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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


自殺ツアーへようこそ

------<オープニング>--------------------------------------


 愛する人を失った悲しみはそう簡単には癒えない。
 良く、そういう言葉を聞く。
 しかし今、実際にそうなってみて、その言葉が本当だったのかどうか、分からないでいる。
 ヒョッコリと顔を出すのではないか。押入れに隠れているだけなのではないのか。
 外を歩けば、スーパーの袋を提げたアイツとすれ違うのではないか。
 そんな思いが頭から離れず、だから、悲しいのかどうかも分からないでいる。
 少し前。まだアイツが生きていた時、死と命をテーマにした特集番組を二人で見たことがあった。あの時はまだ、隣からアイツが居なくなるなんて思ってなかった。
 テレビに出てくる小学生は、「人は死んだらまた生き返る」などというようなことを言っており、しかもそれを真剣に信じている風だったのを見て、軽く衝撃を受けたのを覚えている。
 人は死んだら二度と生き返らない。蘇ることなんて、ない。
 それはごく当たり前の常識であり、自然の摂理だ。
 だからこそ愛する人を失えば悲しくなるし、涙だって零すのだ。
「だからこそさ。生きるんじゃん? だって。今ここで終われるか? 俺らの人生」
 アイツもそう言って笑っていたのに。
 なのに今、アイツはいない。
 部屋にあった啓太の荷物を片付けながら、青木亮はただ呆然と虚ろな目で考える。
 なんでアイツが自殺なんてことをしなければならなかったのだろうか、と。



 四角い窓から差し込む光りの筋の中に、大量の埃が舞っている。それは三下忠雄が動くたび、居場所を変えフワフワと揺れる。
 こんなにも埃を含んだ空気を吸い込んでいるのかと思うとぞっとしない。早くこんな場所とはおさらばしたかった。しかし、問題の資料が見つからない。
 三下は棚から下ろしたダンボールに手を突っ込み、また紙の束を出し始めた。膨大にある資料や原稿。その中からたった一枚を見つけることは容易ではない。
 出来るだけ埃を見ないようにし、頭の中に今朝見た空を思い浮かべた。秋晴れの空に浮かぶ雲は、どこまでも薄く儚げだ。まるでその存在自体を、自ら消し去ろうとしているかのようだった。
 この埃にまみれた資料室とは偉く違う。そう思ったら気が滅入った。空を思い浮かべたのはまずかった。
 紙を取り出すたび、新たな埃が舞う。早く出てきてくれよ、と三下は祈った。
「まだ見つからないの」
 突然背後から声がして、三下はぎょっと体を竦ませた。ゆっくりと振り返る。碇麗香が立っていた。
「あ、はい」
「はいじゃないわよ。資料を探すくらいで何時間手間取ってるの」
「すみません」
「まあ」麗香がふっと溜め息を吐き出す。「いいわ。こっちはもういいからちょっと上まで戻って来てちょうだい」
 やっとこの資料室から出て行ける。三下はほっと息をつき、分かりましたと頷いた。


「それで。これを僕に調べろと?」
 デスクに踏ん反り帰る碇に三下は遠慮がちな目を向けた。
「そうよ。私の話、聞いてなかったのかしら」パソコンに目を向けたまま、碇が言う。
「聞いてましたけど」
 三下は口ごもった。その先の言葉が見つからない。
 要するに自分は行きたくない故の確認で、碇はそれが分かってもなお「私の話を聞いていなかったのか」と言ったのだから、何をどう言おうと事態は好転しない。
 まだ、資料室の方がましだった。
 デスクの上に置かれた、一枚のチラシに目を向ける。それは、自殺ツアーの案内状だった。赤い紙に黒い文字で「自殺ツアーへようこそ」と書かれてある。
 その下に、サイトアドレスのようなものが書き込まれてあった。
「とにかく」
 いつまでもそこに突っ立っている自分に苛立ったのか、碇が若干声を強めて言った。
 切れ長の瞳が三下を捉える。
「今回は、この自殺ツアーについて調べるの。このサイトにアクセスして、潜入取材するのよ。やり方くらい、分かってるわよね? ただ単純に集団自殺するだけじゃないわ。今さっきも言った通り、この自殺ツアーの裏には何かあるのよ」
「何かって……何ですか」
「分からないから調べろと言ってるのよ」
「ぼ。僕も死んだらどうするんですか」
「あら。貴方、自殺願望があるの」
「あ、ありませんけど」
「それに、心配なら誰かに助けて貰えばいいじゃない。一人で行けなんてことまでは言わないから」
 話は終わったとばかりに、碇がまたパソコン画面に視線を戻す。
 行くしかないのか、と胸の中で呟いた。
 行くしか、ないよな。


-------------------------------------------------------------------


001



 湿った単発音が一つ鳴る度、胸の中に得たいの知れないモヤのようなものが広がっていく。それは半紙に垂らした墨汁のように、じわりじわりと龍ヶ崎常澄の心に闇を広げる。
 その音から逃げようと耳を塞ぐも、隙間からとめどなく音は入り込んでくる。チョロチョロと水が流れる耳障りな音。ベランダの排水溝へと渦を巻く、透明な水の映像が脳裏に浮かぶ。
 雨が降っているということ。
 大きく暑い壁を持った屋敷でも、そのことをこんなにも常澄に知らしめてくる。
 雨の日が大嫌いだった。
 きっと苦しいのだと思う。辛いわけでも悲しいわけでもない。ただ、苦しい。そんな記憶を思い出してしまう。
 母が亡くなってしまった日。
 空からはそれを嘲笑うかのように、雨が降り注いでいた。母は自ら命を絶った。原因すらわからない。きっと聞いても分からなかっただろう。常澄がまだ物心つく前の話である。
 雨はそれを思い起こさせる。だから、嫌いなのだ。
 余り物を置かない自室で一人、出来るだけ窓から距離をおき座っていた常澄は、自分が生まれて始めて召喚に成功した悪魔、大食人面羊の饕餮を呼び寄せた。
 明確な意思を持って呼んだわけではなかったが、気持ちが塞ぎこむと心が勝手に呼び寄せる。人が見るとおぞましい姿をしているという饕餮が、部屋の中に音もなく現れた。彼は少しだけ驚き、何事だと辺りを見回す。部屋から部屋へ移動させられ、少し面食らったようだった。
 東京郊外に建つこの屋敷は、悪魔達の住処でもある。広い屋敷に人科の生き物は自分だけで、他の部屋は全て常澄が召喚した悪魔ばかりだった。
 辺りを見回していた饕餮は、けれどすぐに常澄に呼び寄せられたのだと気付き、近寄ってくる。四本足でヨタヨタ歩き足元まで来ると、何の躊躇いもなく常澄の手をかじった。
 かじられるのは慣れっこなので、もう何も言わない。むしろそれは程好い刺激を持った、スキンシップの一部でもあるのだと思う。
 雨は嫌いだ。
 もう一度胸の中で呟く。
「明日。人、来るかな」
 普段はこの屋敷を、悪魔の館として一般人にも公開していた。
 明日、人が来ればいいと常澄は思う。
「ねえ。めけめけさん」
 そう呼ばれ、聊か不快そうな表情をして饕餮が顔を上げる。どうもセンスがないようで、常澄がつけるニックネームは彼等に不評だった。
「雨も上がるかな」
 手をかじる饕餮が答えるはずもなかった。



