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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


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 少女遊郷の元に銀色の鬼が転がりこんでから、数ヶ月が経つ。
 朏、との名乗り以外多くを語らぬ銀鬼だが、郷もそれを問い質す事なく日を重ねて漸く、日向の縁で身体を伸ばす程に警戒が薄れていた。
 それどころか、手も握らせてくれる。
 声をかけようとしただけで緊張を走らせていた当初から考えれば、破格の進歩である……郷はつらつらと考えながら、繋ぎ合って汗ばみながらもしっかりと組まれた手に応えて上腕に力を込めた。
「……っ、く……っ!」
食いしばった歯の間から詰めた息が洩れるのに、郷は呆れを混ぜた声音で揶揄する。
「それで限界か?」
堪えた息が悔しさを滲ませ、どうにか言葉を吐き出すが、その二音が朏の限界と心情とを明確に物語っていた。
「く……そ……っ!」
郷は至近の表情と込められた力からもう限界か、と計っていた頃合いと見て、一の腕を内側に倒した。
 途端、面白いまでの非力さで、ぱたりと腕と上体ごと横倒しになった朏は、乱れた呼吸のままころりともう一回転する事で元の俯せの体勢に戻る。
「くっそー、有り得ないッ!なんでそんな馬鹿力なんだよッ」
平日の午後、放映する番組枠を持て余したか、はたまたそれ程に需要のあるジャンルなのか、昼食時、何気なくつけた民放でアームレスリングの世界大会が放映されていたのが事の発端だ。
 黙々と……否、画面に集中するあまり箸の止まりがちな朏を促しつつな食事を終えれば先は見えたもの。
 程よいぬくもりに満ちた縁側で腹這いに向かい合い、腕相撲に興じる一コマ…の筈だが、一方が本気で口惜しがってる為、ほのぼのさが二割り増しだ(当社比)。
「馬鹿とはなんだ。普通だろ」
本気のあまり抗議ですらない悪態、ゆうに7世紀を超える齢の鬼の言質を、これまた十四の少年が至極真面目に受け止める。
 因みに、郷の腕力は決して普通ではない……刀鍛冶の家に生まれ、鍛冶場に足を踏み入れるようになった十の年より、鎚を奮い、鉄に命を与える作業は、応じて骨格・筋肉を立派に発達させている…並の大人に比肩する程に鍛えられた体格が、未だ成長過程に在るというのは末恐ろしい気がしなくもない。
「大体お前の方こそ。鬼の癖にどうしてそんな非力なんだ」
床板のぬくもりを余さず得ようとしてか、長く伸びた朏に水を向ければ、頬を膨らませて顔を上げる。
「俺の怪力が生きてたら、郷の腕なんかぽっきんだ」
負けず嫌いな子供の主張に、郷は思わず失笑する。
「あ、信じてねーな?! 怪力がなくても空飛んだり人化かしたり色々出来るんだぞ、すげぇんだからな?!」
「へえ、そんな能力もあるのか」
機嫌を損ねない為だけではないが、自らの事を初めて語る朏に本気で感心した郷は更に話題を続けてみた。
「じゃ、豆に化けたりも出来るのか?」
「勿論!」
胸を張った朏だが、はったと何かに気付いた表情で首を横に振った。
「……でも化けないぞ! 危ねぇ、危うく乗せられて餅にくるまれて食われるトコロだった……」
変身能力のある者を弱い存在へと言葉巧み変化させ、食べてしまって退治するのは古今東西、文化を問わず昔話の王道である。
「なら、何にならなれる?」
興味津々と言った様子で問われるのに気分が悪いようではなく、朏はちょっと得意げに応じる。
「望む形になら何にでも。豆にだって『なれない』んじゃなくて『ならない』んだからな」
主義主張はしっかりと。
 一貫した朏の姿勢に郷は笑う。
「じゃぁ、美人の姉ちゃんにもなれるって?」
「勿論!」
言ってその場に胡座をかき、朏はその紫の瞳を伏せるように閉じ、また開く……そのゆっくりとした動作に思わず目を引かれた僅かな間に、変化は為されていた。
 造作にさして変わりがある訳ではない…元々の線の細さはそのままだが、全体的な印象と輪郭が丸みを帯び、柔らかに張った肌の質は男のそれでない。
 口を閉じていれば儚げとも言える容貌は長く伸びた銀髪に縁取られ、肌の白さと相俟って紫水晶を思わせて澄んだ瞳の色を深くする。
 銀髪の流れを追って視線を下げれば、触れれば折れそうに細い首筋、薄い肩、しなやかな動きを思わせる腕へと続き……和装の襟元を押し上げるように、たわわに実った胸があった。
「どうだ!」
美貌の鬼女と化しても朏はどこまでも朏である。
 如何な美貌に変じる能力も、はしたなく裾を乱れさせた胡座姿まで治る代物ではないらしい。
 細い腰に両手を当て、再び胸を張れば豊かなそれが揺れる……無言の内につくづくと眺めていた郷はごくごく自然に、全く構えなく動いた。
「コレ、本物か?」
そして郷の動作があまりに澱みなかった為、朏も反応出来なかった。
 郷は伸ばした手で迷いなく両の乳房に触れ……などという可愛いものでない。わしっと掴んでそのまま揉んだ。
 掌底で支えるようにすれば質量に重みこそあるが芯まで柔らかく、動きに弾力を持って添い、その形の良さを思わせてつんと尖った感触が掌に一点ずつ……。
「みぎゃぁっ!」
一拍遅れで、朏が猫のような悲鳴を上げた。
 途端、手の中のぬくもりは消失し、変わって掌に痛みが弾ける。
 一瞬で銀の毛並みを持つ猫へと変じた朏が、猫が持つ、最も有効武器である爪で以て、痴漢行為を働いた相手に相応の報復……引っ掻きを思い切りよく行使したのだ。
 そしてトッと軽い音で床に着地すると同時、朏は小動物に相違わぬ俊敏さでそのまま庭へと逃走した。
 真偽を確かめる目的、だけでなかったのが問題なのだろうが、因果応報に手痛い反撃を喰らった郷が広い庭から朏を見つけ出すに一日を要し(結局お腹を空かせた朏が自分から姿を見せた)、機嫌を直して貰うまで一週間かかった上、朏は郷の前では決して女性化する事をしなかったという。

 あれから以降、猫の姿を取る事の多くなった相棒が暖かな縁側で寝くたれる姿を目にして、郷はそっと胸中に溜息をつく事がある。
 十五年を経た今でも時折あの姿はまざと思い出せる……二度と目にしていない、まさしく幻のように美麗な鬼女。
 今後も見る事が出来ぬ適わぬのであれば。
 ……もっと堪能しておけばよかったと。
 全く懲りていない郷が胸中に嘆息するを知らずして、朏は日溜まりの心地よさに銀に光を弾きながら、ぱたりと軽く尾を振った。