょうか?」
 不意に日和が碇に問う。
「どうぞ」
「その湖にいるのは本当に悪いものなんでしょうか?」
 日和も悠宇が考えていることと同じようなことを考えていたようだ。何も悪意があって人をさらうということだけが総てなわけではないだろう。それぞれの事情がある。それを考えれば悪しきものだと人くくりにしてはいけないような気がする。
「わからないわ。それぞれの事情があるのはわかる。でも、さらわれたほうの身になって考えてごらんなさい。悪意があろうがなかろうが、良いことをされたとは思えないわ」
「それは、わかっています……」
 碇の言葉に日和が顔を俯ける。日和のやさしさを尊重してあげたくて、悠宇は早速行動を開始すべく言葉を綴る。
「とりあえず現場に行ってみます。答えを出すのはそれからで十分でしょうから」
 悠宇の言葉を合図に二人は腰を落ち着けていたソファーから立ち上がる。碇もそれにならって腰を上げ、
「何かの役に立つかもしれないから連れてって」
と云って二人に向かって三下の背を押した。
「いないよりはいたほうがいいでしょ?本当にいざとなったらさんしたくんを盾に逃げてきなさい」
 笑う碇を他所に三下の表情は暗い。しかしそうした碇の態度には慣れているのか、反応に困る悠宇と日和にへらっと笑うと、行きましょうか、と云った。
 

【弐】


 結局三下の運転する車で湖へと向かうことになった。ビルの群れから脱出するように緑の濃いほうへと車は走る。日和と悠宇は後部座席で肩を並べて、変化していく窓の外の風景を眺めるでもなく眺めていた。灰色の風景が自然の温みに包まれていく。穏やかな自然がまだ残されているのだと思うことのできる風景の鮮やかさに、日和はこれから自分が向かう場所にあるものが悪しきものだとは信じきれずにいた。
 確かに人をさらうことは許されることではない。けれど何がしかの事情がある筈だと思う。話せばわかる。きっとわかってもらえるのだと信じたい自分がいる。男性ばかりが失踪するというのが気にかかり悠宇について来たけれど、どこかで湖での失踪理由に拘る何かに同情してついてきた自分もいたことは確かだ。
 失踪させるのではなく、呼ばれるのではないかと思う。湖に住まう何者かは誰かを待ち続け、自分がここにいるのだということを伝えようとしているのではないだろうか。それに反応するのが男性だけだというそれだけで、そこに悪意などないのではないかと。そして男性だけがそれに反応するということは女性なのではないかとも。祈るように切な気持ちで、迎えに来てほしいと訴えている。けれどそれに反応することができるのは人間の男性だけで、待ち人ではない男性らには無関心のまま、指先から零れ落ちていく砂を眺めるように湖の住人はただひたすらに呼び続けているのだろう。その行動は決して褒められるものではない。けれどどうあっても会いたい、迎えに来てもらいたい相手がいるという気持ちが日和には十分に理解できた。哀しいくらいにまっすぐな気持ちはいつだって悲劇しか生み出すことはない。けれど僅かでも救いの道が残されているのなら、その道へと導くことができればいいと思うのだ。
「ねぇ、もし悪いものじゃなかったらどうするの?」
「悪くもないものを罰することはできないだろう?」
「……うん」
「一番いい方法を選べたらいいと思ってる。日和は何も心配しなくていいよ」
 笑顔と共に響く声はやさしい。
「私、決して悪いものだとは思えないの。ただ誰かを真摯に待っているだけなんじゃないかって、そんな気がする……」
「もし本当にそうなら、切ないよな」
 悠宇の答えに自分だけではないのだと思った。すると不安に思う心が少しだけ安らぐ。傷つけるだけが総ての解決になるとは思えない。待ち続けているだけならば、その気持ちを一番に尊重してあげられればいいと思う。叶わぬ願いなら傷つけないよう安らかな答えを与えてあげられたらいいと思う。自分は甘いのだろうかと思うことはあっても、傷つけて解決することだけは受け入れられないと思った。
「つきましたよ」
 随分長い間車に揺られていたような気がしたが、時計を確認するとそれほど長い時間ではなかったようだ。車は開けた場所に停車している。
 三下が開けてくれたドアから外に出ると透明な風が日和の長い髪を揺らした。辺りには小鳥の囀りが響く。
「とりあえず近くの村で水神様についての話を聞いてみたいんですけど」
 悠宇の提案に、三下が辺りに視線を彷徨わせる。その姿があまりに頼りなく、二人は思わず顔を見合わせた。本当に逃げる時の盾くらいにしか役に立たないのかもしれない。そんな二人を他所に地図を取り出す三下は、地図と周囲の風景を交互に見比べ、随分二人を待たせたのちに、
「あっちです」
と長く伸びる道の突端を指差すように曖昧な方向へと人差し指を向けた。目を凝らせば集落が見えないでもない。しかしそこに確かに人の生活があるのかといったらそうでもないような気配が漂っていた。思わず不安げな顔をしたのを覚ったのか、三下は弁解するように声を大にして云う。
「小さな村だと云いますし、行ってみればきっと何か手がかりになるような話しを聞けると思いますよ!」
 明るく云っても駄目だと云いかけて悠宇は日和に視線を向けた。日和はただ仕方ないといったように微笑む。地理に詳しくない二人は最早頼りないといえども三下に頼るしかないのである。先を行く三下の背を追いかけるように、一歩を踏み出すとなんだかひどく哀しい気配が辺りに満ちているような気がした。思わず何気なく視線を彷徨わせてしまうほどに、途切れ途切れにどこか物哀しい雰囲気が辺りに漂っている。その雰囲気に誘われるようにして日和は無意識のうちに呟きをもらす。
「多分、悪いことをしていることに気付いていないだけなのよ」

