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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


想い花の簪

【壱】

 草間興信所のドアを開けると、いつになく真剣な顔でデスクに向かう草間武彦の顔があった。咥えた煙草は常のものでも、書類が山積みになったデスクに突っ伏して居眠りをしているか、心ここにあらずといったような体で手慰みに書類を捲っているだけで傍から見れば仕事をしている様子など全く感じられない武彦にしては珍しい姿だ。
「こんにちは」
 初瀬日和がとりあえず挨拶をしてみても返事はおざなり。所内には武彦の姿しかない。雑然とした所内に武彦の姿しかないそこは、どう見ても真っ当な興信所だとは思えなかった。けれどこれも常のこと。日和は雑然とした雰囲気を前面に押し出す所内を縫うようにしてデスクの前に立ち、書類の山に埋もれるようにして武彦が視線を落としたままのそれを覗き込む。遮られる様子がないところを見ると特別秘密にする必要はないものなのなのだろう。
「なんですか、それ?」
 明らかに年代ものの桐の箱とその中に収められた繊細な細工を施された帯留め。一見して高価なものだということがわかる。そしてそれがこの興信所にとって似つかわしくないものであるということも一目瞭然だった。武彦もそれを十分に承知しているのか指一本触れようとしない。ただ角度を変えて眺めているだけだ。
「高価なものですよね?」
 答えがないので重ねて問うと、そうだろう、という気のない返事。余程気に入ったのか、それとも曰くつきの品物なのか。平素とは違う武彦の様子からはさっぱり見当がつかない。
 暫くの間、武彦が何も話してくれないせいで日和はデスクの上に置かれた帯留めを眺め続けていた。特別何かを感じたわけではない。ただ奇麗だとか、高そうだとかそんな単純な感想を抱いただけだ。なんとなく特別なものであるような気がしたけれど、何がどう特別なのかはわからない。何も云わない武彦に付き合い帯留めを眺め続けるのにも飽きた頃、ようやく武彦が口を開いた。
「本当にここにあるよな?」
「えっ?」
 思いがけない問いに反射的に声が漏れる。
 そしてじっくりとデスクの上の帯留めの存在を確かめてから、慎重に答える。
「確かにそこにありますけど……、帯留めですよね?あと、桐の箱」
 何気なく答えた日和の声に武彦は頭を抱えてうめくようにデスクに突っ伏した。しかし帯留めには触れないように斜めに突っ伏したせいでどこかおかしい。明らかに落胆した様子の武彦に、ないと答えたほうが良かったのだろうかと思いながら思ったままのことを言葉にすると、そういうわけではないという応え。
「依頼の品なんだ」
 体勢を立て直した武彦から紡がれる言葉に、改めて帯留めに視線を落とすとどんな依頼なのだろうかという疑問がふわりと湧いた。
「どんな依頼ですか?」
 日和が問うと、武彦本人はすっかりやる気をなくしているのか溜息混じりに答える。
「人かもどうかもわからん奴が、こいつと同じ作者の簪を探してほしいんだそうだ」
 問いを重ねると、やはりどこかやる気がないような態度で武彦は手短に事情を説明してくれた。
