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<東京怪談・PCゲームノベル>


ツキノヤグラ

「ツキノヤグラ、って知ってます?」
 唐突な問いかけにそちらを向けば、この店の店主である狐洞キトラが中途半端な笑みを浮かべている。
 訝しげに見えない目を探ろうとしてみれば、キトラはにへりと気の抜けた笑みを更に深くして、吸い込んだ紫煙を吐き出した。
「いえね、実は…今日みたいな満月の晩に…ってもまあ特別な日なんですけどね、ツキノヤグラ、って云われる現象が起きる事があるんです」
 キトラに云わせれば、それは少々不思議な──そう、結界のようなものの事であるらしい。
 外側から見ていれば、非常に美しい長方形の柱が、延々と空へ向けて伸びる──そういった情景であるらしいのだが、内側に入ってしまうと、その人間の精神の、最も脆弱な部分に、月光のような密やかながら確りとした光が差し込むのだと云う。
「要するに、精神の崩壊を計るような…ヤなお月サンの光って事ですよ」
 にこにことしたキトラに曖昧な相槌を打てば、彼は待っていたとばかりに表情を輝かせた。
「…今日の晩が、そのツキノヤグラの出現する日みたいなんですけど…どうでしょ、お月見しませんか?」

「…ツキノワグマって、本州以南に生息し絶滅危惧種に指定されている熊のこと?」
「さっちゃん。…マジメなボケじゃないですよね?」
 我宝ヶ峰沙霧の発した真面目臭い言葉に、キトラは思わず帽子の淵を上げて彼女を見遣った。
「いや、冗談よ勿論。──で、ツキノヤグラ? 知ってるけど、それって今日だったんだっけ?」
 からからと笑い乍ら返す沙霧に、キトラはですよねえと苦笑しつつ、何やら分厚い本を開く。沙霧がそれを覗き込んで顔を顰める。
「…何語?」
「ヒミツです」
 ミミズがのたうったかのような文字が並んでいるそれの数行を指先でなぞり乍ら、機嫌よろしくキトラが言う。
「出現時刻は、まあ大凡計算してみたところでは…夜半…そですね、二十三時からってとこで……で、何してんですか」
「え? ああ、いやあ…」
 顔の角度を何度も変えて、書物の文字を何とか解読しようとする沙霧だが、どうにも解くには至らなかったらしい。諦めて唇を尖らせると、壁に掛けられた時計を見遣る。
「まだ夕焼け小焼けの時間なんだけど、どうする?」
「はい?」
「お月見するんでしょ? 賛成よ。どうせだからコンドルも赤猫も──そうだ、ついでに金魚も一緒にさ」
「…このコ達もですか?」
「そーよ? だって可哀想じゃないいつも部屋ん中じゃ」
 溢れんばかりの笑顔を表情に乗せる沙霧に対して、キトラはどうやって水槽を運ぶものか頭を悩ませる。恐らくこうなると、沙霧は金魚不参加を許可してくれはしないだろう。ねー、と、ご機嫌に赤猫を抱き上げる沙霧を、黄涙が眠そうな片目を上げて眺めていた。


