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<東京怪談ノベル(シングル)>


お馬さんになろう!


■□□□□□

 十月。
 秋が顔を覗かせ始める季節。

 ガタン、ゴトン。
 席が丁度埋まるくらいの、適度に空いた電車内。
 ドア付近に立っているあたしの眼には、オレンジ色や黄色になった葉がいくつも映っては通り過ぎていった。綺麗な秋の欠片たちだ。
 妹なら、落ち葉を拾いに電車を降りているかもしれない。そこまでしなくても、普段のあたしなら見惚れるくらいはしたかもしれない。
 ……つまり、今のあたしには紅葉に見惚れるだけの余裕はない――ということ。
 あたしは今、ある専門学校に行く途中なのだ。
 正確には特殊メイクの専門学校で、そこの生徒さんたちにバイトを依頼されている。今までも、何回かお世話になっているところだ。
 ……からかわれに行っている、と言った方がいいのかな。
 バイト内容は、生徒さんたちのメイクの実験台になること。猫とか、ワイバーンとか、マンティコアとか、様々だ。
 生徒さんだけでなく、先生もつかみ所のない人で――何となくだけど、あたしはからかわれている気がする。反応がいい、とか何とか。
 だから、電車に乗っている間も、「引き受けてよかったのかなぁ」と悩む。
「やりません!」
 なんて言えないし、生徒さんのことは嫌いじゃないし、電車を降りて家に帰る――なんてことは、勿論あたしには出来ないんだけど……。

「今回は顔だけでいいのよ」
 あたしが警戒しているのを理解した上で、生徒さんはそう切り出した。
「全身じゃないなら、みなもちゃんも気が楽でしょう?」
「そ、そうですね……」
 確かに、全身と顔だけのメイクを比べてみると、顔だけの方が気楽だ。全身メイクとなると、やっぱり、その、色々と覚悟(?)しなければいけない訳で――顔だけなら、恥ずかしいことはないし。
 生徒さんはあたしの考えを読んでいるようだった。
「ね、いいでしょう?」
「あ……はい」
 強く言われて、ついあたしは承諾してしまったのだった。

 でもね。
 当日になると、あたしは疑い深くなる。
 ――ほんっとーに生徒さんの言うとおり“気を楽にして”出来るのかなぁ――
 今までの生徒さんたちの行動を思い出してみると、とてもそうは思えないんだけど……。
 電車を降りて、数分歩く。気の早い落ち葉を踏みしめて行けば、もう、専門学校は目の前だ。
“今回は顔だけでいいのよ”
 これは嘘ではないだろうけど、あたしの気が軽くなるかどうかは、わからない。裏があるかもしれないもん。
 今日はどんなことになるんだろう?
 門をくぐるとき、胸が高鳴った。


■□□□□□

 生徒さんに会って、みなさんの笑顔を見たら、あたしはとてつもなく騙された気がしてきた。
「今日は楽しくなるわよぉ」
「は、はぁ……」
 楽しい、かぁ。ちょっと嫌な予感がする。
「あのー、それは、生徒さんが楽しいってことじゃないですよね……?」
 生徒さんは手で打ち消した。
「みなもちゃんのことよ。私たちが楽しいのはいつもじゃない」
 うーん、納得。でも、あたしが楽しくなるって、どういうことだろう。
「ワクワクどころか、ドキドキもあるかもよ?」
 あたしの腰を抱きしめて、驚かす生徒さん。
 ……ドキドキはいらないもん。ここに来るたび、ドキドキしてるもん。
 なんて、心の中で言い返したりして。
「何にメイクするんですか?」
 あたしの質問に、生徒さんはニンジンを取り出して、ヒヒーンと鳴いてみせた。
 馬……だよね。
 ということは、結構細かく細工するんじゃないかな。
 だって、あたしの顔と馬の顔とでは、形が大分違うもの。
 ――数歩離れたところで、生徒さんが壁をトントンと叩いている。
 この教室でやるよ、ということなんだろう。

