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<東京怪談・PCゲームノベル>


御伽草子 ― 曼珠沙華 ―





一つ夜や
人世一夜の曼珠沙華

二つ夜
双葉の逢瀬の契り

三つ夜
見つめる月の糸













或る鬼姫の御話。
想う人と共に生きる事も、共に死する事さえも叶わず
其の頭(こうべ)を抱きながら哭く姫の、御話。











「明月(めいげつ)、明月は居るか!」
「は、はい……っ、此処にいま……お、居ります、」


黒く見えるほど深い藍の着物を着た小姓が城の中を走る。
此処、武蔵の国は笹倉城、通称“桜城”に秋が訪れ、
其して今、城内の皆一様に哀しみも訪れていた。

其は姫の鬼化。
桜城に此の姫在り、と謳われた姫の夜叉と化した姿は
戦国の世の理なれど痛ましく、其しておぞましい。
天主に篭った其の鬼姫が再び乱心と云う。



猫を思わせる大きな瞳の小姓が、小姓頭の声に城内を走る。
其して其の足下を灰色の猫が共に走る。
篠原勝明(しのはら・かつあき)と藤田エリゴネ(ふじた・えりごね)、
今此の世界では明月と野良の猫。
大変な事になっちゃったね、と小声で勝明が話しかけると
エリゴネは、なぁうと一言答える。
大丈夫よ、と。


ふたりは共に此の世界に来た。
先の事件での小弥太の様子見に東昭舘に訪れた勝明は、
有耶無耶のうちに此の世界へ行かされる事となり笹倉城に来た。
城に散歩で訪れていたエリゴネは、城の妙な歪みが気になりその先を覗こうとしていた。
偶然其の場に勝明が居合わせ、危険だからと離してもエリゴネの興味は尽きない。
かえって気に障り身体中の毛を逆立て威嚇する。
仕方なく勝明は彼女を抱えて道場に戻りエリゴネに梓弓の弦を首に結って貰い、
改めて此の鬼姫の城へと潜り込んだのだった。

「明月、遅いではないか。他の者は既に事に当っておるぞ。」
「す、すみません。未だお城に、」

慣れなくて、と云おうとして言葉を呑込む。
梓弓の弦の効力で潜り込んでいるのを自ら壊す事は避けたい。

「其の様な事ではお勤めが出来ぬぞ、此度の姫様はすこぶる機嫌が宜しくないのだ。」

小姓頭の話では城の随所で首の無い身体が倒れていたり、
天井から首が落ちてきたり、部屋一面が血の海だった、等と云う怪現象が起きてるのだと云う。

「お前も早う片付けに回れ。
 今は殿様が御留守だが、戻られた時にかような状態では城に残る我らの面目がたたぬ。」

そして其のまま小姓頭も忙しそうに行ってしまった。
残された勝明は小さく溜息をつく。
思った以上に鬼姫の鬼化は進んでいる様で、片付けに回るほど現象が現実化していた。


人は鬼になる。
半成り、生成りと段階在れど
人は、鬼になれるのである。


勝明を見上げるエリゴネが小さく啼くと、彼はゆっくりと蹲り視線を彼女と同じにした。
其の目が何か迷っているのを見て取るも、
敢えてエリゴネは黙って己と同属の様な瞳を見つめていた。

「此処のお城のお姫様が、鬼になっちゃったんだ……、」

人語を実は解しているエリゴネだが、其れを知らぬ勝明は桜城の怪異の話を聞かせていた。
常とは違う饒舌は相手が猫だという気安さからなのだろう、
其して語りながら考えを纏めている様である。

(迷っているのね、此の子は)

彼にどの様な能力があるか不明ではあるが、
小さな子が何とかしようと懸命になっている様は好感が持てた。
其のエリゴネ自身はというと、話を聞き其の鬼姫に興味を持った。
今は亡き者を想う気持ち。
知らないわけではない。

