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<東京怪談ノベル(シングル)>


愛玩動物博覧会

 雲が薄くなり、空が随分と高くなった。
 朝から快晴の日曜日。今日は暑くなりそうだった。夏も終わって久しく、過ごしやすい季節になったが、それでも晴れた日中は少し汗ばむ。今はちょうどそんな、寒暖の差の激しい時期だ。
 海原・みなも(うなばら・みなも)は、とあるデパートの催し場フロアに足を運んでいた。
「えーと、ここですね」
 メモと会場名とを照らし合わせ、みなもは中に入った。出入り口には看板が出ている。『ワンニャン・愛玩動物博覧会2004』とある。一目でペットショー関係のイベントだとわかった。
 博覧会は土日に行われているのだが、どうやら土曜の人出が思ったよりも多く、この調子では日曜にはもっと予想以上の客入りがありそうだということで、急遽、追加要員が募集されたのだ。そこで、人材派遣会社よりみなもにお呼びがかかったのである。
 動物を扱う雑用兼裏方だということだった。経験はあまりないが、がんばろう。アルバイト控え室らしき一室を発見し、みなもは扉を開けた。
「アルバイトで参りました、海原みなもです」
 まずは大きな声で挨拶と、会釈を。そして顔を上げたみなもは、一瞬だけ、目を疑った。
 部屋の中は、犬猫の国だった。トラ猫、三毛猫、ブチ犬にムク犬までいる。けして本物の動物がいたのではない。犬と猫を模した衣装を着た女性コンパニオンで溢れていたのだ。
「あなたが臨時で入ってくれる子ね」
 バイト指導担当の名札をつけた女性が、コスチュームの林のなかから現われた。彼女だけ普通の服を着ているのが、いっそ奇妙なほどである。
「早く着替えて。裏方といえども、表舞台との行き来があるからね。外にも出るし、宣伝効果があなどれないのよ」
 挨拶もそこそこに、差し出された衣装を、みなもは受け取った。奥の着替えスペースに行って広げると、やはり、というかそれしかないだろ、というか。
「犬、ですか……」
 こげ茶色の、伸縮性のあるボア地の衣装だった。時間がないようなので、みなもはそれを手早く身に付けた。
 まず、体にぴったりしたラインの、ノースリーブのワンピース。ほこほこしたボア地は、見た目以上に温かかったが、丈は短かった(特に、身長の高いみなもが着ると余計にミニ丈になった)。なので、それだけならむしろ剥き出しの腕や脚が肌寒くなるくらいなのだが……同じ生地でできた長手袋と、ハイソックスがついている。
 それらも着てしまうと、一気に温かくなった。温かい、というかむしろ少し暑い。次に、テグスで繋がったこげ茶色のつけ耳を、ピンで留めてつけた。ちょうど本物の耳が隠れるようになって、犬耳少女の風情になる。しかしこれがまた、耳当てをしているような状態になって、暑さに拍車をかけた。
 これを着て動き回ると……ひょっとしなくても、ものすごく暑いのではないだろうか。
 うっすら不安になりつつ、最後のチェックに、みなもは鏡を見た。
 この衣装のイメージは、こげ茶のレトリーバーか何かだろうか。ハイソックスにはヒールのついた靴底がついていて、そのまま外を歩けるようになっている。分厚いボア地のおかげで、思ったより体の線は出ていないが、スカート丈の短さがやはり気になった。しゃがむ時は気をつけなければならなさそうだ。
 胸に骨型の名札をつけて(猫だった場合は魚型だったようだ)、みなもは更衣室を出た。
「あら、似合う似合う。あと、これも忘れないでつけておいて」
 担当の女性は歓声を上げると、赤いリボンのチョーカーを手渡した。大きな金色のコインがついていて、それには有名なペットフードメーカーのロゴが入っている。イベントのスポンサーなのだろう。
「よしよし。じゃあみんな、今日もがんばってくださいね〜!」
 犬猫コスチュームのコンパニオンたちを見回して、担当者は笑顔だ。嬉しそうである。ひょっとして、コスチュームを決めたのは彼女かもしれない。
「仕事は難しくないから、この子と一緒に動いてね。じゃあよろしく」 
 他にも回るところがあるのか、担当者はみなもにそれだけ声をかけると、いそいそと部屋を出て行った。
「よろしくね」
 トラ猫衣装のコンパニオンが、みなもに向かって会釈した。今日一日、彼女が相棒になるらしい。
「よろしくおねがいします!」
 ぺこりと、付け耳を揺らして、みなもは頭を下げた。

