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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


許愚像思

 自らが知らぬ内に、何かしらの行動を起こさせる結果となってしまったとすれば、それは罪と為り得るのではないだろうか。


 午後の穏やかな陽射しの中、モーリス・ラジアルは庭にティーセットを用意していた。さらりとした金の髪は一つに束ねられており、テーブルにクロスを広げて伸ばす作業に応じてさらさらと揺れた。モーリスはクロスの皺を緑の目で探し、掌で伸ばす。
「……これでいいでしょう」
 クロスは皺一つ無く綺麗に伸ばされ、テーブルを彩った。モーリスはそれに満足したように小さく笑い、今度はその上に紅茶のポットとティーカップ、そして真中には三段重ねのお茶請けを置く。
 今日のお茶請けは、季節のフルーツをふんだんに用いたケーキやタルト、ハーブの入ったクッキー、そしてスコーンだ。スコーンにつけるジャムは、ブルーベリー、ストロベリー、マーマレード、アップルの四種類。それにバターと蜂蜜が用意されている。紅茶に入れるための砂糖は黒砂糖と白砂糖の二種類用意してあり、当然のように檸檬とオレンジの薄切りもある。
「完璧ですね」
 モーリスはテーブルのセッティングを完了させ、自らの仕事に満足する。
「いい香りですね、モーリス」
 セッティングの完了と同時に、セレスティ・カーニンガムがやって来た。ウェーブががった銀の髪をふわりと風に揺らし、優しい青の目でテーブルとモーリスを見比べて微笑む。
「セレスティ様、どうぞ」
 陽射しを避ける木陰の場所に置いていた椅子をすっと引き、モーリスはセレスティをテーブルへと誘った。セレスティは小さく頷き、テーブルについた。同時にセレスティのついてきた杖を自然に受け取り、杖を木に立てかけた。
「今日の紅茶は、アッサムです。一番葉が手に入りましたので」
 砂時計の全ての砂が落ちたことを確認し、モーリスはセレスティのティーカップに紅茶を注ぐ。紅い液体が、ふわりとした白い湯気をあげながらティーカップへと注がれていく。同時に、良い香りを風に乗せながら。
「ああ、やはりいい香りですね」
 セレスティはそっと目を閉じ、香りを楽しむ。その様子にモーリスは少し嬉しそうに口元を綻ばせ、ティーカップをセレスティの前に置いた。
「どれをお取りしましょうか?」
 モーリスは皿を手に取りながらセレスティに尋ねる。
「では、スコーンを頂きましょう。蜂蜜と林檎のジャムを添えてください」
「畏まりました」
 セレスティの指示通りに、モーリスは皿にスコーンと蜂蜜、ジャムを盛り付ける。それをセレスティの前に置き、セレスティと少し後ろに控える。
「有難う」
 セレスティは礼を言い、ティーカップを手に取る。立ち昇る湯気の匂いを楽しみ、そっと口に含んだ。途端に広がるアッサムの味に、満足そうに息をつく。
「……素晴らしいですね」
「有難う御座います」
 セレスティの賛辞に、モーリスは頭を下げた。セレスティは微笑みながらスコーンを手にする。焼きたての温もりを残したスコーンは、優しい甘さがある。
「セレスティ様。先日、不思議な場所に行って参りました」
「不思議な場所、ですか?」
「ええ。涙帰界という、不思議な力が作用した場所なのです」
 モーリスは思い返す。不思議な力としか言い表す事が出来なかった。同じように存在する世界の中の、異質な空間。そこで繰り広げられた出来事たち。今こうして、セレスティの傍に立っている現実とあまりにもかけ離れていた。
「そこで、何があったんですか?」
 静かに、だが興味深そうにセレスティは尋ねた。モーリスは思い出すかのようにそっと目を閉じ、再びゆっくりと開ける。
「虚を抱く湖に出会いました」
「湖、ですか」
「はい。意識がある湖だというのに、自らが虚であると感じて苦しんでいたようです」
「虚であるのに、苦しんでいたのですか」
「そうです。……矛盾を感じずにはいられないのですが」
 セレスティは再び紅茶を一口のみ、小さく呟く。
「ですが、苦しみで虚を埋めるのはもっと辛いでしょう」
 虚であるのに苦しむというのは、確かに矛盾だった。本当に虚であるのならば、苦しみすら感じぬのだから。だが、だからといって苦しみを感じることで虚を埋めるのはもっと辛かったであろう。
(だから、私達の思いを得ようとしたのでしょうか……?)
 恐らくあの湖は、自分だけだと苦しみでしか埋められぬと気付いたのだ。だからこそ、自らがまた再び力の破片として吸収されると分かっていても、虚を別の感情で埋めようとしたのだろう。
「モーリス」
 セレスティに名を呼ばれ、モーリスははっとする。セレスティはそんなモーリスに微笑みかける。