【参】

 車を止めたのは村の麓の駐車場だったらしい。以前は観光地だったのか、三下が指差した場所にあった村はそこかしこに土産物屋の残り香が漂う寂れた村だった。賑やかさとは無縁の静かな空気。行きかう人々はまばらで、皆一様にどこか疲れたような表情で俯いて歩く。
 悠宇はとりあえず目に付いた商店の戸を潜った。いかにも田舎の商店といったようなその店は、帳場に一人の老婆が暇そうに腰を落ち着けているだけで客の姿はない。日和が珍しげに店内を見回しているが、棚に並ぶ品々はどれもこれもうっすらと埃を被っていた。
「すみません。ちょっとお訊ねしたいことが……」
「湖のことならごめんだよ」
 悠宇が総てを話し終える前に老婆が云う。向けられた視線はその話しには辟易しているというのが明らかで、思わず日和に助けを求めるような視線を向けてしまった。日和はゆったりと頸を横に振って、仕方がないといったように店を出て行く。悠宇も素直にその後に続いて店を出ると、先に店を出ていた日和が云った。
「きっと触れられたくないことなんじゃないかな」
「どうして?」
「きっと湖に変な噂がたったからこの村はこんな風になってしまったんだと思う。それまではここは賑やかな観光地だったんだと思うの」
 寂れた村の雰囲気。それは賑やかさの名残があるから余計に寂れた雰囲気が増しているようである。土産物屋。食事処。軒を連ねるそれらはどれもこれも今は閉ざされて、商いをしている様子はない。
 それらの悠宇は人の弱さを見た気がした。
 些細な噂に翻弄されて、一人二人とその場を去っていく。真偽のほどは定かでもないというのにそれらを信じる。確かなものなどなにもないからこそそれに引きずられる。その裏で誰かが傷つくことなど厭わない。何かが終わることも他人事だ。
 人の去った観光地ほど淋しいものはない。きっと観光地としての価値を失ってからここを訪れたのは、不必要に噂の真相を探るライターやマスコミ関係者たちばかりだったのだろう。噂の真相を捏造し、報道する。それは多くの人々を楽しませはするけれど、この村にもたらされるものはマイナスのものばかりだ。それによってますます気味悪がる人も増えたことだろう。
 思わず漏れた溜息に悠宇は、とりあえず湖に行ってみるしかないのかもしれないと思った。そしてふと三下の姿が見当たらないことに気がついた。
「あれ、三下さんは?」
 日和は頸を傾げ、わからないと答える。
 すると不意に遠くから二人を呼ぶ明るい声が響いた。
「わかりましたよ!何があったのか!!」
 その表情はいつになく明るく、今まで見たどの表情よりも生き生きしている。何を手に入れてきたのか、息を弾ませたまま二人の前で立ち止まると三下は嬉々として話し始める。
「失踪事件が起こり始めたのは二年くらい前のことだそうです。それまでこの村は近くにある縁結びの神が住むという湖のおかげで観光地として栄えていたらしいんですが、突然男性ばかりが行方不明になるという事件が起こり始めて、次第に人の足が遠のいていったそうなんです。最初はカップルに神様が嫉妬しているんだというような些細な噂だったらしいんですが、警察沙汰になったりし始めたせいで……」
「わかりました」
 嬉々として語る三下の言葉一つ一つがひどく痛みを伴う音として鼓膜に響き、悠宇は思わず言葉を遮る。嬉々として語るような話しではないのだと、日和の表情が語っていた。糸を断ち切られたようにぽかんと口を開けた三下が動くことを忘れて突っ立っている。
「いえ、あのとてもありがたいんですけど、とりあえず湖に行ってみればそれでいいんじゃないかと思って。結局目で見てみなければ本当のことなんてわからないじゃないですか」
 取り繕うように云う悠宇に三下はそうですねと笑いながらも落胆の気配を隠せずにいた。

