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<幻影学園奇譚・学園ノベル>


幕を引く手
「あと少しで終わる…」
 きゅっ、と自分の拳を握り締める。
 ――楽しかったかな。
 ――ボクは、楽しめたかな。
 何度も何度も、繰り返した問い。それに、答えは出ただろうか。
『30日。その日が期限だ。――再封印するに足りる石は集まった。……少しだけ、猶予をやろう。楽しめばいい』
『どうして?石は揃ったんだろう?』
『…きみがその事を気にかける必要などないだろう。第一、そんな事にまで気を回す余裕はあるのか?もう幾日も無いのだからね』
『ありがとう』
『礼を言われる筋合いは無い』
 ――どうしてなんだろう。ボクのこと、敵視していた筈なのに。
 どうして…彼を連れて来てしまったんだろう。
「…大丈夫ですか?」
 その時、静かな声がかかってはっと顔を上げた。この所、人目に触れないようにいたためか、声を掛けられるのも久しぶりで。物思いに耽っていた意識を声を掛けた生徒へと向ける。
 長い黒髪の生徒がそこに居た。上級生らしいが、この辺りに使用する教室は無い筈だが…。
「どうしてここに?」
「それはお互い様ではないでしょうか?私は最近現れると言う幽霊の話を聞いて来ましたのよ」
「幽霊?」
「聞いてはいませんか?最近急に増えたと言う幽霊のお話」
 ――多くは夜。まるで昼間のように明るい教室と、たくさんの生徒が授業を受けている風景を見たと言う者がいたり、死んだと言われている生徒が廊下を歩いているのを見たり…声を掛けた途端、驚いた顔をして消えてしまったと言うのだが。
 耳にしたかもしれないが、驚くような事ではなかった。それは、制御しきれなくなっている表れでしかない。
 ――結局、このままでは駄目と言う事だね。
 幾分すっきりした気分を笑みで誤魔化して、
「ええと…教えてくれてありがとう。これで決心が付いたよ」
「決心?」
 小さく首をかしげる彼女にふふっ、と笑う詠子。
「いや。――それじゃあ、良い夢を」
 軽く手を振り、自分の気が変わらないうちに別の場所へと移動して行く詠子。
「…良い夢ならば、終わりもまた良いものにしたいですわね」
 ぽつり、とその後で呟いた女生徒…雨宮翠が、何か気になることでもあるのか、しきりと去って行く詠子の後姿を眺めていた。

*****

「邪魔しないでもらおうか。これはわたしの仕事なのだ」
「しかし…!」
「――きみには日本語が通用しないのかね」
 その声には聞き覚えがあった。繭神陽一郎…高等部生徒会長。近寄って行く程に底が知れなくなる男。本来なら、生徒会長等をするような小さな器では無いような気がしてならない。今月に入ってからは特にそう思う。
 その彼が、この間も見かけた風紀委員と口論しているのが珍しく、足音を立てないようそっと近寄って行く。
「儀式は滞りなく行うだろう。それが望みなのだろう?」
「それは分かっています。あなたのお考えは私達に取って分からない高みにある事も。けれど、これ以上仲間が消えるのを黙って見ている訳には行かないのです。ひと月前なら…何の問題も無かったのに」
「――ならば。この世界から抜ければ良いことだ。儀式が始まってからは何処にも行けなくなるのだからな」
 これが『彼』の声だろうか?
 底冷えのする…命令する事に何の違和感も持っていない、声。
「行け」
 唇を噛み締める音までが聞こえるような気がする。そして気配がひとつ消えた頃、陽一郎が隠れてその場の様子を見ていた生徒…草間武彦のいる方へまっすぐ顔を向けた。気付かれていたと知って、悪びれもせず武彦が顔を出す。
「…聞いていたな」
 ふ、と皮肉な笑みを漏らす陽一郎。
「今月晦日には学校へ来ない方が良いかもしれないぞ。なに、一日のサボリくらいどうと言う事は無い」
 それに…と言いかけた陽一郎が言葉を切り、す、と武彦へ目を向ける。
「石は揃った。後は――この幸せな夢を終わらせるだけだ」
「夢…?」
「何を今更気取っているのかな。散々ヒントはばらまいた筈だ。…きみの友人で、このところ行方不明の者はいないかな?…それは簡単な話だ。彼女に『殺された』か――『目覚めた』か、さ」
「人が死ぬ事を、そんな簡単に言って良いのか?犯人が分かっているのなら…」
 武彦が咎めるような…だが、常の彼に似ない弱い調子で聞く。その言葉に、やれやれ、と言いたげな笑みを漏らし、
「…別に、ここで死んだ所でどうと言う事は無い。多少後に残るだろうが…まあ、この2ヶ月『彼女』を放置していたのは確かだが?彼女とて、分かっていただろうさ。夢は――所詮夢だ。ごく普通の生活に憧れる事など…」
 ごそりとポケットから小さな、見覚えのある箱を取り出して陽一郎が武彦へと放り投げた。
「――最終日は30日だ。それ以外はまだ安全だろうが…忠告だけはしておこう。月神――彼女には近づくな」
 陽一郎が立ち去った後、手の中に残った『もの』を見下ろす武彦。
 ビニールで包まれた小さな紙箱には、見慣れた文字でマルボロと刻まれていた。

*****

 ざわざわと、声が、風が、ざわめいている。
 幕開き前のひとときのように。
 最終幕を待ち侘びる、そこはかとない興奮に包まれて。
 いつも通りに登校する彼らのほとんどは、普段と同じ顔を見せながらもどこか落ち着かず、幾度となく時計へ目をやる姿があちこちに見受けられた。
 もうすぐ、この『舞台』も終わる。
 その事を知る者は、ごく僅かだったのだが。