 顔だけのメイクだからこそ、細部にまでこだわりたい――と生徒さんは言う。
 だからこそ、時間のことを考えて全身のメイクはやめたのだそうだ。
 ……細部、かぁ。
 あたしは専門的なことはわからないけれど、日々技術は進歩しているのだろうと予測は出来る。
 きっと凄いんだろうな。
「ちょっとワクワクしない?」
「しますっ」
「いい返事ね」
 生徒さんはあたしの頭をなでて、花のようにやんわりと微笑んだ。
「私たちが目指しているのは、メイクをしているのを忘れるくらいのものなの。触られても感覚がないのは失敗、むしろ普段よりも敏感になるくらいのね」
「はい」
 それは知っていた。だから色んな素材を使って実験しているだもんね。
 よーし。
「今日のは凄いわよ!」
「はい!」
「舌からいじるからね!」
「はい!?」
 聞き間違えかと思ったが、そうではないらしい。
「リアルさを求めるのはまず舌から!」
 と、生徒さんは言い張る。
 うーん、そういうものなのかなぁ。
「はい、あーん」
 言われるままに口を開く。
 作業中は、口を開いていないといけないらしい。あたしが「生徒さんが歯医者さんに見えちゃいます」と言ったら、生徒さんはクスクスと笑った。
 生徒さんは手早くあたしの舌を馬のように長くする細工をしてくれた。
 舌に粘っこいものがついてくると思ったら、それがどんどん伸びていく。
 口を閉じられないせいで、唾液が少なくなる。喉が渇いてしかたない。
 と言っても、この状態で飲み物を流し込んでもらってもむせてしまうし――我慢できないわけじゃないし……。
 舌の根に近い方が空気に触れて、痺れるように痛んだ。
「はいできた。舌を動かしてみて」
 伸ばした舌先を上へ動かした。鼻先に触れる。肌の幾分冷たい感触が舌にあった。
 作り物なのに、温度までわかるんだ――。
「その顔だと、上手くいっているみたいね」
 嬉しそうな生徒さん。
 重要なのはここかららしい。
 顔の形を変えるのだから、当たり前と言えば当たり前だけど。
 生徒さんが取り出したのは、馬の口や鼻をかたどったモノだった。
「これをつける前に、マスクをつけるからね」
 と、生徒さんが見せてくれたのは、薄い膜で出来たようなマスクだった。
 勿論、眼や鼻、口の部分には穴が開いている。色は茶色で、触った感触は卵の薄皮を連想させた――軽く触れただけで、指に吸い付いてくる。
「一度ひっつくと、ちょっとやそっとじゃあ剥がれないようになっているからね。……眼を瞑って」
 指示のとおり眼を閉じる。
 空気が閉ざされる感覚が、顔を覆った。
 マスクを充分に伸ばして顔に貼るために、顔まで引っ張られる。予想外に痛い。
 我慢すること十数秒。
 温かくて柔らかいものが頬を押さえてくる。生徒さんの指の腹だろう。マスクが氷のように冷たいだけに、生徒さんの指の温かさが目立って、心地いい。
 指が離れると、今度は硬いものが来た。穴の開いた場所に、パーツをはめ込んだような感じ。事実、カポっという音がした。
「ちょっと、ごめんね」
 生徒さんはあたしの後頭部を片手で支えると、顔を強く押した。窒息するかと思ったけど、それと同時に、自分の肌が厚くなっていく気がした。
「眼を開けて」
 生徒さんが、緊張した面持ちであたしを眺めていた。
「どう? 何されているか、わかる?」
「ええっと……」
 数秒考えて、あたしは言った。
「顔に何かが当っています。……痛いような気もします……筆ですか?」
 生徒さんが手に持っていたものをあたしの目の前に出した。
 刷毛だ。
「やったぁ!」
 生徒さんは刷毛を抱きしめて跳ねた。
「凄い、凄い! 完璧じゃないの!」
 生徒さんがこんなに喜ぶのを見たのは初めてだった。
 あたしが考えた仕掛けではないけれど――こういうのって、嬉しい。
 本当に凄いもん。
「あ、もしかして、笑ってる?」
「わかるんですか?」
 こんな格好しているのに。
 当たり前よ、と生徒さんは言う。

「私たちが目指しているのは、感覚も表情も本人と一体化出来るメイクなんだから!」

 その目標と比べたところ、まだ直さなければならないらしい。
 感覚はともかく、見た目が不自然なんだとか。
 鏡を見ない限り、あたしにはわからないから、何とも言えないんだけど……。
 でも、あたしの身体ではないものがくっついているんだから、多少不自然なのは仕方ないんじゃないかなぁ――なんて、素人のあたしは思ってしまう。
「だーめ」
 小さな筆を使って、顔(というか仕掛け)に色を乗せていく。主に茶色。装着前は完全だと思っていても装着後では物足りなくなることはあるみたい。
 植毛も行って、よりリアルにする。
 髪もそのままにしておく筈がない。後ろに立てるようにして、タテガミに見せるのだそうだ。
 さすがにボリュームが足りないので、ウィッグで少しだけ髪の量を増やして、あとは特殊なワックスを使う。
 髪が硬くなっていくのがわかる。
「普通のシャンプーでは落ちないから、専用のものをあげるわね」と生徒さん。
 男性用のはわからないけど、女性用の市販のワックスなら、あたしも使ったことがある。
 そのときは寝癖がついているのに時間がない、という状況で――水とドライヤーを使う暇がなかったからワックスに頼ったんだけど、思った程効果はなかった。
 あたしの髪が柔らかめなのかもしれないけど……。
「ちゃんと立ちます?」
「当然!」
 タテガミと化していく自分の髪を想像するのは面白かった。自分の髪が自分のものでないみたいだ。
 完成、という声が教室に響いた。
「気になるでしょ?」
「はい。見たいですっ」
 生徒さんはじらすように手鏡を空中で回していたけど、やがてあたしの前に持ってきてくれた。

