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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


殺人遊戯


00 オープニング/2004年10月9日午前/水上彰人

『何が何でも捕まえろ。手段は選ぶな。ただし絶対生かしておけ』。
 何とも横暴な要求だった。
 寝起きの朦朧とした頭で読み返したメールから、それ以外の結論は汲み取れそうになかった。
「またあの人は……何を言い出すのかと思えば……」
 水上彰人は鈍く痛む頭を抑え、呻くようにつぶやいた。昨日無理やり飲まされたアルコールだけが頭痛の原因ではあるまい。
 メールには、以下の内容が簡潔な文章で書かれている。
 ――ある人物とどうしてもコンタクトを取りたい。真っ向から挑んで勝てる相手ではないことはわかっている。何らかの手段を講じてその人物を「捕まえて」ほしい――。
 問題は、と水上はぼんやり紅茶を淹れながら考える、その「捕まえてほしい人物」というのが、殺人事件の被疑者であるということだ。それも時効が一週間後に迫った殺人事件の。
「『国立大生連続殺人事件』……僕が中学生の頃の事件だな……」
 ポストから新聞を抜き取り、それらしい記事を探す。すぐに見つかった。一面の下段に、『時効迫る』と打ち出されている。
 一見センセーショナルな事件だ。が、同時期に起こった連続殺人事件のほうが遥かに話題性に富んでおり、その影に潜んでしまった感がある。言わば、知られざるもう一つの猟奇事件といったところだ。
「『俺には犯人がわかっている』、ね……」
 水上は寝室に戻り、ノートPCの画面に表示されたままのメールへ再び目をやった。
 差出人は彼の大学での先輩にあたる火村義一。大学に戻り、犯罪心理学を研究している人物だ。
 僕の手には負えそうにないな、と、水上は溜息をついた。
 火村義一が言いたいのはこういうことだろう。
 ――誰か物騒な立ち回りに向いてる奴を連れてこい、と。
 与えられた期間は一週間。
 ターゲットは過去の連続殺人事件の被疑者。
 報酬はそちらの言い値で、か……。
「つまりそれは、今日中に協力者を探してこいってことなんですね、火村先輩」
 まったく、仲介も楽じゃない。


01 ファースト・コンタクト/2004年10月9日午後/梅黒龍

 電車が一度大きく揺れ、梅黒龍は唐突に眠りから醒めた。浅い眠りの中で何か妙な夢を見ていた気がするが、驚いて飛び起きた拍子にすべて霧散してしまった。
 膝から滑り落ちた文庫本を拾い上げる。何気なく車両内を見回した。二駅か三駅か通過する間に乗客の顔触れが変わったようだった。特にどうということはない、退屈そうな学生や社会人達が、めいめい新聞を広げたり音楽を聴いたりしている日常的な光景だった。ただ一つ、向かい側に座る小柄な男の粘つくような視線が黒龍は気になった。
 黒龍のほうを向いているのではない。じっと、吊り広告を見つめている。つられてそちらに視線をやった黒龍は、またか――とうんざり顔で溜息をついた。
『時効迫る』。週刊誌の広告である。
 ――何でも一週間後に、ある連続殺人事件の時効が迫っているということだった。殺人事件の時効は十五年。つまり、と黒龍は思う。自分の生まれ年に起きた事件ということだ。
 事件の顛末について詳しく知るわけではない。彼が知るのは、『国立大生連続殺人事件』という名称で捜査本部が持たれている、ということくらいだ。持たれていた、と言うべきか。どの道一週間後には時効が成立し、凶悪犯は晴れて自由の身になるのだろう。
 それを、まるでエンタテイメントか何かのように騒ぎ立てているマスコミが、黒龍は不愉快で仕方なかった。よくよく見れば、客が広げている新聞の一面にも似たようなフレーズが踊っている。
(なんだかな……今頃騒ぎ立てたところで捕まるものでもないだろうに)
 それとも世間の好奇心を煽ることで、犯人逮捕に漕ぎつけようというのだろうか。例えば目撃情報を求めるとかして。あと一週間とあちこちでカウントダウンが始まったら、確かに大衆の(一過性の)興味を惹くことはできるだろう。
自分が犯人だったらどうするだろう、と黒龍は考える。
 一週間が過ぎるまで部屋の中で大人しくしているか。それとも……、
(敢えて自分の存在を主張するような行動に出るか、か?)
 犯罪心理学か何かの本で読んだ気がしないでもなかった。犯人はそれとなく己を示す痕跡を残していくと。
(ま、ボクには関係ない話だ)
 自分はマスコミに踊らされてなどやらない。黒龍は無関心に徹することにした。
 なんとなくだるさを感じて背もたれに身体を預ける。
 ずれた眼鏡の隙間から見る世界はぼやけていた。車窓の外を流れていく景色は、いつもの通り慌しい。絶えず何かが活動している。東京はそんな街だ。
 電車が次の停車駅に止まり、数人の客が乗り降りする。停車時間は数十秒と短い。ドアが閉まる直前に、詰襟姿の高校生が飛び込んできた。
 高校生はきょろきょろと車内を見回して空席を探している。黒龍は自分の隣りに置いていた鞄をどけた。彼は、気さくにありがとうと礼を言って黒龍の隣りに腰を降ろした。
 制服から近くの名門私立高校の生徒と知れた。彼は鞄から紙束を取り出すと、熱心に読み耽り始める。事件番号、だとか主文、だとか書かれている。
(東京高裁……判例か何かか?)
 小難しい法律用語が羅列されており、さらっと読んで理解できるかというと無理がある。が――
 黒龍は、あ、と小さなつぶやきを漏らした。概要部分の数行に目を通して、彼が何を読んでいるか黒龍は気づいたのだ。
 高校生はん? と顔を上げて、こちらを見た。目が合った。
「興味ある?」
 にやりと笑って、高校生は吊り広告を指差した。
黒龍は不機嫌に黙り込む。高校生の馴れ馴れしい態度も面白くなかったが、結局のところ事件に関心を抱いてしまっているのを、たまたま隣りに座っただけの人間に見破られてしまったのも癪に障った。
「君、頭良いね。これだけで検討ついたんだ?」
 黒龍は眼鏡を押し上げる。「その冒頭の日付と、概要とかいう部分を見ればわかります」
 相手は明らかに中学生の黒龍より年上だ。不本意だが、一応敬語を使った。口調はぶっきらぼうだったが。
「だって君、小学生でしょ? こんなのさらっと読んだだけで理解できるなんて、十分賢いよ」
 ――その一言で敬語を使う気が失せた。
「ボクは中学生だ!」
 怒鳴り声に、車両内の客の視線が集まる。高校生はそんな視線など一向に気にする様子もなく、
「あ、中学なの? ちっこいから小学生かと思った」
 まったく悪気がなさそうな調子で言い切った。
「身長で人の年齢を判断するな……!」
「だって他に判断材料ないじゃん。君だって僕のこと、制服で高校生だって判断したでしょ?」
「制服を着ていなかったら中学生に見られるんじゃないのか?」
 貴様も十分童顔だろう。
「背は百七十センチ以上あるけどね?」
 こいつ、喧嘩を売ってるのか!
黒龍はぎりぎり歯軋りする。電車の中で暴れるわけにはいかないので、なんとか気を鎮めた。
「なんだってそんなものを読んでいるんだ?」
 黒龍は攻撃的な調子を崩さず、高校生に問う。
 そんなもの――つまり判決文だ。『国立大生連続殺人事件』の。
「一週間以内に捕まるかどうか、賭けようと思ってさ。事件のバックグラウンドをちゃんと知っといたほうが面白いでしょ、だから復習中」
 ますます気に食わない。まさに事件をエンタテイメント扱いしている。興味本位で騒ぎ立てている連中よりは、多少真面目に勉強しているようだが。
「どっちに賭けるつもりなんだ?」
「『捕まる』ほう」
 高校生は悪戯っぽく片目を細めた。こいつ、正気か?
「それなら賭けはあんたの負けだろうな。一週間で捕まるわけがない」
「なんでそう思う?」
「殺人事件の時効は……十五年か。十五年間逃げ回った犯人が、最後の一週間で捕まると本気で思っているのか?」
「今までにも時効成立間際に捕まったケースはあるよ」
「あんたは何を根拠に捕まるだなんて言えるんだ」
「僕の知り合いが犯人探ししてるから」
「はぁ?」いよいよ相手の正気が疑わしくなってくる。「それこそ馬鹿馬鹿しいな。ずぶの素人に、警察が捕まえられなかった犯人を見つけることができるわけないだろう」
「一概にそうとも言えないと思うけどね」
 高校生は、歌うような調子で言った。
 速度が緩やかになっていき、電車はプラットホームに滑り込む。
「さて、僕はここで降りるね」
 降りるね、と言い、素早く終わりのページにボールペンで何か書き込んだ。
「ちょっと待て――」
 話が不透明なままだ。いくら何でもここで会話を打ち切るのは酷というものだろう。黒龍は立ち上がりかける。そんな彼の膝に、高校生は紙束をぽんと放った。
「興味あるなら、読んでみれば? じゃーねー」
「待てよ、おい――!」
 ぷしゅーっと音を立てて電車の扉が閉まる。
 制服姿の高校生は、窓の外でにこにこしながら片手を振っていた。電車はホームを抜け、次の停車駅へ向けて加速していく。
(ったく……何なんだ、あいつ)
 黒龍は再び椅子に腰を降ろし、仏頂面で高校生に渡された判例を斜め読みした。
 ふと粘つくような視線を感じて顔を上げると、先ほど吊り広告を読んでいた男の視線がこちらに向いていた。黒龍は睨み返す。もともと目つきが良いとは言えない黒龍の一睨みで、男は気まずそうに顔を逸らした。
 黒龍は再び文面に目を落とす。
『国立大生連続殺人事件』の犯人は、捕まっていない。一度被疑者が起訴され、冤罪だったとして二審で無罪判決を受けている。この判例は、それについて書かれたものだった。
 あの高校生はこの無罪判決を下された男こそが真犯人だと言いたいのだろうか? それとも別の人間が絡んでいるとでも……
 最後のページに黒龍は目を留めた。あの高校生の筆跡と思しき書き込みがある。
『K大、火村義一』という名前の下に、そのK大学とやらの住所が示してあった。――犯人探しをしている知り合い、のことだろうか。
 電車は停車駅に滑り込む。黒龍は逡巡した。K大学の最寄り駅だ。
 梅黒龍は鞄をつかんで立ち上がると、閉まりかけの扉から外へ飛び出した。


