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<東京怪談ノベル(シングル)>


荒野の果てに


――――思い出すのは、淫売と罵られていた女の、魂までをも魅了しそうな美しい横顔。


「あなたも災難ですネェ」
 デリク・オーロフはこみあげてくる笑みを飲みこみつつ、目の前に座る初老の男性に缶コーヒーを一本差し伸べた。
デリクが所属している魔術教団からの使者はその視線に気付いてわずかに目を動かすと、細枝のような腕を持ち上げてコーヒーを受け取った。
いつぞやにデリクを訪ねてきた男だが、やはり相変わらずマリオネットのようだと、デリクはクツリと笑う。
マリオネットはコーヒーを手にしたものの開けようともせず、両手で握り締めたままじっとしている。

 都内のとある場所に建つビルに入っている英語学校。デリクはそこを就労の場所に決めた。
どうにもインチキ臭く思われがちではあるが、デリクは日本語に長けているし、講師としてはうってつけの存在だと言える。
仕事先を決めた後は労働ビザの取得の手続きを済ませなくてはならない。
「……災難とは?」
 ふと思い出したかのようにマリオネットが口を開けた。
しかしデリクはその問いには応えようとせず、使者の目を真っ直ぐに見据えて口の端を持ち上げる。
「それはそうと、コレが先日ご依頼いただいタ”箱”の調査結果ですヨ。まあ、なかなか面白そうな代物デすね」
 そう告げて数枚のレポート用紙を差し伸べると、使者はコーヒーをテーブルに置き、レポートを受け取って視線をそこに泳がせた。
とある”箱”をスズガモリから回収しろと命じられたのは、つい先日の事。
少々予想外な事があったりもしたが、デリクはそれを難なく手にいれ、あらゆる面からの調査を行ったのだった。
その結果を出来るだけ簡潔に、しかも分かり易くまとめあげたそのレポートは、どうやら使者の納得を得るに足りたらしい。
使者はそれをカバンにしまいこむと、代わりにと数枚の茶封筒を取り出してテーブルの上に広げた。
「ビザの取得等に必要な書類はこちらで全部であるかと」
 抑揚のかけらも見当たらないない口ぶりからは、人らしい気配の欠片も感じられない。
まるで用意された読本を淡々と読み上げているだけのようなその声音に、デリクは小さな笑みを洩らす。
マリオネットはデリクの思いを知ってか知らずか、眼球を動かすこともなく、生気さえも感じられない視線でデリクを見据え、
「……これは私の所見ですが」と続けた。
「ハイ? なんでショウ?」
 肩をすくめておどけた表情を浮かべると、使者はほんのかすかに眼球を動かし、デリクの視線から目をそらして呟いた。
「英国に戻ることも可能なのですよ。むしろ……むしろそうした方が、あなたには良いかもしれませんし」
「ハァ、なるほど。そんな、コレからビザを取って日本での生活ヲ満喫しようというノニ、出足を挫くような事を言わないでくだサいヨ」
 穏やかに笑ってそう返す。笑いながら茶封筒を手に取り、中身を確かめて軽く礼を述べる。
「お手間をおかけシマス。不動産とか色々大変なんでスよねえ」
 小さく笑うデリクの声が、彼ら以外に人がいなくなった英語学校の事務室に響く。
使者は自分の言葉を一蹴されてから再び口を閉ざし、そらした目線はそのままで、デリクが告げる次の言葉を待っているようだ。
身じろぎ一つしないマリオネットを眺めて口をつぐみ、デリクは視線を持ち上げて真白い天井を見上げた。
何の装飾もない灯りがチカチカと光り、それほど広くもない部屋の中を白々と照り出している。
それを仰いで目を細め、コーヒーを開けて一口すする。
ミルクが多めに入ったコーヒーはどちらかといえば甘めで、幾分かぬるめになってしまったそれが喉をゆっくり過ぎていく。
窓の外からは通りすぎる車のクラクションやタイヤの音がひっきりなしに鳴り響き、夜とはいえ、まだまだ喧騒に満ちた世界がそこにある。