外では誰かが登城した様だ。
遠目にも白い着物に朱の袴が見て取れる。

「神社の巫女さんみたいだけど……、なんだろ。
 それじゃとりあえず、城の様子を確認してそれから天守閣へ向おうかな。」

なぉん。
エリゴネも同意した。





「其れでは巫女……翡翠と申すか。助力の申し出かたじけない。
 直に始めるのであれば案内いたすが、」
「いえ、まずは姫のお傍に居られた方に少々お話を伺えますか。」

巫女装束に身を包み翡翠と申す女性が現れ、
留守居を預かる家老は内心驚いていた。
仏教思想の此の世では在るものの、
古代日本の神々も未だ尊ばれている。
だが城下近郊の神社に斯様な気を持つ巫女が居たとは。
然も男子ではなく女子を遣わすとは余程の験力なのであろう。

翡翠、本来の名を東条花翠(とうじょう・かすい)、は
家老の其の反応は納得いかないものの理解はしていた。
此処は戦国の世、
花翠の生きる世と価値観の全く違う世界。

彼女はある雑誌から剣術に興味を持ち、
見学に訪れた東昭舘で成り行きのままに此の世界へ来た。
成り行きのままではあるが、何かが心にひっかかっていたのは事実。

(……何故かしら……私の想い人は生きていて、大切な人を失った経験もないはずなのに……)

何かが去来する。
花翠の胸の奥に。

(胸の奥に痛みが蘇る……遠く心の奥深くに眠る記憶……まるで魂が憶えているかのように……)

そう、鬼姫の慟哭と同じものを
きっと自分は知っている。


家老が連れてきたのは、姫のお傍付の女中だった。
其の女中は目を赤くし、其して今も尚泣き続けていた。
花翠は其の背を優しく撫でながら云う。

「私は翡翠といいます、泣かないで下さい、姫様を助けたいのです、
 其の為に貴女の力を貸して頂けませんか。」

恐らく花翠より年下であろう彼女は、子供の様に泣いていた。
姫様が御可哀想だと。
其の言葉で花翠の知りたい事は得られた。


姫は城の者に愛されている。
鬼と為り怪異を起そうとも、
それでも姫は、今も尚、愛されている。


「貴女の気持ち、きっと姫様にも届きましょう。
 祈って下さい、姫様を想う気持ちが姫様を救う力となるのです。」

泣き濡れた顔を上げ女中の見る其の翡翠と名乗る巫女は
やわらかに微笑むと立ち上がる。
梓弓の弦で結い上げた黒く長い髪がさらりと流れる。

案内をしようと立ち上がる家来衆に手で制す。
家老に目礼をし、其の意志を伝える。
お任せ下さい、と。
其の強い目の力に家老は真っ直ぐに受けとめて返す。
お任せします、と。

其の白と朱の巫女装束が階段に消えるまで、
誰も其の場を動かず見送るのみだった。








四つ夜や
四辻伸びゆく影法師

五つ夜
いつ掬落ち水と

六つ夜
襁褓も朱染に








花翠が幾度目かの階段を上る途中、
階下からの呼び声が其の歩みを止めさせた。
昇りきった所で声の主を待つ。
程なく現れたのは先程の鬼姫の女中であった。
手に何かの包みを持っている。

「御引止めして申し訳御座いませぬ。
 其れにしましても翡翠様は健脚で御座いますのね。」

現代世界では巫女だけでなくモデルもこなす花翠である、タフでないと務まらない。
だが其の様な事をいえるわけもなく、花翠は苦笑する。
息を切らす女中の落ち着くを待ち、追って来たわけを聴くと
渡して欲しい物があるという。

「え、着物?」
「はい、今は未だ幾分は大丈夫では御座いますが
 朝晩はお寒うなりました……姫様の御身が気になりますゆえ……、」
「……本当に、姫を好きなのですね、鬼となってもまだ……、」
「め、滅相も御座いませぬ、わたくし如きが姫様を好き嫌いで申し上げるなど……、」
「では何故?姫が鬼となり世間的に恥かしいのではありませんか?
 周囲の国に知れたら其れを切っ掛けに攻め入られる可能性もあるでしょうに、」

時は戦国、どの様な些細な事でも他国に攻め入る口実となる。
ましてや鬼となれば退治と称するこれ以上ない大義名分が立つのである。
本来ならば他国に知れ渡るより前に闇に葬らねばならない。
ところが花翠が見聞きするだけでも、皆一様に鬼姫に同情を寄せ未だに愛している。