*****

「随分集まったんだな。そんなに暇か、お前ら」
 開口一番。
 武彦が、半ば呆れたように、それでいて口元に笑みを浮かべつつ言った言葉がこれだった。
「何を言いマスか。1日くらいどうって事ありマセン、そんな事より…会長が何かするとか聞きマシタが?」
 まだ慣れていないのか、少しばかり訛りのある言葉を続けながら、デリク・オーロフが眉を顰める。
「詠子ちゃんが、会長にイジメられてるってホント?武彦ちゃんがそんな事言ってたって聞いたけど」
 もしそうだったら許さないんだから、と千影はぷぅっと頬を脹らませ、その側にいた栄神万輝が苦笑いしながらまあまあ、といなしてから、
「末端の噂なんてそんなものだろうけど、本当の所はどうなの?」
 と、世知に長けた、穏やかながら鋭い視線を武彦へと向けた。
「本当のところ、か」
 もうすっかりお馴染みになったシガレットチョコが、武彦の歯でぱきん、と砕かれる。
「俺だって知らないさ。知らされてないんだからな」
「…でも、想像は出来るんでしょ?これだけの違和感を撒き散らされてるんだから」
 新たな1本を胸ポケットから引っ張り出す武彦へと、どこか強い視線を注ぐシュライン・エマは、武彦がどう言う理由で人を集め出したのか分からないままに、付いて来たもののずっと腕を組みっぱなしでいる。
「それはそうかもしれませんねぇ。この学校…当たり前に私がいてもいいものなのか、時々思うんですよ」
「――きっと、それは…気付いているからなのかもしれませんね」
 神谷虎太郎ののんびりした声に、すっと目を細めてセレスティ・カーニンガムが微笑する。その手には握りのしっかりとした杖があった。常に大人びている上級生としての顔よりも、更に年経た何かを感じ取るのか、それとも只の遠慮なのか、その手にある物について言及している者はいない。…尤も、非常にしっくり来る品を持っているから誰も何も言わないのかもしれないのだが。
「みあお、やっぱり月神さんのこと心配だよ。でも、何が出来るの?…何をするの?」
 こちらは逆に、見た目よりもどこか年下に見える海原みあおが千影の隣で、彼女と一緒に首を傾げてみせた。
「あ…本当ですね。集まってはみましたが、何をするんですか?」
 初瀬日和が、ようやく気付いたように不思議そうな声を出す。とは言え、その表情は冴えない。その理由は恐らく、話題になっている『彼女』の事なのだろうが。
「――何か問題があるのか?いや、あるのだろうな。でなければ草間がそのように動き回るなど。あまりに考えにくいことだ」
 もうすっかり、『不良学生』の武彦がこうしてリーダーシップを取る事に対し何の違和感も持っていないらしい亜矢坂9・すばるが自問自答しつつ、涼しげな目を見せ。
「…何を考えてるのかは知らないが、あいつのやり方には賛成できない」
 ぽつり、と。
 向坂嵐が、ほんの少しだけ皆と距離を取りつつ、そう呟いた。その言葉に含まれる苦さは、どうやら彼の言う『あいつ』――生徒会長への感情が込められているからだろう。
 ふぅ、と武彦がひとつ溜息を吐き。
「まあ俺は会長が何をしようがそれほど感心はないんだ…俺に関係しないのならな」
 また、ぱきん、と音を立てて武彦の口の中のチョコが割れる。
「む。なんだか今日のタバコはヤワだな」
「…力、込めすぎだと思いますよ。本物と違って固いんですから」
 日和の言葉に、力んでるつもりはないんだがな、そんな事をぼやきつつ武彦が、短くなったチョコを咥えなおした。残り少なくなったのを見て、新たに出すのは諦めたらしい。
「――さてと。今日集まってもらったからと言って今すぐ何が出来る訳でもないんだが…そうだな。まずは幽霊探しにでも行くか」
「『幽霊』ですか」
「そう。気になるだろ?」
 セレスティがやや強調しながら呟いた言葉に、武彦がにやりと笑い。
「そうね…もしかしたら、目的の人達にも会えるかもしれないわ。何となくだけどね」
 この違和感に一番近い場所にいるのは、あの2人なのだろうから。