 いつものようにデスクに突っ伏して居眠りをしていた時のことだそうだ。目を覚ますと目の前に女が立っていたのだという。漆黒の髪を一つに纏め上げ、上品な刺繍が施された緋褪色の着物を纏った女だったという。着物の色彩が華やかさを漂わせていたというのが、それはどこか昼の明るさには馴染まないもので、だからといって夜の闇が似合うのかといったらそうでもない。現代の女性には失われてしまったような奥ゆかしさを漂わせた品の良い女が、桐の箱を手に目の前に立っていたというのである。寝惚けただけではないかと問えば、自分もそうだと思ったと武彦が答える。しかし桐の箱に収められた帯留めは確かに残されて、触れたからといって消えるものでもなくここにある。現に日和に問うても確かにそこにあるのだから夢ではないことは確かだ。そうした現実に、疑う理由はなくなってしまったのだと途方に暮れたように武彦は締め括った。
「人かどうかもわからない方がどうして簪を探す必要があるんでしょう?」
「それはこっちが聞きたいことだ」
 会話が途切れる。
 とりあえず探しに出かけようと思った。心当たりなどはなかったが、とりあえず古美術店を虱潰しに探していけば一つくらいは何か手がかりが見つかるかもしれない。
「私に探させてもらえませんか?その帯留めと同じ作者の簪を」
 その言葉に武彦は一瞬どうしたものかと思案するような様子を見せたが、諦めたのか、それとも信用してもらえたのか任せると低い声で呟くように云った。そして目の前に置いていた桐の箱をぴたりと閉ざして、日和の前に差し出すと写真を撮るのはかまわないが、持ち出すのだけは勘弁してくれと云い、あとは自由にしていいと云って自分は短くなった煙草を揉み消し、新しい煙草に火を点けくるりと椅子を回転させると日和に背を向けた。
 両手の上に乗せられた桐の箱を慎重に応接セットのローテーブルに運び、さてどうしたものかと思いながら日和はとりあえず蓋を開けてみた。本当に良い細工が施された帯留めである。蓋の裏側に作者の名前が記されていないかと確かめると、掠れた文字が墨で記されている。箱のほうは特別細工が施されているわけでもないただの箱。帯留めには羽毛の一つ一つまで丁寧に掘り込まれた細工が施され、長き年月を経た今でも美しさを欠くことなくそこにあった。しかし箱の裏に記された名前のほかに特別作者が誰かを特定させるようなものはどこにも見当たらない。けれど趣味とするものにはたまらない品なのかもしれないと思いながら、探してほしという簪がどんなものであるのかを武彦に訊ねると日和に背を向けたまま武彦がまるで科白を棒読みするような平坦な口調で答える。金の花弁。銀細工の葉。花の中央には珊瑚があしらわれ、紅の一文字が刻まれた硝子珠が果実のようについているものだという。
 言葉で想像するヴィジョンだけでは手がかりにならないかもしれないと思いながら、とりあえず武彦の言葉を頭に叩き込んで写真を片手に古美術店をあたってみることにしようと思った。きっとこんな素晴らしい作品を遺すような作家であるなら、知っている人間もいることだろう。
 一度決めた限りは探し出さなければならないと思う。待っている人がいるというのなら、せめて期待を裏切らないような結果を残さなければ申し訳ないような気がした。