「馬鹿馬鹿しい」
 ケーナズ・ルクセンブルクが吐き捨てるように言った。
「実にくだらん」
 足を組みなおし、フンと息を吐く。
 声こそ荒げなかったが、その言葉には荒ぶる感情が含まれているような気がして、ユウは思わずその顔を見上げる。余り、聞いたことのない声である。
 彼は怒っていた。
 何に怒っているのか。それはきっと、目の前の男が言った言葉にである。
 ユウはケーナズに向けていた視線を目の前に座る眼鏡の男へと向けた。休日の真昼間から、マンションを訪ねて来た男は、胃腸薬の匂いがきっと似合うだろうと思わせるような軟弱な体躯をし、黒縁のダサイ眼鏡をかけ、着古したグレイのスーツを着ていた。
 豪華なソファに浅く腰掛け、眼鏡の奥の瞳をキョトキョトと彷徨わせている。
「それで。それをお前が調べることになったんだな」
 ケーナズが威厳のある声で言うと、彼ははい、とうな垂れた。
「それで?」
「それで……その。ご一緒に」
「自殺ツアーにか」
 わずかにケーナズの声が低くなったのを敏感に感じ取ったのか、彼がただでさえ垂れている肩をますます下げ小さくなる。物言いたげな視線をチラリチラリと向けはするが、結局口は開かない。その伺うような目が、何だか可愛らしくて腹が立つ。
 行かなくていいんじゃないの、と口を挟もうとしたところで、腕を組みずっと押し黙っていたケーナズが口を開いた。
「いいだろう。行ってやる」
「ほ。本当ですか!」
 思わずといった風に前のめりになった彼を見て、ケーナズの目尻が僅かに緩んだ。ほんの僅かだったか、ユウは見逃さない。
 ふうん、だ。
「自ら命を絶つなんて、私には考えられない。止むに止まれぬ事情があるのならまだしも。ツアーだなんて、何だかふざけているような気がしないか」
「あれ思い出すよね。連れション」
 ユウが横から口を挟むと、「全くそんな感じだ」とケーナズが頷いた。
「もしも遊び半分に死を扱っているのなら、世の中には生きたくても不条理にも命を奪われる者が沢山いるということを、私が説いてやろう」
「そ。そうですよねっていうか、それは困りますというか。一応、そのツアーに参加するということなので、そのお。バレては取材にならないというか、何というか」
 彼の言葉にケーナズがフンと鼻を鳴らした。
「ツアーに参加するのは構わないが、私はどう見ても自殺したいようには見えないだろうな。そうだな、車道楽が祟って途方もない借金を抱えたから自殺するしかないくらいの設定は演じてやろう」
「あ。有り難いです」卑屈な態度でペコペコと頭を下げる。
 頬を緩ませながら頷くケーナズを見て、ユウは絶対この人楽しんでる、と思った。

×

「それでどういう関係なのさ。さっきの眼鏡の人」
 彼が帰った後、ユウは液晶の大画面テレビを見るケーナズの横顔に向かい切り出した。
 彼の部屋で暮らし初めて、二ヶ月ほど。始めて逢ったあの台風の日には、よもや自分がこんな風に彼と共に暮らすだなんてこと、想像もしなかった。
 自分は製薬会社に勤める彼から、新薬の開発具合を聞きだそうとしたスパイだったのだから。
 けれど本音はどうだろう。出逢った瞬間、少なくとも自分は、彼に惹かれていたのかも知れない。
 ここでの生活は快適だ。
 誰にも邪魔されたくないと思う。
 さっきのケーナズの顔を思い出した。彼を見る、温かい瞳を、だ。
「言ってよ。どういう関係なんだよ」
「何故そんなことを聞くんだ」
「分かってるくせに」
「分からないから聞いている」
「はいはい」ユウは肩を竦めた。「もういいよ」
「そうだなあ」
 テレビに視線を馳せていたケーナズが、ユウを振り返る。
「まあ。お前と同じ、ペットといったところかな」
 軽く、言った。またテレビに視線を戻す。
「お前と、同じ?」
 あの眼鏡が自分と同じ? あんなダサい男が自分と同じ? なんということだろう。
 ムカっ腹が立った。
「僕も行く」
 ケーナズがフンと鼻を鳴らす。
「何を言われてもついて行くからな」
 彼の長く美しい金髪と一緒に、耳をギュッと引き寄せる。
「僕も行く」
「勝手にすればいい」
 どうでも良さそうに、ケーナズが言った。



 白いテーブルは、所々に黒い染みが散っていた。煙草の火で焦がした跡だ。そんなテーブルに置かれた一枚の赤い紙を眺めながら、シュライン・エマは言った。
「手がかりはこれだけって言うのよねえ」
 膝の上に肘をつき、顎を乗せた格好でふうんと溜め息を吐く。もう片方の手で紙を取り、眺めた。
「本当に自殺なんですか」
 セレスティ・カーニンガムが言う。シュラインはさあ? と小首を傾げた。
 リンスター財閥総帥である彼は、それでも暇を見つけてはシュラインの職場の一つである興信所へと顔を出していた。今日はまた良いタイミングで、依頼が入った直後に顔を出した。
「つまりはそこを調べて欲しいんだと思うんだけど。というか、自殺ではないという証拠が欲しいんでしょうね。彼としては」
「依頼人の……青木さんでしたっけね?」
「そう。青木亮さん」
「死んだのは彼の」
「恋人、らしいけど」
「なるほど。確かに。恋人が自殺しただなんてこと、認めたくはありませんよねえ」
「それにしたって、自殺ツアーよ。自殺ツアー。聞いたことないわ」
「私もありません。しかし、面白いですね」
「面白い?」
「自殺しに行くのですから、ツアーとは言わないんじゃないんですかねえ。行きはそうでも、帰りは誰も居ないわけですから。行きっぱなしですものね」
「うーん。帰って来た人は居ないのかしらねえ。と、いうよりも。こんなチラシ、どこでまかれているのかしら」
「警察の目に止まっていたら問題になってますでしょうしね」
「それに誰が何の為にまいているのかということも気になるわ。自分ひとりで死にたくない人が仲間を集めるといった趣旨かしら」
「となると。このチラシをまいた人間も亡くなってらっしゃるということになりますが」
「うーん。心理学、哲学、倫理等の……死についてのデーター集め、とか? 実は死に打ち勝って新たな自分を得る等々そういう趣旨の集まりだとか?」
 セレスティが小さく笑った。
「打ち勝ってませんよ。既に彼の言うとおりなら死者が一名出ていますし」
「そうよねえ」
「一先ず。もう一度依頼人に会って、その恋人の遺体が発見された場所というのを聞いてみるのが良いかも知れませんね」
「ああ、そうか」
 シュラインは小刻みに頷く。
「遺体の発見場所というのは聞いてなかったわね、そういえば」
「自殺ツアーという言葉は、インパクトがありますものね」
「そうなのよね。どうしてもこのチラシを見せられるとそっちばかりに気がいっちゃって。このサイトアドレスも気になるし」
「見てはいないのですか?」
 セレスティの問いに、シュラインは微かに首を振る。
「まだ、ね。ここにアクセスすれば何か分かるんでしょうけど。出来るだけ気味の悪いことは見たくない、ってのが人間の本音なんじゃないかしら。興味だけであっちにもこっちにも顔を出すなんて、私には到底出来そうにないもの」
「堅実なんですね」
「ノーマルなだけよ」
「なるほど」
 頷くセレスティを尻目に、シュラインは青木から遺体発見現場を聞こうと思い受話器を取った。