 普通のお月見でも十分でしたねえ──。
 キトラは呟いて、すっかり闇に閉ざされた空の中、ぽっかりと浮かぶ月を見上げる。胸元から取り出した懐中時計を月明かりに翳して時刻を確かめる。
 背後では近所のコンビニからビニールシートを調達したらしい沙霧が、その上に様々なアルコールを並べている。頼りない三脚椅子に乗せられた水槽は、僅かに傾いてはいるが安定を保っている。──中身の金魚は周囲の環境にびくびくしている様子ではあったが。
 水草がゆるりと揺れている。
 黄涙はキトラの傍らに跳ねて移動すると、彼の顔を見上げる。
「──ん、何ですか黄涙サン」
 澄んだ銀色の眼差しに微かな苦笑を返して大丈夫だと告げれば、それが聞こえたらしい沙霧が何がと尋ねる。何でも無いですよ、その応答を返し、キトラは月夜に思い出しかけた思い出を殺した。
「さっちゃん、お酒もイイですけど、もう直ぐですよ」
 微かな音を起てて、確かに時を刻んでいく懐中時計のふたを閉じると、キトラもまたビニールシ−トの上に軽く腰掛ける。愛用の煙管の煙が空へと伸びた。かんぱーい、と、沙霧の楽しそうな口調に合わせて缶を打ち鳴らした。──と。
「わ…」
「──出ましたか」
 普段の表情も忘れたかのような沙霧に、甘い煙を吐き出すキトラ。
 空に浮かぶ丸い黄色から沙霧達の眼前まで。一閃の光芒──そう云ってしまうには遥かに巨大な、厳かな柱が生まれていた。星を食ったかのような深い黄色は、薄く辺りを照らす時のそれとはまるで表情が違う。
 情報としては知り得ていた沙霧も、此処まで近くでそれを見たのは初めてなのだろう。言葉を忘れたかのように──現象、ツキノヤグラに見入っていた。
 耳鳴りのような細く高い音が響く。やがてそれも治まり、最初は丸かったツキノヤグラの境界線が硬質を帯びる。刃と刃が触れ合う時の音──それが一瞬だけ強く響くと、辺りには静寂が残った。
 まるで、日常からそこだけが隔離されたよう。
 深淵を覗き込むかのような、それでいて天上を突き抜けるかのような。そんな感覚が沙霧の体、そして脳裏を支配する。
 人間が介入する必要の無い、巨大な──現象だった。
 幾億の星を辿るような、その神秘と美しさが光芒の柱には宿っている。
 風の音。
 沙霧は静かに微笑む。たまにはこのような心の平穏の在り方も良いだろう、と。
 そして──。
「…ああ…やっぱりこうなりますよねえ…」
 静寂を破るその声に、振り向いた沙霧は思わず固まった。
 先ず、目に入る赤い髪。
 次に、羊の巻き角。
 そして背中に存在する翼。
 美女と称するのを誰が憚るだろうか。
 そんな女性が、キトラの首に腕を絡めてしなだれかかっていれば言葉を失うのも無理はないかもしれない。
「……誰?」
 開いた口が塞がらないが、取り敢えず残った理性の欠片が沙霧にその言葉を紡がせる。赤髪の女性はちらりと沙霧に向けて銀色の視線を送り、まるで興味が無いとでも云うかのようにキトラを見上げた。キトラはその髪を撫で乍ら溜息ついでに沙霧を見遣る。
「……赤猫ですヨ」
「ぇえ!?」
 勿論の事、キトラが口にした猫の姿はどこにも無い。そして、目の前の美女にはその面影──が有ると云えば確かに有った。艶のある赤色の髪なんぞは猫の毛並みと同じものだし、その勝ち気で妖艶な銀色の眼差しは──。
「わー…」
「…赤猫、遊んでらっしゃい」
 少々触手が動いてしまったらしい沙霧に、キトラは何気なく庇う素振りで赤猫を膝の上から退ける。少し不満そうな顔をした赤猫は、それでも一瞬の後に風を切る音を起て、夜空にその身を飛ばす。彼女が身につけているボンテージの装飾がじゃらりと鳴った。
 やれやれとその姿を見上げたキトラに、沙霧が詰め寄る。
「…何で隠してたのよ?」
「別に隠してませんてば。赤猫は属性としちゃ限りなく月に近いですからね、こういう力の塊みたいなもんに共振しちゃうわけです」