*****

「噂では、出る場所がいくつかあるらしいですね。…例えば、こことか」
 今ではほとんど使われていない予備教室の前で日和が呟く。
 しん、と静まり返った廊下。――動き回っているのは、授業をパスした彼らしかいないのだから当然の事だろうが、何となく居心地が悪い。
「後は、体育館や、クラブ棟の辺りでもあるって聞いたぞ」
 日常会話のように交わされる噂や怪談話。最近では、『学園内に出回る生徒の幽霊』が話題の主流になっており、ここにいる者達は多かれ少なかれ耳にしている。友人達の会話に混ざっていたり、通り過ぎる際に耳に流れ込んできたり…男女、年齢の区別無く、各クラスで何割かの人間が必ず口にしていると言うのは、珍しい話だろう。
 まして、皆が共通して見たり聞いたりしているテレビやラジオの番組で語られているのではないのだから。
「考えてみたら、変な話だよね。たった2ヶ月の間に、この学校の生徒、それも高校だけでこれだけ怪談話が勃発しているんだから。――みあお、他の場所で同じ会話聞いたことないもの」
「ある特定の域にだけ発生する噂ですか。…確かに家や、友人宅でこう言った話題になった事は無いと思います」
「不思議デスねー。でももっと不思議なのは、このところ家で何をしたのか、あまり思い出せない事なんデス」
 ん〜。
 頭を指で押えながら、軽く考え込んでみるデリク。
「学校に関連する場所の事は、良く覚えているのに。…そうでしょう?」
「オオ、まさにそれデス」
 のんびりと問い掛けた虎太郎の言葉に、デリクがわが意を得たりと大きく頷いた。そう言えば、と思い当たる者も多いらしく、ざわざわと小声で情報交換をする皆。そこへ、
「――誰か、来るぞ」
 すばるが廊下の向こうへと顔を真っ直ぐ向けながら言い放った。決して大声ではないそれに、ぴたりと息をひそめる皆。
 酷く軽い足音が、ぱたぱたと廊下を伝わってこちらへと向かってくる。
「あ…」
 不安げな顔をしたまま、走りこんで来る姿が、ひとつ。廊下に集まっている集団へは目もくれず、その代わり周囲へ何度も目をやり、急ぎ足で向かう。…その姿は、不安定に揺らめいていた。色合いも影が濃く、青白い。
 だが、それにも関わらず、その生徒の動く姿は生命力に溢れており、皆をすり抜けて消えてしまわなければ、思わず声をかけたかもしれなかった。
 聞こえたかどうかは分からないが。
「消えたな」
 ぽつりと、何かそれ自体に違和感があるような顔で嵐が呟く。
「何だか映画みたいだったね。この映像がホログラフか何かでさ」
「えいが?ほろぐらふ?」
「ああ、チカは分からないかな。人の手で作った映像ってことだよ」
「そうなの?」
 きょろきょろと、機械を探すように動き回る千影の頭。
「やっぱり、幽霊じゃないのかしら」
 シュラインが、生徒がすり抜けた自分の腕を気味悪そうに擦りながら言い、
「私には…幽霊に見えましたけど…違うんですか?」
 こわごわと、生徒の通り抜けた『道』を眺めながら日和が訊ねる。
「違う」
「…ええ、違います」
「違うよねー」
 その言葉に三者三様の反応が返ってくる。
「あれは、幽霊なんかじゃない。今まで見た事が無かったが…違う。あれは、生きてる」
 嵐が空間を凝視しつつ答えを続け、
「そうですね。それに、負の気配が全くと言っていいほどありませんでした」
「うんうん。何だか、忘れ物か何かして、誰も居ない校舎に戻ってきたみたいな雰囲気だったよ」
 セレスティが嵐の言葉を補い、続けてみあおがこくんと頷き。
「ああ言うのって、写真に写ったりしますかねぇ」
 この間の学園祭を思い出したか、虎太郎が手にカメラを持ったようなジェスチャーをしながら呟いた。
「そうだよねー。チカ、あれは食べられないもん」
 言いながら、何か不安でもあるのか万輝の腕にしがみ付いたまま離れない千影。『食べられない』事が信じられないと言うような顔をした後で、『ゆーれー』じゃないなら仕方ないか、と納得した顔をする。
「半透明でいながら生きている生徒か。…常識では考えられない事だが…いや、今のこの状態が既に常識ではないのだったな。それならば非常識同士で問題ないのだろうな」
 すばるは表情1つ変えないまま、問いかけに対する答えが出た後でそんな事を言う。
「――クラブ棟に行ってみない?なんだか…『幽霊』がたくさん出て来そうな気がするわ。特に、運動部の方にね」
 今までの会話で何か思いついたらしい。シュラインがどこか楽しそうに目を細め、
「幽霊探しデスか。楽しそうデス」
 うんうん、と大きく頷いたのはデリク。
 幽霊が本物ではない。それなら、『幽霊』は何者なのか…その答えは、ある程度掴んでいるらしい数人と、不思議だと首を傾げる者とに分かれ、そのままシュラインの言葉通りクラブ棟へと移動する事にする。
 その途中。
「待ちなさい、君達。どこのクラスかね」
 教師生活うん十年といった、見るからに厳しそうな教師に呼び止められる。確か学年主任だったと記憶しているが、10人強もいる集団を捕まえてそれぞれの生徒達をじろじろと見やり。
「もう学園祭も終わったと言うのに、集団でエスケープかね?見たところ3年もいるようだが」
 顔は見合わせたものの、何と言えばいいか迷う皆に、段々怒気を露にしていく教師。
「あの…」
「クラスと名前を言いなさい。1人ずつだ。それからこのまま職員室へ来る事」
 メモする気はないらしい。名前とクラスを上げさせて、上下関係を認識させようとでも言うのだろうか。
「先生、俺達」
「言い訳はいいから!」
 全く、これだから甘い顔をすると…とぶつぶつ呟く教師。
「――どうかしましたか」
「!?」
 一団の背後から、穏やかな、だがその中に氷でも通しているような声がかかった。一番後ろにいた日和がびくっとしながら振り返り…その彼女を庇うように前後を入れ替わり、その声の主に近い位置へ嵐が移動した。
「おお。繭神君か。いや何、学園祭も終わったというのに生徒達が皆たるんでいるようでね。特にこの連中は授業中だと言うのに何処かへ移動しようとしていたのを見つけた所なのだ」
 学年主任が、陽一郎の姿を目にして、怒りを少し納めて説明する。
「そうですか」
 陽一郎の目が細められる。それは決して柔らかな表情をする為ではなく、
「ですが。彼らは彼らなりの理由があって動いているのですよ。先生は他の生徒達の面倒を見ていれば宜しいことです。分かりますか?」
 その口から出たのは、意外にも、武彦らを庇うような言葉だった。
「いや、しかしだね」
「彼らは、月神を探しています。――どこのクラスにも属さない彼女をね」
 その言葉は何かの魔法だったのだろうか。
「そうか、それならいい。初めからそう言えばいいものを、変に言い訳を探すからこうなるんだ。これからは気をつけなさい、いいね」
 あっという間に態度を豹変させた教師が、最後に皆へそんな言葉を投げつけると廊下を去って行った。
「さて――」
 思い切り敵愾心を露にしている嵐が自分のすぐ近くにいる事は意に介していないのか、
「『幽霊』は見つかったかな」
 その唇に皮肉げな笑みを浮かべながら、陽一郎はそんな事を口にした。
「――見つけましたよ。予備教室の辺りで」
 問いに最初に答えたのは、虎太郎。
「そうか。それなら…もう分かっているのだろうな。今はどこへ行こうとしていた?」
「…会長こそ。どこへ行くつもりなんだ?」
 嵐が不審感そのものの声を出す。
「まだ会長と呼ぶのか。とうに分かっているんだろう?わたしが誰なのか。それとも、ここに至ってもまだ知らぬ振りをしているだけなのか。…まあ、どちらでもいい。きみ達がわたしの邪魔をしなければ良いだけの事だ」
 くるりと陽一郎が背を向けてからちらりと皆を見、
「付いて来るがいい」
 それだけ言うとすたすたと廊下を歩いて行く。その後を、特に反対する事も無い皆がぞろぞろと付いていった。
 …それにしても、と何人かが首をかしげる。
「彼は、わざわざ私達に声をかけるために現れたとしか思えません」
 手に持った杖で身体のバランスを取りながら、セレスティが呟く。
「その理由は…聞いても教えてもらえなさそうですね」
「ええ」
 ただ、分かっている事。
 この先にあるもの――それが何か分からないが、それこそがこの違和感の答えなのだろう、と。