「姫様は高潔な方でいらっしゃいます、
 其れは姫様が御幼少の時より御傍に仕えたわたくしが保証致します。
 ……ただの鬼ではありませぬ。」
「ただの鬼では、ない……?」
「翡翠様、翡翠様は一目で交された恋を信じますか?」

戦の勝敗を決めた敵将の息子の捕縛。
そして其の先にあるは斬首。
切腹ではない、捕虜となる事は武士の本懐を遂げられぬ。
せめて切腹を、そう願い出た姫君のやさしさに
声の主を見る男と願う女の視線が交わり、其れが刹那の恋となった。

花翠の抱く淡く育む想いと正反対のなんと壮絶な恋であることか。
然し、なんと切ない久遠の恋であることか。

「……翡翠、様?」

花翠は我知らず涙を流していた。
胸に起る此の痛み、何故だろう、苦しいのに何処か懐かしい。

「其の相手の方の……お躯はどうなったのでしょう、
 頭は……姫がお持ちになられたのですよね。」

花翠は相手の躯を姫の元へ、姫の抱く頭の元へ一緒にさせようと思った。
頭だけでなく、恋しい人の躯も姫の元へとできたなら、少しは慰めにならないか、と。
だが悲痛な面持ちで首を横に振る女中の答えは厳しいものだった。

「翡翠様、敵国の者を葬る等いくら御館様が立派な武将であられましても在り得ませぬ。
 御印(みしるし)として首は扱われますが、躯は捨てられまする。
 まして此の夏前に行われましたゆえ最早原型はとどめておらぬかと……。」

死者に対し尊重は行われる、が其れは勝者にのみであり敗者には無い。
古今東西戦とは非情であり、其れが基準の戦国時代である。
其れは女中とて承知であるが、現代の世に生きる花翠には理解し難い慣習であろう。

(為らばせめて魂を……、)

互いを想う身なれば互いの傍に在りたいと思う筈。
想う心の愛しさを花翠は知っている。
自分に何か出来るのなら、其れを知ってしまった以上何かしてあげたい。
此の世界に関ったのが、自分に何か出来る事があるからに違いない。
懐にある扇をぎゅっと押さえ、花翠は天守閣を目指し再び階段に足をかけた。

其の凛とした後姿が消えるまで、女中は深く頭を垂れ見送っていた。








七つ夜や
菜々のお蔵の金色に

八つ夜
八塚の鬼子母神

九つ夜
ころげる重たさに








仄暗い部屋。
辛うじて其れだけが判る。
何処からか陽射しが長く影をひく。
其の灯りにうっすらと舞う埃。

紗。

紗。

紗。

衣擦れが影の中で聞こえ、
一瞬ひかりの中に金糸の色も鮮やかな内掛けが浮び上る。
其の影を追えば、

鴉の濡羽色の如く豊かな黒髪。
どこまでも白く陶磁器の様な肌。
牡丹をあしらった色鮮やかな内掛け。

そして

白く繊細な指が固く抱くは髑髏(しゃれこうべ)。
其れを切なく見ゆるは赤光の眼差し。

鬼姫、である。

既に白骨と化し物言わぬ“物”と成り果て、
其れでも姫の目には武士への涙が浮かんでは零れる。

乱れる心。
理性と狂気の狭間で苛む魂。

吐息が細くたなびく。
身を起し髑髏にそっと囁く。
誰ぞ客人が参った様子、と。
伏せた瞼がゆっくりと開き、
其処にあるは既に鬼姫の其れであった。









「巫女が私に何用か。」

花翠が天守閣に足を踏み入れた途端、
部屋の前方よりそう声がかかった。
結界があるとは思えない空間が重い。

(此の人が……鬼姫?)