002



 それほど交通の便が良い場所に建っているわけでもなければ、広い駐車場を完備しているわけでもなかった。それでも晴れの休日ということもあり、悪魔の館を訪れる人は居た。
 要するに、美術館へと行くような感覚で人間達はここに訪れるのだと常澄は思う。
 入館料は一人五百円。子供は二百円。屋敷の入り口にアンティークの机と常澄自身が書いた受付の文字があるプレートを置き、そこでお金を頂く。貰ったお金は、生活費の足しになる。
 芸は身を助けるとはこのことだろうか、と常澄は時折お金を貰いながらふとそんなことを思う。母が亡くなってからというもの、常澄は「悪魔召喚」という能力一つで生きてきた。
 客のほとんどは、何処そこの大学の研究生だとか教授だとか、悪魔に興味を持つ人間ばかりだった。余り清潔そうではない格好をし、トレードマークのように眼鏡をかけ、青白い顔をして、もったりと館内を見回る。しかし時に、常澄を同士と勘違いするのか論文を見せられたりもする。興味がないので、基本的に無視したりする。
 あるいは、常澄を目当てとした若い女性だったりも居た。そういう人間はとにかく視線を寄越してきて、ついには話しかけてくるので、それも無視する。
 家族連れは殆んどないが、たまに居たりする。そういう時、常澄はその後姿を何となく眺めてしまう。
 別に羨ましいだとか思っているわけじゃない。何となく。本当に、ただ条件反射的に目がいってしまう。
 しかし今日、そのどれもに当てはまらない男を、常澄は目で追っていた。
 青白い顔と肩くらいまである長い黒髪、そして長細い体躯をしたその男が、何故だか気になった。
 パッと見た感じは、ドコソコ大学の研究生とも余り違わないが、良く良く見れば何処か違う。それは、顔だった。青白い顔は、薄い感じがしない。
 あんな顔の色をした人間は、だいたい何だか疲れていそうで、だいたい何だか生気がなさそうだ。それなのにその男は、独特な雰囲気を持っていた。
 男は常澄の視線も気にせず館の二階へと上がって行き、暫くすると戻って来た。見物を終えたにしては早い。迷わず今度は出口に向かう男の、背中をじっと見た。
 お金を支払ってまで、この男は一体何をしに来たのだ?
 疑問を抱きながら見ていると、男は館を出て行く瞬間、入り口に赤い紙切れを落とした。
 常澄は男の背中とその赤い紙を見比べて、呼び止めるべきか一瞬迷う。呼び止めてしまえば何かしら会話をしなければならないのだ、と思い当たり、知らん顔することに決めた。
 男が気付かず出て行ってしまうと、常澄はやっと席から立ち上がる。紙に駆け寄った。摘み上げ、目を走らせたところで、小さく眉を寄せる。
 紙には黒く太い文字で「自殺ツアー」と描かれていた。
 自殺、ツアー。
 常澄は胸の中でその言葉を呟く。自殺。気になるのはその一言だけだ。母の影が脳裏を過った。人は何故、自ら命を絶つのか。それが知りたい。あの男を追えば、知ることが出来るだろうか。
 こんなチラシ、そうそう転がっているわけがない。実際、始めて見たのだ。興味をそそられる。
 左手の人差し指を額にあてがい、常澄は館内に居るはずのルルを呼び寄せた。ルルは人の形にほぼ近い形をしている悪魔である。彼女なら、この受付に座っていてもコスプレ好きのアルバイトくらいに見えるだろう。
「お呼びですか」
「しばらく。ここに座っててくれない」
 彼女は描いたかのように細い、一直線の眉を器用に上げた。
「構いませんけど。人形のようにじっとしてないで良いの? 私、会話してもいいのかしら」
「ここならいいよ」
 ルルは嬉しそうに溜め息を吐いた。
「声を出せないのって、本当辛いのよ」
「君の言葉を普通の人間が聞けば異国の言葉に聞こえるだろうからね。声は出してもいいけど、会話は出来ないと思うよ。じゃあ、宜しく」
 何かまだ言いたげなルルを残し、館を出た。
 舗道に出ると、男の背中を発見した。気付かれないように、常澄は後を追う。