*****

 校舎を一旦出た陽一郎の向かう先を見て、何度か来た事がある面々が不思議そうな顔をする。
「ここって…飼育小屋の近くじゃない」
 もう、生徒達に飼われていた動物達は居ない筈…その世話係も。
「ウサギさんがね、ここにいたんだよ。ふわふわで柔らかかったの」
「チカは触らせてもらったんだ?」
「うん!」
 ぴったりと万輝に寄り添う千影が、あそこに居たの、と小屋の陰を指差す。
「そう言えば、1匹は陽一郎ちゃんが連れて帰ったんだっけ。あのウサギさんどうしてる?」
「兎か。あれは仲間の元へ戻したよ」
「仲間?…でもあれは死んで…」
「まだそんな事を言うのか?」
 陽一郎が、何か言いかけた言葉を遮って振り返る。
「――もしかしたら、きみ達を評価し過ぎたか」
 吐き捨てるように言った言葉。
 その苦々しい声の真意を問いただす前に、「ここだ」と陽一郎が呟いて足を止める。
「ここ?」
 飼育小屋のすぐ近く。校舎の壁に手を当てながら不思議そうにこの場を眺める皆を見つめている。
「ここには、墓標があった。今はもう壊されて欠片しか残っていないが」
「欠片…あ」
 その言葉で思い至ったのだろう。小さな声を上げたみあおが、言われた壁の辺りを凝視する。
「それは、誰の墓標?」
 決まりきった答えを望むように、恐る恐るシュラインが問いかけ。
「月神詠子――彼女以外の誰が、この墓に入っていると言うんだ?」
「入って…え?」
「詠子ちゃん、お墓の中なの?…陽一郎ちゃんがころしちゃったの…?」
 呆然と、その言葉の意味するところを問い掛ける千影。
「――」
 その問いには答えず、壁に黙って手を触れている陽一郎。
「詠子ちゃん…どうして、そんな事を」
 その沈黙を、肯定と受け取ったか。
 日和が否定するように首を振りながら、それでも必死に言葉を振り絞る。
「会長サン、答えられないんデスか?それとも、答えたくないんデスか」
「………」
「黙ってりゃ、何も分からないだろうが。答えろよ…それとも、今まで敵視してた彼女を本当に殺したって言うのか!?」
「…敵視?」
 そこで、初めてぽつりと言葉が漏れる。
「そう、か。そう思われていたのか」
 何かを思い切るように、壁から手を離し。皆へと向き直ると、
「わたしが、彼女に対し敵対する理由は何も無い。ただ――」
 一旦、言葉を切る。言葉を捜すように、ほんの少し間を置き。
「要石が崩れた時に、すぐ封印してしまえば良かった。今は…そう、思っているよ」
 ゆっくりとそんな言葉を口から紡ぎ出した。
 それは、後悔…だっただろうか。
 その表情の向こうに一瞬浮かんだのは、陽一郎がもっと年を取ればこんな顔になっただろうと思わせる男の顔だった。

*****

「詠子ちゃん、成長してるわよね」
 不意に言葉をかけたシュラインに、陽一郎が鋭い目を向け、
「ああ」
 肯定の意か軽く頷いてみせる。
「初めて会った頃はあんなにたどたどしかったのに、最近じゃ随分表情も豊かになったし…彼女、もしかしたら赤ん坊のようなものだったんじゃないの?…だから、あんなに楽しそうに学んでいたんじゃないの?」
「そうですよね。あんなに色々な事が楽しいって、海でも、お祭りでも本当に一生懸命で。一緒にいた私も、楽しかったです」
「チカだって。詠子ちゃんと仲良しだもん」
 こく、とそれに同意する日和と千影。
「…あたしだって、詠子ちゃんは友達だって思ってる。この夏、ずっと一緒にいたんだから」
「……」
 皆の言葉を聞いているのか、黙ったまま深い眼差しを向けている陽一郎。
「どうなんだ?答えろよ」
「向坂君。あまり強い言葉を向けずとも、彼は答えてくれますよ。…そうですよね」
 セレスティの言葉に、でも、と言いつつ陽一郎を睨み付ける嵐。
「答えになるかどうか分からないが。――彼女を見守るのは、そろそろ限界になる」
 これ以上は無理だ。
 そう、小さな声で呟くように言った陽一郎が顔を上げ。
「そうだな。今更何が変わる訳でもない。…最後まで付いて来てもらおうか」
 その言葉と共に紡がれた、耳慣れない言葉…次の瞬間、ふわりと身体が浮く感触と共に、見知らぬ場所に立っていた。
「学園の地下数百メートルにある室だ。一族の恥部とでも言えばいいだろう」
 石室の中…ほのかに輝く白い石で、部屋は埋められていた。三角錐状の室は、どうやってこんな空間が作られたのかと思う程広々としている。
「…そして、そこに居るのが『彼女』だ」
 陽一郎は、最早何も隠そうとしない。学園の地下にあるこの部屋の事も、そこに横たわる1人の女性の姿も。
「…詠子ちゃん…?」
 室の中央。ひと1人がすっぽりと収まる大きさの氷の棺桶のに、夢見るような表情の詠子が、目を閉じてその身を横たえていた。
 学校で見た姿と寸分違わない彼女は、それでも学生の証である制服も無く、生まれたままの姿で氷の中に閉じ込められている。
「詠子ちゃん……なんで?なんで、こんな事するの!?」
「チカ、落ち着いて」
「だって、だって!詠子ちゃん、あれじゃ死んじゃうよ!チカだってあんなことされたらどうにかなっちゃうのに!」
 ぺたんと床に座り込み、どんどん、と氷部分を叩いて行く千影。次第に興奮していくのか、爪で氷を掻き出そうとがりがり爪痕を立てていく。
「こんな…酷い」
 氷の中の彼女はぴくりとも動こうとしない。
 皆と一緒に、学校の生徒として楽しんでいた彼女は見る影も無く。表情も変わらずそこに居る。
「これが答えか?それにしては随分と無防備だが。すばる達をここに連れ込んで、すばるはともかく他の者が何かするとは思わなかったのか?…その棺を壊すとか」
「壊されては困る。だが、余程の力が無い限りは無理だ。それに…」
「お、お前って奴は……何も思わないのかよっ!!」
 誰1人、止める者はいなかった。当の陽一郎さえ。
 ――バキッ
 鈍い、頬骨に当たる音が、嵐の振り上げた拳から聞こえて来る。
「落ち着いて下さい。まだ私達には分からない事があるんですから」
 氷の棺を引っかき続けているかりかりと言う音が響く中、セレスティが嵐を止める。
「何で止めるんですか先輩。だって、コイツは」
「まあまあ。落ち着きましょうよ。――それにしても。ここはまるでオーパーツですね」
「学校の出来事も不思議デシタが、この場所も不思議デスねー。一体誰がいつ作ったものなんデショウ」
「――この学校が出来るずっとずっと昔からだよ」
 かつん。
 この場に居る誰の者でもない足音が、皆の背後…陽一郎の視線の先に生まれる。
「先にここに来ていて正解だったな。校内を見回っていたのか?」
「うん。最後の挨拶にね」
 見慣れた制服姿の少女。
 詠子が、口元に微笑を湛えたままかつかつと靴音を鳴らし近寄ってくる。
「チカ、顔を上げて」
「あ…れ?なんで詠子ちゃん2人いるの?」
 氷の中と外。
 きょときょとと首を回して見る千影と同じく、驚いたように、何事もないかのような表情でこの場に現れた詠子を見つめ続けた。