花翠が想像していた般若の様な姿ではない。
幾分其の豊かな髪が乱れてはいるものの、
其処に居るはやつれても尚美しい姫だった。
話に聞く角が生えるでもなく、口も割けてはいない。
唯、ひたすらに其の瞳が赤かった。

「あの……姫様、小姓の明月と申します。え……と、お邪魔致します。」

其処へ律儀に部屋の外で正しく礼をし、入ってきたのは勝明だった。
部屋に入った瞬間、能力により自身の動きを通常空間と遜色なくする。
先に入り鬼姫の気に呑まれてしまった花翠を認めると
其の背を軽く叩き開放する。

「あ……りがとう、明月……?」

こくりと頷く勝明を見て花翠は彼が同じ世界の人間と判った。
其の身に纏う気を視、初めて気がついたのだ。
その家庭環境から普段より多くの不可思議なる現象と接する機会のある勝明が
多少場慣れしているのも仕方ない事だろう。
花翠は一瞬気を呑まれたとはいえ巫女、神気を呼吸法で身体中に巡らし正面を向く。

鬼姫は動かずふたりの闖入者を静かに見遣る。
怒るでもなく、さりとて喜んでる風にも見えぬ。

胸に収めた鉄扇をぎゅっと押さえ、花翠は意を決し鬼姫に話かける。

「……こ、此れをお渡し致します、姫様の御女中よりお預かり致したものです。」

ともすれば緊張から声が掠れそうになるのを懸命に堪える。
微かに衣擦れの音が聞こえ、鬼姫が灯りの中に膨と浮び上る。

灯り?

花翠と勝明は同時に其れに気づき、周囲を見遣ると既に宵の闇に城は沈み
何時の間にや灯明が燈されていた。

「お着物だそうです、……此れより季節が厳しくなるから、と。」

ほんの少し空気が動いた気がした。
其して微かな声で、其処に、と聞こえ
花翠はゆくりと部屋の中に進む。
勝明は其の様子をじっと見詰め、事が起きた場合に備える。
だが、花翠が部屋の中央に歩を進めても鬼姫は何も動かなかった。
鬼姫のやや近くまで辿り着き、そっと床に置く。
其のまま少し下がり見守る。
勝明も音を立てずに歩を進め、花翠の傍に立つ。

楚、と歩む鬼姫。
包みを開き、中の着物を広げる。
其れは曼珠沙華を模した豪奢で見事な内掛けだった。
芙と笑みが浮かぶ。
其の笑顔を見る限り、鬼姫という存在に為っている事が理解できず
ふたりは困惑していた。

「姫様の嘆きが、時を越えています、」

勝明の声は鬼姫の手を止めさせた。
其の赤光の瞳が先を促す。

「色々な現象が起きて……皆怖がってます……怖いだけ、だけど……、」
「ならば、よいではないか。私の嘆きが時を越えようとも、何故私が気にせねば為らぬ。」
「そ……じゃなくて……、」

勝明の中に鬼姫の感情が少しずつ入ってきたようである。
顔に苦しげな表情が浮かぶ。
本来ならば怪談めいた話は得意でなく、霊的現象調伏の表にも出る彼ではない。
其れでも鬼姫の持つこの痛みを知ってしまった以上、
後には退けない。
勝明も同じ痛みを知る者だから。

(凄く悲しい、凄く胸が苦しい……姫様はこんな痛みを抱えてひとりで居たのか……、)

「弓を以って私を退治するとでもいうか、小童。
 私はそなたに退治される覚えはないぞ、それに……、」

鬼姫の指が勝明を指す。

「矢がなくては、役に立たぬであろう?」

ただ其れだけで動きが出来ない。
圧倒的な姫の存在感、鬼となっても矢張り姫は殿上人なのである。

だが其れで花翠に勝明がしようとしている事が知れた。
梓弓の弦を使おうとしている。
然し彼の面持ちを見て調伏ではない事も判る。
依り代、だ。
矢が無いのは其の為だろう。
だとすれば花翠の思惑と一致する。