02 殺人遊戯の序幕/2004年10月9日午後/火村義一

 右手の親指で弾いたコインは、空中で回転し、火村義一の計算した通りの場所に落下してきた。しかしコインの裏表までは計算できない。
「表」
 小さくつぶやき、コインの表面を覆っていた左手をどけると――、裏だった。火村義一は顔をしかめて舌打ちをする。またハズレか。
 当たりがつづく可能性は低いが、外れがつづく可能性も極めて低い。珍しい確率ではあったが、予想をことごとく裏切られているという事実に何ら変わりはなかった。
 これが最後だ、と火村はコインを弾いた。
「裏に賭けましょう」
 耳慣れない声に、火村は顔を上げた。金髪に翡翠色の瞳という、明らかに異国の血を引いた男が立っていた。
「それじゃ俺は表に賭けざるを得ないじゃないか」
 火村は言って、コインの表面に目を落とした。裏だった。
「私の勝ちですね」
 異邦人は隙のない微笑を浮かべる。
「俺も裏に賭けるつもりだったんだよ」
 火村はぴんと男に向かってコインを弾いた。男は難なく空中でキャッチする。
「ではこのコインは私の取り分ということで」
 火村はふんと鼻を鳴らした。
 ――国立K大学の、法学部講義棟。
 この大学では、社会学部や心理学部ではなく、法学部に犯罪心理学科が属している。火村はもともと心理学畑ではなく法律学畑の人間だ。当然法学部を出ている。そのため、K大法学部の講義室は彼にとって馴染み深い場所だった。
 協力者に対する待ち合わせ場所として、研究室ではなく空きの講義室を指定したのは、院生達に動向を知られるのが好ましくなかったためだが――、おかげで定刻を僅かに回っていた。部外者はここに辿り着くだけでも苦労することだろう。
「あんた、もしかしなくても水上が寄越した奴だな」
「モーリス・ラジアルと申します。貴方が火村義一氏ですね」
「ああ。水上もまたけったいなのを寄越したな。日本語わかるのか?」
「今こうして会話しているではありませんか」
 火村は肩を竦めた。「ミスター・ラジアル、悪いがあんたが最初の到着なんであとの二人が揃うまで少し待っててくれ」
「モーリスで構いませんよ。――他にも協力者がおられるんですね。出がけに一人捕まえたと、水上さんはおっしゃっていましたが」
「水上のツテがあんたと、もう一人。後はさっき知り合いの高校生がな、一人中学生が行くだろうと電話してきたよ」
「おや、中学生ですか」
「中学生にも驚いたが、外人にも驚いた」
 意識して『外人』と差別っぽく口にしたつもりだが、モーリスは特に気分を害する風でもなかった。飄々とした態度のままである。一筋縄ではいかなそうな人物だ、と火村は思った。
「今度は私がコインを投げましょうか」
「裏」と火村は投げる前に予想を口にした。
「では私は表ということで」
 モーリスはコインを弾いた。垂直に上昇し、ある地点から回転しつつ落下していく――
「俺も表な」
 第三者の声が広い講義室に響いた。モーリスはコインを右手の甲に受け止め、声のした方向を振り返った。火村も階段教室の上を振り仰ぐ。
 背の高い、がっしりした体格の男が立っていた。よれよれのスーツにネクタイ、無精髭が目立つ顔立ち。いかにもやる気なさげだが、堅気の人間ではないと感じさせる何かがある。男はポケットに両手を突っ込み、だらだらと階段を降りてきた。
「水上さんの紹介で来た」
「二人目が揃ったようだな」
「自己紹介は後で。とりあえず、賭けの結果を教えてくれ」
「負けたほうが奢るということでどうです?」とモーリス。
「俺は構わねぇぜ」無精髭の男が同意する。
 火村は唇を曲げた。「つまり俺が負けたら二人分奢るってことじゃないか。フェアじゃないだろ、それ」
「火村さんが勝ったら私達二人が奢らせていただきますよ」
「最後の一人が揃ってからにしようぜ。二、二でさ」
「それもフェアじゃないですね。ボクには表か裏か選ぶ権利がないってことでしょう」
 新たな声。三人揃って顔を向けると――
「……驚いた。マジで中学生だ」
 眼鏡をかけた小柄な少年が立っていた。背は低いが、きつい眼差しのせいで妙に迫力がある。顔立ちからしてどこか違うアジア圏の出身ではないかと思われた。
「まあ、いい。裏に賭けます」
 少年の口調は淡々としたものだ。扉を後ろ手に閉め、歩いてくる。賢そうな少年だった。
「オーケイ、では結果を」
 モーリスは左手をすっと横へずらした。
 表。
 火村と眼鏡の少年は、揃って溜息をついた。
「今日ついてないのかな、俺」
「たまにはこんな日もありますよ、火村さん。中学生に奢らせるのでは面目が立ちませんから、火村さん、よろしくお願いしますね」
「はん、どうせそうなると思ったよ。依頼が成功したにせよ失敗したにせよ、飯は奢らにゃならんってことな」
 火村は一週間後の出費を考えて、憂鬱な気分になった。まったく、水上彰人の人脈に頼るとろくなことがない。しかし頼れるのが水上しかいないのも事実だ。
「労働に見合うだけの報酬はいただきませんと。何でも危険な仕事だそうですからね」
 火村は否定しなかった。それなりの覚悟で臨んでもらわなければ痛手を負いかねない。
「――それじゃ、改めて自己紹介を頼むよ。全員初対面なんでね。――俺は火村。ここの院生だ。つまり学者の肩書きは持ってない」
 簡潔に自己紹介を済ませ、火村はモーリスに次、と顎をしゃくる。モーリスはにこりと微笑んだ。
「モーリス・ラジアルと申します。この手の事件に関わるのは初めてではありませんから、よほどのことがない限りは任務を遂行してみせましょう」
 火村はモーリスの隣りに立つ無精髭の男を、学生に向かってやるのと同じノリで次、とポイントした。火村のこの癖を、嫌がる人間は嫌がるのだが、男もモーリスと同様に何も感じていないようだった。
「志賀哲生だ。元刑事で、今は探偵紛いのことをやってる。警察のツテがあるからせいぜい利用してくれ」
 一見胡散臭い外観をした男はそう名乗った。火村とさほど年は変わらないだろう。
 最後に小柄な少年。彼だけは、火村に対して露骨に不愉快そうな態度を取っていた。攻撃的な目つきなのはデフォルトなのかもしれない。
「梅黒龍。一応――荒事には慣れている。中学生だからといって庇ってもらう必要はないから、そのつもりで」
「メイ・ヘイロン? 中国人か?」火村は不躾に訊いた。
「両親は台湾人です」少年は仏頂面で答える。
「にしてもちっちゃいな、おまえ。本当に中学生?」
 火村は黒龍の頭をぽんぽんと叩いた。黒龍はもともと良いとは言えない目つきをさらにきつくして、火村を睨み上げる。
「貴様……自分が物凄く不躾だという自覚はあるか……?」
 お、地が出たな。生きが良くて結構だ。
「すまんすまん。身長はともかくナショナリティについてはどうでもいい。多国籍チームみたいなんでな」
 黒龍は口を開きかけたが、結局我慢することにしたようだ。
 見様によっては拗ねているように見えなくもない黒龍少年をまあまあとたしなめながら、
「――まずは、事件について詳しくお話し願えませんか?」
 モーリスは先を促す。
「ここのところテレビや週刊誌で何かと取り沙汰にされているが……犯人を捕まえろなんて無茶なことを言うくらいだから、何か有力な情報があるんだろうな、火村さんよ」
 志賀はだるそうに言って教卓に寄りかかる。目つきは鋭かった。
 元刑事か。なぜ『元』なのだろうかと、疑問に思った。
「一度裁判にかけられ、冤罪として釈放された男に関係はあるんですか?」
 黒龍はコピー紙の束を火村に突きつける。おそらく火村の知り合いの高校生――寺沢辰彦から受け取ったものだろう。東京高裁の判決文だ。
「ふむ、それについても話さなきゃならんが……順を追っていこう」
 火村は学生に講義をするときの発声に切り替えて、はじめに、と説明を始めた、
「事件の概要だ。『国立大生連続殺人事件』なんていう呼称で知られている。
 殺人事件の時効が十五年ってことは知ってるな。つまり事件発生は今から十五年前の一九八九年。ちょうど平成に変わった年だな。その一年間で、実に四人分もの死体が発見された。いずれも国立K大学――つまりこの大学――の学生のものだった。死因は窒息死。紐状のもので絞殺したという所見だ。ここまでは良い。――で、凶器と死因、それからK大の学生であるという共通項の他に、もう一つ妙な関連性があった」
「バラバラ死体だったんだろ」と志賀が何気ない口調で言った。
「そう。四体ともバラされていた」火村は愉快そうに口元を歪める。「大学生を殺してその死体を解体するって作業を、一年のうちに四回もやったんだから、犯人も相当な物好きだよな」
「被害者の性別は?」と黒龍。
「全員女だ。被害者に接点らしき接点はない」
「通り魔的な犯行ということでしょうか?」
「あるいは一人目は何かやむにやまれぬ事情があったのかもしれんな」
「二人目以降は趣味で、か?」
 志賀の台詞を、火村はにやにや笑いで肯定した。
「ま、真の動機は本人に吐かせればいいさ」捕まることが前提だからな。「それはさておき。――黒龍少年の言った通り、ある男が重要参考人として捜査線上に浮かび上がっていた。男の名は吉川智宏。当事二十三歳の院生だ。吉川が、被害者四人のうち三人と顔見知りであったこと、死体遺棄現場に残されていたタイヤ痕、犯行時刻のアリバイ、等々を根拠に逮捕・起訴された。が――」
「冤罪だったんですね」とモーリス。「火村さんは彼が真犯人だとお考えで?」
「いや」火村は首を振った。「奴は犯人じゃない」
「なぜそう言い切れるんですか?」
 火村はその質問には答えなかった。
「とにかく、だ――俺が捕まえてほしいのはこいつだ」
 教卓に置いてあったフォルダから写真のコピーを取り出し、火村は全員に一枚ずつ手渡した。
「本間啓一郎、三十歳。聖ヶ丘って私立高校知ってるかな。あそこの物理教師だ」
「――え?」黒龍はコピーから顔を上げ、眉を顰めた。「なんて言いましたか? 三十歳……?」
「そう」火村はにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。「事件当時、中学生だった。おまえさんと同じだ、黒龍少年」


