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『 天神様の社 』
どこか誇らしげだった顔は真っ赤になって、そして可愛らしいほっぺは膨らんだ。
それがますますセレスティの笑いを誘って、笑われている対象者はさも不服そうにますます頬を膨らませる。
「何が面白いんでしか、セレスティさん。わたしは何も面白い事は言っていないでしよ!」
小さなスノードロップの花の妖精はセレスティの目の前にある空間にふわふわと浮遊しながら腰に両手を置いて、抗議の声をあげた。
細く形のいい手の指先で、目じりに溜まった涙を拭いながら肩を竦めたセレスティはどこか意地の悪い表情をして見せると、薄く形のいい唇を動かした。
「いいえ、あれは十二分に人を笑わせる台詞ですよ。悪意ではなく、好意でね。私は微笑ましくって笑ったんです」
妖精は傾げる首の角度を深くした。
セレスティはくすくすと笑いながらテーブルの上のティーカップを手に取って、その中の液体を喉に流す。
喉から胸に落ちたその温かみは、最前からあるその妖精への微笑ましげな感情と同じように心地良い温もりであった。
では一体この妖精が何を言ったかというと………
『セレスティさん。紅葉狩りって、虫取り網で、落ちてくる紅葉をこうやって、えい、えい、って捕まえる事を言うんでしよ。知ってましたでしか!』
―――それを聞いて一瞬目を大きく見開いて、
その後に笑ってしまった。
きっと、どこかの子どもにからかわれたのだろう。
「さてと、どうしますか?」
ここでこの妖精に国語辞典なんかを引いて読み聞かせてやるべきだろうか?
――――紅葉狩りの意味を。
「いえ、聞くよりも実際に自分で行動した方がいいですかね」
そしてにこりと笑いながら頷いたセレスティは、それをその妖精に提案してやった。
「では、私と紅葉狩りに行きましょうか。まだ紅葉には早いかもしれないですが、自然に触れ合うのもいいことですしね」
「はいでし♪」
そうして二人は今度の日曜日に、山へとドライブに行く約束をした。
+++
あたしがその本を手に取ったのはまったくの偶然でした。
たまたまゼミの先生にあたしが来年の卒論のテーマ計画書を出した時にそのテーマに合ってるから、と勧められた本を本屋さんに買いに行った時に、見つけたんです。
「童謡の本?」
そう、それは童謡の本でした。
この日本に伝わる童謡を集めて、その歌詞の本当の意味、それが作られた頃の時代背景、そういうモノが書き込まれていて、民俗学を勉強しているあたしは、ちょっと興味を惹かれたのです。
それにあたしが書こうとしている卒論にもまんざら関係なくも無いものでしたし。
それであたしはそれを買いました。
家に帰って、簡単に夕飯を済ませると、あたしはそれを読みました。
そしてその中のひとつの歌に心を奪われたのです。
歌詞に目を通すだけでそれは簡単に想像できました………
――――深い杜の中にある社。
その社に向って白装束を着て狐の面をつけた大人たちが担ぐ御輿に乗った幼い子ども。
黒髪で、おかっぱ頭。臙脂色の着物を着て、とても整った顔立ちをしていて、雪のように白い肌はとても滑らかで美しい。
御輿を担ぐ大人たちが顔に狐の面を付けている理由は?