 わ……。

 そこにいたのは、馬だった。
 眼が大きくて、口を開いている馬。
 タテガミの青い馬。
 あたしが驚いた声をあげると、馬も驚いた声を出す。
「わ」
 数秒魅入って。
「あたし、馬になってる!」
 馬も言う。
「あたし、馬になってる!」
 急におかしくなって、笑い出したら、馬も鏡の中で笑っていた。
 瞳がくるくると回っている。めまぐるしく変わる表情は、今――楽しそうに、声をあげて。


■□□□□□

 充分、成功と言える気がしたけど。
 生徒さんたちからすると、まだこれでは安心出来ないのだそうだ。
 ちゃんと調べる、と言われて案内されたのは、隣の教室。
 眼に入ってくるのは、白い画面と、黒くて丸い――。
 あれ、これって。
「視力検査ですか?」
「物が見え辛いなんてことがあると大変だからね。みなもちゃんは視力いいんだよね? はい、ここに立ってね」
 赤いテープが貼られている床の上に立って、右目を隠す。
 生徒さんが細い棒で一番上の段の大きな文字を指した。
「これは?」
「あ、です」
「これは?」
「た」
「これは?」
「し」
「これは読めるかなー?」
「んー……は、ですか?」
「あたり! やっぱり読み辛いかー。これは?」
「う、ですね。これはハッキリ見えます」
「オッケー。これは?」
「ま」
「これも読めるでしょ?」
「で」
「最後!」
「す」
「よーし、問題ナシ!!」
 ある一部が見えなくなっている、ということもないみたい。
 馬の顔って人と違って前へ出るから、視界を妨げるのではないか、というのは生徒さんが心配していたことの一つ。
 取り越し苦労で良かった。

 次は、物を食べて反応を見るテスト。
 味覚が正常かどうかを見るために、あたしは眼を開けてはいけないとのこと。
 目隠しをして食べて、何を食べているか当てるのだそうだ。
 ……こういうゲーム、あったんじゃないかなぁ。
 最初に口の中に入ってきたものはすぐわかった。脂の乗った感触と、微かに青臭い風味に、魚のにおい。そして秋なんだから……絶対サンマ!
 勿論正解。
 次も簡単。
 冷たくって、甘くって、口の中で溶けていく。
 アイス以外、ないもん。
 これも正解。
 驚いたのは、本物ではない筈の舌先で味が判別できるということ。
 甘味を一番感じるのは舌先だって家庭科の先生が言っていたけど――口に入れられて舌先が触れた瞬間に、味がわかる。
 一体、どんな仕組みになっているんだろう?
「今度はちょっと辛いかも……」
 という生徒さんの声と共に入ってきた何か。
「ふぇっ」
 思わず吐き出しそうになった。
 すっごく辛い!
「唐辛子ですか……?」
「正解。んじゃあ最後に秋の味覚をお楽しみあれ」
 舌で触ると、丸い。味はないみたいだけど……。
 試しに噛んでみる。案外柔らかくて、すぐにちぎれた。
「う、」と声が出た。に、苦いよぉ。
 ただ苦いだけではなくて、深みのある味が口内に広がる。
「これは何ですか……?」
「うふふ。単品だとわからないでしょー?」
 生徒さんの含み笑い。
「ぎ・ん・な・ん。ちなみに私たちが調理したものだからより苦く出来たわ……」
 ……そんなもの、安易に人の口に突っ込まないでください。
 あまりの苦さに涙が出た。

 最後のチェックは、感触。
 目隠しのままで生徒さんがあたしの顔にさわる。
「触れられているのがわかる?」
「はい」
「何で触られているかは?」
「生徒さんの手……」
 うん、と生徒さんの声。
「じゃあ、これは? 何が当たってる?」
「わかりません」
 幾分冷たい、温度を失ったものだ。人ではないと思う。柔らかくもない。
「人じゃないのはわかるのね? 正解は本」
「指に戻すわね。どこを触られてる?」
「眉のあたりです」
「今何された?」
「突っつかれました」
「じゃあ、これは?」
「ほっぺをつねられてます。……ちょっと痛いです……」
「あ、ごめんっ」
 目隠しを外され、目の前には苦笑している生徒さんがいた。
「ごめんね」
 謝りながらも、口元は笑っている。良い結果だったので、それが嬉しいんだろう。
 あたしも両手で頬を包んで笑った。
「いいんです」


■□□□□□

 生徒さんは終始嬉しそうだった。
 ……疑って、悪かったかなぁ。
 帰りの門をくぐったとき、振り返って。
 申し訳ない気持ちと、生徒さんと一緒に喜んでいる気持ちと、半々。
「楽しかったです、それから、ごめんなさい」
 辺りは暗かったけど、秋の匂いとライトに照らされる紅葉を眺めて帰途についた。


■□□□□□

 おまけ。

 数日後、生徒さんから電話があった。
 先日の結果を先生に報告したところ、良い反応を得られたとか。
 だから是非今後も機会があれば協力して欲しいとのこと。

「今度は蹄もつけるよ、蹄も! 馬の姿勢でいられるように、足腰を鍛えておいてね!」

 ……えーと、あの。
 あたし、きっと、その日には、ちょっと用事が…………出来るかもしれません……。
 


終。