03 捜査/2004年10月10日午前―午後/梅黒龍

「ここか……」
 梅黒龍は私立聖ヶ丘高等学校の前に立ち、その堂々たる門構えを振り仰いだ。プロテスタント系の学校だということだが、これは……神の家というよりはむしろ――
 監獄みたいだな。
「よっ、黒龍少年」
 ぽんっと肩を叩かれて振り返ると、昨日電車の中で声をかけてきた、例の馴れ馴れしい高校生の姿がそこにはあった。
「大分無理があるね、その制服姿」
 高校生――寺沢辰彦は、梅黒龍の制服姿を無遠慮に眺め回した後、そうコメントした。
「余計なお世話だ」
 黒龍は憮然とする。言われなくても、そんなことは十分承知している。中学生の自分が高校生のふりをして聖ヶ丘に潜り込むなど、そもそも無理があるのだ。
 その無謀な提案をしたのはモーリス・ラジアルだった。相手が高校教師なら、高校生として接触するのが一番安全な方法ではないか、と。そしてモーリス、黒龍、志賀の中から高校生役を選出するとなれば、年齢的に黒龍が適任であることは明白だった。
 そういうわけで、火村を通して聖ヶ丘の学生である寺沢辰彦に連絡し、転校生として潜入する手筈を整えたわけであるが。
「なんでも本間さんを殺人犯扱いしてるって?」
 黒龍を職員室まで案内する道程で、寺沢辰彦が声のトーンを落として訊いてきた。
「あの火村という男の話では。――どうでもいいが、なんで火村はあんたを頼らなかったんだ?」
「僕と本間さんの距離が近すぎるからだろうね。手伝いましょうかって申し出たら、おまえじゃ危ないから駄目だって断られちゃった」
「危ない?」
「単純に、荒事になったとき腕力で勝てないってのもあるけど――、本間さんは僕が不穏な動きを見せたら疑ってかかってくるんじゃないかな」
「つまりあんたが本間の身辺を嗅ぎ回っていたら、逃げられるんじゃないかということか?」
「そゆこと。何しろ僕ってば、有名人だからね」
「有名人?」
「僕ここの生徒会長だもの」
「…………」困った生徒会長もいたものだ。「それじゃ、ボクとあんたが一緒にいるのもまずいんじゃないか?」
「それは大丈夫だと思うよ、不案内な転校生を生徒会長が案内してるって構図さ。……と」廊下の向こうから、白衣姿の、教師と思しき男が歩いてきた。「おはようございます」
 辰彦は笑顔で白衣の教師に挨拶をした。黒龍は軽く会釈する。教師は二人に挨拶を返すと、ぺたぺたスリッパを鳴らして廊下の奥へ消えていった。
 辰彦は肩越しにちらりと背後を振り返ってから、黒龍に耳打ちした。
「今の。本間啓一郎」
「え――」
 黒龍は振り返りそうになるのをすんでのところで堪えた。
「別に普通の人でしょ?」
「ああ……」
 黒龍は釈然としない面持ちで、火村から渡された写真のコピーと、現物とを頭の中で比較してみた。写真を見たときの第一印象とさほど食い違いはない。――こんな人の良さそうな奴が人殺しなんかするのか? 黒龍はそんな感想を抱いたのだった。
「寺沢は……、どう思ってるんだ」
「彼が犯人かどうかってこと?」黒龍は頷いた。辰彦は顎に手を当て、首を傾げる。「……何とも言えないな。驚きはしたけど、ショックは受けなかった。火村さんがあの人は人殺しだって言うんなら、まあ信じないこともないかなって感じ」
「顔見知りの人間が人殺しかもしれないと言われて、たったそれだけの反応か?」
「誰だって殺人者になる可能性はあるでしょ。言うほど特別なことじゃないと思うけどなぁ」
 理解不能だ。黒龍は閉口した。
 そんな黒龍を横目でちらりと見て、寺沢辰彦は苦笑を浮かべた。
「感覚が麻痺してんのかもね、僕」
「……そう思う」
 無感動すぎるんだ、と黒龍は思った。誰も彼も、人間らしい感情が欠如したような物言いをする。火村義一も、火村に雇われた人間達も。
 殺人事件――ましてや死体がバラバラの状態で発見されたなどという猟奇事件には、好奇心よりも先に嫌悪感を示すのが正常な反応ではないだろうか。それなのに、寺沢辰彦やあそこにいた男達の認識は、いずれも「珍しいことではない」程度に留まっている。あるいは事件を楽しんでいるか。どうにも不可解だった。
「まあ、仮に彼が犯人だったとしてだよ」辰彦は本間の名前を伏せ、小声で言う。「火村さんはどうするつもりなのかな。何しろ十五年前の事件だし、起訴するのは難しいと思うんだけどな。あの人の目的は一体何なの?」
「ボクも知らない」
 黒龍は首を振った。正確には誰も知らない。
「なんだ、ほんとに彼を捕まえろとしか言われてないわけ? プロの殺し屋みたい。良くそんな依頼を受ける気になったね」
「元はと言えば貴様がけしかけてきたんだろう……!」
「興味ありそうだったから、判例を渡しただけだよ」
「これ見よがしに最後のページに火村の名前を書き込んでいっただろうが!」
 辰彦は知らぬ存ぜぬという素振りで両手の平を上へ向けた。
 そうこうしているうちに職員室の前まで辿り着いた。
「ま、『捕まる』ほうに賭けたからには頑張ってもらわなきゃね。せいぜい怪我しないように気ィつけな」
 辰彦は平手で黒龍の頭をばこんばこんと叩いた。やめろ。脳細胞が死ぬ。
 辰彦はひらひらと片手を振って、職員室の前から去っていった。
黒龍は何とはなしに溜息を一つついてから、
「――よし」
 小さくつぶやくと、職員室の扉に手をかけた。