―――――それはきっと、自分たちがこれからやる事の無慈悲さを誰よりも知っていて、その面の下にはそれをありありと語る表情が浮かんでいるから。
ともすれば、涙で顔が濡れているのかもしれない。
だけどその御輿の上の子どもは凛とした表情を浮かべていた。
とても誇らしげで、
神への貢物として選ばれた自分の運命を嘆く様子は微塵も無くって、
ただただ清々しく凛と爽やかに微笑んでいた。
とても清楚な花のような幼い子ども。
御輿は深い杜の中を進んで、
社の前に幼い子どもは独り、置いていかれる。
幼い子どもは多くの貢物として置かれた手毬を手に持って、それをつきながら歌を唄う。
手毬歌。
人身御供にされた子どもたちを詠った歌を。
その本の後ろに書かれた作者の女性はあたしが通う大学の出身者で、そして後にあたしと同じゼミに属していた事がわかりました。
+++
「こんにちは。はじめまして」
彼女は甘やかな微笑を浮かべながらあたしに名刺を差し出した。
名刺には彼女の名前と、彼女が属している大学院の名前、そしてメールアドレスが書いてあった。
「先輩は大学院に入院してすぐにこの童謡の本を出したそうですね」
「はい。もともとは大学を卒業して小さな文芸社に属して、一ページ特集でこの企画をやっていたんです。そうしたらこの企画が大ヒットしまして、それで本を出すことになりまして。それでそれを機に民俗学で食べていく夢を叶えるために、大学院に入院したんです。印税という当てもありましたしね」
彼女はそう言って舌を出して笑った。
「それで今日はどういったご用件で?」
「ええ。この童謡についての話を聞きたくって」
髪を優雅に耳の後ろに流しながら彼女はあたしがページを開いて渡した本を覗き込んだ。
「ふむ。この童謡ですか? 神へ貢物として人身御供にされていた子どもたちを詠った哀しい童謡ですね」
「ええ。この童謡の出所を聞きたいんです」
「出所、ですか?」
「はい。例えば口裂け女。これは岐阜県が出所でしたよね。塾通いが爆発的に普及した時代、当時は農家が多く、それが家計への負担になるのを怖れた親が、子どもが夜に出歩くのを恐れるように、その噂を流した」
「お見事で」
彼女はぱちぱちと手を叩いた。
「ネットでこのように童謡の出所も探せれば良かったのですが、でも何分ネットに詰め込まれた情報が不足していまして」
「ピースが無ければ、パズルは完成させられませんよね。ええ、はい、わかりました。この童謡の出所ですね。この童謡ならば、わかりますよ」
そう言った彼女の顔はどこか寂しそうだった。
「どうしましたか、先輩?」
「あ、いえ、何でもありません」
「そうですか」
「はい。ただ…」
「ただ?」
「いえ、やはり何でもありません。えっと、この童謡ですよね。この童謡の出所は**県の**村です」
「言い切るのですね、先輩?」
「はい。だってこのそこは私の育った村ですから。だから、童謡にも興味を持ったのですし」
――――――――――――――――――
【Begin Story】
【朝】
「うわぁー、すごいでしね、セレスティさん!!!」
誰が器用に作ったのだろうか? 串に網をつけたお手製の虫取り網を手に持つ妖精は目の前に広がる大自然を眼にして、大きく口を開け広げた。
「たくさんの木でいっぱいでし!!!」
「そうですね。私たちが普段暮らす街中とは大分違う、深い木々に覆われた森。空気も澄んでいて美味しい」
「そうでしね。本当に空気が美味しいでし♪」
彼女はすぅーっと口を大きく開けて空気を吸い込んで、
それでどうするのかと思えば、
そのまま息をするのやめてしまったから、
数秒後にはあはあはあ、と苦しそうにしていた。そんな彼女に私はくすくすと笑い、彼女も頭を掻きながら照れ笑いを浮かべた。
時刻はAM10時25分38秒。
午前中の明るい光に照らされる木々の葉はほんのりと赤みを帯びていて、それはまだ恋をしたての初々しい少女の頬を私に連想させた。
「やはりまだ紅葉には少し早いですね。でもこの美味しい空気を吸えただけでもここに来た意味はありますし、それに眼の保養にもなりますしね」
「そうでしね。それにこういうところで食べれるお弁当も美味しいでしよ♪」
満面の笑みでそう言う彼女に私はまた目を大きく見開いて、くすっと笑ってしまった。
「あ、また笑うんでしから」
「すみません」
「それに武士は食わねど高楊枝なんて言いますでしけど、でも食べなきゃ紅葉を狩れないでし」
ぶんぶんと網を振り回す彼女。
さてと、どうやって説明しようか?