「なんなのさ。あの男ってば」
 受話口の向こうから、荒い鼻息が聞こえる。
「なに? 今、笑ったの?」
「いえいえ」
 セレスティはいい加減な相槌を打った。回線だけで繋がる向こう側で、ユウが口を尖らせている様が見えるようだ。そう思うと、また口元が緩む。
「しかし。あの三下くんがねえ」
「見たことない人が突然マンションの部屋訪ねてくるんだもん。びっくりしちゃった。どういう関係なの? あの人。何者?」
「三下くんですか? アトラスという編集部の社員ですが。ケーナズとはそうですねえ。友人のような」
「ペットだって言ってたよ。しかも、僕と同じ!」
 言葉を遮り意気込んだユウが「僕と同じ」を更に強調した。
「そうですか。それは……面白くないですねえ。ユウさんにしてみれば」
「そうなんよ。面白くないんよ、マジで。やってんらんない」
「彼はどうしてケーナズの部屋を訪れたのでしょうねえ」
「じ? 自殺ツアーだっけか。何かそれを調べるとか何とか言ってさ。ケーナズを連れて行こうとしてたんだよね」
「自殺ツアー?」
 昨日、シュラインから聞いた話にもそんな単語が出てきたのではなかったか?
「それってもしかして。赤いチラシに描かれた文句ではありませんでしたか?」
「赤いチラシ? あ〜。うん。そうそう」
 返事が一瞬遠のく。電話の向こうで微かな紙擦れの音がした。
「これなんだよねえ。その、三下? だっけ? が置いてった。何かね。サイトのアドレスと自殺ツアーへようこそって文字だけ刷られてるチラシ。意味わかんないよね」
 その時、セレスティの脳裏にも赤いチラシが思い浮かんだ。シュラインが持っていたチラシだ。たぶん、同じものだろう。
「もしかしたら……その話、私も知っているかも知れません」
「そうなの? え。じゃあ、あの眼鏡がセレスさんのトコにも来た?」
「いいえ。三下くんから聞いたわけではないのですが」
「ふうん。じゃあ結構これって、有名な話なわけだ?」
「有名かどうかは分かりませんが。少なくとも私の周りの人間は皆、知っているようですね」
「ふうん」
「ケーナズは。その話を貰いどうなさったのですか?」
「行くってさ」
「ほう」
「何かね。死神がどうのとか言って、張り切ってたよ」
「死神?」
「スコアを伸ばしたい死神がどうのって、さ。冗談みたいに言ってたけどさ」
「ああ」思わず口から感嘆の溜め息が漏れた。
「ん?」
「いえ。なるほど。死神ですか。そういう考えもあるんですね」
「まあ。何にしても、僕もついて行こうと思ってるんだ。眼鏡とケーナズを二人きりにするわけにはいかなからね。それに、このツアーも怪しげだしさ。僕、実はちょっとサイトを見てみたんだよね」
「見たのですか」
「うん。見た」
「何が……何が書かれていましたか? 例えば、掲示板だとかそういうものは」
「ないね。全くない。ただ。真っ黒の画面の真ん中にね。赤い文字でツアーまであと何日みたいな、そういう表示があってさ。それは一秒一秒、時間を減らしてたよ。その度に音がピッ、ピッとか鳴るんだよねえ。ちょっと、気味悪かったな。画面スクロールも出来ないし、本当それだけみたい。あ。そうだな。後はね。待ち合わせ場所なんだと思うんだけど。小さく地図が書かれてあったな」
「地図と日付のカウントだけですか」
「ねえ。もしかして、興味あるの?」
「自殺ツアーに、ですか?」
「うん、そう。興味があるなら」
「人数が多い方が良いのでしょうかね」
 言葉を遮ってセレスティが言うと、受話器の向こうから弾んだ声が返ってきた。
「うん。多い方がいい!」
「では。私もご一緒しましょうか?」
 ユウが含み笑いをする。その顔が想像できた。多分、満面の笑みを浮かべているのだろう。
「ごめんね。実はちょっとその言葉を待ってたんだ」
 つられるようにして、セレスティも少し笑う。
「三下くんのことは良く良く知っています。それにそのツアーの内容も気になりますから。ご一緒しますよ」
「じゃあさ。今から出て来てね」
「え? い、今から?」
「え、駄目?」
「いえ。急な話だな、と思いまして」
「急じゃないよ。眼鏡の人が尋ねてきたのは、昨日だったし。まあ、セレスさんに言うのがちょっと遅くなっちゃったけど……やっぱり駄目かな? 忙しい?」
「いえ、まあ。今日はもう何もありませんので。そうですね。では。今から一時間後の午後三時に。そちらのマンションへ向かいます。それで間に合いますかね」
「うん。大丈夫」
「では。用意がありますので、失礼」
「急なこと言っちゃってごめんなさい。この借りは」
「そうですねえ。一日奉仕して貰って、返して貰うとしましょう」
 冗談めかして言ってやると、そんなことでいいならいつでも、という軽い返事が返ってきた。



「ああ。その峠ならこの先にありますけど」
 お茶屋の主人は暢気な声でそんな言葉を言った。
「しかし。あんなところに何の用なんですか? まあ。私が言うのも何なんですが、なあんも無い所ですよ」
「いえ、まあ。ちょっと」
 シュラインは言葉を濁し、お茶を啜る。それと共に、一口サイズに丸められた団子を口に放り入れた。緑茶の渋くも甘い香りが口腔に広がり、餡子の甘さが更に引き立つ。
「おいしいですね。これ」
 シュラインが団子を指差すと、お茶屋の主人は顔を綻ばせる。
「自慢の自家製団子なんですよ。しかし団子もこんな美人に食べて貰えたら本望でしょうねえ。ここも最近めっきり客が減りましたしねえ。今も言った通り、この先にある峠はなあんも無いでしょう? そら景色はいいんですが……この間、あそこで事故があったもんで。大型バスの」
「へえ。事故、ですか」
 青木から既に聞いていたが、シュラインは知らぬ顔をする。
「まあ。元々それほど広い道でもなければ見通しも悪い道なんですがねえ。その事故の時は、今までに見たことがないくらいの霧が立ち込めましてね。大型バスが。突っ込んだんですよ。崖下へ。怖いですよねえ。だから今はそのままでねえ。ガードレールも壊れたままなんですよ。貴方もバイクなら気をつけた方がいい」
「ええ。ありがとう」
 シュラインはおざなりな返事を返し、それから今ふと気付いたように口に出した。
「失礼ですけど……どうして。事故のことだとか、霧のことだとか、ご存知なんですか?」
「ああ、いやあ」
 そこで主人は少しだけ顔を引き攣らせた。しかし、本当にほんの少しだ。すぐに温和な笑みを浮かべる。
「実はね。私の息子が」
 言い難そうに、主人は語り出す。



「遅い!」
 前へつんのめりそうになりながら現れた、三下への最初の言葉はそれだった。ケーナズは待ち合わせ場所の駅構内で、腕を組み彼を叱咤した。
 ユウはふふん、良い気味だ、とほくそえむ。だいたい自分から約束しておいて、三十分も遅刻するなんてことがふざけている。怒られて当然なのだ。しかしそこで、セレスティが笑顔を浮かべ合いの手を挟んだ。
「まあまあ。三下さんもいろいろご用意があったのでしょうし。ねえ」
 笑顔を向けられ、三下は頭を下げる。
「す、すみません。すみません」
 男のくせに、もっとしゃきっとしろよ、と言いかけ飲み込んだ。別に注意してやる義理はない。
「じゃあ。行くか。この先のバス停でいいんだな?」
 ケーナズが腕を組んだまま、顎で前方をさした。「はい、はい」と三下が二度ばかり頷く。
「そ。それであのお」
「なんだ」
「ふ。増えたんですね、人数」
「私もね、ユウさんからお話を聞きまして」答えたのはセレスティだった。「興味がありましたものでご一緒に」
「はあ、そうだったんですか」
 三下の視線がこちらに向いた。分厚い眼鏡の奥にある、実はキョロンと大きな瞳が、自分を睨み付けたような気がした。
「なによ。何か文句でもあるんか」
 思わずケーナズの腕に纏わりつきながら、凄む。
「い。いえ。文句なんて」
 すっと視線を逸らせる。
「おい」
 ユウの腕を振り払いながらケーナズが言った。
「あまり彼を虐めるな。そのウチ泣くぞ」
 楽しそうに三下を見て笑った。
 大の男が泣くもんか、と思う。けれどすぐに、いや、彼なら泣きまねだってやってしまうかも知れないぞと思いなおした。
「お前はいろいろと三下を勘違いしている」
 眉間に寄せた皺の辺りを指で突付かれる。
「三下はな。お前が生きてきた世界には絶対に居ないタイプだよ。まあ、お前も含めてな」
「純真無垢という言葉がこれほど似合う男性も、余りいらっしゃいませんからね」
「そ。それって褒めてんですかあ」
 泣きそうな声で三下が言う。
 ユウには最早、それすらも演技のように聞こえてならなかった。