【肆】

 村を出て、朽ちた看板を頼りに湖に続く獣道を行く。気持ちは沈んだまま、このまま引き返したい思いがくすぶっている。村から賑やかさを奪い、男性が行方不明になる根源である湖に辿り着けばきっと見たくもない哀しい光景を見ることになる予感した。悠宇も日和もどことなく表情が暗い。三下だけがそんな二人を心配そうに、それでいて励まそうとして空回りを続けている。
 唐突に視界が開ける。
 広大な水をたたえた湖は静寂のなかに横たわっていた。朽ちかけたボート乗り場と何艘かのボートが見える。
 言葉を失うほどに澄んだ湖の中央には小島が浮かび、ささやかな社があるのがわかった。
 日和はゆっくりと水際に近づき、その場にしゃがみこむとそっと透明な水に手を浸す。
『おまえは良い子だね……』
 不意に声が響いた。反射的に顔を上げると女が一人、水面に佇むようにして日和のことを見下ろしている。
『大切な人を守るためにここに来たのだろう?』
 背後で悠宇が名前を呼んだが、一つの笑みで大丈夫だと答える。
「男性ばかりが行方不明になる場所に一人で行かせることなんてできなかったんです」
『それでいいんだよ』
 女が笑う。長い髪が隠す左半面に醜い火傷の痕がのぞいた。
『手を離してしまえば永遠に戻ることがないものもあるんだからね』
 あまりに哀しげな双眸が日和のことを見ている。まるでいつかの自分も日和のようにすればよかったとでも悔いるような眼差しだ。
「あなたはどうしてここにいるんですか?」
『間違ったのさ。失いたくない者の手を離して、悔いて、追いかけて、結局再開することはかなわず此処にとどまっている。ただあの人に一目会いたかった、それだけだったのにね』
「行方不明の男性を返して下さい」
 突然日和の背後で悠宇が云った。
『私を消してくれるかい?』
 女の言葉に二人は沈黙する。
『私がここにある限り、彼らを返してやることはできないんだよ。この傷のせいでもうこれ以上動くことはかなわないからね』
 白い指先がかき上げた髪の下には目を背けたくなるほどの醜い傷痕が刻まれている。
『私情に任せて護るべき場所を捨てた報いさ。望むと望まざると人を呼んでしまう。だから、私を消しておくれ』
 苦しげな声で綴られる女の願いは何よりも哀しく、淋しく辺りに響く。伏せられた睫毛がどんなに自分の犯してきた罪を悔いているかを伝えているようだった。
『私が消えれば、あの人とも会うことはかなわなくなるが、それで償いになるのなら私は喜んでそれを受け入れよう』
「あなたが探すその人は今どこにいるんですか?」
 あまりに哀しい女の言葉に日和は思わず問いかけていた。これだけ待ち続けて会うことができなくなるのは、あまりにも哀しすぎると思ったからだ。せめてほんの一瞬でも、会わせてやることができるなら。そんな微かな望みに縋るような思いで問いかける。
『黄泉の国だよ。いいのさ、所詮結ばれぬ運命。私の我儘が多くの人を不幸にしたんだ。償わねばならない。―――あの社の鏡を割っておくれ。そうすればもう私はこの世にとどまることはできなくなる』
「でも……!」
 叫ぶように云う日和の肩に悠宇の手が触れる。振り返ると、悠宇が諦めろとでもいうようにゆったりと頸を振る。
「みんながおまえを忘れても、俺と日和は絶対忘れないから」
 哀しみを押し殺すような口調で悠宇が云う。他に手立てがないのだというような淋しさがその言葉の端々に香ることに日和は気付いた。
『本当に良い子だ。おまえたちは幸せにおなり。私のように手を離すことなく、幸せになるんだよ……』
 言葉が消える。
 湖面に水紋が刻まれる。
「……あの人が望むんだから仕方がないんだ」
 悠宇が自分に云い聞かせるようにそう云うと、朽ちかけたボート乗り場へとつま先を向けた。
 三下が恐ろしいものを見るような目で腰を抜かしたまま湖面を見つめている。日和はその姿に気付き、恐れることなど何もない。ただ哀しい出来事があっただけだと思い悠宇の後に続いた。
 女が云った鏡を割ることになるだろう。
 そして総ては解決することになるだろう。
 けれど肝心なものは何一つとして解決しはしない。
 女は終わることのない淋しさを抱えて終わっていくのだ。
 どうしてこんな結末にならなければならないのだろう。
 どうして平等に幸福は訪れないのだろう。
 こんなに美しい場所に哀しみばかりが満ちているなんて現実は、辛すぎる。
「どうして、幸せになれないんだろう……」
 呟く日和に悠宇が答える。
「覚えていよう。あの人が誰かを想い続けて幸せだったっていうことを」
 記憶は果敢なくいつか朽ちることになるだろう。
 けれど覚えていることしかできないのであれば、出来る限り長く、鮮やかな記憶として覚えていようと日和は思った。
 夢を見るような幸福な日々を、確かに記憶の中に焼き付けておこうと……―――



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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【3524/初瀬日和/女/16/高校生】
【3525/羽角悠宇/男/16/高校生】


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■         ライター通信          ■
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初めまして。沓澤佳純と申します。
このような淋しい結末になってしまいましたが、少しでもこの作品がお気に召して頂ければ幸いです。
この度のご参加、本当にありがとうございました。
また機会がありましたら、どうぞよろしくお願い致します。