紅葉が落ちる様を見せて、それで紅葉狩りを説明しようと想ったのだが、さてさて…
赤みをほんの少し帯びた紅葉をじっと見つめる妖精に、言葉で紅葉狩りの意味を教えようか、そう想っている私の視界の端にその子は映った。
―――――顔に狐の面を付けたおかっぱ頭で、臙脂色の着物を着た女の子。
その子はこちらを見ながら小刻みに肩を動かしていた。
笑っているのだ。
そしてぶわっと、風が吹き、紅葉が落ちてきた。
―――赤い、赤い、小さな赤子の手のような紅葉が。
しずしずと、しずしずと、しずしずと、紅葉が落ちてくる。
「うわぁーい、紅葉を狩るでし♪」
網を振り回しながら飛ぶ妖精は楽しそうに笑いながら紅葉を集めていた。
「さあ、セレスティさんも一緒に紅葉を狩るでし」
舞い降る紅葉は私を、包み囲んだ。
ほんの一瞬、私の視界を遮った紅葉がひらりと落ちた時には、その子はいなくなっていた。
――――――――――――――――――
【昼】
都会の街中の道を抜けて、ビルよりも木々が多くなり、そしてそのうちは木々ばかりとなり、落石や土砂崩れを避けるためのコンクリートで固められた殺風景な山を左側に、右側には傷だらけのガードレールを挟んで大きな川となる。
緑色の衣を脱ぎ捨てて、臙脂色の衣を着込むのはもう少し先か。
今、あたしがいるのはあの童謡の出所である村の付近の山道だ。
大きなカーブがある山道に設けられた休憩所(道の左側にある森を少し切り開いた場所に木の傘が立てられていて、その下には丸テーブルと、丸太の椅子が置かれている)。
車を停めて、あたしは丸太の椅子に座り、はらはらと落ちる枯葉の音を聞いていた。
10月最初の日曜日、あたしはあの童謡の出所である村に向っていた。
あたしと、
「ごめんなさい」
「いえ、かまいません。それよりも大丈夫ですか、先輩?」
「………ええ」
休憩所のトイレから出てきた彼女は真っ青な顔で口をハンカチで覆っていたが、その顔を頷かせた。
「あはははは。情けないですね。散々、私は山育ちですから、風景の綺麗な場所もご案内しますね、なんて言っていたのに、車に酔っちゃうなんて。15歳まではこの山道をいつもふもとの町にある小学校までバスで通っていたのに。都会暮らしが長すぎたのかしら?」
「何年ぶりにこの故郷に?」
「…11年ぶり、ね」
「11年ですか。随分と長いこと帰っていないんですね」
「ええ。ちょっと敬遠していたの。故郷を」
「どうして?」
あたしはそう訊ねたが、彼女はただそう訊ねたあたしに微笑んだだけであった。
――――訊いて欲しくない事に触れてしまったという事か。
時刻は12時過ぎ。
空はただ青く、その秋晴れの空を白い雲が悠然と流れていく。
風は止む事無く、あたしの頬を素肌を弄り、髪を虚空に舞わせる。
それでもさらさらと落ちる葉は、まるで降るようで、傘の庇護の下から一歩足を踏み出したあたしの体を太陽の光が無慈悲に焼くが、あたしの心は葉の雨に打たれることでどこか癒されるようだった。
「あ、髪に枯葉が」
先輩は青白い顔にそれでも綺麗だと想える笑みを浮かべて、髪についた枯葉を取ってくれた。
「あなたは秋は好き?」
手に取った葉を細めた瞳で見つめながらおもむろにそんな事を口にした先輩からあたしは周りの風景に視線をやる。
なぜか一本だけ延々と紅葉を舞い降らせる木。
それはさらさらと、
さらさらと。
その様は見ている者に、この日本の四季の情緒を味わさせて、どこか物悲しさと、憧れにも似た想いを感じさせる。
落ちた枯葉すらもそれは、足元の大地を覆い尽くし、風に転がり、軽やかなダンスを踊る。
それはあたしの足に絡み付いて、まるでどこかに誘おうとしているようだった。
――――どこに?