【弐】

 帯留めだけをさまざまな角度で写したものを数枚。収められていた桐の箱に刻まれていた銘を写したものを一枚。そして桐の箱に収まった帯留めを移したものと蓋を閉めた状態の桐の箱を写した写真を手に、日和は電話帳やインターネットを駆使してピックアップした古美術店を虱潰しにあたっていった。
 しかし思っていたほど多くの作品を遺した作者のものではないらしく簪にはなかなか行き当たらない。
 ただ皆が総じて同じ反応を見せるのが日和に驚きを与えた。どこから出てきたものなのか。譲ってもらうことはできないだろうかと、皆が驚きと共に目を輝かせて日和に云う。予想をはるかに越えた額を提示してくる者まであった。それでもどうしても譲ることはできないのだと告げると落胆したように大きく肩を落として、作者について知りうる限りのことを教えてくれた。
 帯留めの作者は昭和の時代に活躍した者なのだという。慎ましやかな暮らしを送りながらただひたすらに、和装の飾り物を作り続けたそうだ。遺された作品は少ない。それはあまりに細かな細工を施したものばかりで、作者が妥協という言葉を知らなかったせいだという。商売目的で作品を生み出すということを知らなかったそうだ。高価な値で売ることができるものも安価で譲り、時にはただ同然での取引もされていたそうである。そして短命な者であったことも手伝って、現存する作品は極僅かで、市場に出回ることは稀なこともあり現在愛好家の間では高額な値段で取り引きされているそうだ。オークションにかけられるようなことがあれば、相場の倍以上の額で取り引きされることが常だという。
 そんなことが本当にあるのだろうかという疑念を抱きながらも、日和はピックアップした古美術店が一つ、二つと減っていくにつれて多くの情報を手にすることができた。しかしそれに比例するようにして肝心の簪に辿り着けるのだろうかという不安が肥大していく。もし辿り着くことができたとしても、高額な値段を提示されたら引き下がるほかないかもしれない。借り出すことさえできないまま、引き下がるようなことになったら引き受けた手前武彦に対して申し訳ないと思った。
 半ば絶望的な気持ちになりながら、最後の頼みの綱とばかりにピックアップした最後の古美術店の暖簾を潜ると、店の奥から掠れた声が響く。長らく帳場を自分の居場所としてきたような老人が日和の姿を確認するように目を細める。
「何をお探しですか、お嬢さん」
 年代ものの煙管をふかしながら老人が問う。
「この帯留めの作者と同じ作者の簪を探しているんです。ご存知ではありませんか?」
 云いながら写真を文机の上に並べて、金の花弁。銀細工の葉。花の中央には珊瑚があしらわれ、紅の一文字が刻まれた硝子珠が果実のようについている簪を探しているのだと云うと、老人は興味深げに写真を一枚一枚手にとって眺め、顔を上げて笑うと、
「良いものをお持ちですな」
と云った。
 そして店の奥にあれを持ってきておくれと声をかけると老人の妻とおぼしき女性が小さな箱を手に顔を覗かせ、老人に手にしていた箱を手渡すと、ごゆっくりという言葉を残して再び奥へと戻っていった。
「お探しの品はこれではないのかね?」
 日和の目の前で老人の皺だらけ手が帳場の文机の上に置かれた箱の蓋を開ける。
 中には簪が収まっていた。 
 探していたものと同じ形状のものだ。
「これです!」
 弾かれたように日和が云うと老人は微笑み蓋を閉ざしてしまう。
「申し訳ないが、これは売り物ではないんだ」
「でも……」
「まあ、何もあなたを悩ませようと思って云ってるわけではないよ。事情というものはそれぞれにあるものだからね。ただ、これは人の手を金銭によって渡り歩くような品ではないんだ。誰かの手によって作られたものだからといって、それが総て商品だというわけではないからね」
「では、お貸し頂けないでしょうか?」
 日和の言葉に老人は沈黙して煙を深く吸い込む。そしてゆっくりと吐き出すと、一つのことを提案した。
「一つ条件をのんでもらえるだろうか?この帯留めを譲ってもらいたいんだ。もし駄目ならそれでかまわない。持ち主に訊ねてきてくれるだけでいい」
 云う老人にはそれまでの古美術商たちとは違う真摯さがあった。
「あの、何かこの帯留めと簪についてご存知なんですか?」
 日和が問うと老人は、友人の形見だ、と哀しげに笑った。
「この簪もあなたが持つ帯留めも商品として作られたわけではない。それがいつしか市場に流れ出てしまいこのざまだ。この簪一つ見つけ出すのに何十年かかったかわからない。友人の遺言でな、市場に出回り二つがばらばらになることがあったら一つに戻してくれと頼まれているんだよ」
「今すぐにお答えすることはできません。でも訊いてみることはできます」
「良い答えであることを祈っているよ。―――持っていきなさい」
「ありがとうございます!出来る限り努力させて頂きます」
 老人の言葉に思わず明るくなる笑顔に僅かな羞恥を感じながらも、まさかこんなに上手くいくとも思っていなかったせいか日和は勢いよく返事をしていた。