*****

「改めて紹介しよう。この棺の中に居るのは、月詠(つくよみ)。彼女の方からは挨拶ナシで勘弁してもらいたい。何しろ今起こされると困った事になる」
「そうだね。ボクも困るよ。せっかく過ごせた学校を壊したくないからね」
 にっこりと笑って、氷の側に立って下を見つめる詠子。
 こうして見てもまるで変わらない。2人居ると言うよりは、1人が2人に分かれたような印象さえ受ける。
「見れば分かるだろう。月神も月詠も同じ存在だ。――ここは、月詠の見る夢の中。生涯1度の人生を生きるための舞台だった」
 だった。
 過去形で、やや強調しつつ陽一郎が告げる。
「保って2ヶ月とみたが、正解だったな」
「どう言う事?」
「なに。…本性を抑えていられる期間と言う事だ。だから、期限は今日。再びこの身体の中へ眠らせるだけ」
 方法など叩き込まれている。ただそれだけのために生きているのだから。
 淡々と方法を説明する陽一郎。
 先程ちらと見せた、どこか苦しんでいるような、悔いているような言動は今の彼には見られない。かすかに残る頬の赤い跡…痛みはあるだろうにまるでそんなそぶりも見せず、
「封印が済めば全て元に戻る。ここでの記憶も消えるだろう。何しろ『夢の中』の出来事だ」
「消えてしまいますか?勿体無いですね」
「所詮は夢、儚い物と思えばいい。さあ、月詠」
 うん、そう言った彼女が差し出した陽一郎の手へ導かれるように一歩足を踏み出し。
「楽しかったわ。あんたもそう思ってくれたらいいけど」
 その言葉を聞いた詠子が足を止め、くるりと振り返ってほんのりと唇を綻ばせる。…初めに出会った頃は、思いも寄らない程、柔らかな表情の動き。
「良かった。そう言ってもらえて、ボクも満足だよ。…本当はね、ボク1人だけ勝手に楽しんでるんじゃないかって思ってたんだ」
 ね?と悪戯っぽい目を後ろにいる陽一郎へと向け。
「興奮してるせいかな。いつもより、抑えるのが楽みたいだ」
「そうだろうな。本当なら、もう、とうに本性を現しても良い頃だ」
 陽一郎の言葉に、嵐と千影が睨みをきかせ。その視線をまともに浴びても尚、涼しげな顔で対峙する。
「自分を抑えるにも疲れたろう。次の目覚めはいつだろうな?」
「うん…ねえ。完全な封印ってできないのかな」
 ほんの少し、揺らぎが見える。今にも壊れてしまいそうに思える笑みは、見ている者達を気遣っての事だろうか?
 陽一郎が、良く観察しなければ気付かない程、小さく目を逸らした。
「わたしが持っている術ですら、過去の遺物だから仕方ないさ。きみが使役されていた頃なら打つ手もあっただろうが、彼らはただ先延ばしにしただけだった。子孫を細々と残したのは、結局この時のためだったのだろうな。…それだけのための墓守など、意味があるのかな」
 意味。
 彼女が生きた意味。
 …『詠子』が生まれた意味…
「ねえ。…ねえ…それで、詠子ちゃんは、いいの?そんなのでいいの?」
 泣きそうな声は、皆の中から生まれ出でた。
「チカ、ちゃん…」
 その名を呟いた詠子が、もう一度、今度は力強くにっこりと笑顔を見せる。
「ボクは、満足だって言ったでしょ?」
「変だよ、そんなの変だよぉ!封印しなきゃいけない、なんて、そんなのニンゲンの勝手な言い訳じゃない。自分の価値観ばかり押し付けないで…あたし達にもココロがあるんだよ!?」
「チカ!」
 ぎゅっ、と小さな拳を握り締めながら必死に叫ぶ小柄な姿を、後ろから抱きしめつつ、万輝が黙ってこちらを見ている2人へまっすぐな視線を向ける。
「もう一度繰り返すよ。…君はそれで本当にいいの?」
 抱きしめられている緑色の瞳は、ぽろぽろと大きな涙を零しながら、時折波のようにうねりながら現れようとする強大な気を持て余し、ふるふると身体を震わせている。
「それに…僕らをここまで巻き込んで、これで御仕舞いってことはことはないよね」
 今度は逆に不敵な笑みを、詠子の後ろにいる陽一郎へと向ける。
「…他人事なのかもしれないけど、私も反対よ。そんなの、まるで…扱いきれなくなったから閉じ込めてしまうようなものじゃない。それに…話を聞く所によれば、完全な封印じゃないのよね」
「残念ながら、な。いつになるのか、次を待つしかない」
「そんな!…また、繰り返すの?また都合が悪くなったら封印!?――そんなの嫌、あたし、あたしは…」
「…作られたと言うのなら、すばるも同じだ」
「!?」
 今まで黙って話を聞いていたすばるが、自分の胸へと手を置く。デリク、日和、みあお、そして万輝の4人がその言葉を聞いて目を見張った。他の者は知っているのか、それでも何を言い出すのかと息を呑む。
「すばるの任期は3年。それはすばるの『寿命』と言い換えてもいい。その後新たな身体に入るがその時にはすばるがすばるでいられるかどうか、分からない」
 だが、と続ける少女。
「『次の時』があるのなら、再び会える。今日この日に封じるのは致し方ない」
「でも!」
「それに。この状態を続ける訳にはいかないのだろう?次にはこのような哀しい世界など必要無くなっているかもしれないではないか」
「…哀しい?」
 聞きとがめたか、小声で詠子が呟く。ああ、とすばるは大きく頷き、
「ああそうだ。幸せで楽しいからこそ、今の状態は哀しい。夢なのだから。すばる達が記憶を保存した所で消えてしまうのだとしたら、それは哀しいとしか言い様が無い。だからこそすばるは、『次』を望む」
 今、消えるしかないとしたら、再び『詠子』が生まれる可能性がある『次』へ繋げろ、と。
「彼女が『月神詠子』であるうちに眠らせてあげましょウ。ありもしない甘い希望だけ押しつける事は残酷だと思いませんカ?言うだけなら容易いのです。彼女が本性を取り戻した時、責任を取れるんですカ?」
 その本性の一端には、デリクも出会っている。今までに出会った闇の気配の中に、ひっそりと居たそれは、詠子の気配を反転させたが如くのもので。
「それが『彼女が』選んだ道デスから」
 デリクの選んだ結論はそれだった。反対する者も多いだろうと思いながら、あえて封印を選んだ陽一郎の意思に添うようにと。
「――私は…残念ながら、明確な答えを持てません。気持ちとしては、このまま彼女に居てもらいたい気もしますが…今までの状態を見る限り、『このまま』では、封印を施さない限り、新たな犠牲が出るかもしれないんでしょう?それも、今度は夢ではなく…」
