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<東京怪談ノベル(シングル)>


あちこちどーちゅーき 〜鬼の泣く山〜
 暑さ猛る夏日。
 三叉に伸びる山間の田舎道。その交差点に佇む青年が一人。
 握った拳を眉間に押し当て、軽く念を込める。
 そして開いた掌に一枚のコイン。
 そのコインを手の上で器用に転がし、しなやかな指で弾き上げる。
 青年の運命を決定付けるそれは、澄んだ音を立てて天を舞い、映りこむ陽光を四散させた。

 桐苑敦己二十七歳。ふらり当て所の無い旅路が信条の彼は、事ある毎に行き先を投げコインで決めていた。
 偶々行き当たった三叉路。来た道は一つ、向かう道は二つ。
 悩む間も無くいつものようにコイントス。裏が出れば右の道へ、表ならば左へと決めていた。
 くるくると回転しながら落ちてくるコイン。パシッと小気味良い音を立てて掴み取り、空いた手の甲へと叩き付け──た筈が開いた手の下には何も無く、代わりに敦己の左舷後方からチャリンチャリンと不吉な音が聞こえてきた。
 馴染みの友人を弾き飛ばしまったたバツの悪さからか、コインに歩み寄る敦己の顔には苦笑いが浮かんでいた。
「すみません。今度はしっかり掴み取りますので、許して下さい」
 謝意を示し、地に伏す友を拾い上げる。もう一度、と思いながら上げた視線に藪を掻き分けたような跡が映る。道、と受け取れなくも無い。
 ここ?と手のひらに鎮座する小さな友に尋ねる敦己。もちろん返事は無い。
「これも何かの縁ということですね。行ってみましょうか」
 若い匂いの草々を両手でそっと脇に寄せ、今日の旅の一歩目を踏み出した。

「さすがにちょっと辛いですね」
 もう小一時間は歩いただろうか。
 気が付けば茂る草は既に敦己の背丈を越えており、進む先に何があるのか全く見えない状況。右も左も緑のカーテンで囲われ、振り返った敦己を迎えるのも、やはり天を衝かんとばかりに背伸びする草木。傷付けないように優しく掻いたのだが、その恩を仇で返すように来た道を覆い隠していた。
 これもコインを投げ飛ばした報いなのでしょうか、と少し苦味の入り混じった笑顔を浮かべながらも、これも旅の妙味ですねと一人問答に納得の答え。敦己は手探りの行軍を再開した。
 暫し無言で歩き続けた後、ふと仰ぐ青空。視認できるのは眼前の緑と空の色。指標となる物は何も無いが、何となく丘陵の頂き付近である事は分かる。
「そろそろ頂上ですが、ずっとこんな調子なんでしょうか」
 言葉尻とは裏腹に、漏れる声色には僅かな期待が篭る。その想いが天に届いたのか、手を掛けた草垣は観音開きに道を作り、見飽きた情景を一変させた。
 小高い丘の頂は、丘腹の苛烈さに反して綺麗に拓けていた。
 陽は高く、影法師はじゃれつくように足元に纏わる。大きな深呼吸を一拍、心なしか味わう空気も清々しく感じられる。
 少し落ち着いたのか、ぐるり辺りを見回す敦己。すると、決して広くはないその高原の中程に立つ一軒の小屋が目に映った。
 建材に藁や土を使った古い様式の建物で、軒先には長椅子と、大きく「だんご」と書かれた旗が風の助けを得られずに項垂れていた。
 とりわけ食い意地が張ってるいうわけでもなかったが、ついだんごを頬張る姿を想像してしまい、それをお腹が一声上げて後押しする。
「ここはひとつ、茶菓を楽しむとしましょう」
 敦己は自分のお腹に言い聞かせるように独りごち、つま先を茶屋へ向けた。
 ごめんください、と挨拶を店内へ投げ入れる。最初に敦己を出迎えたのは、甘辛い食欲を誘う香り。それに続くは店の主人であろう、一人の老婆。
 老主人は長い人生を背負って曲がった腰を更に深々と折り、敦己を歓迎してくれた。
 
「はあぁ、気持ちいいですねー」
 日に焼け汗ばむ肌を、冷水で絞った手拭で癒す。老主人の心遣いが染み入り、つい漏れる至福の吐息。
 些細な幸せに埋没していく敦己の意識を引き戻したのは、一層強味を増した香ばしい香り。老主人が運んできた団子達である。
 老主人は深い年輪の刻まれた顔に柔和な笑みを浮かべ、盆を敦己の傍らに置く。その笑顔に対し、敦己は長椅子から腰を上げて深く頭を垂れる。自身が客であっても、恩義には礼節を以て接する。実に彼らしい一幕。
 面を上げる敦己とそれをにこやかに見守る老主人。二人は互いに目を見合わせ、声無く笑いあった。

