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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


或る人形との邂逅


 人類が土地という土地を切り開き、その上に己の文明を築き上げていく。
 都市が肥大化をつづけていくうちに、我々の支配が及ばない領域などこの地上から消え失せてしまうのではないかと――そんな風に思っていた。
 が、未開の地は依然として処々に存在している。例えば、今彼が歩いている山奥などがそうだった。
 華々しい文明の象徴たる街は、今や遠く地平線の彼方に沈んでいる。そびえ立つビルの一片すらここからは視認することができず、近代的な街並みに代わって、鬱蒼とした木々が彼を取り巻いていた。
 忌々しい思い出しかないあの場所も、ここに比べれば幾分過ごしやすい世界であったのだと、今更ながら思い知る。そうして彼は、自分が未だに「人間であった頃」の習性から抜け切れていないことに気づいて落胆するのだ。
 人が人のために築いた場所でしか満足に生活できない。なんて脆弱な生命体。人間を嫌悪すると同時に、己がまだ彼らの同胞であったならば、それはどれだけ幸せなことだろうと……、
 救いのない思考を延々と巡らせ、彼は歩く。
 ひたすら歩く。
 背の高い草木に足を取られ、枝に服を引っかけ、皮膚を引き裂かれながらも。
 そんなものは厭わず、ただ歩きつづける。
 特に目的地を定めているわけではない。
 歩いていればどこかに辿り着けるという確証もなかった。
 歩くことそのものが目的でもあるかのように、黙々と彼は前進する。
 上っているのか下っているのかもわからない。
 やがて何かを考えるのも面倒くさくなってくる。
 夢を見るように彼の意識は身体から分離していき、そのうち足だけが機械的に運動を繰り返すようになる。傍目には夢遊病患者か何かのように見えたかもしれない。何も考えていないのだから、夢遊病とさほど変わりはないだろう。
 こんな風にふらふらと彷徨いつづけて、一体どれくらいになるだろう……?
 胡乱な頭で日数を数えようとしたが、単純な計算をするのも億劫だった。
 陽が昇り沈む、それだけの単調な繰り返しを誰がいちいち数えているというのだ。
 僕には無理だ。僕には……。
 それでも、なんとか思い出そうとした。
 半年……いや、一年?
 体感した時間はそれより長い。
 違う。
 四ヶ月近くだ……たったの四ヶ月。
 彼は歩くのをやめ、その場に座り込んだ。何か理由があって足を止めたのではなく、歩く気力がなくなったという、それだけのことだった。
 四ヶ月。まだ四ヶ月と言うべきか、もう四ヶ月と言うべきか。どちらでも構わない。とにかく無為な四ヶ月だ。
 巨木の幹に背を預け、彼は頭上を振り仰いだ。鬱蒼と生い茂る樹木の間から僅かに空が覗く。
 風が葉を揺らしており、木漏れ日がちらちらと瞬く。その動きに規則性はない。
 人間の生きる年月を遥かに超えて光合成を行っている以上、木々は地球にとって理にかなった生命の形態なのであろうが。
 彼には、好き勝手に伸張した結果がこの忌々しい森であるように思えてならない。
 規則性も法則性も計画性もなく、伸びただけ、生きつづけているだけ、だ。
 まったく、なんて忌々しい。
 このまま、生きているのか死んでいるのかもわからない状態でこの自然に同化していくのかと思うと、彼は怒りとも焦燥ともつかない気持ちにかられる。それ以外に道がないことを、彼は良く知っていた。生い茂る木のように朴訥と生きていく以外、どんな選択肢があるというのだろう。
 目を閉じると、既に慣れ親しんだ闇が彼を包み込む。
 闇の中から呼びかける声がする。