「黙っていては判らぬぞ、何故此処へ来た、
 私を知らぬ者に何を云う資格がある、目通りする事も許されぬ身分ぞ、」

其れまで黙していた動きが鬼気を放つ。
憤りが全身を駆け巡り黒髪が生き物の様にざわめき出す。
が、

「違います、誤解です、姫様!」

花翠の声が鬼姫の鬼気を断った。
白く血の気の失せていた頬が、再び上気している。
固く握られた手に鉄扇があり、朱の飾り紐が揺れた。

「何が誤解ぞ、突然現れ訳の判らぬ事を……、」

鬼姫の鬼気が再び部屋を覆い、勝明が力場の変換を余儀なくせんとしたその時。


なぉう。


其の状況に酷く場違いなやわらかい鳴き声が響く。
灰色の毛並みが灯明のために仄白く浮び上る。
ゆったりとした足取りに、口元には緋色の花……曼珠沙華。

「……猫さん、」

呟く勝明に、にゃう、と答える。
エリゴネよ、と。

「何故、此処に……、」

危なげに見遣る花翠に尻尾を軽く揺らす。
心配だから、と。

ぽとり、と花を床に落すと
エリゴネは其のままの歩で鬼姫に近づく。
視線は鬼姫に向けたまま。
鬼姫もエリゴネを見つめたまま。

花翠は其の隙を見逃さなかった。
勝明に目配せをし、鉄扇を開く。
勝明も其れに呼応し、弓を掲げる。

鉄扇が舞う。
呪の掛かった瀟洒な造りだが、其れを媒体にし風神を降ろす。
花翠の巫女としての能力が鉄扇に注ぎ込まれる。
飾り紐が朱の輪を描き、花翠の呪が風神を呼ぶ。

(東風、西風、南風、北風を統べる風神よ、我が前に其の御力示し給え、
 彷徨える彼の者が魂を此処に導かん……)

勝明は花翠の扇舞に呼吸を整える。

(……姫様が、相手の人を亡くした事で鬼になる程悲しんだのなら、
 きっと彼女を救えるのは……突然来た俺達なんかの言葉じゃなくって、やっぱり本人、)

そして其れにあわせ弓を満月の如く引き絞る。
視界の端に朱が舞い、部屋に神気が満ちてくるのが感じられる。

(この弦が導くのも、縁。なら……その弦で、“梓”に掛ければ寄り人は迎えられる……筈)

東昭舘四天王の小弥太の持つ梓弓の弦。
梓弓は天皇よりの賜物として在る大変貴重で神力篭る神具である。
其の音で魔を祓うともされ、弓幹自体は梓ではなくとも
梓弓に張られていた弦ならば……と勝明は考えた。

