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<東京怪談ノベル(シングル)>


!キュリアスシャンデリア!


 そもそも、なぜ、その洋館に近づいていったのかがわからない。
 見るからに不気味な館だったし、辺りはすっかり暗くなっていた。我が家は――海原家はまだ遠い。みなもはその日も、何だかんだで帰りが遅くなってしまっていた。
 こうして帰りが遅くなった夜に起きるのは、大概ろくでもないことだ。悪夢のようで現実であり、ときには現実味を帯びた悪夢のような出来事が、夜道のみなもを恐るべき世界へと引きずりこんできた。得体の知れない怪物や、言葉にも表せないような変化、血と脳漿、悪趣味で優美な体験は、みなもの脳裏にしつこくこびりついている。きっと中には、完全に忘れてしまったものもあるのだ。みなもの経験は、ひどく豊富だった。幸か不幸か、その事実を知る者は誰もいない。みなも自身、あずかり知らぬわけだから。
 ともかく、彼女は――みなもは、小首をかしげて、その洋館の門に近づいていっていた。美しいようでねじまがった、黒い鉄の門だ。鍵はかかっておらず、むしろみなもを誘うかのように、片側がわずかに開いていた。
「こんなところに……こんなお家、あったっけ……?」
 門に近づき、館を見上げる。
 秋分の日も過ぎて、これから夜は長くなる一方だ。そして、午後7時になろうとしているいまは、もうすっかり空の色も藍から黒に移り変わっている。
 しかし、その洋館は――明かりもついていないというのに、くっきりと、闇の中にその姿が浮かび上がっているのだった。みなもは思わず目をこすった。深海でも見通せる人魚の目になってしまっているのかと思えた。
「……立派なお家……」
 みなもはぼんやり呟くと、門扉に手をかけた。
 きゃうっ、
 その音に驚いて、みなもはびくりと手を離す。門が悲鳴を上げたように、みなもには聞こえたのだ。
 しかし実のところは、ただ門の蝶番に油がささっていなかっただけなのかもしれない。門扉は、か細い悲鳴を上げながら、みなもが通れるほどの隙間を開けた。
 ――だめだよ……。こういう風にふらふら近づいていって、いっつもひどい目に遭うんだから。それに今日は姉さまが家にいるんだし、早く帰って……晩ご飯、つくらなきゃ。
 それでも、だ。
 みなもは聳え立つ洋館の扉の前に来てしまっていた。
 ――どうして? また……夢なの?
 何もかもが自分の思い通りにゆかず、ただずるずると奇天烈な展開(或いは、おそろしい展開)に引きずられてゆく。
 そしていま、館ははっきりとした唸り声を上げた。

 お・お・お・お・お・お・お

 それは、歓喜の声である。


 閉じたままの木製の扉には、絡み合う茨のつると、それにがんじがらめにされたカーゴイルの首をモチーフにしたノッカーがついていた。そのガーゴイルが、血を吐きながら歓んだのだ。
 それに驚いたみなもを、無遠慮に掴んだ手があった。
 みなもは悲鳴を上げた――声の限りに、喉も涸れよと、絶叫した。
 門から手が生えている。脂肪のない、筋肉で武装された屈強な腕だ。闇色をしていた。腕はみなもの腕を掴み、ぐ、とみなもを扉に引き寄せた。
「離して!!」
 みなもの腕に、びしりと鱗が生えた。指の間には水かきが現れ、爪は鋭く伸びた。海流をかき分けるほどの力が、人魚の腕にはあるのだ。儚く頼りなげに見える人魚の力には、おそらく、人間の格闘家でもかなうまい。
 扉から生えた腕は、みなもの力で引き剥がせそうだった――
 扉が、大音響とともに開いた。
 それもまた、あの門扉のように、悲鳴を上げていたのだ。男の咆哮が、みなもの頭の中に響きわたる。
 扉の向こう側には完全なる闇が――みなもも見たことがある、あの深海の黒さが――あった。闇の中から、助太刀なのか、何本もの腕が伸びてきた。いまみなもが格闘している屈強な腕もあれば、華奢な女の腕、皺に覆われた老いた腕、子供の腕まであった。
 老若男女の腕に掴まれたみなもは、成す術もなく館の中に引きずり込まれた。
 扉が呻き声を上げながら閉まり、辺りには水を打ったような沈黙が……