 上りと下りに一方ずつしか線路が走っていないような、小さな駅だった。改札口もえらく狭い。男はそこを軽い足取りで抜けて行く。常澄も改札に切符を通し、男の後を追った。
 抜けた先にはタクシー乗り場があった。あれに乗り込まれるとやっかいだ、と思う。しかし男はその前を素通りし、線路を渡って行く。
 ほっとすると共に、一体何処に行くのだろうという疑問がまた浮かんだ。家に帰るだけなのしたら? 自問自答する。それならばそれでいい。
 自殺ツアーに関係がないなら、それでいいのだ。
 男に続き、線路を渡る。右に曲がり、細い道を抜けたところにバスターミナルがあった。気味が悪いほど人通りはなく、ポツンと一台の大型バスだけが止まっていた。そこで男は立ち止まる。距離を取りながら、ガードレールに腰を預けバスを眺めた。
 その背中に。
 常澄は目を細める。
 黒く大きな羽が広がったように見えた。
 なんだ、あれは。
 常澄は目を見開く。見間違いではない。男の背中には薄っすらと、黒い羽が広がっている。
 あいつは人間ではないのか。
 足を進めながら、男に視線をやる。
 しかしもしも、あの男が人間ではなく魔物だったならば、どうして僕は何も感じなかったのだろうか。
 何気無くを装いながら、男に近づく。男が、バスから常澄の方へ視線を向けた。
 目が、合った。
 瞬間、ほんの少しだけ男が唇をつり上げたような気がした。その体が白い光りに包まれる。輪郭があやふやになっていく。
「ちょ」
 駆け寄ったところにはもう、何もなく。

「あれれ? 常澄さんではありませんか?」
 聞き覚えのある声がした。常澄は、ガードレールから顔を上げる。バスの入り口から人が顔を出していた。
「三下、忠雄」
「どうしてこんな場所に居るんですか!」
 それはこっちのセリフだ、と思った。
「君こそそこで何をしている」
 思わず責めるような口調が出た。けれど実際責めるつもりはなく、ただ驚いただけだった。
「あぁああ、ちょっと」
 三下が口ごもる。
「なんだ。知り合いか」
 その背中を弾くようにして、輝くような金髪を持った男が姿を現した。その後から、これまた美しい銀髪の、中性的な人間が顔を出す。
 二人とも、人というより人形のような、怖いくらい整った顔をしている。
「自殺願望者の知り合いが居るとはな」
 金髪の男は微笑を浮かべた。
「そ。そうなんですか?」
 三下が常澄に向け顔を突き出す。何を聞かれているのか、全く意味が分からなかった。
「何のことだ」眉を寄せる。
「だって、自殺ツアーの」
「自殺ツアー?」
 聞き返し、考えた。
「これは。そのツアーの?」
「え?」
「いや。僕は、気になることがあってある男の後をつけていたんだ。そしたらここに辿り着いた。それだけだ」
「そ。そうだったんですかあ。そりゃそうですよねえ。常澄さんが自殺ツアーするわけないですもんねえ」
「なるほど。君も調査だったんだな」
 金髪の男が歩み寄ってくる。常澄は無意識に身構えてしまう。
「私の名前はケーナズ・ルクセンブルクだ。三下のお供でこの自殺ツアーについて調べている。以後、お見知り置きを」
 彼の挨拶はとても紳士的ではあった。しかしいつその手が伸びてくるだろう、いつ気さくに肩を叩かれるだろうと思うと常澄は身構えずにいられない。人の温度が苦手だった。出来れば、余り人間とは会話を交わしたくはない。
 知らない人間だと特に、だ。
「可愛い顔をしているのに、偉く体が硬いようだ」
 ケーナズは後を振り返る。銀髪の人に向かい肩を竦めた。
「私の名前は、セレスティ・カーニンガムといいます。ケーナズと同じく三下さんのお供ですよ。貴方もこの自殺ツアーについてお調べになりたいのなら、あのバスにご一緒されてはどうですか」
「僕、僕は別に」
 二人から目を逸らす。
「男を追っていただけで」
「それで? その男は何処へ行ったんだ?」
 ケーナズが芝居ががった仕草で辺りを見回した。
「影も形もないようだが?」
「消えたんだ」
「消えた?」
「消えたんだ。さっき、この場所で」
 ガードレールを見つめ、常澄は眉を寄せる。



「まあ。何と言いますかね。見たんですわ。うちの息子が、運転手以下数名が全員死亡したあの事故をちょうどね」
 俯き加減で苦笑を浮かべ、お茶屋の主人はそう切り出した。
「見た……目撃者ってことですか」
「ええまあ、そうなるんでしょうが。結局、警察には何も喋ってないんですよねえ。まあ、明確に自殺の意思を持ってバスは崖下へ転落してるし、それほど警察も目くじら立てて目撃者を捜すようなことはしなかったんだと思うんですが。だからうちの息子も言い出さないままねえ。終わったんですわ」
「どうして、言い出さなかったんですか。ああ、その。まあ、わざわざ言い出すこともない、と思った、みたいなことなんでしょうか?」
「いやに興味を持ってらっしゃいますね」
 主人はそれを、至極のんびりとした口調で言った。
「以前にも何人かいらっしゃったなあ。そういう人が。遺族の方なんですか、貴方も」
 も? 
 シュラインは胸の中で問い返す。「も」ということは、遺族が事故現場の近くにあるこのお茶屋を何度か訪ねているということかも知れない。
 もしかしたら青木も。
 電話口で苛立ったように声を荒げていた青木の言葉を思い出した。
「事故現場? そんなの聞いてどうするんですか。早くあの自殺ツアーのことを調べて下さいよ」
 なるほど、そういうことだったんだな、とシュラインは納得する。
 しかし、青木も知らなかった事実を私は今、知ろうとしている。主人は幾人もの遺族を目の前にして疲れ果てていた。そしてそこへちょうど、自分が訪れた。自分がそこに辿り着けたのは極僅かな運命や偶然の差だったのだろう。
「ああ」シュラインは顔を伏せた。「まあ」曖昧に、濁す。
 それを主人は肯定と取ったようだった。
 小さく頷き「お察しします」とセオリー通りの言葉を口にする。それから意を決したように顔を上げた。
「うちの息子が現場を見たのを黙っていたのは、変な物を目撃したからなんですよ」
「変な、もの?」
「その日は、見たこともないほどの深い霧にこの辺り一体が覆われましてね。私は科学者じゃないんで詳しいことは分かりませんが。不思議だと思っていました。息子はちょうど、車で出かけておりましてね。心配してたんですが。帰ってくるなり、事故を見たと。さらに、その付近で目を塞ぎたくなるような眩しい光りを見たと言うんですよ。車のライトなんじゃないのかと言いましたがね。違うと言い張るんです。そしてその光りの中に」
 彼はそこで言葉を切った。ふうと小さく息を吐く。
「死神を見たと」
「し。死神?」
 勢い込んで聞き返すと、主人は困ったように眉を下げた。
「黒い大きな羽を広げた死神だそうですよ。肩くらいまである長い黒髪でね、真っ黒の服を着ていたらしいです。それがね。落ちていくバスの背を空を舞いながら押していたらしいですよ」
「死神、が?」
 呆然と呟く。主人は益々眉を下げた。
「ですよねえ。非現実なお話でしょう? 頭がおかしいと思われてしまいますよ、こんな話。誰も信じてくれませんもの。でも不思議ですね。どうして貴方にはお話してしまったんでしょう」
 また、溜め息を吐く。
「しかもね。うちの息子はその付近で手紙を拾ったらしいんですよ」