部屋を風神の神気と共に別の気が漂い始める。
灯明が揺らめき、明暗が其れと共に揺れる。
空気が冷え、花翠の舞が動きを止めた一瞬。


べおおおおおぉぉぉぉぉん…………


勝明の弦が鳴る。
花翠の髪を止めた弦も鳴る。
エリゴネの首に巻く弦も鳴る。


ぉぉぉぉぉぉん…………


共鳴する弦。
共鳴する空気。

鬼姫が身を起し周囲を見遣る。


んんんん………………


共鳴が切れると同時に灯明が消えた。
現れた闇に暫し皆の視界は奪われる。

鬼姫の赤光以外は。

其の視線の捕えたものは仄青く浮び上る姿。
燐光が其の周囲を守るがの如く飛び交う。

「……っ、あ、貴方様は……、」

姫の声が震える。
掠れ消え入りそうな声が其の心情を物語る。

――― 姫、

燐光の姿がふわりと立ち上がった。
音も無く、だが確かに其の者は存在した。
哀しげに笑む表情さえ今は判るほどに見える。

――― 姫、こうして再びお眼にかかれるとは思いもしませんでした

「……まさか……でも……、」

髑髏は己の腕に抱いている筈。
そう我が手を見るも其処には何も無い。

――― 異界の者達が所業に因るものです、……僅かな時ですが、

燐光が揺れ、彼の武者の姿が朧になる。
姫が小さく声をあげ近寄った。

――― 姫、私の為に嘆かないで下さい、私の為に全てを捨てないで下さい

「なんと……なんと惨いお言葉を……おおおお、」

其の陶磁器の様な顔(かんばせ)を袖で覆い涙を隠す。
武者の姿が再び形になり、姫の傍にかがみ込む。

――― 私は武士、戦にて敗けるは己の弱さにて覚悟は出来ておりました、でも……

「私の想いは、貴方様にご迷惑なのか?
 私の振る舞いは御しがたい愚かなものであるのか?」

――― 姫のお気持ちにすがったのは私です、貴女への想いに囚われ彷徨う愚者なのです

けれど、
と武者は言う。

――― 姫、貴女まで人として生きる事を捨てる事はない、貴女にはまだ生きる縁(よすが)があるのです

「……いいえ、貴方様を知ってしまい、後を追う事も許されず
 尚此の世にとどまるままである事が恥かしい……何処に其の様な縁があるというのです、」

――― 姫には城がある、貴女を愛する城の者、民が其れを拒むのです

ふ、と微笑み武者は姫を優しく見遣る。
姫も涙に濡れた瞳を上げ武者を見上げる。
生前もこれ程近くに居る事もなく、言葉を交わす事もなく別れたふたり。

――― そして姫の嘆きが時を越え、彼の者達を呼んだのでしょう……貴女を救う為に……

「……私はもう救われぬ、人の道を外した故に、業の深き己の身……
 お願いで御座いまする、私を貴方様の御傍にお連れ下され、後生に御座いまする、」

武者は静かに首をふった。

――― 聞こえませぬか、姫、貴女を呼ぶ城と民の声を……そして異界の者達の声を……

姫は花翠が持ってきた打掛を見る。
女中が寒いからと渡してくれた物、思い遣る気持ちの篭った物。
何処からか声が聞こえる。

(泣かないで……、姫様、泣かないで……)

この声、明月と名乗った小姓だったか、姫は思い出す。

(思い出して……、姫様、貴女を愛する人達を……)

巫女、此の重い内掛けを天守閣まで運んでくれた、姫は思い出す。

(なぉう、)

姫の膝に飛び乗るエリゴネ。
姫の瞳を覗き込み小首を傾げる。
其の不思議な青い瞳に映る己の赤い瞳に姫は懼れた。
だがエリゴネは自らの頭を姫の手に擦りつけた。
其の灰色の美しく光る毛並みが姫の手に忘れていた物を思い出させる。

――― 姫、貴女の御手に硬き物は似合いませぬ

最初は恐る恐る、そして今度は感触を確かめる様にエリゴネを撫でる。
エリゴネも目を細め、喉をごろごろと鳴らす。

――― 失った物は取り返すことは出来ませぬ、が

燐光の影がぼやけ始める。

――― 忘れていたものは、想い出せばよいのです……

姿だけでなく声も朧になる。

――― 此の世では果せぬ夢、次の世で御逢いしましょう

お待ちしています、
其の声が揺らめきゆくりと沈む。

「わ、……私は!」

姫が顔を上げた時にはもう青い燐光の最後のひとつがふわりと消えるところだった。
そして其の場に蹲る勝明の姿。
己の身体を媒体として彼の武者を迎えた。
だが反動は大きく、成長期とはいえ小柄な勝明の身体には負担はかなりのものになる。
師匠の指導のお蔭で向上したものの、未だ感情の制御は難しい。
其の青い瞳から涙を零し、武者の気持ちの余韻を残す。

花翠もあがる息をなんとか整え、鉄扇を仕舞う。
そして傍らの勝明に手を翳し治癒を施した。
見上げる勝明にやわらかく微笑む、お疲れ様、と。
自らの身体とて風神を降ろした為消耗は激しい。
美しい翠髪が一筋二筋と乱れ白い顔にかかっている。
其れでも彼を思い遣るは彼女たる所以。

「……残された身ほど辛いものはない、追う事も許されず
 其れでも尚私は此の世に残らねばならぬのか……惨い、惨すぎる……、」

(待っている、と彼は言ってたでしょう?大丈夫、いつか其の時は来るのだから)

エリゴネの口から上品な女性の声がうまれる。
花翠、勝明、そして鬼姫は改めて膝の灰色の猫を見る。

(私もね、逢いたい人がいるのよ。けれど、今は逢えないわ……哀しいけれど。
 でも其の時が来るのを楽しみに待っているの、だって、また時がくれば逢えるのですもの)

にゃん、と目を細めてエリゴネは微笑む。
姫は言葉も無く灰色の猫を見つめる。

(だから常に自分を磨いている事が大事。
 久しぶりに逢ったときに綺麗だね、って言わせなければ。女の身だしなみよ?)