「ごちそうさまでした。すごく美味しかったです」
 湯呑に残った茶を飲み干し、綺麗に平らげた団子の皿を盆に戻して締め口上。身も心も満足した敦己はもう一度礼を述べた。
 お代を、とリュックの中から財布を取り出そうとする敦己の手を、老主人がその手を制した。びっくり顔の敦己が口を開くより早く、主人は首を横に振る。
 心遣いは嬉しいが、さすがにそこまで甘えるわけにはいかずに何とか代価を支払おうとする敦己。それは受け取れないと頑なに拒む老主人。暫くの押し問答の末、結局は半額だけ支払うということで両者納得することになった。
 去り際に公道へ出るための道──は相変わらず無いので方角だけ教えてもらい、敦己は茶屋を後にした。
 少し歩いて振り返り、ぺこり一礼。さらに藪の中に身を投じる前に、再度茶屋の方を向いて手を振った。
 道の険しさと視界を彩る色味は往路と大差は無かったが、心地の良い出会いに敦己の足取りは軽い。普段なら不快と感じる風の無い真夏の日差しも、今は思い出を飾る宝石のようだと思えた。
 団子の味と老主人の優しさの余韻を楽しみながら麓を目指していた敦己は、がさりと背後からの草擦れの音に歩みを止め、注意を向けた。
 振り返る耳は大気を裂く音を捉え、傾げた視線の上半分が開ける。先程まで行く手と視界を遮っていた長身の草は、敦己の肩の高さで横一文字に狩り取られる。
 草の匂いが降る中で、敦己はソレと対峙した。
 服装も、曲がった腰も、あの老婆と同じ物体。ただ別れ際の姿と違うのは、般若を思わせる憤怒の表情と両の手に収まる包丁。
「何の冗談で─…」
 頬を撫でる刃に敦己は自らの言葉を飲み込む。チクリと痛む肌に恐怖よりも驚きを感じたが、そんな心情などお構いなしに老婆は包丁を振るう。
 緑吹雪に舞う二本の煌きが敦己を追い立てる。だが、追われる立場も敦己に恐怖は無い。ただ驚嘆の思いで切っ先を避け続けるだけだった。
 老婆は猿の如き体捌きで右へ左へ回り込み、前に現れたかと思えば背後から敦己を突き飛ばす。
 牧羊のように逃げ惑いながら敦己は思う。
 茶屋で感じた優しさは、決して紛い物ではなかったと。心に灯った温かみは本物だったと確信している。
「だったら、逃げる必要なんてありませんよね」
リアルタイムに襲い来る脅威よりも、自身の感性を信じた敦己は逃げる足を止める。そして、一片の疑いすら老主人に対する裏切りのような気がして、瞼を閉じた。
 弾む呼吸に落ち着けと一念。激しい動悸は恐怖から来るものではなく、急激な運動によるものである。
 何度目かの深呼吸に心臓が落ち着きを取り戻し、身体に響く心音が徐々に小さくなっていく。
 無光無音の世界に一人立つ敦己。視界を閉ざしてから老婆の動きは感じられず、微かな緊張感が湧き上がる。
 どれくらいの時間が経ったのか、音沙汰の無い外界が気になった敦己は、意を決して目を開けた。
 ばばーん!
 そんな効果音が聞こえた気がした。
 敦己の眼前。息遣いが感じられそうな、鼻が触れ合うほどの間近に「鬼」の顔があったのだ。
 予想外の、更に三歩上を行くような状況に、反射的に身体が仰け反る。バランスを保とうと一歩退いたその足に、地中から顔を出す根茎が噛み付く。
「うわわ」
 今の今まで感じていた緊張感を微塵も感じさせない、間の抜けた声を上げてひっくり返りそうになる敦己。
 そこに飛び掛る鬼面。もんどり打つ敦己の首根をしかと掴むと、慣性を無視してぽいと投げやった。
 晴天に弧を描くその姿は、優美に舞う飛花の如く。
 とはいえ何時までも空を翔けていられる道理はなく、しっかりと引力に引き戻されて背から着陸する。
 繁茂する草木が緩衝の役目を果たしたおかけで大事には至らなかったが、投げられた勢いまでは殺せず、ひとり坂道を転げ落ちていった。
 暴走特急敦己号は藪を抜け、行動沿いの畑へ飛び込むことでようやく停車した。
 目を回している敦己の元へ駆け寄って来た農夫は、開口一番驚きと感嘆の声を漏らした。
「アンタ、あの鬼泣峠を通ってきたのか。よくもまあ無事だったもんだ」