 沙霧の視線の先の赤猫は、いかにも楽しそうにツキノヤグラの周囲を飛び回っている。
「しかしまあ──」
 ふうと吐き出された紫煙が闇夜に紛れる。
「百二年に一度の周期の現象…ツキノヤグラ、ですか。──見られてよかったです」
「百二年ごとぉ!? 何よソレ、初耳だわ」
「あれ、知らなかったんですか?」
 意外。そう続けたキトラに対して、仕事先で聞いていた情報を話す沙霧。ああガセ掴まされましたね、と小さく苦笑するキトラ。
「その短期の…十年に一度のは『ヤグラ』の中でもホシノヤグラってんですよ。星と月とじゃ随分違いますけど──随分とまあ、統一されちゃったみたいですねえ…」
「統一? 他にもあるってこと?」
「ええ。まあ、このツキノヤグラは百二年に一度。ツキミノヤグラは十二年に一度。後は十年に一度のホシノヤグラに…他は周期は投げるとして、ホシミノヤグラ、アマノヤグラ、アマミノヤグラ──まあ、ワリとあるんですよ。『ヤグラ』の現象は」
 ナントカ『ミ』のヤグラは丸い柱、ナントカヤグラは別の形が多いんです。ですからまあ、形が似てるもんは一緒くたにされちゃったんでしょうねえ──。説明を続けたキトラは、再び煙を空へ向けて吐き出す。
「それじゃあ、コレは何で有名なのよ」
「大昔からのお月様『自体』が作り出す櫓ですから。他のは月『見』の──まあ人の介入アリの櫓ですからねえ。ちなみにアマノヤグラ、アマミノヤグラは天の櫓。これは千年に一度と云われてる。ですから逆に知名度が低い」
 天という漢字を指先で空になぞったキトラに、沙霧は半開きの口をそのままに向き直る。
「…その知識はどこから来るわけ?」
「まあ、薪を割っても私はいる、石をどけてもそこにいる──とね」
 にんまりと口元を結ぶキトラは、ごまかしなのかそうでないのか、相変わらず事実を暈したままそこで会話の糸を断った。沙霧は考えるのを止める。埒があかない。
「…まあ、綺麗だから許して上げるわ」
「そりゃありがたい」
 見上げた先には、相変わらず赤猫の飛ぶ姿が見える。黄涙はやはりどこか落ち着かない様子でキトラを眺めており、キトラ自身はまた、大丈夫ですからと黄涙の背中を撫でた。
 介入、する所ではないのだろう。
 沙霧は好奇心こそあれど、今はそこに踏み込むのを止めておく。
「ところで、ねえ、キトラ」
 不意に沙霧が金魚の水槽に向き直ってまじまじとその中身を見つめる。ひらひらと、短いしっぽを忙しなく動かしているパールスケールという種類のその二匹の魚は、唐突に動いた沙霧の影に驚いたか、水草の影に身を寄せた。
 沙霧は水草の上に缶ビールを翳す。
「この中にお酒入れたら、金魚って酔っぱらうのかしら?」
「はあ!? や、やめて下さいよ? 死んじゃいますよ。死んじゃいますから──って、さっちゃんちょっと酔ってんじゃないですか!?」
「えー? 酔ってないわよう」
 沙霧は言うが、それでも既に缶は大分の量が空いているから信用は出来ない。暫くの後は私は金魚が酔っぱらうと思う、否死んじゃうからやめてください、なら試してみよう──繋がらない会話が暫く続いた。
 そうして話題は金魚から赤猫へ。しっぽはどこへ行ったのか、あのボンテージはどこから生まれたのか。黄涙は変身しないのか──。沙霧からの白熱する、言わばどうでもいい話題がその場を和ませる。
 月明かりの下の厳かな空気は言葉によって遮られ、しかし美しいまま。
 明日の朝には失われるだろうその櫓から漏れる光が、煌煌と辺りを照らしている。


 了


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【登場人物】
 - PC // 3994 // 我宝ヶ峰・沙霧 // 女性 // 22歳 // 滅ぼす者 //...
 - NPC // 狐洞・キトラ // 骨董屋店主 //...
 - NPC // 黄涙 // 霊鳥 //...
 - NPC // 赤猫 // 悪魔 //...