尻尾を振り胸をそらすエリゴネの姿は“生”の輝きが在った。
思わず姫の頬も緩み、其の瞬間、部屋の空気に変化が起き始める。

(そうそう、笑った貴女の顔は素敵よ)

ようやく身動きが出来る様になった勝明が、傍に落ちている曼珠沙華を手に取る。
暗闇の中でも其の緋色は月灯りに美しかった。
其のまま花を鬼姫に渡す。

「たぶん……あの人は思い残す事はない……と、思う。
 言葉を交わせた事が、とても嬉しかった……そんな感じだった、から。」
「曼珠沙華、……此花は毒を持つ花としても有名ですが
 見る者に、負の力を祓う効果もありましたね。」

肩の力の抜けた様に見える鬼姫は、
天守閣に入ってきた時とは少し違う雰囲気を持っていた。
何か憑き物が落ちた様に見える。

「私は業の深き者なのだな……笹倉の“姫”としてあるべきが“女”としてあろうと願った。」
「あの……女、であっても良いと思います。だって、人を愛する気持ちはとても素敵なものですもの。」
「なぉう!」
「ふふ……人の身でなくなったこの身故に私が出来る事もあろうかの、」
「其れが姫様が出した答なら……多分、」


「そなたら……、」

格子窓の傍らに歩み立つ姫が、問う。

「そなたらの真の名は何と申す。」

顔を見合す三人。

(藤田エリゴネ)
「東条花翠と申します。」
「篠原、勝明……です、」

だが其々が名乗ると、そうか、と姫が苦笑する。

「異界にまで我が心は届くものとはの……不思議な事もあるものよ。
 私は暫し止まろう、あの方が迎えにくる其の時まで……、」

そして振りかえる姫の顔は逆光に照らされていた。
が、


……来てくれて、ありがとう


其の月灯りは、
とてもやわらかかったという。











一つ夜や
人世一夜の曼珠沙華

二つ夜
双葉の逢瀬の契り

三つ夜
見つめる月の糸


四つ夜や
四辻伸びゆく影法師

五つ夜
いつ掬落ち水と

六つ夜
襁褓も朱染に


七つ夜や
菜々のお蔵の金色に

八つ夜
八塚の鬼子母神

九つ夜
ころげる重たさに


十の夜や
千と七つの結び目を 指に絡めててんてまり
往きて戻りてとりも啼く














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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


【 0932 / 篠原・勝明 / 男性 / 15歳 / 学生 】
【 1493 / 藤田・エリゴネ / 女性 / 73歳 / 無職 】
【 3149 / 東条・花翠 / 女性 / 20歳 / 大学生・モデル 】


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■         ライター通信          ■
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お初にお目にかかります、伊織です。
此度は御伽草子にご参加頂き、真に有り難う御座いました。
又一時納品について混乱させてしまったことお詫び申し上げます。

御伽草子とは教訓的傾向の強い庶民文学であり、
特に今回の内容は恋愛異類物に分類されるでしょう。
再度のご参加の方でしたらお判りになるかと思われますが
多分にその傾向が強い当WRとしましては水を得た魚状態でした。

現代とは全く価値観の違う戦国の世。
その理を踏まえた上でのこの依頼で皆さんのとられた行動は正解であり
又とても心優しいものであり、この場でお礼申し上げます。
突然現れた異界の者の言葉は鬼姫には届く筈も無く、
自ら解決へと導く手伝いが何より大切で重要でした。

解決策としては皆さんの用意されたものを使用致しました。
ちなみにWRが用意していたものは曼珠沙華、
効能は作中で花翠様に語って頂きましたとおりです。

暫くはこの大人の御伽草子を紡いでいくつもりです。
次回、またお目にかかれましたら宜しくお願い申し上げます。
此度はご参加、有り難う御座いました。


>東条花翠様

初めまして、花翠様。
此度は御伽草子へようこそお越し下さいました。

拝見しますにゲームノベルの参加は初めてのご様子に少々緊張致しました。
選んで頂いて光栄です。
鉄扇の風神降ろしの儀は特に指定がありませんでしたので
此方にて扇舞と(控えめに)複合させてみましたが如何でしょうか。
此度は舞台が城中でしたので神社設定を使う事が出来ず失礼しました。

恋をしているという事から、其方の方面を前面にお願い致しました。
実った時も良いですが、成就する前のひとときほど素敵な時はないと思っております。
色々と動いて頂きましたが楽しんで頂けましたら幸いです。

改めて此度のご参加、有り難う御座いました。