森を通り抜けた風。
その風は虚空をしずしずと舞い落ちる枯葉を揺り動かし、そして運んだ。そこへ。
一本の木の陰から、ひとりのおかっぱ頭の臙脂色の着物を着た子ども…女の子が、顔に狐の面をつけてこちらを覗いていた。
――――聞こえたのは、枯葉が風に奏でた音色か、それともその子が笑った声か。
その子はあたしに背を見せて、大地を覆う枯葉を踏んで走っていく。森の奥へと。
「あなたが見ている方に、あの童謡に出てくる社があるんです。ここはもうその社の神様の所領なのですよ」
彼女はどこかせせら笑うような感じであたしにそう言い、
そしてあたしが彼女を振り返ると、
彼女はただ笑っていた。込める感情は無く、ただ表情を笑みという形にしていた。
ざわっと秋の森は風にざわめき、
枯葉は舞って、
あたしと彼女の髪も虚空を踊る。
「先ほどあたしに訊かれましたよね? 秋は好きかと。ええ、好きですよ、秋は。今度は逆にあたしが先輩に訊ねます。先輩は秋は好きですか?」
風はいよいよ勢いを増して、ざわっとざわめく風の音色は荒々しい物へと変わった。
顔を覆う髪を掻きあげながらどこか禍々しい印象を与える笑みを浮かべながら、彼女は言った。
「いいえ、私は秋は嫌いですよ」
これまでの…迷信が人々の心を掌握し、科学的根拠の無い理由で多くの子どもたちの命を奪ってきた天神様の所領であるこの森…杜に漂う秋独特の枯葉の匂いは、しかしどこか血液の香にも感じられた。
聞こえているのは落ち葉が揺れる音か、
それとも………
―――――子どもが笑う声か。
うふふふふふふふふ。
+++
結局、私は彼女に紅葉狩りの意味を説明できなかった。
それどころではなかったのだ。
あの一本だけ急に紅葉して、葉を降らせ始めた木。
そして狐の面をつけた子、あれは一体?
この森が私に見せた悪戯であろうか?
「それならそれで面白いんですがね」
「何がでしか?」
口の端にご飯粒をつけた彼女が小首を傾げる。
「いいえ、何でもありませんよ」
私は彼女の口の端のご飯粒を取って、口に運んだ。
くすくすと笑う彼女のその笑い声が歌だとするのなら、すぐそこにある川のせせらぎはバックオーケストラだろうか?
せせらぎの音色に、
同じく川原でバーベキューを楽しむ家族の笑い声。
ルアーフィッシングを楽しむ若者たちの声。
さらさらと流れていく川の向こうの岸には彼岸花が揺れている。
透明な水のきらめきを前に、深い緑を背後に咲き乱れる赤い花。
川を流れていく黄色いプラスチックのアヒルの玩具。
「あ、アヒル隊長でしぃー」
それを追いかけていく彼女に私は微笑ましげな視線を送った。
その視線の先ではアヒルの玩具に乗った彼女に、流れるアヒルを追いかけながら子どもが声を送っている。
風に揺れる赤い彼岸花はまるでそんな妖精を笑っているようだった。
「かわいい妖精ですね」
ふと人影がさしたかと想うと、腰まである髪を掻きあげながら彼女は私に笑いかけた。
私にはその彼女に見覚えがあったので、それを口にした。
「こんにちは、お久しぶりですね」
「まあ、総帥。私の事を覚えていてくれたのですか?」
「ええ。それはもちろんですよ。私はあなたの本のファンでもありますしね」
「それは嬉しいですね。それで総帥は今日はあの妖精の子と?」
「ええ。紅葉狩りの意味を間違えて覚えている彼女に、それを教えてあげようと想ったのですが、まだ少し時期が早すぎたようです。それでも朝は紅葉し始めた木々に、昼は川のきらめきに、風に揺れる彼岸花の美を楽しめたのでそれはまあ良しとしようとも想うのですがね」
「なるほど」
彼女は私の横に腰を下ろした。
私はその彼女に魔法瓶のコップを渡し、魔法瓶の中身の液体をそれに注ぐ。温かそうな湯気を立ち上らせるそれを喉に流した彼女はほっと息を吐いて、笑った。
「美味しい紅茶ですね」