「一緒にお茶を飲みませんか?折角ですから」
 セレスティは自らの隣にあった椅子を引きだし、モーリスを誘う。モーリスは微笑み、頭を下げる。
「では、お言葉に甘えまして」
 モーリスはそう言うと、もう一揃えのティーカップに紅茶を注ぐ。ふわりと白い湯気と良い香りが漂う。
「それで、湖は虚を埋める事が出来たのですか?」
「はい。……ただ」
 モーリスは頷き、黙り込んだ。
 虚を埋める為に湖が取った手段は、心に思う人を映し出すというものだったのだ。即ち、モーリスの場合であればセレスティ以外には考えられぬ。
(実際に、あの場所にセレスティ様を連れてきた事になっていたら……)
 意識があるにしろ無いにしろ、それはモーリスにとっては不本意以外の何ものでもなかった。自分の知らないうちに、そのような目にあわせたというのが、気にくわない。
「……モーリス?」
 セレスティに声をかけられ、モーリスは顔をあげる。セレスティはただ微笑みながらモーリスを見ている。話したくないのならばこれ以上聞く事をしないという意思表示であり、同時に話したいのならばいつまでも待つというものでもあった。
 モーリスは落ち着かせるように紅茶を一口のみ、そっと口を開く。
「……虚を埋める為に、湖は私の心を映し出しました。私が思う人を映し出し、その感情で虚を埋めようとしたのです」
「それは……」
 セレスティは口を開きかけ、気付く。モーリスが瞳に不安を含みながら自分の方を見ていることを。
(モーリスは、不安に思っているのですね)
 小さく、セレスティは微笑む。
(私がきっと、映し出されたのでしょうね。そして、それが私本人であったのではと)
 可愛い、と素直にセレスティは感じる。モーリスの知らぬ内にセレスティに怒ってしまったのかもしれないという事態に対し、心から不安に思っているのだ。心配と不安が入り混じった、そうでなければいいという願いも含めた感情が伝わってくる。それと同時にある、偽者だった場合にセレスティに擬態したという憤り。
(本当に、可愛い人ですね)
 セレスティはそっと微笑み、紅茶を口に含む。紅茶の柔らかな甘味が、ほろりと広がっていく。
「大丈夫ですよ、モーリス」
「……セレスティ様」
「大丈夫です。安心していいですよ」
 モーリスは感じる。先程まで抱いていた様々な感情が、さあ、と晴れていくのを。
(全てを感じてくださったのですね)
 自分でも言い表せぬ思いを、感情を、言葉を。全てをセレスティが受け止めてくれたのを、モーリスは確かに感じた。
(完璧にこなさねばらないというのにも関わらず、落ち度を作ってしまった私を)
 もしかすると、それは落ち度ではないのかもしれない。だが、その可能性が全く無い訳ではないのだ。
(ですが、セレスティ様は『大丈夫』と仰ってくださいました)
 どういう意味で言ったのかは、はっきりと口に出された訳ではない。だが、どちらでもいいような気がしてくるから不思議だ。どちらにしても、モーリスはこれ以上不安にかられる必要は何処にもなくなったのだ。
「モーリス。私はその湖によって導かれた覚えはないのですが……」
「ええ。ですが、無意識のうちとも考えられます」
 セレスティの言葉を、モーリスが続ける。既に不安も何も無い。ただ事実の確認作業のみが行われているだけだ。
 セレスティは一つ頷き、口を開く。
「とても不思議で……貴重な体験でしたね」
 モーリスはセレスティの言葉に深く頷いた。そう、どちらにしても不思議で貴重な体験というものには変わりは無い。こうして今、セレスティと二人でいるという事実も。
「また、そのような体験ができるといいですね」
 セレスティはそう言い、にっこりと微笑んだ。丁度、紅茶のカップが空となる。モーリスは椅子から立ち上がり、新たに紅茶をティーカップに注ぎながら微笑む。
「はい。また体験した暁には、是非お話させてください」
「是非聞かせてください。楽しみにしていますから」
 紅茶がティーカップに注がれる。午後の柔らかな陽射しを受け、紅の水はきらきらと光を反射している。良い香りが風に乗って広がる。今こうして、二人で笑い合っている。
「素晴らしい午後ですね」
 セレスティが新たに入れてもらった紅茶に口をつけ、微笑みながら呟いた。
「本当に、素晴らしい午後です」
 モーリスは紅茶ポットを置き、椅子に座る前にそっと空を見上げた。
 青い空には、雲ひとつ無かった。モーリスの心の如く、何処までも澄み切った青が続いているのだった。


 罪は罪のまま在るのではなく、自らが思うほどの罪ではないものも存在する。そしてそのどの罪も、誰かの手によって許される瞬間が訪れる。
 例えばそれは、微笑み一つ、言葉一つだけによって。

<愚かなる像も許される時を迎え・了>