    *

 朝から愚図っていた天気は、昼前には大雨に変わった。
 黒龍は蛍光灯の光も太陽の光も届かない日陰のような席で帰り支度を整えていた。
 授業中にとちることもなく、なんとか無事に黒龍は日課を終えることができた。問題があるとすれば自分の本業くらいのものだ。つまり中学のほう。
 高校に潜り込むということは、その間学校を欠席しなければならないということで――義務教育だから停学処分を受けるなどということは有り得ないが、一週間近く欠席した結果が好ましくないものであることくらい容易に想像がつく。一週間分のノートを借りるのに、何人拝み倒さなければならないのだろうと思うと、気が滅入った。
 学校に復帰するためにも、妙な仕事はさっさと片付けねばなるまい。転校生を物珍しがる級友達の誘いを断って、黒龍は足早に図書館へ向かった。
 昼休みの間に目星をつけておいた新聞と雑誌のストックを抜き出すと、黒龍は机へ向かった。
(やっぱり新聞じゃ限界があるな……)
 当事の新聞や雑誌など、紙媒体のメディアから得られるのは必要最低限の情報のみである。全体図が見えない絵画の断片のようなもので、それらから事件の全貌をつかむのは困難だ。ピースの足りていないジグソーパズル。だが当事の世論を知ることはできた。
 一つ興味深い点は、一九八八年から一九八九年にかけて起こったある連続殺人事件との類似性などからアプローチしている記事が多いことだろうか。面白半分に組まれた雑誌の特集などは信憑性が薄いだろうが、事件に対する大衆の反応は重要だ。
(しかし……なんで死体をバラしたんだろう)
 ふとそんな疑問を抱く。シンプルな回答は、犯人は狂っていたから、だ。死体を切り刻む理由など真剣に考えても仕方ないかもしれない。
 だが、例えば自分だったら?
(持ち運ぶために、とか?)
 死体をパーツごとに分ければ……。我ながらぞっとしない考えだ。第一解体しようがしまいが、人間一人分の重さは変わらない。労力をかけるだけ馬鹿馬鹿しい気がする。
(……プロファイリングだと、死体遺棄現場から犯人の行動範囲を限定したりするんだったか)
 最初が大学内の雑木林。二件目が河川敷の高架下。三件目が大学からやや離れた公園の林の中。最後がゴミ捨て場……いずれも都内の、狭い地域内でのことだ。行動範囲は広くない。
 車を持っていたら遠くまで遺棄しにいくかもしれない。死体を運んでいる途中で怖くなって半端な場所に置いていったということも考えられるが。
「……なんだかな」
 気が滅入ってきた。
 黒龍は資料を元の棚に戻すと、図書館の隅に設けられた検索スペースへ足を運んだ。インターネットに接続することができる。信頼性に欠ける分、思いがけず有用な情報が転がっていたりする。
 事件に関する見解はまちまちだった。吉川智宏が無罪判決を受けた以上、真犯人は闇の中、だ――現場の痕跡などから犯人のプロファイルを行っているサイトなども見かけたが、どちらにしろ素人考えであることには変わらない。
 あの男は何だって本間啓一郎が犯人だなどという結論に辿り着いたのだろう。それらしい情報など、どこをどれだけ探しても見当たらない。なんだかんだいって一番怪しいのはあの火村って奴だよな、などと思いながら検索をつづけていると、
(――まずい)
 問題の人物、本間敬一郎が図書館に入ってきた。黒龍は慌ててブラウザを閉じた。面倒なことにならないうちに立ち去ろう。
 軽く会釈をだけしてすれ違うつもりだったのだが、
「あ、あの。生徒会室へはどうやって行ったらいいんですか」
 本間が黒龍の使っていたコンピュータの前に座ろうとしたため、咄嗟にそんな台詞を口にした。――コンピュータに閲覧したページの情報が残ったままだ。
 本間啓一郎は、人の良さそうな顔に穏やかな微笑を浮かべた。
「生徒会に用事ですか?」
「はい。あの……寺沢会長に」
「寺沢君ですか。この時間なら生徒会室にいるでしょうね」本間は自分の腕時計に目を落として言った。「案内しましょうか?」
「……すいません」
 お願いしますの意で頭を下げる。
「構いませんよ、暇を潰しにきただけですからね」
 廊下を歩き出した本間の後ろに、黒龍は数歩遅れてついていく。
「今朝、寺沢君と一緒に歩いていましたね」
「はい。……不慣れなので、案内してもらっていました」
「ああ、もしかして転校生君ですか? この通り生徒数の多い学校ですからね。実のところ教師達も生徒の名前と顔を把握していないんですよ。僕の授業は取っていますか?」
「失礼ですが、先生のお名前は?」
「僕は本間と言います。一年生と二年生の物理を教えています」
「物理は取っていません」
 取っていないはずだ。日課表を頭の中に思い浮かべる。まったく、生徒のふりも大変だ。
「慣れない環境で大変でしょう? 雇ってもらっている身分でこういうことを言うのも何ですが、この学校は少し特殊というか、変わっていますからね」
「変わっている、ですか?」
「ええ。極めて閉鎖的です。政治家の御曹司がクラスに一人や二人はいるような学校ですしね。宗教教育を施していながら、明確に優劣をつけたがる進学至上主義というのも何だか矛盾している気がしますが……」本間は苦笑を浮かべた。「何か困ったことがあれば寺沢君に頼ると良いですよ。彼は要領が良いので。つい僕も生徒会の仕事を任せてしまっています」
「え?」黒龍は驚いて本間の顔を仰ぎ見た。「先生、……生徒会の顧問か何かなんですか?」
「寺沢君から聞きませんでしたか? まぁ、名ばかりの顧問ですがね」
「…………」
 ますます寺沢辰彦が何を考えているかわからなくなった。曲がりなりにも自分の顧問を、平気で警察に突き出せるものだろうか。
 程なくして生徒会室の扉が見えてくる。本間は中を覗き込むと、
「おや、珍しいですね。寺沢君どころか誰もいませんよ」
「あ……そうですか」
「まあ、彼も忙しい人ですからね。ここで待っていれば捕まると思います」
「待ってみます。わざわざありがとうございました」
「いえいえ。――僕も少しここで時間を潰していくことにします」余計なことを。「コンピュータはここでも使えますからね。型落ちですが」
 所在無さげに立ち尽くしている黒龍に、本間啓一郎はパイプ椅子を勧めた。がたがたするボロい椅子に腰を降ろし(私立の金持ち学校の癖に、生徒会室の備品はお世辞にも高級とは言えない)、黒龍は手持ち無沙汰に生徒会室の中を見回した。雑多な空間だった。
 事務デスクの上に今日の朝刊が投げ出されていた。一面に『国立大生連続殺人事件』の記事。……生殺しだ。真犯人と目されている人物と二人きり。目の前には事件について書かれた新聞。
「犯人、捕まると思いますか?」
 黒龍はびくりと肩を強張らせた。鼓動が一気に跳ね上がる。
「犯人って……、この時効が迫っているとかいう事件の、ですか」なんとか平静を装うものの、声の響きがぎこちなかった。「無理だと思います。あと一週間しかないんでしょう」
「一週間を切りましたね」
 本間は腕を伸ばし、黒龍の前から新聞を取り上げた。
「僕が中学生の頃の事件です。君はまだ二歳かそこらの子供だったから知らないでしょうが、凶悪な殺人事件が立てつづけに起こって人々は怯えていたものですよ」
「……そうなんですか」
「ちょうど年号が平成に変わった年ですね。まあ、なんというか……平成という暗い時代の幕開けには、ある意味では相応しい事件だったのかもしれませんね」
「暗い時代……?」
 相応しい事件、というのが癇に障った。殺人事件が自分達の時代を象徴するなどあってたまるか。
「混迷した時代ではありませんか。凶悪犯罪は絶えませんし、景気はいつまで経っても回復しませんし。君達の未来はお先真っ暗、ですよ」
 教師らしからぬ発言だ。その未来を導いたのは貴様ら大人だろう、などと黒龍は思う。あるいはまだ三十そこそこの彼も、等しく暗い未来を与えられた世代の人間なのかもしれない。
「誰も彼もが迷走しているようです。停電中に愚かにも駆け回って、壁に鼻っ面を強打するようなものですかね」
「――どこへ向かっているのかわからなくても、前進しなくてはならないでしょう」
 本間の発言にむっときて、黒龍は突っかかるように主張した。
「おやおや、寺沢君のようなことを言うのですね。自分がどちらを向いているのかもわからないのに、前進するのですか?」
「壁にぶつかれば、少なくとも自分が間違った道を進んでいたことはわかります」
「道を踏み誤ったらどうしますか?」
「壁にぶつかるのも道を踏み誤るのも嫌なら、独りっきりで黙して社会の端っこに丸まっていればいい。違いますか」
 本間啓一郎は、微笑しているように見えて実のところ何の感情も浮かべていない瞳で、黒龍を見つめた。
「『正しい道』は」本間啓一郎の声は穏やかだった。「人間が定義したものです。足枷も、人間が自らを戒めるために作ったものです」
「…………」
「正しい、あるいは進むべき方向といったものは、その時代によって変化します。例えば生産し消費することを良かれとするのは資本主義の思想ですが、冷戦の終結の仕方によっては、ええ、私達は互いを食い合うこともなく慎ましやかに生活していたかもしれませんね」
「何が言いたいんですか」
「人々が思うような『道』はどこにも存在していない、ということです」
「どれだけ歩いても、どこにも行き着かないと……?」
「終着点には必ず辿り着けますよ。誰でも」
 それは、死、だろうか――?
 本間は薄っすらと微笑を浮かべた。
 ――その笑い方に、一瞬、背筋が凍りついた。
 何か本能的に。
 本能的に、この男は危険だと。
 無条件に確信した。火村もあるいはこの感覚を味わったのだろうか。鰐が泳ぐ池に放り込まれたらこんな気分かもしれない。
(落ち着け)
 今すぐに逃げ出したいのを堪え、黒龍は静かに呼吸を繰り返す。
「……どうしました?」
 本間啓一郎は硬直している黒龍を見、不思議そうな顔をした。
「何でもありません」
 黒龍は本間から目を逸らす。
「顔色が良くないようですが」
「……大丈夫です」
 辛うじてそう答えた。
 本間は、それなら良いのですが、とつかみどころのない微笑を浮かべた。


