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悪食の禁書
本の虫といえば聞こえは悪いが、つまりその古書店「銀月堂」の店主はそんな女性だった。
名を来栖・琥珀といって、今は店内で新しく入荷した本の整理をしている。
「わぁ、これ面白いかも」
訂正。本の整理をしていると見せかけて、すらりと伸びた長身を椅子に預けながら新刊を読み耽っている。
新刊といっても大抵が古本であり、店内にひしめく書物と同じくそのカバーは色あせていた。
<それでも感動は色あせない>とは誰の言葉だったか。古本は世に出た当時と同じく新鮮な感動を読者に提供してくれるのだ。
「いけない、早く整理を終わらせないと……また後で読もう」
琥珀は店内が薄暗くなってきたことに気づき、その手を止め本を閉じた。
ふと夕焼け色に染まる店内を見つめながら、自分が現実世界の住人であることを思い出す。
「……本の中に入れたら素敵なのに」
ぽつりと呟けば、突然“それ”は言い放った。
「俺様が連れてってやろうか?」
「誰!?」
至近距離からの言葉に慌てて立ち上がる琥珀。ぐるりと店内を見回すがそれらしい人影はない。
空耳だろうかと、内心不安がりながら獣耳を伏せれば。
「こっちだ。足元だ」
また、至近距離からの声。
「足元?」
恐る恐る足元を見ればダンボール箱があった。その中には入荷されたばかりの古本がぎっしりと詰め込まれている。
その一番上に詰まれているそれは、どこにでもありそうな古本。厚みをもった黒いカバーはやはり色褪せていて――
「げきゃきゃきゃきゃ、初めまして眼鏡のお嬢さん。俺はネクロノミコンの写本っつうケチな魔導書でなぁ。あんたみたいな綺麗な人の手に渡るなんて俺様も嬉しいねぇ」
ぎちりと本の表紙に亀裂が走り、まるでそれが口であるかのように蠢き、下品な笑い声と言葉を吐き出した。
「…………しゃ、喋った」
琥珀は絶句したまま動けない。ずり落ちそうになる眼鏡を指で押さえながら口をパクパクさせて
「あ、あのぅ、さっき言った連れていくって、なんですか?」
ようやくそれだけを言うと、本は嬉しそうな“表情”で大仰にのたまった。
「あんたをよぅ、本の中に招いてやるって言ってるんだよこれが!」
その時、窓から差し込む夕陽の光が、消えた。
*****
紫電が走った。店内を蹂躙するようにバチバチと。それが本から発せられたものだと気づくのに数秒かかった。
琥珀は古本が燃え出さないかと内心ハラハラしながら、本棚の影から顔を出す。
「あのぉ、本気なんですか?」
視線の先には宙に浮かびながら発光するネクロノミコンがある。その表紙の切れ目が醜く歪んだ。
「本気も本気だぁ。あんたさっき言ったじゃねぇか。本の中に入りたいってなぁ!」
「だからって食べようとするなんて、おかしいと、思うんですけど…!」
切れ切れに言葉をあげる。そうだ。先ほどあのネクロノミコンと名乗る本は口のような切れ目で私を取り込もうとした。
ここからでも見える、歪んだ切れ目から牙が覗いている――本のくせに。
「いいからよぉ、大人しく食われちまえって。バリボリと美味しくいただいてやるから……なぁ!」
突然本がバラバラに弾けた。否、ページが一枚一枚分離して宙を舞ったのだ。
それが何を意味するのかは琥珀には分からない。しかし<食べる>という本の目的の手段なんて、きっとろくでもない事だろう。
琥珀は考えるより先に行動することにした。
「お断りです!」
素早く物陰から飛び出す。すると円錐状の楔(ページが丸まっているだけのようだ)が飛来してくる。
それを軽やかに避わせば、生意気にもネクロノミコンは口笛を吹き鳴らした。
「げきゃきゃ、なんだよ案外身軽じゃねぇか。本屋の店主っつうからもっと鈍重だと思ったのによぉ」
「女の子に鈍重なんて、失礼ですよ」
鋭く言い返してちらりと楔が突き刺さった地面を見やる。紙のようでいて硬さは鋼鉄に匹敵するらしい。
内心ぞっとしながらも表情には出さず、跳躍。
「だから……お仕置きです!」
ギラリと琥珀の瞳に獰猛な光が宿る。人間ではありえない速度でネクロノミコンに詰め寄って腕を振りかぶり――
「げきゃきゃきゃ! そんな手でどうこうできるほど俺様は柔くねぇぞぉ!」
「こんな手ならどうですか?」
振り下ろした。その手はすでに人間のそれではない。
銀色の毛に覆われた狼の手が勢いよくネクロノミコンを押さえつける。
「な、なんだそりゃあ!?」
地面にしたたかに打ち据えられたネクロノミコンは、自分を押さえつけている銀色の狼を見上げながら喚いた。
狼は1メートル超ほどもある体躯を揺すりながら唸り声をあげる。
「暴れないでくださいね。手元が狂っちゃいますから」
「な、何をする気だてめぇ! 放せ! 放しやがれ!」
「何って……封印するんです。地下倉庫にはお仲間もたくさんいますし、私を取り込むよりはずっと退屈しのぎになりますよ?」
「俺様を……ぶっこわさねぇのか」
腹の底から搾り出すような声。もとより腹がどこかなんて分からないが、琥珀はそれを聞くと獣独特の笑みを浮かべ
「本は大事にしないといけませんから」
ゆっくりと慈しむように呟き、その腕に異能の力を込めた。
*****
「どうもー、本を返しに来ましたー」
「はーい、今行きますー」
古本書店「銀月堂」に軽快な声が響き渡る。
来客である男は抱えていた本を二冊ほどカウンターに置くと、店内をぐるりと見渡しながら呟いた。
「何かあったんすか? なんかずいぶん散らかってますけど」
「うーん、あれはですね……ちょっと本と喧嘩しちゃったんです」
琥珀が本を確かめながらそう返せば、男はちょっと不思議そうな顔をして。
「本と喧嘩ですか。はは、店長さんは本当に本が好きなんですねぇ?」
「はい、とっても――借りてた本は以上ですね。何か他の本を借りていきますか?」
「ええ、そうしますよ」
男は不思議そうな顔をしたまま、陳列された本棚に意識を向けた。
琥珀はくすくすと小さく笑いながら窓を開けた。朝の爽快な空気が店内に入り込んでくる。
古本達が気持ちよさそうに深呼吸する。
なんとなく、そんな気がした。
―END―
■登場人物■
【3962/来栖・琥珀(くるす・こはく)/女性/21歳/古書店経営者】
■ライター通信■
初めまして。納入が締め切りギリギリになってしまって土下座衛門な北城ナギサです。
このたびはご依頼ありがとうございました。自分でも不思議なくらいに楽しく書けた気がします。
もし銀月堂があったらこんな本を借りたい!と妄想しながらぽちぽち執筆していたせいかもしれません(笑)
また機会がありましたら、よろしくお願いします。
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