【参】

 簪が見つかってから数日後。日和はそれを手に再度、草間興信所を訪れていた。
「作者っていうのは本当にいい仕事をする奴だったんだな」
 自分は何の苦労もしていない気楽さも手伝ってか武彦が純粋な感嘆の声を漏らす。
 目の前には古物商の老人から借りた簪と帯留めがそれぞれ桐の箱に入って並んでいる。
「借り物なんで丁寧に扱ってくださいね」
 零は買い物に出かけているとかで留守にしている。日和と武彦は向かい合うような格好では帯留めと簪を並べた応接セットのローテーブルを挟んでソファーに腰を下ろし、七日後に訪れると云った依頼者の女性を待っていた。日和が簪を手に草間興信所を訪れてから既に数時間が過ぎている。
「この二つが売り物でないなら、あの女は一体なんなんだ?」
 先ほど話題になった古物商の老人から聞いた話しから考えたことだろう。
「さぁ……。もしかするとその人のために作られたもので、売り物ではないということではないでしょうか?でも、そうしたら年齢が合わないような気がします。幽霊だったりするのでしょうか?」
 日和が云う。
「まさか」
 武彦が云うと同時にドアが開いた。
 ひんやりとした空気が流れ込んでくる。
 二人が同時に顔を向けると、息を呑むような美しい女性が立っていた。
「簪は見つかりましたか?」
 淋しげな眼差しで女性が問う。漆黒の髪に飾りものは無い。武彦が云っていたように緋褪色の着物姿。上品な刺繍が施されている。
「立ち話もなんですから、こちらにお掛けになって下さい」
 日和がすかさず席を立って女性に座るよう促す。小さく頭を下げて空いていた日和の隣に腰を下ろすと、ローテーブルの上の簪を目に留めて武彦の顔を見た。
「探したのはこっちだ」
 云って武彦が日和を指差すと、女性はその指の動きを追いかけるようにしてソファーに戻ったばかりの日和に向き直り深々と頭を下げてありがとうございますと云った。
「いいえ。お礼を云われるほどのことではありません。これはお借りしたもので、お返ししなければならないんです。できることなら簪の持ち主の方は、帯留めも引き取りたいとおっしゃっているのですが……」
 申し訳なさそうに日和が云うと、女性は顔を俯けたまま、かまいませんと呟く。
「こうして二つが揃ったのであれば、私がこれ以上この姿でここにとどまる理由は御座いません」
「もし宜しかったらお話しを聞かせて頂けませんか?」
 日和が云うと、女性が小さく頸を傾ける。
「売りものではないと聞きました。それをどうしてあなたが探していたのですか?」
「父の形見だからで御座います。私は正妻の子ではありませんでしたから、日の当たる場所で父と呼ぶことができなかったのです。けれど父は私と母を本当に大切にして下さいました。この簪と帯留めは父がなにもしてやることができないといって、私のためだけに作ってくださったものです。私は父と私の関係が露見するのを恐れて結局一度もつけることはできませんでしたが、終始手元に置いて大切にしていたのです。それが私の死後、誰かの手によって市場に流出してバラバラになってしまったものですから、こうして今の世までずっとこの二つを探し求めて彷徨っていたのです」
 言葉を切り女性が微笑む。
「今漸く二つが揃う姿を目にすることができて私は十分で御座います。本当にありがとうございました」
 女性はそう云い再度深く頭を下げると、
「帯留めはこの簪をお持ちの方のところへお届け下さい。そしてもう二度と決して二つを離さないでほしいとお伝えください。そうして頂ければ私はもう何も思い残すことは御座いません」
と云った。
「必ず届けます。もう二度と二つがばらばらにならないように、ちゃんと届けますから」
 そう云う日和の言葉に女性が満足そうに微笑む。
 そして花が散る光景を見たような気がした。
 女性の微笑みが空気に溶けるように消える。
 髪の一筋までも緩やかに溶けていく。
 慎ましやかな愛情だったのだと二人は思った。
 公にできない愛情だとしても、ただ一人の娘の幸せを願い、そのためだけに作られたのだということを長き年月のなかでも大切にされる強い想い。人はどれほどまでに強くなれるのだろうかと思った。物に想いを托し、それを介して理解しあうその強さはどこからくるものなのだろうかと。
 きっとそうした想いには確かな値はつけられない。
「物に想いが宿るというのは本当なんだな」
「あまりに切ない想いですけど……。でもきっとこれで良かったんですよ。在るべき形に戻れるんですから」
 武彦の呟きに答える日和の声もまたどこか切なくあたりに響いた。
 けれど何も哀しいことはない。
 在るべき場所にようやく戻ることができる二つの品にどんな不幸があるというのだろうか。
 そしてそれを手にするであろうあの古美術商も、そして今は亡き娘も作者も何も哀しむことはないだろう。






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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3524/初瀬日和/女性/16/高校生】


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■         ライター通信          ■
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二度目のご参加ありがとうございます。沓澤佳純と申します。
少しでもこの作品がお気に召して頂ければ幸いです。
この度のご参加、本当にありがとうございました。
また機会がありましたら、どうぞよろしくお願い致します