「…ああ」
 詠子を道筋に、本体が目覚めてしまったとしたら、今度は夢の中どころでは無くなってしまう。
 現実も夢も、全ては彼女の手によって滅ぼされてしまうのだろう。
「自らの手で大事な物を壊さなくてはならないとしたら、月神さんはどう思うでしょうね」
 ぎりっ、と歯軋りの音が聞こえる。それは、何を言うべきか決めかねているような嵐の姿。
「どうにか出来ないものかしら?例えば、その…問題の部分を抑えるように、皆で力を貸すとか」
 方法を探るように、ずっと考え込んでいたのだろう。シュラインはそう言って陽一郎へ目を向ける。
「…ゼロではない。だが、限りなくゼロに近い。失敗すれば、犠牲は増えるぞ。はっきり言ってしまえば、わたしの一族は封じる方法しか研究していない。生かす方法など、可能性でしか語れないのだ」
「それでも…私は、彼女に生きていて欲しいです。だって、あんなに楽しんでたじゃない。学園祭、一生懸命だったじゃない。ねえ、詠子ちゃん…」
「私も、です。私達が現実に戻れたとしても…彼女はどうなんですか?ここが夢の中とするなら、彼女は本当の意味で生きていない事になりますよ」
 日和と、セレスティが口々に、この儀式への反対を口にし。
「あたしも…反対するわ。最初は、詠子ちゃんの心次第だと思ってたけれど。でもね、違う。違うの。だって…」
「あ〜〜っ、もう、わかんねえ!わかんねえけど、俺は反対だ!」
 みあおの言葉を遮るように、頭を掻き毟っていた嵐が大声を出し、びし!と詠子と陽一郎の2人を指差した。
「月神…あんたは俺と似てる気がしてたんだ。思い違いかもしれない。けど、『普通』に憧れたり、その反面このまんまでいいのかって思ってたり。時々どうしようもない罪悪感に苛まれる事も、ある」
 そこまで一気に吐き出してから、「ああ、うん。こっちの事情だ」ぱたぱたと手を振って、心配そうに見つめて来る『仲間』達へ苦笑を晒し。
「月神。――あんたには足掻いて欲しい、と思う」
 たとえそれが、犠牲を伴うものだったとしても、と、そこまで言ってから自分の言葉に照れたか、ぷいと横を向いた。
「だから、そんな泣きそうな顔するな。…無理に笑われても、俺達…いや、俺は、困る」
「――え?」
 気付いていなかったのだろう。
 詠子が、自分の頬へと手を当てた。頬の筋肉を引きつらせて無理やり笑みを浮かべていた彼女が、すぅとその表情を止めて困ったように笑う。
「全くだ。意識が外へ向けられると、封印の邪魔になる」
 そう言って、これもまた、どこか疲れた笑みを見せる陽一郎。
「…学園の存在と同じだな。この室を壊し、月詠の心をも揺さぶり続けている」
「え?でも、何百メートルも地下にあるんでしょ?ここって」
「そうだな。だが、この封印を崩す手伝いをするには十分だったのだよ。せめて森のままであれば…今更言っても詮無い事だ」
 皆が知る由も無かったが、学園がこの地に建てられた際、いくつか建物を配置するのに邪魔な石や木があった。それらはことごとくなぎ倒され、または破壊されたのだが…その1つが彼女を封じた要石だった。
 だが、それだけで彼女がすぐに復活したわけではない。
 問題はその後…。
 学園が真上に立ち、そこから溢れ出す『気』が、封印は解けたものの、眠り続けていた月詠を揺さぶり続けた。
 元より磐石ではない。破壊も消去も出来ず、やむなく閉じ込めた場。そこに溜まり続けた詠子…月詠の鬼気と、封印を施している一族の気のバランスに、無邪気な――邪気の――ありふれた――独特な――『学園』の中で生活している者達の想いが混じり合い、危うかったバランスを崩し。
 ――『彼女』が、目を覚ました。
「『彼女』、眠っているようだろう?けどね、ボクは一度も夢を見たことが無かった」
 氷の中で目を閉じ、ぴくりとも動かない『彼女』。
 その場に立ち、同じ顔で、同じ姿で話し続ける詠子。同じように、思いを巡らせているのか、陽一郎も押し黙って氷の中の彼女を見つめ続け。
「生まれて初めて見た『夢』が、あの学園に立った時だったんだ」
 楽しかったよ。本当に、楽しかった。
 そう、呟く。
「違和感を違和感と感じさせない舞台としては、まさに絶好の場所だろうな。最初は場を守る事に夢中になっていたあまり、気付いた者は片っ端から弾き出していたようだったが。…後は…『殺した』者もな」
「あ…っ」
 その言葉の意味に気付いたみあおが小さく声を上げる。
「死んだと噂されてた生徒達って、もしかして…」
「そう。夢からはじき出された者ばかりだ。――ただ…月詠に殺された者は多少後遺症が出ていた。仕方なしに少々記憶を弄らせてもらったが、日常生活には問題ない」
 続けて、シュラインが出した言葉へ、気の無い様子で応える陽一郎。
「随分、暗躍していたんデスね〜」
 感心したような声を上げたのはデリク。
「放置を決め込んだのはわたしだからね。一族の者には反対されたが」
「で?どうするつもり?」
「何を?」
 氷漬けの彼女を見つめ続けていた陽一郎が、ようやく顔を上げる。その目には、もう何の感情も浮かんではいない。自ら消し去ったとしか思えない、短い問いかけも、感情をまるで感じさせない声。
「何を、って…本気で、彼女を封印してしまうのか?」
「他に」
 すぅ、と冷たい視線を向ける陽一郎。
「どう仕様があると?」
 聞き返す言葉に、一瞬押し黙る皆。
「本当に、ボクはいいんだよ?このまま封印されてしまっても。黙って行くつもりだったけど、どういう訳か彼がこの場に連れて来たんだ。…反対してくれて、賛成してくれてありがとう。ボクね、やっぱり『生きて』て良かった」
 長い間、話し込んでいたような気がする。
 にこりと穏やかな笑みを浮かべた詠子。
「…駄目だよ…」
 ――その言葉は、小さく。だが、怒気をはらんで発せられた。
「チカ…ちゃん」
「駄目、絶対駄目!封印なんて、させない――本当の詠子ちゃんが目覚めたら、大変な事になるなら、あたしが、終わらせるから。だから――」
 ぶわっ、と膨れ上がる『気』。
 詠子は静かに佇み、陽一郎も逃げる事無くその場に居て。
 数人がざっ、と千影の側から離れ、万輝は1人、大きく変化する千影を抱きしめ続けていた。