「はい。秋摘みダージリンです」
「それであなたはどうして今日ここへ? 確かここは」
「はい、私の実家がある村です。大学の後輩が私が書いた本に惹かれて、それでここに。何故か私の実家の、ここの村に伝わる童謡に彼女が惹かれたと。ここに来たいと言いまして、それで」
「なるほど。この村に伝わる童謡は確か、神への貢物にされた子どもを詠ったものでしたね」
「はい」
笑う彼女にどこか世界が竦んだように、もしくはかつて多くの子ども達の命を喰らってきたこの地を所領とする神が打ち震えたように、強い風が吹いた。
赤い彼岸花はただ大きく揺れていた。
+++
その村はこく一刻と衰弱死していく人間のような村だった。
昭和初期まで続いていた天神様への貢物。
時代は昭和から平成へと移り変わっても、その歴史はそこに住まう人々の心にこびり付き、誰もそれを忘れられず、故にそこに住んでいた人々は少しずつ去っていく。
そして今ではそこは老人だけが住む村となっていた。
村と言っても一ヶ所に家々が集まっているのではなく、ぽつんぽつんと家があるのだ。
「どこに行くんでしか、セレスティさん?」
狩った紅葉とどんぐりを入れたビニール袋を胸に抱きながら助手席に座る彼女は小首を傾げた。
「ちょっと昔話を聞きに行きましょうか?」
「昔話でしか?」
「ええ。昔話です。でもその前に…」
私は車を停めた。それの前で。
古い木製の鳥居と、その鳥居の下にぽつんとある地蔵。
私は車を降りると、その地蔵に川原で咲いていた物を摘んだ彼岸花を供えた。
鳥居はそれだけでは終わらず、ずっといくつも杜の奥まで続いていた。
眩暈。
ふわっと意識が朦朧として、
その茫洋な意識…白い靄がかかったような目の前の光景をトレースした脳内の世界に居るのは幾人もの子どもたち。
その子どもらは笑いながら鳥居をくぐって杜の奥へ。
天神様の社へ。
そして最後に残ったその子は狐の面をつけた子で、
臙脂色の着物を揺らしてくるりと一回転した彼女の顔には、しかし狐の面は無かった。
――――顔も………。
のっぺらぼうなのだ、その子どもは。
そして彼女もおかっぱの髪を揺らして、
天神様の社へと。
「ほぉー、若いのに、あなたもそれをお聞きになられる? さっきもかわいいお嬢さんがそれを聞いていったんだけど」
その老婆はしわくちゃな顔に笑みを浮かべたようだが、しわくちゃだからそれが笑みかどうかは判別はできなかった。
―――皺が深すぎて、表情が同じに見えるのだ。
しかし声からして、それが嫌悪では無いのはわかった。
好意的な声を発して彼女は私に頷く。
「そうだねー。この村は確かにその童謡の発生した地だよ。多くの子どもがこの村のために若い命を無くした。あなたのようなお若い人はきっと鼻先で笑うんでしょうが、でもその当時はそれがすべてで誰もが信じていた。いえ、怖かったのでしょうね、神様が。この村には数年に一度、流行り病やら日照り、暴れ猪などの問題が起こって、そしてその度に天神様に子どもを貢物として差し出せば、それがぴたりと止んだ。そういう事も確かにあるのです。そしてもう一つ、この村には言い伝えがあるんですよ」
老婆が押し殺した声を喉の奥から絞り出すようにそう言った瞬間、枯葉の匂いが酷くなった。
+++
しばし老婆と話し込んでいると、一台のバイクが私たちが座る縁側の前に止まった。
郵便局員のバイクだ。
この老人ばかりの村においてふもとの郵便局は、ボランティアで申請があった一人暮らしの老人の家に寄って、話し相手になったり、用事を頼まれているそうだ。
「おや、おばあちゃん、今日はお客さんかい?」
「ええ、そうだよ。えっと…」
「セレスティ・カーニンガムです」
「セレスティさん。あ、でも、あなたは一体どうしてこの村に?」
怪訝そうに私にそう訊いてきた彼に老婆が、代わりに説明してくれて、そしてそれを聞いた彼の顔色が変わった。