                                
 博覧会は、様々な品種の犬猫の展示と、触れ合いコーナー、ペットグッズや関連本の販売といった様々なコーナーで構成されている。
 まずみなもがした仕事は、ケージを出したり、販売コーナーの商品出しを手伝ったり、という物資運搬だった。
「や、やっぱり、暑いですね、この衣装」
「そうよー。こんなの絶対、冬の衣装よねえ」
 早くも軽く汗ばみ、息を切らしているみなもに、トラ猫のお姉さんが笑った。
 しかも、雑用とはいえ、仕事は結構な重労働だった。開場後、みなもは身をもってそれを知ることになる。
 ずらりと並んだケージの、水の補給も裏方の仕事だった。
 給水機のボトルを籠いっぱいに詰めて(これがまた、水が入っているので重い!)、交換して回っていれば、お客に声をかけられる。コスチュームを着ている以上、裏方だということはお客様にはわからないのだ。トイレはどっちだ、とか、案内を頼まれる度に仕事が中断される。
 休憩所の前を通りかかったときには、
「すみません、記念撮影お願いします」
 と声をかけられた。なるほど、休憩所は犬猫のイラストでかわいらしく飾られていて、写真撮影にはぴったりに見える。みなもが、てっきりシャッターを頼まれたのかと思って快く応じたところ、グイと強引に腕を引かれた。一緒に写真に入ってくれという意味だったのである。
「よかったねえ、ワンワンのお姉さんとお写真撮れてー」
 子供もお父さんも大喜び。そして、それを見た周囲の人が、我も我もとカメラを持って寄って来て…………。
「ああいうのは、適当に断わらなきゃ身が持たないわよ!」
「は、はいぃ……」
 気付いたトラ猫お姉さんに助け出された時には、みなもは人の熱気でかなりの体力を消耗していた。
「あ。もう食事の時間だわ」
 裏に引っ張っていかれ、次にみなもはドライフードの山と格闘することになる。
 そう、自分たちの昼食ではなく、犬猫たちの食事の時間ということだったのだ。
「猫のほうお願いね」
 トラ猫お姉さんに習い、みなもも、猫用ドライフードをお皿に入れていった。マニュアルによると、最後に付属のカツオ節をかけるように、とある。今CM中の、スポンサー提供のキャットフードだ。
「へえ。なんか、ちょっと、美味しそうですね」
「食べちゃダメよ海原さん」
「た、食べませんよー!」
 などとふざけあったのだが、そのカツオ節が、後にみなもに災厄を運ぶことになろうとは、その時は夢にも思っていなかった。
 午後からは、仕事内容がまた変わった。触れ合いコーナーの管理係が、みなもたちに回ってきたのだ。
 多数放された、可愛い犬や猫を抱いたり撫でたりできるという人気コーナーだ。お客と、犬猫との触れ合いを仲立ちするのは専門職のトレーナーの仕事で、みなもたちの主な仕事は粗相の処理だった。
 しゃがんでいる子を発見したら、掃除しに行くのだ。これがまた、お客様が汚物を踏んだりしないように、速攻で作業をせねばならず、常に気を張って見ていなければならない。
 触れ合いコーナーは二つに区切られていて、犬がいる場所と猫がいる場所とがある。
「海原さん。ちょっと、猫コーナーのほうお願い」
「はい!」
 道具を持って、みなもは20匹近くの猫が放された部屋の中に入った。隅に配置されたトイレを見ると、そろそろ掃除時だ。
 みなもが、シャベルと紙袋を持って、猫トイレの前にしゃがみこんだ時。
「きゃ!」
 背中に、重たいものが圧し掛かってきた。大きな、長毛種の猫だ。ボア地に爪をたてて、みなもの背にはりついている。
 驚いたが、振り落とすわけにはいかず、背中からはがそうとするみなもの腕に、のし、と、もう一匹猫が乗った。
「きゃあぁっ!?」
 のし、のし、のし。一匹、また一匹と、猫がみなもの上に乗る。フゥフゥぐるぐる、荒い息遣いと喉を鳴らす音とが、耳に覆い被さってきた。猫たちは興奮状態だ。ヨダレまで垂らされた。
 一体、何が彼らをひきつけているのか、全くわからない。みなもは混乱した。
「だ、大丈夫!?」
 トラ猫お姉さんが、異変に気付いて助けに来てくれた。猫を背中から剥がしてもらって、みなもはやっと立ち上がることができた。
 猫たちはお姉さんによって追い払われたが、尚も熱い視線でみなもを見上げている。一体何故!? みなもは涙目だ。
「海原さん。髪の毛」
 お姉さんに言われて、みなもは自分の髪を見た。深い海のような色の髪に、絡み付いているのは……カツオ節だった。
「い、いつの間に!」
 もちろん、ついたのは食事の準備をしていた時だろう。そういえば、キャットフードの説明に、マタタビ粉つきカツオ節だと書いてあったような気がする。猫にカツオ節とはこのことだ。
「こっちはやっとくから、犬のほうお願い」
「はいぃ〜!」
 後はお姉さんに任せて、みなもは猫たちの熱い視線から逃げ出した。


    ++++++++++++++++


 博覧会は無事に閉会した。
 帰宅し、食事とお風呂を済まして、みなもは疲れた体をベッドに横たえた。
「ほんとに、疲れました……」
 トラ猫お姉さんと最後にした仕事は、犬たちの散歩だった。一人で綱を5本ずつ持っての散歩はなかなか壮観だったりした。犬たちはというと大喜びで、みなもも楽しくなってしまったくらいだ。あの衣装のままで街に出たのは、少し恥ずかしかったが。
 一日の労働で、衣装はすっかり汚れてしまっていた。他のコンパニオンたちもそれは同じだったようだ。
 今、こげ茶の犬の衣装は、たたんで机の上に置いてある。
 担当者の人に聞いてみると、汚れた衣装は処分してしまうということだったので、もらって帰ったのだ。
 また着ることはないかもしれないが、記念にはなる。
 今日のバイトも、いい経験になった。そう思いながら目を閉じると、すぐに、心地よい眠りが訪れた。

                                   END