 バスの後部は、ちょっとした雑談スペースとなっていた。席が向かい合い、真ん中に小さなテーブルがある。そのスペースにケーナズ、セレスティ、常澄、三下、そしてユウの五人は腰掛けていた。
 前方にも廊下を挟むようにして二列の席が設けられている。発車時刻少し前になると、何処からともなく自殺志願者と思われる人間が姿を現し始めた。そして、その数人は今、前方の思い思いの席へ腰掛けている。このバスは一体何処へ向かうのだろうとユウは考えた。
 このバスで何処かの場所へ行き、そこで集団自殺を図るというのだろうか。それならば運転手はただの運び屋ということになる。
「次、三下さんの番ですよ」
 セレスティの弾んだ声に、ユウは窓から室内へ視線を向けた。
 こんな時にカードゲームだと? 楽しそうな光景に、聊か不快になる。カードはセレスティが持ち込んだものらしい。旅行といえばカードなのだそうだ。
 しかしきっと、前の席に座る人間達も迷惑しているに違いない。今から死を迎えようという時に、こんな楽しそうな声を聞いたら益々気が滅入るのだ。
 三下を取り囲み、楽しそうにしているケーナズとセレスティを見るのが不快だった。
 けれどそうやって拗ねてみたところで、誰も相手にしてくれない。何だか、少し、悲しくなった。悲しさは胸の中にぽっかりと空いた、暗い穴のようだった。
 その穴から黒くトロリとしたものがあふれ出し、全てを真っ黒に塗りつぶしてしまう。
 絶望的な気分になった。どうしてそんな気分になってしまったのか、考えたくなくなるくらい、どんどん目の前が真っ暗になっていく。
 きっかけは些細なことだっただろうか。
 けれど今やユウは、自分が世界中で一人ぼっちの気分になっていた。
 ただ唯一、自分と同じようにゲームには加わらず、窓の外を見やる常澄の丹精な横顔にユウは目を向けた。彼も同じ気分なのかな。そんなことを考えた。すると少し、救われるような気もする。
 そんな心に差した一筋の光は、次の瞬間三下の明るい声でまたどん底に叩き落された。
 どうして僕は今、一人ぼっちなんだ。どうして誰も、僕に構ってくれないんだ。
 そういう時頭に浮かぶのは、辛い思い出ばかりだった。そして過去がそうなら未来もそうに決まってると、思った。きっと、自分が変わらない限り、同じような人生を歩んでいくのだろう。
 しかし、それでは余りにも面倒だ。
 テレビを見るように、楽して何かが出来ればいいのにとずっと思っていた。
 愛すよりも愛されたい。何かを仕掛けるよりも、仕掛けられたい。求めるよりも、求められたい。
 けれどそんな楽なこと、この世の中にありはしないのだ。
 得体の知れない疲労感のような物が、肩にどっかりと乗ってきたような気がした。
 楽しみも幸せも、行動して、挫折して。そして苦労して。掴み取らなければならないんだ。
 死ねば楽になるのかな、と考えた。考えたらこのまま、彼等について行けば死ねるんじゃないかと思い当たった。
 そうか。
 少し、気分が楽になる。
 僕は、死ぬんだ。
 ユウはまた窓の外を見た。
 バスはクネクネとした山道を走っている。

003



 前方を走る大型バスは、まるで今から崖下へ突っ込むとは思えないほど落ち着いた走りを見せていた。しかしそろそろ、前回のバスが突っ込んだ事故現場に辿り着く。
 シュラインはギアをチェンジし、エンジンを命一杯ふかした。強い振動が上半身にせりあがってきて、風が勢いを増す。向かってくる風に負けぬよう、体制を低くしながら大型バスに追い越しをかけた。
 車体すれすれを通り抜け、前へ出る。
 バックミラーで背後の車を観察しながら、スピードを緩めた。
 このバスを見かけたのは、お茶屋の窓からだ。
 この辺りがバスの通り道ではないと主人から聞いた時、シュラインはそれが自殺ツアーのものであるという可能性を真っ先に考えていた。もしも違ったならばそれでいい。自分はそのまま走り去ればいいだけなのだ。
 しかしもし、そうだったならば。
 思わず、ハンドルを握る手に力がこもる。
 何としても、止めなければならない。
 あのバスに乗っている上客全員が、本当に今、死を望んでいるのか。それはきっと、彼等自身ですら分からない答えなのだろう。だからこそ、勢いに乗るように集団で自殺する。
 意味のない協調性だ。ここまで来て引き返せないのならば、死を選ぼう。そんな、意味のない。
 先ほど、お茶屋の主人に見せて貰った手紙の内容が頭を掠めた。
「けれどまだ、分からないでいる」
 もしかしたら今、あの大型バスの中には青木の恋人のように、死を迷っている人間がいるのかも知れない。どうしてまだ迷いのある人間が、あのバスへと乗り込んでいくのかは分からないが、迷っているからこそ乗り込んでしまうということもあるのかも知れない。
 最後の最後で決断を他人任せにするくらいのことを、自殺に行き着く人間なら考えるのかも知れない。
 それに、シュイランには一つの仮説があった。思い当たるのは、自殺ツアーのチラシに刷られてあった、あのサイトアドレスである。
 サイトとは、視覚で捉えるものである。だから必然的に画面を集中して見ているだろう。もしかしたら、聴覚に訴えかけるような補足もあるかもしれないが、何にしても集中した人間の意識を暗示などで動かすことが出来ないわけではない。催眠術なのか特殊能力なのかは分からないが、死神という言葉が主人の口から出たことにより、その可能性は段違いに大きくなる。
 小さな小さな心の弱さが、膨らむような何か暗示が、しかけられているならば、彼等は自分の殻に閉じこもり、ますます死にたくなってしまうのだろう。
 けれどそれは錯覚なのだ。
 少なくとも。
 一人で死ぬ覚悟などない自殺に、真実はない。
 シュラインはまた、バックミラーを覗き込む。その時、そこに広がる光景を見て目を見開いた。後にあったバスが姿を消していた。いや、違う。辺り一面が急激に真っ白な霧に包まれたのだ。深い深い霧である。
 何時の間に? そう思わずにはいられないほどの、急激な変化だった。
 周りの景色が何一つ、見えなくなっている。風の音とエンジンの音以外、何も聞こえないことが、酷く心細く感じられた。
 このまま走り続けていいのだろうか。いや、むしろ私は走っているのだろうか。
 何もかもが曖昧で、その心の揺れがハンドルさばきに現れる。気を許したほんの隙を縫って、ハンドルは風に持っていかれ、タイヤが滑った。ヤバイと思った次の瞬間には、強い衝撃を伴い体が地面に打ち付けられていた。
 衝撃に喉が詰まる。
 目の前に、目玉のような二つの白い光りが迫っていた。
 もしかして。あの大型、バス?
 シュラインは思わず、体を横たえたまま目を瞑る。頭の中が真っ白になる。