04 急転/ 2004年10月11日/火村義一

 事件は誰もが予想しなかった方向に展開した。
 翌朝の朝刊を見て、火村義一は愕然とした。
「……冗談だろう。まだ期限前だぜ」
 新聞の一面を飾り立てている見出しはこう読める。
『時効目前に解決か』。
 目を細めて記事をざっと読んだ。してやられた。火村は舌打ちした。怒りにかられて壁に拳を叩き込む。
「あの野郎。時効まで大人しくしてりゃいいものを……!」
 そうしたら問答無用で捕まえてやったのに。
 火村は依頼請負人達に電話をかけ、一時間後にこの間の講義室へ集合しろという旨を簡潔に伝えた。早朝だったが、誰も文句を言わなかった。
 きっちり一時間後、全員が一堂に介した。それまで無人だった講義室はひやりとしており、さながら霊安室のようだった。
「呼び出した理由は言うまでもないな」火村は全員を見回した。「してやられた。一歩遅かったみたいだぜ」
 火村は教卓の上に、朝刊をばしっと叩きつけるようにして置いた。三人は、それぞれ複雑そうに記事へ目を落とす。
 改めて火村が説明するまでもなかった。
今朝からどこへ行ってもこの話題で持ち切りだ。マスコミがこぞって、『時効直前に解決見込み』の連続殺人事件について報道している……。
 ――曰く、冤罪と判決を下された吉川智宏が、遺書を遺して首吊り自殺をした。遺書には事件の真相について詳細に記されており、その終わりは、罪の意識に耐えかねた、死んで償う、と結ばれていたという。
 当然この件で矢面に立たされるのは日本の法曹界だろう。無罪の人間から長い歳月を奪うに足らず、有罪の人間を社会に送り出したとあれば、「犯罪には無縁の」善良な一般市民が腹を立てるのも無理からぬことだ。
 真実がどうであれマスコミはあることないことを吹聴するに違いなく(十五年前と同じように、だ)、火村の本間犯人説がますます立証しにくいものになるであろうことは想像に難くなかった。
 死者は語らない。遺書に記したこと以上のことは、何も。
「死臭がしたのはそのためか……」志賀は苦り切った様子で吐き捨てた。「くそ――あのとき雨が降り出してさえいなけりゃ……」
「まさかあの後自殺するとは思いませんでしたからね」
 モーリスも同様に、端正な顔を曇らせている。
「どういうことだ」説明しろ、と火村。
「昨日な……昼前だったか。ふらふらっと歩いている吉川智宏を見かけたんだよ。尾行しようとしたんだが、雨が降り出してな……あえなく見失っちまった」
「警察の捜査は吉川の遺書を裏付ける方向へと向かうでしょう。どうなさるおつもりですか? 火村さん」
「中身を読んだわけじゃないからわからないが、遺書には犯人しか知り得ないようなことが書かれていたんだろう? 火村さんの言う本間啓一郎犯人説は、無理がないか?」
 火村はいらいらと教卓を指先で叩く。
「吉川は本間に殺されたんだろう。最初から計算済みだったんだろうな」
「学校には黒龍君が潜り込んでいたんですよ」
 黒龍に全員の視線が集まった。黒龍は冷静にその視線を受け止めると、口を開いた。
「姿を見たのは朝と放課後だけです。お二人が吉川を目撃したのは昼前でしょう。昼から夕方にかけての時間に殺害したとは考えられませんか」
「黒龍君は本間犯人説を指示なさるんですか?」
「はい」黒龍は迷わず頷いた。「火村さんがどうして本間が犯人だなんて結論に辿り着いたのかは知らない。――だが、あの男が何らかの形で事件に関わっているのは間違いないと思います」
「なぜそう思うのですか?」
「根拠はありません。直感とか、本能とか、そういうものです」
 沈黙が落ちる。各々が思考に沈んでいた。
 壁時計の秒針が刻一刻と過ぎる時を刻む。急かすように、焦らすように、嘲笑うように。耳障りだった。時間はこちらに味方していない。
「――火村さん。いい加減に、なぜあんたが本間に行き着いたのか、教えてもらえないか」
 志賀が沈黙を破った。
 火村は鬱陶しそうに前髪をかきあげる。
「わかるんだよ。昔から」
 不可解な回答を、しかし志賀は理解したようだった。
「サイコメトリーみたいなものかもしれん。だが俺の能力は殺人者に限定されているようでな」火村は腕を組み、顔を俯けた。「――本間が俺を訪ねてきたのは、ほんの二、三日前のことだった。どこかで俺が大学に戻ったのを聞きつけたらしい。犯罪心理を研究しているなら、この事件に興味はないかと持ちかけてきた。――違う中学に行っちまったんでそれから会ってなかったが、奴とは気心の知れた仲だったんでな」
「まるで自分が犯人であることを示したがっているような行為ですね」
「ああ、そのつもりだったんだろう。本間は何も言わなかったが、俺は――わかってしまった。一週間の期限つきで鬼ごっこをやろうって誘いだったのさ」
「七日間で本間が犯人であることを立証できるかという、挑戦だったわけですね」
「ああ。だが俺はこの通り過激な性格なんでな」
火村は喉の奥でくっくと笑った。
「手段を選ばずに、問答無用で『捕まえる』ことにしたわけか」
「ああ。奴が吉川を殺すとしたら時効直前だと思ったんだが、俺があんた達を使って力技に訴えようとしたのを察したのかもしれんな」
「大胆と言うべきか無謀と言うべきか、良くわからない人物ですね。吉川智宏を真犯人に仕立てることに成功すればそれで終わりですが、上手くいかなければ、また十五年間警察の影に怯えなければならないということでしょう?」
「面白がってんだろう。昔からそういう奴だった」とにかく、だ。「もう、何でもいい。腹が立った。『何が何でも捕まえろ。手段は選ぶな。ただし絶対生かしておけ』だ。殺さなきゃ何をやっても構わん。今すぐに、」
 ――奴を捕まえて俺んとこに引き摺ってこい、と火村は命令口調で言い渡した。
 ラウンド2の開始だ。