 館の中は、みなもの悲鳴で埋まっていた。
 意識は途絶えることもなかった。
 老いた手が、みなもの腕や足、頭を掴み、恐ろしい力で引っ張った。関節が外れ、皮膚がのびていく。痛みと恐怖があった。腹の皮膚を掴まれ、やはり、伸ばされた。ぷちりと皮膚が千切れ、肉が裂け、はらわたが広がった。肉、臓物までもがやはり掴まれ、どこまでも伸ばされていった。闇の中で、赤いドンドルマがつくられていく。
 そうして伸びた部分を、子供の手が掴んだ。歓声こそないが、粘土を与えられた子供のように、腕はやはり歓喜し、みなもの伸びた身体こねくりまわした。肉がつぶれ、血が弾けとぶ、湿った音がした。
 何ということか!
 子供の手がみなもをこねると、有機物で出来ているはずのみなもの肉が、皮膚が、骨が、ガラスや黒ずんだ金属に変わっていくのだ。体内を流れる血が止まり、みなもの体温はたちまち失われていく。柔らかな細胞は死に、たちまち硬直した。それこそ石や金属のように、硬く硬く。
「あ、ああ――あ、ア、アアアアゥ、キ、キ、キキ――」
 悲鳴が軋みへと変わっていく。
 伸びていく……ねじまげられていく……変えられていく。
 そこでのたうちまわるものは、もはや人間でも人魚でもない。美しくもねじまがった、金属のオブジェだ。
 華奢な女の手が、闇の中からざらりざらりと鎖を引きずって持ってきた。鎖は、みなもに巻きつけられた。鎖には茨のような棘がついていて、まるで有刺鉄線のようだった。鎖の棘がみなもの皮膚に食い込んだ。しかし、血は流れず、火花が散っただけだった。
 女の腕が、合図をする。
 みなもは甲高い悲鳴を上げた。一息で、身体が闇の中に吊り上げられたのだ。屈強な男の腕がどこからか伸びてきて、みなもの中に銅線や電球を取り付け、慣れた手つきで配線した。
 そうして、男の腕が合図をした。


 あたしはこうして巻き込まれていく。
 あたしはこうしてねじ曲げられていく。
 あたしはこうしておかしくなるの。
 あたしは、どうして、いつもこうなの?


 身体の中を、電流が流れる。
 新たな血管である銅線の中を、青白い力が駆け巡る。

 キャ――――――――――――――ッッ!!

 みなもが絶叫すると、身体に取り付けられていた電球が、またたき……光を放った。みなもは、揺れていた。
 美しいが、どこか背徳的な装飾のシャンデリアが、館のロビーを照らしていた。
 腕たちは、光をつくったのだ。
 ロビーに取り付けられた鏡に、みなもの姿が映っている。きらびやかにロビーを照らすシャンデリアが、不安げに揺れながら映っている。
 ああ、きっと、あの鏡も、階段の手すりも、門扉も、何もかもが……。

 そのとき、ガーゴイルのノッカーがついた正面扉が開いた。
 誰かが入ってくる。
 誰かが。
 だ



 軋む身体に呻き声を上げて、みなもは目を覚ます。
 そこは、自分の部屋だった。
 そうだ……もうすでに自分は帰宅して、きっと夕食を作り、おそらく食べて、たぶん風呂に入ったのだ。そうして、いまは眠っていた。明日も学校がある。何も変わらぬ毎日が続いていく。
 しかし彼女は、ベッドの上に仰向けになったとき、悲鳴を上げた。
 天井に取り付けられている照明が、それはそれは豪勢なシャンデリアに変わっていたのだ!




<了>