 ――光が、円錐形の室の中に満ち溢れ――

*****

 気付けば。皆、校庭の上に座り込んでいた。
 ぼぅ、っとした頭を振って、落ち着かせようとするように箱を取り出して、1本口に咥え。
 しゅぼっ、と火を付けて、その煙を胸に深々と吸い込む。
「…チョコ…それ…」
「あ?ライターは箱の中に入ってたぞ」
「違うって。そうじゃなくて、私達まだ高校生なんでしょ?タバコなんか吸っちゃ駄目じゃない」
「まあ、一足先に大人になるのも悪くない」
 ふぅっ、紫煙を空へと吹き飛ばす。

 巨大な獣へと変化した直後、詠子もろとも氷の棺の本体を貫こうと爪を振りかざした千影。押し留めるも弾き飛ばされた者を尻目に、真っ直ぐ千影を待つように腕を広げた詠子。
 ――どんッ。
 一瞬で詠子が消え。
 何か、細かく口元と手を動かしながら居た陽一郎が飛び込んでいた。
 そのまま貫かれる、生徒会長だった男の身体。直後、爪に抉られて弾け飛んだ氷が皆の身体へ当たり、それを避けながら、呆然と棺を見つめている詠子を引きずって避難し――

 ――これで、楽になれる――永遠に

 意識を保ったまま、月詠と身体が重なった陽一郎がそう呟いたと見えた次の瞬間。

 光が、弾けた――

「何が、あったんだ…一体。ってあれ?月神は?」
 あの室の中で、確かに自分達の側へと連れてきた、彼女の姿は、少しずつ起き出してくる皆の中には見えず。
「…どうなったの…万輝ちゃん…」
「おいで。大丈夫、ほら…夢が、終わるよ、チカ」
 いつの間にか、学校は終わっていたらしい。
 ひと気の無い校庭に、夕暮れが訪れていた、が――その空の一端が、もう1つの顔…昇って行く日の光に少しずつ、溶け出して行く。
「こんな夢、滅多に見れるものじゃないですね…覚えていられると、いいんですが」
「ええ、本当に」
 封印は成されたのか。
 詠子はどうなったのか。
 ――陽一郎の姿も見当たらない。チカに胴体を貫かれたのだから、『死』んで、どこかで目覚めていると言うのが今までの流れで行くと自然なのだが。
 何となく。陽一郎だけは、戻ってこないような…そんな気が、した。

「ああ。自分が消えル感覚ってこんな感じかも知れまセンねぇ」

 …そんな言葉も、日の光に溶けて、消えていく。
 それはまさに、雪解けの感覚。
 本来の自分へと戻る道標。

 そして。
 夢は終わり、
 幕は引かれた。
 残るのは、ほんの僅か残る思い出。
 それすらも――薄れ…消え去って行く。

*****

「で、この依頼なんだが…ふああああ」
「また欠伸?このところ続いてるのね、武彦さん。疲れ、溜まってるんじゃない?」
「いいや、夜も良く寝てるし。何の問題も無い…って、何してるんだ?零」
「頭が疲れた時には甘い物が効くって言いますから、チョコレートがあったかなと思いまして」
 ああ、これこれ、と取り出したのは、駄菓子コーナーでしかお目にかかれないような懐かしのシガレットチョコ。
「懐かしいな、これ。昔まだタバコ吸えなかった時代には良く気分だけでもって咥えてたもんだったが」
 ついでに、とその場に居た3人で一本ずつ分けてぱくりと咥える。そこに、
「こんにちは〜っ」
「遊びに来ましたよ…じゃない、何か手伝えるようなものはありませんか?」
 みあおと虎太郎が真っ先にドアを開けて中へと入ってくる。
 続けて、ぞろぞろと。
「…なんだお前ら、揃いも揃って何しに来たんだ?」
 シガレットチョコを咥えた説得力の無い声が、呆れたように語尾を跳ね上げる。
「ご挨拶ですね。――いえ…確かに、今日ここへ来る時は1人だったんですが」
 セレスティが小さく頤に手を乗せ、
「不思議なことに、ドア前でミナサン揃ってしまったんデスよー」
 にこにことデリクが笑いかける。
「――ところであなた。今日は随分変わったものを口にしているのだな?それはタバコではないだろう?」
「ん?ああ。零がどこかから見つけてきたヤツさ。懐かしのシガレットチョコだよ。食うかい?」
「それ…草間さんのだよな…あれ?違ったっけ」
 嵐の言葉に応えるように、ぴこぴこと口元で上下する、紙に巻かれたチョコを――黙って見つめる皆。それを見た武彦の方が何故かうろたえてしまう。
「そうなのよね…最近どこかでこれをしょっちゅう見ていた気がするの」
 食べずに指で挟み、ゆらゆらと動かしていたシュラインがぽつりと呟き。
「そうでしたか?――でも、そう言えばこのチョコ、なんでこんなにここに置いてあるんでしょう」
 箱買いしたのだろうか、と思う程の量を、眉を寄せながら零が呟く。まさか自分に黙ってこんな無駄遣いはしないだろうと思うのだが…。
「なぁ〜ん」
 かしかし、と箱を開けようとしている黒猫――万輝が連れて来たものらしい。目をきらきら輝かせてチョコレートの箱と万輝の顔を往復している猫が、甘えた声を出す。が、万輝は苦笑いしながらゆっくりと首を振り、
「駄目だよ、チカ。チョコは身体に悪いからね。ほら、とりあえずこれで」
 ポケットから出した煮干をぱりぱりと齧り、満足したか万輝の頭の上にずんっ、と乗りあがって器用にしがみ付く。
「可愛い猫ですね。チカちゃんって言うんですか。あら…私、この子にそっくりな女の子に会ったことがあるような気がします」
「黒髪で、緑の目の?それならあたしもあるよ?おんなじチカちゃんって名前だったから覚えてる」
 みあおが黒猫へと大きく手を差し出し、黒猫がその手の匂いを嗅ぐように顔を寄せ、それから少しざらついた舌でぺろりと舐め上げた。
「――で、なんで今日はこんなに人が来てるんだ?俺が呼んだ訳でも無いし、大きな依頼が入ってるわけでもないんだぞ?」
「なんでしょうね」
 虎太郎が大きく首を傾げた。
「不思議デスねえ。デモ、今日は来なくてはならない用事があった様な気がするんデス」
 こくこく、と頷くデリク。
 その言葉に弾かれたように顔を上げたのは、今日何となく集まって来ていた全ての面々だった。