 喧騒に耳を傾け、飲みかけのコーヒーをテーブルに置く。
カツリという小さな金属音を耳にして、デリクはふと笑みを洩らした。

「私の二つ名をご存知でショウ?」
 告げた言葉に、使者はそらしていた視線をゆっくりと戻しすと、首を小さく縦に振った。
「猟犬、でしたか」
「そうそう。ウィッシュト・ハウンドとかガブリエル・ハウンドとかみたいですよネエ」
 デリクはそう言って首を傾げ、青の双眸をゆるゆると細めて身を乗り出した。
マリオネットがデリクの顔を見やり、ほんのわずかな表情を浮かべる。
その表情が意味するものが何であるのかを悟り、デリクはさらに身を乗り出す。
青い双眸には冷淡な色彩が浮かんでいる。
「私はね、マリオネットさん。私は教団の方々ニ、盲目的な従僕を見せるつもりは毛頭ないのですヨ。……もっとも賢人方も私にソレを求めてはいないでしょうけれどモネ」
 くつりと笑う。使者の顔に浮かぶほんのわずかな感情が、唯一彼が人形ではなく人間なのだという事を知らしめている。
使者が浮かべるほんのわずかな感情――すなわちデリクに対する恐怖を、デリクは嘲るように笑った。
そして乗り出していた体をソファーに戻し、足を組んだ姿勢を取ると、コーヒーを手に取って穏やかな笑みを作る。
コーヒーはすっかりぬるくなっていたが、それを気にする様子もなく飲みこむ。
「猟犬って、主に必要とされる存在でしょウ? しかしネ、私はそう簡単に主に尻尾を振りたくないのデス」
 言ってからしばし考え、続ける。
「でも主って誰でしょうネエ?」
 おどけた顔をしてみせたデリクに、使者はやはり抑揚のないトーンで発した。
「……亡きお母上によく似ておいでですね」
 皮肉とも受け取れるその返事に、しかしデリクはニマリと笑むばかり。
使者はそう述べ終えるとカバンを手に取り、一つも無駄な動きのない振る舞いで腰を上げ、ふかぶかと頭を下げてから部屋の扉に手をかけた。
「――――アア、ちょっと」
 立ち去ろうとしているマリオネットを呼び止め、勢いよく立ち上がる。
失言だったかと身を強張らせているマリオネットに笑みを浮かべ、デリクはテーブルの上に置かれたままのコーヒーを差し伸べた。
「忘れものデスよ。お嫌いでなけれバ、ドウゾ。最近出たばかりの新しいやつなんデスが、結構イケますから」
 人懐こく笑いながら缶コーヒーを差し出すと、使者は黙したままでそれを受け取り、改めて頭を下げた。

 帰っていく使者の背中を見送り、彼が置いていった茶封筒に目をおとす。
「――ハア、これからまた何かと面倒デスねえ」
 今後しなくてはならない諸手続きを想像して深いため息を一つ。
教団からの仕事は今後いくらでも舞いこんでくるだろう。それこそ、猟犬の都合というものを一切の考慮に入れずに。
しかしそればかりで生活していくわけにもいかない。
表向きの仕事もしなくてはならないだろうし、もちろん住む場所もきちんと確保しなくてはならないのだ。
しかしそういった事柄を成すための手配というものは、国を問わず何かと面倒なのも事実。
考えると面倒になってきて、知らず大きなため息がまたこぼれる。

 事務室を後にして電気を一つ一つ確認しながら消していく。
部屋の中を白々と照らしていた灯りは消えた後もしばらく青白い名残を放ち、それを見つめるデリクの目の中でゆらゆらと揺れる。

「お母上に似て、デスか」
 間もなく真暗になった部屋の中、壁にもたれて窓の外に視線を向けた。
部屋の中が暗くなったせいか、窓の向こうがやけに明るく感じられる。
走りぬけていく喧騒に耳を傾け、流れていく灯に視線を泳がせる。

 
―――ネーデルランドの血を引く、美しい女の横顔を思い出す。
 様々な謂れを受けながらも、毅然とした生き方を送った美しい女。
デリクの母であり、ゲヘナの門番とうたわれた魔女。
屈強な魔力を誇っていた母は、しかし裏を返せば口汚い別称で呼ばれてもいた。
すなわち、あの熾烈を極めた魔女狩りをくぐり抜けて生還した淫売だと。
もちろんその謂れは子供であるデリクに対しても向けられたが、デリクは一度たりともそれを恥じたことなどない。
むしろそう言われて指をさされるたびに、心のどこかで燻っていたものが少しづつ燃えていくのを感じていた。

 窓の外を流れていく喧騒が一瞬止んだ。
それはほんの瞬きの間の静寂だったが、ふと過去に記憶を巡らせていたデリクを呼び戻すには充分な間だった。
過去に思いを馳せていた自分が可笑しかったのか、あるいはまた違う何かを思い描いたのか。
デリクは口の端を歪めて低い笑みをこぼし、教室のドアの外に出て鍵をかけた。
 一瞬の静寂の後再びけたたましい音を響かせ出した外界に目を向けて、何かを嘲るように口を開ける。

「奇妙な二つ名をつけられるのも血筋故ですかネ。生き残る為にあらゆる策を講じて何が悪いんデス」
 すっかり見えなくなったマリオネットの影を追いながら呟く。
 そう。犬と呼ばれるのであればそれも良いだろう。足掻いてでも生き残り、気に入らなければ喉笛に食らいついてやればいい。
教団はデリクに気を許してはいないだろうが、それでもその力を望んでいるのは確かなのだから。
 コツコツと靴をならして階段を下り、窓を隔てない喧騒の中に身を投じる。
行き過ぎる人々や車の音。流れる灯。そういったものの一つ一つが、確固たる生を感じさせてくれる。
 手に持っていたコーヒーの残りを一気に飲み干し、ビルの前にあるゴミ箱に投げ入れる。

「私は望む場所へ辿り着きますヨ……必ずね」

 望む場所というものが何であるのか。どこであるのか。
それはもしかしたらデリク自身でさえもまだ見出していないのかもしれないけれど。
 深く暗い青をたたえた瞳を細め、わずかな笑みを作る。
――――広がる夜の暗闇は大きな口を開けて、嘲笑を浮かべているデリクを、柔らかくゆっくりと飲みこんでいった。