「彼女が帰ってきているんですか?」
「ええ」
「どこに?」
「さあ、私は別に彼女とここに来た訳ではないので」
「そうですか」
「どうかしましたか?」
――――私がそう訊くと、彼氏は自分と彼女の関係を話して聞かせてくれた。
彼氏と彼女はふもとの小学校、中学校での同級生だった。
彼氏と彼女は仲が良く、よく遊んだそうだ。
そしてもうひとり、彼氏と彼女には仲の良い友達がいた。
おかっぱ頭の女の子。とても元気で優しかった子。
彼女は三人のリーダーで、何をするのも一緒だった。
だけど………
「死んでしまったんですよ、交通事故で。二家族で遊園地に遊びに行って。それであと少しで家につくという…この前を走る道のカーブで、カーブを曲がりきれずに…。村の人間は不思議がってました。どうしてこんな場所で、って。村の人間があんな場所で事故を起こすはずがないんですよ」
―――――でも事故は起こってしまった。
彼女とあのおかっぱの子の二家族が乗った車は事故を起こし、
そして彼女だけが生き残った。
だがその郵便局員は不思議な事を言っていた。
おかっぱの子の死体は見つからなかった、と。
+++
朝は木々の葉の移り変わりを楽しみ、
昼は彼岸花の赤を、
そして夕暮れ時の世界は、私にそれを見せた。空が雲をすみれ色に染める様を。
「ふわぁー、空がすみれ色でしね。群青色に、赤紫、それに橙色、色んな色があるでしよ、セレスティさん。綺麗だぁー」
「そうですね。とても空が綺麗です。東京ではまずはお目にかかれない空ですね」
人の手が入っていない自然は壮大で、美しい。
旧教は人間は神が地上の番人として作りたもうた存在であるから、世界を管理せねばならないと言っていたが、しかし自然とは人間如き愚かな存在がどうこうできるモノではなく、そして人間が余計な手出しをしなければ、自然は木々の根っこが土砂崩れを防ぎ、動物たちにも深い恩恵を与える。
人間とは、動植物たちの番人なのではなく、自然から何から爪弾きにされた愚かで哀れな最下層の存在なのではなかろうか?
―――――ただ自然を破壊するだけの。
「少し歩きましょうか?」
「はいでし♪」
私の肩に乗る彼女は嬉しそうに頷いた。
森の中に走る道を歩いていく。
どれぐらい歩いただろうか?
ずっと続く森の風景に距離感は掴めず、
また疲れも無かった。
本当にどれぐらい進んだのだろう?
「ほえ?」
肩で妖精が声を漏らしたのは、頭に冷たい水が当たったから。
最初はぽつりと。
だけどすぐにそれはざぁーっと勢いよく降ってきた。
「うわぁ、雨でし」
空を見上げる。
生い茂る木々の枝の隙間から見えるいつの間にか一面色を変えていた薄闇の空がそれが通り雨だと告げていた。
「狐の嫁入り」
「ほえ?」
「いえ、何でもありませんよ。行きましょう」
「はいでし」
私は急ぎ足で森を奥へと進んだ。そう、奥へと。車に戻るのではなく。
なぜなら雨に打たれる木々が奏でる音色が、
こっちへ、おいで、
と、言っていたから。
それは自然の悪戯なのか、それともここを所領とする神なる者の力が働いているのか。
そして私は彼女と出逢った。
+++
「きゃぁ」
小さな悲鳴をあげた彼女は顔を真っ赤にして、私にぺこぺこと頭を下げた。
「すみません。悲鳴なんかをあげてしまって」
「いえ、かまいませんよ」
「そうでし、かまわないでしよ。虫、って言われなければ大丈夫でし♪」
「ところであなたは…」
やはり彼女の大学の後輩であった。
激しい雨が降りしきる中で、私と彼女は社で雨宿りをしながら、周りの深い緑…それでもほんのりと赤づく葉を見ながら、会話をした。
「勉強熱心なのですね。大学の卒論の調べ物でここまで来るなんて」
「はい。大学院に入院するためには今から論文を仕上げて、それでゼミの教授に推薦状を書いてもらわないといけないので」