05 捕獲/2004年10月11日/梅黒龍

「さて――ここからが本番だな」
 黒龍は小さくつぶやくと、二階の化学室の窓から反対側の校舎を見やった。カーテンの影に隠れ、そっと様子を伺う。本間啓一郎は授業中のはずだ。
 寺沢辰彦から「本間は出張で午後から不在だ」と連絡を受けたのがつい数時間前のこと。それが真っ当な出張なのかどうかはわからなかった。出張は事前から告知されていたことらしいので、今日になって突然気が変わって「本格的に逃げることにした」可能性は低い。が、吉川の自殺騒動で警察が奔走しているこの時期に、のうのうと授業をやっているとは、随分と図太い神経の持ち主だ。
 ここから少し離れた通りの車上では、モーリスと志賀が待機している。本間が学校を出たらモーリスの携帯に連絡を入れる手筈だった。
「そろそろ始めるか」
 黒龍は目を閉じた。
 瞼の裏に思い描くは宇宙の深遠。
 身体から分離した意識は、万物の、あるいは大宙の理に同化する。
 黒龍の右手の平が、ぼんやりと輝いた。靄のような輝きは次第に形を成していき、艶やかな一つの玉になる。
 そうして作り出された五つの玉を、黒龍は己の周囲に浮かべた。玉を直線で結ぶと、『望遠鏡座』と呼ばれる夏の星座になる。望遠鏡の果たす役目はシンプルだ。遠方を拡大する。テレスコピウムの力を借り、黒龍は反対側の教室を覗き見た。本間啓一郎の姿がくっきりと見える。
 至って平和な日常が広がっていた。本間が黒板に何かの公式を書き、生徒がそれを板書する。時折本間が何かを口にし、生徒が笑う。一見和やかな授業風景といったところだが――、
(人を殺した後で、良くあんな風に笑えるものだな)
 黒龍は胸中で毒づいた。
 おそらく、昨日自分に見せた、あの笑顔こそが本間の真の姿なのだろう。あの冷徹な笑顔が。
 ――終着点には必ず辿り着けますよ。誰でも。
 その『終わり』を、何の罪もない人間に容赦なく振り下ろすことのできる殺人者。
 何食わぬ顔をして生きるその傍らで、あの男は四人もの人間を殺害したのだ。吉川を含めば五人。
 ――鐘が鳴り響いた。それは鬼ごっこの合図だった。
 本間はチャイムぴったりに授業を終え、教室を出ていった。駐車場へ向かっている。
 黒龍は足早に教室を出、階段を駆け下り、駐車場に先回りする。
 携帯電話を取り出し、モーリスの番号を呼び出す。すぐにモーリスが応答した。
「本間が学校を出た。駐車場に向かってます」
 程なくして、本間が現れた。駐車場の奥に停めてある車へと向かう。ちなみにその車には、先ほど発信機をつけておいた。
『わかりました。私達も動きましょう。本間の行き先はわかりますか?』
「出張というのが嘘でなければ、成田市です。前から告知されていたことらしいが――」
 黒龍は我が目を疑った。人の声など聞き取れないほど距離があるにも関わらず、何の前触れもなく、まるで風に示されたとでもいうように――、
 本間がこちらを向いたのだ。
『? もしもし?』
 電話の奥からモーリスの不審そうな声が聞こえてくる。
「え――?」
 黒龍はつぶやいた。目が合ってしまった。
 気づかれた、と早口で黒龍は捲くし立てた。咄嗟に携帯を手放し、新たな星座を作り出す。二頭の猟犬が出現し、本間に迫った。あの男、逃げる気だ――
「――!?」
 猟犬が本間に喰らいつく前に、ぱんっ! と黒龍の耳の横で衝撃音がし、二頭の猟犬が拡散し、消滅した。石を破壊されて星座の効力が失われたのだと気づいたのは、本間の手に握られた銃を視認した後だった。
「貴様――!」
「やはり君でしたか」本間は微笑んで、手の中に収まる小さな銃を弄んだ。「火村君もまた、とんでもない協力者を見つけ出してきたものですね。その妙な力は何というんですか?」
 黒龍が能力を行使するのを遠目に一度見ただけで、その仕組みを理解し、玉を銃で破壊したのだ。どうかしている。
 銃は最初から隠し持っていたに違いなかった。ご丁寧にサイレンサーまで使用しているあたりからして、校内での交戦を予想済みだったとしか考えられない。
「君の他にも誰か協力者がいるんでしょうね? さすがに囲まれたら動けませんから、さっさと逃走させていただきましょう」
 本間は黒龍に照準する。訓練を受けているに違いなかった。避けられない――
 一度目は、盾座で防いだ。間髪入れずに銃口が火を噴く。銃弾が右腕を掠り、黒龍は呻き声を漏らした。
「君をこの場で殺すのはリスクが高いので、それは後回しにします。せいぜい捕まらないように頑張るとしますか」
「待て――!」
 痛みで集中できない。本間は車に乗り込み、エンジンを始動させ、すぐに校門から飛び出した。
「くそっ……!」
 痛みに目が眩む。黒龍は右腕の傷口を押さえ、その場に膝をついた。
 携帯を探す。モーリスに連絡を入れなければ。が、その必要はなかった。
「黒龍君。大丈夫ですか?」
 耳慣れた声がした。モーリス・ラジアルだ。黒龍は痛みに喘ぎながら、やられました、とモーリスに言った。
「すいません。油断しました。庇ってもらわなくても平気だなんて言いながら――」
 黒龍は悔しさに唇を噛み締める。
「無理をせずに。どうしましたか?」
「本間の奴、徹底的にやるつもりだ……」
 モーリスは傷口を押さえる黒龍の手をそっとどけると、顔をしかめた。
「――これはまた。本間啓一郎氏も随分と物騒なものをお持ちのようで」
制服の白いシャツは、真っ赤な血で染まっている。貫通はしなかったが、右腕の肉をごっそりと持っていかれていた。
「本間がボクに気づいたんです。その場で捕まえようとしたら、サイレンサーつきの銃で撃ってきた」
「……好戦的な人物らしいですね。――今治療します。少し我慢していて下さい」
 治療といっても、この場でできるのなんてせいぜい止血くらいのものじゃないのか――。
 何を思ったか、モーリスはすっと黒龍の右腕に手を翳した。おまじないでもするつもりか、と思う。
「――な」
 が、その『おまじない』が本当に効いたため、黒龍は唖然と口を開けた。痛みが一瞬で引き、出血が止まったどころか、抉られた肉までもが元通りになっていた。
「――何をやったんですか?」
「『調律』を施しただけですよ」
 モーリスはふ、と微笑んだ。
 黒龍は関節を折り曲げたりして右腕の動作を確認する。「……便利な能力もあったものだな」
「こう見えても医師の資格を持っておりましてね」
 いや、これは医者の能力じゃないだろう? と黒龍はつぶやく。医者が全員こんな力を持っていたら、保険会社が廃業に追い込まれてしまう。
「志賀さんが本間を追いました。まだそう距離は離れていないはずです。合流しましょう」
 モーリスはすっと立ち上がった。切り替わりが早い。
「今どこにいるかわかるんですか?」
「そのためのGPSですよ、黒龍君」
 モーリスはどこからか情報端末を取り出すと、その画面を黒龍に見せた。
 黒龍は端末を覗き込んで、げ、という顔をした。
「時速百二十キロは出てるぞ、この移動速度……」
「なんとか合流するとは言いましたが、……物理的に不可能ですね」
「先回りするしかないんじゃないですか」
「本間は尾行に気づいたのでしょうね。目的地へは向かわないでしょう」
「一般道で百二十キロじゃ、カーチェイスしているとしか思えないものな……」
 二人はその場で考え込んでしまう。
「――仕方ありませんね。私達も彼らの後を追うとしましょう」
 モーリスと黒龍は、タクシーを捕まえに表通りへ走った。