 いつまでたってもやってこない衝撃に、シュラインはふと目を開けた。
 首だけを動かし辺りを見る。
 目前に、バスが水色の光りに包まれ停止していた。スモークのように白い霧は、シュラインとバスを取り囲むように漂っている。つまり、双方の間だけ円を描いたかのように霧が晴れていた。
 これは、どういうことだろう。
 止まったバスのドアが音もなく開き、一人の男が顔を出す。
「ああ、そうでしたねえ。すっかり忘れていました、貴方に報告するのを」
 場にそぐわない、穏やかな声。
「せ。セレスティ、さん?」
 目を細め、バスの入り口を凝視する。まるで女神が降り立ったかと思わせるように白い霧が彼の背中を演出し、その長い艶やかな銀髪は風に流れている。
 もしかしたらこれはセレスティの姿ではなく、それに良く似た天使の姿ではないのだろうか、なんてことを思わず考えてしまう。
「奇遇ですねえ。どうしてこんな場所にいらっしゃるんですか?」
「それは……こっちのせ、りふ、よ」
 声を出すたびに、体を引き裂かれるかのような激しい痛みが走った。
「おやおや。大怪我ですねえ」
 赤子でもあやすかのように言ったセレスティが、傍に歩み寄り膝をつく。
「直してさしあげますよ」
 笑顔を浮かべた彼の手から、水色の暖かな光りが溢れ出し、シュラインの体を覆った。
「おい。誰か居るのか」
 背後からまた、聞き覚えのある声がする。
「興信所の女将が、名誉の負傷を」
「ほほう。運命の人だな。事件のある場所、彼女の姿アリだ」
 それは。とシュラインは内心で呟いた。
 それは、貴方達二人も一緒じゃない。



「そろそろお出ましかな」
 ケーナズは呟いて空を見上げた。
「彼女と君は中に居た方がいいかも知れない」
「ええ」
 全く危機感のない声で頷いたセレスティが、シュラインの体をいたわりながら立ち上がらせる。ゆっくりとした足取りでバスの中へと入って行った。
「ふうん」
 その声は、地響きのようでもあり、空から降ってくるもののようでもあった。そして、低くもあり、それでいて中性的でもある。形容し難い声だ。
「誰よ。俺の仕事邪魔してくれちゃうのはあ」
 ふと隣を見ると、常澄がポツンと立っていた。何時の間にバスから降りたのか、ケーナズは微かに目を見張らせる。
「なんだ、君。戦えるのか」
 自分で言って、変な言葉だと思った。まだ戦うと決まったわけではない。
「人と。お化けじゃなかったら」
 素っ気無い口調で、常澄が答えた。人とお化け。それはまた。小さく苦笑しながら、頷いた。
「ならば。協力して貰おうか」
「戦うことになったらね」
 釘を刺され、ケーナズはもう一度苦笑する。頭は悪くないようだ。
 そこにまた、地鳴りのような、それでいて空を舞うような声が降った。
「仕事邪魔されると困るんだよねえ」
 瞬きをするほんの僅かな間にだろうか。気がつくと目の前に男が立っていた。黒い大きな羽を背中に広げ、肩で切りそろえた長い黒髪を持っている。
「あいつだ」
 隣で常澄が微かに呟いた。
「あのさ。人を殺すのが俺の仕事じゃないわけ」
 男の手に、大きな鍬が現れる。人の首くらい簡単に跳ねてしまえそうな、大きな鍬だ。
「だったらその手に持っているものは何なのだね」
「出来ればこの場で自殺して欲しいなって思って」
 悪びれる様子もなく男が言う。
「そしたら俺が、アンタの魂ちゃんとこれで体から切り離してもってってあげるし」
「悪いが。私は自殺なんて馬鹿げたことに興味がなくてね」
「だったら何でこのバスに乗ってンのさ」
 まるで、うちに居る人科のオスペットのように男は唇を尖らせた。
「これは、自殺したい人のバスなんじゃないの」
「お前は……死神なんだな」
「それってさ。人間に向かってお前は人間なんだな、って聞いてンのと一緒なんだよね。実は凄く失礼」
「人間はその辺に沢山ウロついているが、死神はそうそうウロついていないもんでね。珍しいのさ。確かめたくもなるだろう?」
「ふうん。口が良く回るんだな」
 どうでも良さそうに言い、男は次に常澄に視線を向けた。
「アンタも。何かつらいことありそうな顔してっからさあ。素直に死んでくれるかと思ってたのにさ」
「それはあいにくだ。僕も自殺になんて興味がない」
「じゃあ。どうして俺の後をつけたんさ」
「言い方を間違えたな。僕は、自分が自殺することには興味がないが、自殺する人というのには興味がある」
「悪趣味なんだね」
「君に言われたくないね」
 常澄に即座に言い返され、死神はふて腐れたように下唇を突き出した。
「はいはい。じゃあ俺はオサラバしますよ」
「ふん、拍子抜けだな」
「だからさ、言ったっしょ。人を殺すのが俺の仕事じゃないわけ。死んだ人を運ぶのが俺の仕事なわけ」
「それは、残念だったな」
「全くだよねえ。何つーか。うちらの家業も最近、いろいろ厳しくてさ」
「わざわざこんなことをしなくとも、年間数万という人間が死んでいる。むしろ忙しいくらいなんじゃないのか」
「それがさあ。上手いこと仕事を持っていくのは、大企業の奴らばかりなんだよ。俺らみたいな小さな会社の死神はさ。しかも俺みたいに学歴もないような死神はさ。もう本当。食ってくだけで精一杯なんだよねえ」
「死神が物を食うなんて初耳だ」
「まあ。食うものは違うけど」
「だから自殺ツアーなんてことを考えたんだな」
「はいはい。そうです。俺の仕業です」
 死神は全く反省の色なく肩を竦めた。
「まあ、何つーか。人間さ、本当に死ぬ勇気がある奴なんてのはそうそう居ないんだよね。物が溢れたこの世界で、彼等はただ漠然と死を想うだけさ。歯痒いったらないよね。早く死ねよ、って思うのに、全く死なない。俺が目を付けてた奴は、悉く生きてたね。でも、彼等にとって死は天国と同意語だったんだよ。死ねば楽になれると。全てから解放されると思ってる。だから俺は考えた。まあ、こっちも仕事だしね。背中を押してやることにしたんだ。チラシを配って。興味のある奴は、絶対見るんだろうと踏んだ。あのサイトにアクセスするということは、少なくともあのチラシを見て興味を持ったということだ。俺が殺すわけじゃない。死にたがってる彼等の背中を押してやるだけさ。悪いのは俺じゃない。彼等でもない。誰も悪くはないし、誰も困らないんだよ」
「それは間違ってるわ」
 バスの方から声がする。振り向くと、セレスティに受けた手当てのお陰で自力で立ち上がれるようになったのか、シュラインがそれでもまだ完全ではない足取りで死神の方へと歩み寄っていた。
「少なくとも、困る人も悲しむ人も居るのよ。貴方のせいで恋人を失った人も居るわ。そしてその死んだ恋人も……死の瞬間には後悔したんじゃないかしら」
 そこでシュラインは俯き小さく呟く。
「だから、窓から手紙を投げたのよ」
「まあ。いろいろな考え方があるさ」
 死神は小さく溜め息を吐き出した。
「こっちも仕事なんでね」
 結局そんな言葉で片付ける。
「じゃあ。今日はもう仕事にならなそうだから、俺そろそろ」
「僕も連れて行って下さい」
 また。バスの方から大きな声がする。
「ユウ?」
 ケーナズは眉根を寄せた。
「連れてってって。アンタまだ生きてるじゃん」
「殺してくれないの」
「殺さないってば」
 うんざりしたように死神が言う。
「どうして? 死神なんでしょ! 僕を殺してよ! 連れてってよ!」
 最後には駄々っ子のように、ユウはその場で地団駄を踏んだ。
「とにかくさ。死を想う人間が居る限り、俺はいろいろと手を尽くさせて貰う。また逢うこともあるかもね。今日は帰るけど」
 ヒラヒラと手を振って、また唐突に死神は消える。
「待て!」と足を踏み出した常澄の手は、空を舞っていた。
「しかし。何だな」
 その場で何が悲しいのか号泣して泣き崩れるユウを見やり、ケーナズは溜め息を吐き出す。
「なんなんだ、コイツは」
「だって。僕、僕」
「見たらしいですよ。あのサイト」
 何時の間にか隣に立っていたセレスティが、耳元でこっそりと囁いてきた。