 オニナキトウゲ。
 それはまだ、一般的に鬼の存在が知られていた頃の話。
 幼き頃から悪さばかりしていた鬼子が居た。
 その鬼子の悪行は成長と共に度を増していき、ついには役人に追われる事となる。
 刀で斬られ、矢を射掛けられ、傷だらけとなった鬼子が辿り着いたのが、この鬼泣峠であった。
 峠の頂には小さな茶屋があり、鬼子はそこの主人である老婆の心遣いで食事と一夜の宿を貰い受けることになった。
 その夜、床を抜け出した鬼子は店の有り金を奪い、逃走した。
 だが、鬼子は丈の高い草木に隠れていた縦穴に落ち込んでしまう。
 辛うじて洞の縁に手が掛かっていたが、静養を拒否した上での逃避行だけに体力は底を尽きかけ、その命は風前の灯だった。
 その時である。茶屋の老婆がやってきたのだ。
 鬼子は覚悟を決めた。恩を仇で返したのだから、ここで蹴落とされるのも仕方のない事だと。
 だが、老婆は鬼子の予想を裏切って、その手を掴み引き上げようとするではないか。
 混乱する頭の中に生への執着が巻き起こる。年老いた細腕に支えられながら、鬼子は洞から這い上がった。
 荒れた呼気を沈めた老婆は、折り曲がった腰を持ち上げ
「今日はもう遅い。発つのは明日にするとええ」
 ただ一言残し、茶屋へ戻ろうとした。そこには責め句の一つも無かった。
 鬼子は堪らず老婆を呼び止め、店の金を盗んだ事を告白した。だが、返ってきたのはまたも鬼子の経験したことの無い言葉。
「うん? それはお前さんにあげたものじゃなかったかの。どうも最近、物忘れが酷くていかんのぅ」
 呵々一笑。老婆の笑いが寝静まった山々に響き渡る。その音色が、鬼子の泣声に変るのに然程の時間は陽氏はしなかったという。
 その後、鬼子は老婆の元で暮らし、茶屋の主人が亡くなった後も彼の地を守り続け、訪れる旅人を持て成していると言われている。

「それでな、帰り道でその鬼子が襲ってくるらしいんだ。うちの婆さんの話だと、安全な道へ誘導してるそうなんだがな。まあ、あそこは地元じゃ有名な天険の地だからな。あながちデタラメって訳でもないかもしれんさ」
 ああ、なるほど、とは敦己の弁。農夫の言葉で全て合点がいった。
 丘の上で会った老主人は、亡くなった老婆の心と茶屋を今でも守り続けている鬼子に違いない、と。
 そしてもう一つ……。
 農夫が奥さんに呼ばれて立ち去った後、鬼泣峠を振り返る敦己。
 茂る樹のひとつに、あの老婆の柔らかい笑顔を見付ける。
 一歩、峠の方へ踏み出した途端、老婆の顔は鬼のそれへと変化した。
「やっぱり、そうですか」
 鬼子と向かい合ったまま、二歩、三歩、後退する敦己。
「危ないからもう来るな、とそういう事ですね。確かに、一度恐ろしい目に遭えば二度と来ようとは思いませんが……」
 俯いた顔に陰りが宿る。
「でも、それでは、貴方は恨まれてしまうだけではないですか。不憫すぎますよ」
 他の誰でもない、その鬼子の身になって呟いた一言。その心優しい青年の耳に届いたのは、遠くから響く声だった。
「気に病むな人間よ。お前達の無事な姿が親方様とワシの願い。それ以上を望むのは、欲気の出し過ぎというヤツじゃよ」
 顔を上げた敦己の眼前には、既に鬼子の姿は無い。ただ、山間にカカカと明朗な笑いが響いていた。
「そういう生き方も、在るという事ですか」
 人懐こい微笑みを残し、身を翻した敦己は鬼泣峠を後にする。その表情は、見上げる空に倣って青雲晴々しく。
「さて、次は何処に行きますか」
 天高く翔けるコインは、敦己を新たな出会いへと導いてくれるだろう。