 ――幻殿、と。

 耳に心地良いその声を、しかし彼は疎ましく思った。
 海の向こうに置き去りにしてきた故郷を懐かしむようなもので。
 戦争に滅ぼされてしまった風景を思い描くようなもので……。
 そんなものは残酷なだけじゃないか。
 彼は微かに首を振った。考えまいとする。考えまいとして生きているが、どうしても脳裏からその姿を消し去ることはできない。不毛だった。
 立ち上がると、もと来た道とは違うコースで、彼が住んでいる廃墟のほうへ引き返し始めた。
 廃墟があるというからにはかつてここで人間が暮らしていたのだろうが……きっと、この忌々しい木々どもに嫌気が差して出ていってしまったのだろう……あるいは……あそこに住んでいたであろう彼(彼女)は既に朽ち果て、自然に帰してしまったのか……
「――!」
 まどろみから醒めたように思考が途切れた。びくりと全身を警戒させる。
 彼は咄嗟に岩陰へ身を伏せる。首を少し伸ばして、山の下方を見やった。
 小川がちょろちょろと水音を立てて流れている。その前に、一人の女が立っていたのだ。実に四ヶ月ぶりに目にする人間だった。
 彼女は何か大きな板のようなものを抱えており、空いたもう一つの手をその上で盛んに動かしている。
 絵描きか……?
 こんな山の中の、人気もない小川でやることなど限られている。釣りかキャンプか――スケッチか。
 彼は岩陰に身を隠すようにして、そろそろとその女に近づいていった。と……、
「よお、ゴースト」
 何の前触れもなくこちらを振り返った女が、声を発した。彼は身体を強張らせた。
 風にさらさらと揺れる黒い前髪の下に金色の瞳が覗き、瞬きもせずこちらを見つめていた。
 不思議な雰囲気を纏った女だった。
 特におかしなところがあるわけではない。黒い繋ぎを着た立ち姿は凛として心地良い。鼻の上に傷跡があるが痛々しいものではなく、むしろ彼女の容姿を引き立てている。金色の瞳は人間離れしていたが、全体的に見ればごく普通の、年の頃でいったら十五、六の少女だった。
 が――
 何だろう? 彼女は何か、人間と違う。
 漠然と、彼はそれを感じ取る。
「一ヶ月あんたを観察してたが……」女が口を開いた。「随分と繊細だな。あんたの眼はまるで罠にかかったウサギみてぇだ」
 言葉遣いは乱暴だったが、口調は穏やかなものだった。
 四ヶ月も放浪生活をつづけていたことで彼の出で立ちは奇怪なものになっていたはずだが(それを自分で確かめたことはない)、女には怯える様子もなく、動揺なども一切見られなかった。
「貴方は……誰だ」
 彼は低い声で問う。人の言葉をまだ忘れていなかったらしい、などと皮肉なことを一瞬考えた。
 その女が自分を知っているのは明らかだった。観察していただとかいう不穏な発言以前に、彼女は自分を『ゴースト』と呼んだではないか。幽霊、と。
 彼女は、ふ、とやわらかい笑みを浮かべる。乱暴な口調には不釣合いな笑顔だ。
「俺はグザイ。そういう名の、ホムンクルスだ」
 彼は眉を顰める。
「ホムン……クルス?」
 耳慣れない単語というほどではない。意味は理解できる。
 パラケルススが行ったと言われている錬金術の一つである。すなわち人工の生命体だ。
 人間と違う、と感じたのはそのためか……?
 自身が非科学的な存在であるが故に、彼女が口にした言葉を特に不思議とも思わなかった。むしろなぜ自分を『ゴースト』と呼んだのか、そのことを訝る。
「貴方は、一体……」
 何者なのか、という問いは無意味な気がした。仮に同じ質問をされたとしても、彼には答える術などないからだ。
 グザイと名乗った女は、絵筆と画板を岩に立てかけると、彼に向かって手を差し出してきた。
 握手しろというのか……。
「あんたと話をしたかったんだ。構わないだろ?」
 差し出されたその手を取るか取るまいか、彼はしばし思案した。
 渋々と片手を出す。触れた手はとても冷たかったが、不快な温度ではなかった。
 グザイは、にっと笑った。
 金色の目が、悪戯っぽく彼を見つめていた。