06 終幕/2004年10月11日/モーリス・ラジアル/梅黒龍

 殺人遊戯の幕を、本間啓一郎は千葉の寂れた港町で下ろすことに決めたらしかった。
 運転手に釣りはいりませんと一万円札を渡すと、二人はタクシーから転げ落ちるように降りた。
「今の――!」
 風船が破裂するような音を聴き、黒龍は声を上げた。
「銃声ですね。消音器を使用すればあんなものでしょう」
 今は使われていないらしい倉庫の脇をすり抜け、走り、二人は音のした方向に向かって走る。
 音らしき音は土砂降りの雨にほとんど相殺されていた。二人の鋭敏になっている聴力が辛うじて捉えたその銃声は、廃ビルのコンクリートに反響したごく小さなものだった。
 泥を跳ねて走り、二人はようやく、氷雨降りしきる廃墟に辿り着く。
 ――辿り着いた終着点で、二人は最悪の光景を目にした。
 雨水に赤いものが混じっている。
 それは地面に倒れた志賀哲生の身体の下から流れていた。
「遅かったですね」
 雨の中に濡れて立ち尽くす男は――本間啓一郎は、冷徹な、感情のこもらない瞳で志賀を見下ろした。
「急所は外しましたが。病院まで持つかどうかは、彼の精神力と体力次第といったところでしょうか?」
「貴様……」
 黒龍はぎりと歯を食い縛った。
 今にも本間に飛びかかっていきそうな黒龍を片手で制し、モーリスは本間に一歩近づく。本間は滑らかな動作で銃を水平に構えた。
「私には効きませんよ、本間さん」
 本間啓一郎は引き金に指をかける。「――貴方が最後の一人ですか? まさかこれ以上いるとは、言いませんよね」
「ご安心下さい。私で終わりです。すぐに捕まえて差し上げますから」
 本間は無造作に引き金を引いた。モーリスは僅かな動作で弾を避ける。――なるほど、と本間がつぶやいた。銃が使い物にならないことを察して、本間はあっさりとそれを手放す。軽い音を立てて銃が地面に転がった。
「捕獲される側になる気分はどうですか、本間啓一郎さん?」
 本間はおどけて肩を竦めてみせた。
「困りました。せめて時効ぎりぎりまでは、楽しみたかったのですが」
 志賀の身体から流れた大量の血液と、雨水とが混じり、それはまるで――
 そう。噎せ返るような花の芳香。
 志賀が嗅ぎ取るという『死臭』は、きっとこんな匂いだろう。
 モーリスはまた一歩本間に近づく。ぱしゃん、と水溜りを踏んだ。靴の先が朱に染まる。
 本間が最後に抵抗してくるかどうか。賭けだった。
 コインの表と裏。
 彼は賭けに負けない。
 本間は最後に抵抗するだろう。
 そんな賭けに勝っても困るのだが。さて。
「……早まりましたね。吉川智宏氏を早々に殺害したのが裏目に出ましたよ。火村さんの怒りを買うことになってしまった」
「あれは計算外でした。自首しないのなら今すぐ警察に連絡する、などと言われてはね」
「あれは、ではなく、すべて計算外だったのでは? まさか私のような『人外』の存在が関わってくるとは思わなかったでしょう?」
「おかげで、それなりに楽しめましたがね」
 本間が動いた。――やはり!
 懐に忍ばせていたらしいナイフが閃き、モーリスの頬を掠る。
「しつこいですね、貴方も!」
 ナイフの描く軌跡は出鱈目だった。銃の腕は良いようだが、近接戦の訓練は受けていないと見える。それだけに予想が難しい。
「――黒龍君!」
 わかってる、と黒龍が怒鳴った。
 黒龍の放った二頭の猟犬が本間を襲い、ナイフが弾かれる。
 ――モーリスの手が振り下ろされた。
 瞬間。
 鋼鉄の檻が落下し、本間をその内に捕らえた。
 激しい水飛沫が上がり、残響が、世界を震わせた。
「遊びは終わりです、本間啓一郎」
 本間は自分を取り囲む鋼の牢獄を見上げ、ああ、と感慨深げな溜息を漏らした。
「道なき道を歩む僕は、この独房の中で口を噤めと言うのですね?」
 雨に本間の声が溶け込んでいき、
 遊戯は幕を閉じた。


07 エピローグ/2004年10月16日午前/本間啓一郎

「まずは、良くやってくれた、ありがとう、と言うべきか」
 火村義一は、非常にありがたくなさそうなふてぶてしい面構えで、三人の依頼請負人に向かって言った。
 都内某所。
 学生や子連れで賑わうファミリーレストランの一角。
 積み上げられていく皿は伝票の枚数に比例しており、
 ――火村の財布の中身とは反比例している。
「そのお言葉、ありがたく頂戴致します」
 モーリスは上品に珈琲を味わってから、微笑を零した(ファミリーレストランの珈琲をここまで優雅に飲める人物を、火村は他に知らない)。
「私は存分に楽しませていただきましたが、お二人はそれなりに痛い思いをされましたので」
 痛い思いをしたはずの二人――梅黒龍と志賀哲生は、どこが怪我人なのかと問いたくなるような勢いで夕飯をかき込んでいる。もちろん火村の奢りで。
「……銃で撃たれたって本当か?」
「本当です」と黒龍。「モーリスさんのおかげだ」
「俺なんて死線を彷徨ったぜ。報酬が足りないくらいだ」
 火村は両手を上げた。
「わかった。食ってくれ。好きなだけ。胃がはちきれるまで食ってくれ」
 そしてそのまま逝ってくれ。伝票は見ないことにしよう。
「ま、撃たれたにせよ何にせよ、結果だけ見りゃ上出来だったと言わざるを得ない。本間は黙秘をつづけているが、俺の面談にだけは応じている。俺が勝ったんだから、当然と言えば当然だな。奴には話す義務がある」
 火村はポケットからレコーダーを取り出すと、机の上に置いた。
「飯の席で何だが、聞くか? 愉快な話ではないぜ」
「私達にとっては、事件は未だに不透明なままです。皆さんに差し支えがなければ」
 黒龍と志賀は、構わないと頷いた。
「知らなくても良いと思うんだけどな、こんなこと……」
 火村は短く溜息をつくと、再生ボタンを押した。
 本間の声が語り始める。