「頑張ってくださいね」
「はい。あ、でも、あれなんですけど。ここに来たのは本当はそれは口実で、先輩が書いた…まさにこの社…神様、貢物にされた子どもたちを詠った童謡を見た時に狐の面をつけた子が脳裏に浮かんで、だから…その子の素顔が見たくって……それで………」
「なるほど、あなたも彼女を見ましたか」
「彼女、それではあの娘は…」
「いえ、あの例の交通事故で見つからなかった彼女…ではないでしょうね」
「え?」
「ここの村には大人には見えない子ども…いわゆる座敷童の伝説もあって、あなたの先輩は事故の直後、友人の女の子の死体は川に流されたのだとした警察や大人に、友人の彼女は大人には見れない子どもらに連れて行かれたと主張し、そしてそれを誰にも信じてもらえなかった彼女は、泣き叫び、この村を後にした。あの童謡を本に載せたのもけじめなんでしょう。けじめ、清算。過去への決別。そういうモノなのでしょう、あの本は。そしてあなたはそれに気がつけた。あの本に込められた彼女の想いにあなたは共感できた。それに意味があるのなら、きっと、あの娘は顔を取り戻せるでしょう。彼女に顔が無いのは、彼女は、先輩だから」
そう、先輩である彼女は迷子となっている。あの日から。
狐の面の彼女は、その迷子となった心なのだ。
大人たちに信じてもらえず、
大切な人たちを一度に無くし、
それで心を壊さぬ訳が無かった。
だから彼女の心は迷子となり、
その迷子になった心は、
この神の所領の森にやって来た。
「はい。あたしに出来る事をやってみようと想います」
「そうですね」
私が頷いた瞬間、ざぁーざぁー降っていた雨は止み、
そして零れた夕方の橙色の光の筋がまるで図ったようにそこに降りてきて、
それでその光に照らされた場所にいた狐の面をつけた女の子はくすくすと笑い、消えていった。
【ラスト】
夜空にあるのは降るような星だった。
東京に帰ればこんな星空にはお眼にはかかれない。故に私はそれを心に焼き付けるように瞳に映した。
隣ではやはり小さな妖精が嬉しそうな声をあげている。
さてと、帰りの車の中でどのように彼女に紅葉狩りの意味を教えようか?
私はそれをくすくすと笑いながら考えた。
― fin ―
++ライターより++
こんにちは、セレスティ・カーニンガムさま。
いつもありがとうございます。
ライターの草摩一護です。
この9月で無事にライター活動一周年を迎えられました。
セレスティさんには本当にこの一年、ものすごくお世話になりまして、本当にありがとうございました。
また初心に戻って、これからもがんばりますので、どうぞ、よろしくお願いします。
そうそう、それでちょっとわかり辛い表現のところがありまして、おかっぱの狐の面をつけた子は、童謡の本の作者さんの迷子になった心(悲しみとか色んなモノ)で、波長があってしまうと、それが見えてしまうという設定です。
死体の見つからなかったおかっぱの子とは別人です。
迷子になった心が、おかっぱの子そっくりになったのは、神隠しにあってしまったその子の事をとても哀しんだからだと想います。
狐の面をつけた娘が顔を取り戻せたその時は、傷ついている作者さんの心が癒える時だと想います。
今回の物語、いかがでしたか? お気に召してもらえていると、嬉しいです。
そうそう、紅葉狩りの意味は結局はまだ勘違いしたままだと想います。帰りの車ではぐっすりと眠る、は子どものお約束ですから。
またセレスティさんと彼女のやり取りにも満足してもらえると、嬉しいです。(^^
それでは、今回はこの辺で失礼させていただきますね。
本当にありがとうございました。
失礼します。
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