 まるで、誰かと約束していたかのように。

「なぁう」
 ぴくっ、と千影が耳を立て、入り口をじぃっと見やる。見開いた目に気付いた万輝がドアへ顔を向け、それに釣られるように他の者も目を向けた。
 その場にふわりと浮かぶ影。規則正しい足音、そして。
「――ここ、探偵事務所だよね?」
 入ってきた少女の第一声が、それだった。
 きょとんとした顔で、自慢ではないがあまり広いわけではない事務所内にいる10人以上の人間の姿を見、またその集まっている年齢性別雰囲気がばらばらな様子に一度首を傾げ、それから一旦外に出て張られている名前を確認し、再び中に目を通す。
「変な依頼かもしれないんだけど、いいのかな。この興信所なら、妙な仕事でも請け負ってくれるって聞いたんだ」
 ぴく。
 武彦の眉が、跳ね上がる。
「ええ、どうぞ中へ。どんな話なの?」
「うん――」
 高校生だろうか。何処と無く着慣れない様子で制服を弄っている黒髪の少女が、中で少女を凝視している皆に怖気づいたように数歩入ったところで足を止める。
「…ボクの大事な人を、探して貰いたいんだ」
「人探しか。別に変な依頼じゃないだろうが…続けて」
 武彦が促す。うん、とその少女がもう一度頷いて、
「――何処の誰かも分からないんだけど」
 そう、言葉を続けた時に、無言で机に突っ伏す武彦の姿があった。

「顔も知らない人なんだ。でも、ボクには大切な人だよ。…何でか知らないけど、そう、思うんだ」
 少女の、形の良い眉が少し歪む。
「その人は、ボクの事、きっと知ってる。ボクが生まれた理由を、きっと…知ってる」
 少女の目が、語っている。大切な誰かに会いたいと。探し出したいと。

「…随分と難しい人探しだな」
 沈黙の後、武彦の口から出て来たのはそんな言葉だった。
「時間も金もかかるぞ。――かかっても、探し出せない事もあるが」
「やってくれるの?」
 本人も9割方諦めていたのだろう。武彦の言葉に、逆に不思議そうに問い掛ける。
「長期戦になりそうだからな、仕事の合い間を縫う事になりそうだが。それでいいなら、な」
 相変わらず口にシガレットチョコを咥えたまま、大人数を挟んで目を見交わす2人。
「はい!」
 大きく頷いて、ようやく肩の荷が降りたようにほぅっと息を付く少女。
「そうだ。まだ名前を聞いていなかったな」
「あ、そうだったごめん。ボクの名はね――」

 もしかしたら、聞かずとも分かっていたのかもしれない。
 少女の口から零れ落ちる言葉に、遠い何処かで会った事があるような…そんな思いは、その名を聞いて確信へと変わった。
 彼女との思い出は、曖昧な感情でしか滲み出て来なかったけれど。
 それでも、分かっていた事――黒猫が、間髪入れずその少女の胸へ飛び込んだように。
 いつの間にか彼女を囲んでいた面々が口々に言う。それが当たり前のように。

 おかえり、と。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / クラス】

【0086/シュライン・エマ    /女性/2-A】
【1415/海原・みあお      /女性/2-C】
【1511/神谷・虎太郎      /男性/2-A】
【1883/セレスティ・カーニンガム/男性/3-A】
【2380/向坂・嵐        /男性/1-B】
【2748/亜矢坂9・すばる    /女性/2-A】
【3432/デリク・オーロフ    /男性/1-B】
【3480/栄神・万輝       /男性/1-B】
【3524/初瀬・日和       /女性/2-B】
【3689/千影・ー        /女性/1-B】

NPC
草間武彦
草間零
月神詠子
繭神陽一郎

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■         ライター通信          ■
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長らくお待たせしまして申し訳ありません。「幕を引く手」をお届けします。
この話はイベントのエンディングに当たる部分で、全員同じ文章で仕上げさせていただきました。その代わりと言ってはなんですが、少々ボリュームを多めにしています。
予想通りと言えばその通りなのですが、10人参加していただいた中で封印に明確に賛成した方が2人、反対した方が6人。他2人は中立との事で、それに合わせたストーリーを展開しています。
少し公式のエンディングに添った形になりましたが、これが賛成多数であったり、本体の解放のみを望む声が多かった場合はまたがらりと違ったストーリーになっていたと思います。
各PCの生き様や生い立ちを底に敷いたプレイングは、クリエーターになって良かったとしみじみ思わせて貰いました(笑)
最後に、この2ヶ月のイベントで様々な場所に参加いただきありがとうございました。
今後はようやく普通の調査依頼を出せそうですが、その時にはまた宜しくお願いします。
多数の参加ありがとうございました。

追記:我がNPCは、OPのみの出場となりました。積極的に封印を推し進めるPCが多ければその妨害も考えていたのですが、上にも書いた通りの状況でしたので出番を作る間が無く…(笑)近く、外伝として東京怪談のクリエーターページに載せようと思っていますので、宜しければそちらも御覧下さい。

間垣久実