「全く。愚かだな。そんなんだからあんなふざけた死神に目をつけられることになるんだ」
 ケーナズは気を失った上客達を見回し、最後にユウという青年を見て言った。
「とにかく。目前の苦難から逃れるために死を選ぶなんていうのはね。私は愚かな行為だと信じているよ。どんな理由があっても、だ」
「ええ。そうね。私も思うわ」
 シュラインが隣から頷いた。二人に責められ、ユウはセレスティの膝に纏わりつく。
「だって。何か。悲しくなっちゃったんだもん」
 彼はさきほど見た、死神と同じ表情で唇を尖らせた。
「しかしまあ」彼の髪を撫でながら、セレスティは穏やかに言った。「自殺はいけませんねえ。ユウくん。そういうことをすると、人に迷惑がかかるでしょう?」
「雰囲気にやられることってあるんだよ。僕もびっくりした」
 地面の泥と涙でグシャグシャになった顔を擦りながら、真っ赤な目でユウは言う。その雰囲気という言葉に常澄は引っかかった。
「雰囲気で、人は死ぬのかい」
「コイツは馬鹿なんだよ」
 ユウが答えるより先に、ケーナズがその頭を突付いた。
「テレビばかり見ているからだ」
「関係ないでしょ、テレビはさ」
「あんな風に与えられるものを受け取っているばかりではな。退屈を自力で打破するということを忘れてしまうんだよ、人間って生き物はな。そして自分の現状ばかり悲観するようになる。だから、あの死神に付け込まれるんだ」
 フンと息を吐き、それから常澄の方を見た。
「ところで君は、さきほど自殺する人というのには興味があるなんてことを言っていたね」
「そう、なの?」
「母のことが」
 呟いてから、口をつぐんだ。彼等に何を言う必要があると思った。けれどすぐに、別に知られて困ることじゃないと考え直した。
「母のことが知りたかったんだ」
「母?」セレスティが口を挟む。常澄は俯いた。何をどう言っていいか分からない。
「雨の日の自殺」
 意識なく、口から飛び出していた。取り消すように首を振る。
「上手く説明出来そうにない」
「まあ」
 ケーナズが小さく咳払いする。
「君が何を抱えているかは知らないけれどね」
 常澄はふと顔を上げる。ちゃんと見てはなかったが、彼の瞳は澄んだ青をしていた。
「止まない雨はないんだよ」
 力強く言われ、常澄はただ「はあ」と頷く。
「晴れない空もありません」
「彼等の言葉はちゃんと聞いておいた方がいいわね」
 シュラインが口を挟む。
「伊達に長く生きてるわけじゃなから」
「おいおい。長く生きてるのはセレスティだけじゃないか」
「困ったらね。いつでも草間興信所に来て頂戴。お話相手くらいにはなるわ」
「女将は。宣伝も忘れない」
 茶化すように言ったケーナズの言葉に、シュラインが苦笑を浮かべ肩を竦めた。



 それから数時間後。
 目を覚まし始めた上客達に紛れて、三下忠雄も目を覚ました。
 そして何が起きたんだとばかりに辺りを見回し、最後には常澄達に困ったような視線を向けた。
「そ。それであのお。一体どういう話だったんです、か?」
 口から始めに出たのはそんな言葉だ。
「気を失った君が悪いね」
 常澄は三下に目を向け、素っ気無く言ってやった。
「そ。そんなあ。編集長に怒られます!」
 元々ボサボサだった髪をかき混ぜて、三下が絶叫する。
「怒られるのが好きなんじゃなかったのか」
 ケーナズが揶揄するように言う。
「そ、そんな! 人を変態みたいに!」
「変態」小さくシュラインが吹き出した。「彼は別に変態なんじゃなくて、ただそういうのが好きというだけよね。個性だわ」
「ふぉ。フォローになってません!」
 周りの皆が笑う中で。

 止まない雨はない。晴れない空はない。

 常澄も少しだけ唇をつり上げた。





END




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 0086/シュライン・エマ (しゅらいん・えま)/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【整理番号 1883/セレスティ・カーニンガム (せれすてぃ・かーにんがむ)/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【整理番号 1481/ケーナズ・ルクセンブルク (けーなず・るくせんぶるく)/男性/25歳/製薬会社研究員(諜報員)】
【整理番号 4017/龍ヶ崎・常澄 (りゅうがさき・つねずみ)/男性/21歳/悪魔召喚士、悪魔の館館長】



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■         ライター通信          ■
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こんにちは。
 自殺ツアーへようこそ にご参加頂きまして、まことにありがとう御座いました。
 ご購入下さった皆様と
 素晴らしいプレイングやPCをお任せ下さった皆様の懐の深さに感謝致します。


 それではまた。何処かでお逢い出来ることを祈りつつ。
                       感謝△和  下田マサル