『――こんにちは、火村君。どうですか、世間の動きは? 皆、驚いているでしょう? 僕の教え子達はどうしているんでしょうね――まぁ、そんなことはどうでも良いです。事件について聞きにきたんでしょう? 繰り返しになりますが。ああ、それ、録音するんですね。どうぞ、火村君の研究にお役立て下さい。
 ――ええ、そうですよ。四人とも僕が殺害しました。吉川さんも、そうです。
 一人目は、彼女ですね。覚えておりますとも。彼女のおかげで今の僕があるようなものですから。きっかけは、なんてことはありませんでしたよ。家庭教師とその教え子として知り合ったんです。
 僕の母親は世間一般的で言うところの教育ママというやつでしてね、物心ついたときから家庭教師をつけられていたんです。彼女は、確か三人目でしたか……K大の学生でした。頭の良い、綺麗な女性でしたね。初恋の人でしたよ。まあ僕も概して可愛げのない子供で、変に大人びておりましたので――比較的早い段階で、彼女と交際を持つようになりました。もちろん親には内緒ですとも。こそこそと隠れて付き合っておりまして、ある日、魔が差したんでしょうか……、親が留守の日に関係を持ちまして、ふざけている最中に首を絞めて殺してしまったんですよ。ありそうな話でしょう?
 参ったなと思いましたね。死体を抱えて歩き回るわけにもいかないし、親が帰宅するまで何時間もないしで。これでは部屋から彼女の遺体を持ち出すことすらできません。それでふと思いついたんです。小分けにして持って出たらどうかなと。いっそのことバラして窓から放り出せば良い。それで、庭の物置からビニールシートと鋸を持ち出してきてですね、部屋で解体したんです。え? あ、はい、そうですよ。一階には親がいました。まぁ、入るなと釘を刺しておけば入ってこない律儀な両親でしたから。
 解体には一晩かかりましたよ。予想はしていましたが、人間の身体ってそう簡単には切れないんですね。簡単に死ぬ癖に。
 さすがに泣きたくなりましたが、ともかくも解体作業は終えたので、後はどこかに埋めるだけです。複数のゴミ袋に分けて死体を窓から放り出し、夜中に埋めにいこうとして、――バラしても重いのは同じだったんですよねぇ。何度か往復することも考えたのですが、不在の間に残りの死体が見つかったらまずいですし。それで、近所に住んでいた大学生の吉川さんに電話を入れたんです。『家の前の通りで犬が轢かれていた。可哀想だから埋めてやりたいんだが、手伝ってもらえないだろうか』って。――ほら、K大の外れの雑木林に、猫墓があるでしょう? 大学で繁殖した猫の死体を、学生が埋めている場所です。吉川さんがあそこに埋めてやったら良いんじゃないかというので、そうすることにしました。死体はまとめて黒いゴミ袋に入れ、ガムテープでぐるぐる巻きにしました。厳重に梱包――というのも何か変な言い方ですけど――して、酷い状態の死体だったと言えば、誰も開けて中を見ようとは思わないでしょう? よほどの物好きでない限り。随分でかい犬だったんだなって吉川さんは驚いていましたが、まさか中身が女性の死体だとは思わなかったようですね。
 そうして吉川さんの車で雑木林に乗り入れて、袋ごと死体を埋めたんです。吉川さんの車は大きいオフロード車でしてね、タイヤ痕が証拠の一つになってしまったのはそのためですね。あそこに動物を埋める学生は多かったそうですから、誰も不審には思いませんでした。以上が一人目ですね。
 二人目は『行方不明』になってしまった彼女の代わりに、親が雇った学生です。やはりK大生でしたね。テスト前だけ勉強を見てもらう契約でした。契約期間中に殺すとバレますから、しばらく経ってからお礼をしたいと家に呼び出して、そのときに殺害しました。 前回の経験で、既になんとなく、自分は殺すことに快感を覚えるらしいと悟っていました。どうも僕には女性を安心させることに関して、天性の才能があるようで――、結構楽に殺せるんですよね。さすがに親がいない時間を狙ってやりましたが。ええ、素晴らしい経験でしたよ。火村君も試してみたらどうですか? 嫌だな、そんな怖い顔をしないで下さいよ……。――死体の解体と遺棄に関しては一人目と同様です。今度は家で飼っていた猫が死んでしまったと言いました。四匹飼っていましたので。さすがに二度目ともなると嫌がられるかと思いましたが、吉川さんも人が良く……今度は河川敷の高架下に埋めました。飼っていた猫ですか? ええ、その後十年も生きて寿命で死にましたよ。動物を殺すことに興味はありませんし、猫は生きているほうが可愛いですから。
 三人目、四人目に関しても似たようなものです。違ったのは死体遺棄の方法くらいですかね。さすがに三回目ともなると怪しまれるでしょうし、困ったことにちょうどその頃、K大に埋めた遺体が見つかってしまったのです。吉川さんはもう頼れませんので、――ああ、思い出しました? 一緒に自転車で埋めにいったでしょう? 知らないうちに人間の死体を運ばされていたんですよ、火村君。
 四人目は、これで最後にしようと決めて殺しました。さすがに捜査が自分に及ぶのではないかと心配でしたしね。最後は、もう面倒くさいので、ゴミ捨て場に捨てましたよ。我ながら投げやりでしたね。……え? 僕らしくない、ですか? まあ、そうですね。冷静さに欠けていました。もちろん、指紋がつかないように考慮はしていましたよ。それで、重いゴミ袋を引き摺るように歩いていたらですね、偶然吉川さんが通りがかって、運ぶのを手伝ってくれたんです。夜中だったので、僕が薄いゴム手袋をしているのには気づかなかったようですね。そんなわけで吉川さんの指紋だけがべったりついてしまったんですよ――お気の毒ですね。
 まあそんなこんなで僕はそれっきり人殺しをやめてしまったんですが、死体が発見されてしまいましてね、吉川さんはどうも僕が怪しいと感づいたようなんです。ですが僕は善良で真面目な学生で通っていましたからね――十五歳の少年が女を四人殺して埋めたなんて言っても、誰も信じないでしょう? 今だったら、わかりませんが。そうこうしているうちに吉川さん自身が逮捕されてしまったんです。後のことはご存知ですね。奇跡的にも吉川さんは自分が無罪であると主張するのに、僕の名前を出したりはしませんでした。まぁなんとか、二審で無罪判決が下りましたので、それに関しては目を瞑って下さい。
 正直なところ、そのまま時効成立を迎えてしまうとは思っていなかったんですよ。一応法律というものは存在しますし、彼女達には申し訳ないと思っていましたからね――後悔はしていませんが――、それなりに覚悟は決めていました。それがいつまで経っても僕に捜査が及ばないんだもの。いつの間にか自分が人殺しをしたことなんて忘れていましたよ。それが最近になって急に騒がれ始めたので……、誰か気づいてくれないかな、と。悪いことをしたのに誰からも咎め立てを受けなくて、途方に暮れている子供のようなものというか。ありませんか? そういう経験。
 どうせだったら盛り上げてやろうと、吉川さんを犯人に仕立てることにしました。探偵役に火村君を選んで。ちょっとしたミステリ小説の実演ですよ。もう十五年も前に『終わってしまった事件』ではありましたが、小道具を工夫すればそれなりに面白い幕になるものなんですね――
 後悔? さっきも言いましたが、していませんよ。
 他に何か訊きたいことがありますか? ないというなら、僕はこれで口を噤もうと思いますが。火村君が話したいと願うなら、いつでも応じましょう。
 さて、これからどうやって時間を使いましょうかね。火村君がよろしければ、ですが、また何か違う遊びを考えてみましょうか?
 ――おっと、時間切れですね。それじゃ、さようなら。僕はしばらく休むことにしますよ――。』







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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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■梅・黒龍
 整理番号:3506 性別:男 年齢:15歳 職業:中学生

■志賀・哲生
 整理番号:2151 性別:男 年齢:30歳 職業:私立探偵(元・刑事)

■モーリス・ラジアル
 整理番号:2318 性別:男 年齢:527歳 職業:ガードナー・医師・調和者


【NPC】

■火村 義一
 性別:男 年齢:29歳 職業:大学院生

■寺沢 辰彦
 性別:男 年齢:18歳 職業:高校生


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■         ライター通信          ■
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 はじめまして&こんにちは、ライターの雨宮祐貴です。
 長々ーーーーとお付き合いいただきありがとうございました。あまりの増量加減に途中から前後編に分けようかと真剣に悩んでしまったのですが、なんとか書き上がったので一本でお届けします。まだまだ未熟なもので、書き切れていない部分などたくさんあると思いますが……、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
 個別パートの占める割合が多くなっておりますので、お暇でしたら他のPCさんの作品も読んでみて下さい。伏線やエピソードが散らばっていたりします。
 エセサイコサスペンスものっぽくなってしまった本シナリオですが、サイコサスペンスといえばレクター博士です(笑)。皆さんのご尽力でとっ捕まった本間啓一郎は、今後もお決まりの『犯罪者』役として法廷・サスペンス系統のシナリオに登場する予定です。

梅黒龍様
 黒龍君は、この癖のあるメンツの中で、唯一、事件に対する不愉快な感情を示し、真っ向から戦っていこうとする人物として描かせていただきました。学生さんのため、潜入役に割り当てとなりました。必然的に本間とやり取りするシーンは一番多くなっています。黒龍君の能力を生かしきれず申し訳ございません…。

 それでは、またどこかでお会いできることを祈りつつ。