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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


その焦燥と問い掛け

 葛井・真実(くずい・まこと)は悩んでいた。
 目の前の机の上に置いてあるのは、一枚の航空チケット。行き先は海外――それもブルジョワの避暑地として結構有名な地。
 勿論、真実の給料でそんなものが買えるワケがなく、ある人物から手渡されたのだ。よりにもよって自分の天敵と思しき相手――多岐川・雅洋(たきがわ・まさひろ)の手から。
「‥‥なんでこんなもの、渡すんですか‥‥多岐川さん」
 呟きが虚しく響く。
 何度目かの溜息の後、真実は手渡された時の事を思い浮かべていた――。


「――俺に、ですか?」
「ああ」
 いかぶしげな視線を向けた自分に、相手は思わず苦笑を零す。
「葛井クンももうすぐ夏期休暇だろう? それなら、俺のところに来ないか?」
 普段の意地悪な仮面はなく、いっそテレビ画面と同じような爽やかな笑顔で誘う多岐川に、真実は尚更怪しむ目つきになる。
 確かに真実はもうじき夏期休暇に入る。報道の仕事とは因果なもので、世間一般の夏休みには仕事で懸命に働き、夏の翳りが見え始めた頃にようやく休暇が貰えるのだ。多岐川もそのご多忙に漏れず、真実より少し早い日程で休暇に入る事は知っていた。
 だからといって、何故自分を誘うのか。
「あのう‥‥普通、こういうのって彼女とか誘うもんだよね?」
 思わず口をついた疑問。
 多岐川はにこやかに返答する。
「まあ、そうだな」
 それだけを告げると、彼はすぐさま踵を返した。
「いらなければ捨ててくれ。それじゃあ‥‥待ってるよ」
 あくまでも清々しく、テレビでのイメージそのままに彼はその場を去っていった。
 残された真実は、ただ茫然とその後ろ姿を眺めるしかなくて。


 ‥‥手にしたチケットを天井に向け、照明に透かしてみる。
 別に何も三重はしない――当たり前だ。こんなの、どこにでもある航空チケットなんだから。
(なんで俺なんだよ‥‥)
 不意に脳裏を過ぎったのは、アテネでの出来事。
 ホテルで、強引に奪われた唇。力強く抱かれた腕。その熱いほどの体温。
(うわっ、何思い出してるんだよ!)
 赤くなっただろう顔を、必死で擦って押し隠す。もっとも雑然と騒々しい報道部には、そんな真実を気にする人間など一人もいなかったが。
 頭の中をグルグル回る疑問と不信。
 もし、多岐川の誘いに乗って海外へ行った日には、いったい自分はどうなってしまうんだろうか。あの夜の出来事を果たしてどう解釈すればいいのだろうか。
 なにしろ今までが今までだ。
 ひょこひょこ出かけていってイジメられたり、はたまた新手のドッキリだったりしたら‥‥きっと立ち直れないだろう。
「‥‥えっ?」
 立ち直れないってなんだ?
 突如浮かんできた思考に、真実は何故かドキリとした。
 不信感を募らせるばかりだった自分の中に、突如沸き起こった不安という気持ち。多岐川を相手に不安を持つということは、何かを期待しているからこそで。
 カラカラカラ。
 頭の中のハツカネズミが必死で滑車を回している。
 懸命に。懸命に。
 あとちょっとで出てくるかもしれない答えを手にしようとした、その瞬間。

「――なに!? 爆弾テロッ?!」

 不意に飛び込んできた第一報。
 次いで。

「え? 多岐川さんの滞在先?! で、状況は?」

 ――え?
 ハッと顔を上げる真実。
 突然の報せに何がなんだか解らず、周囲の騒然とした雰囲気に押し流され。

「――――安否不明?!」

(うそ‥‥)
 真っ白になった頭の中。
 手にしていたチケットが、ハラリと床の上に落ちた。



 ――十数時間の後。

 声を上げて笑う多岐川を前に、真実は真っ赤になった顔を抱えて小さくなっていた。
「‥‥そうか。日本ではそんなことになってるのか」
 笑いすぎたせいか涙目になっている多岐川。
 そんな彼に真実は後悔しきりだった。
 あの後、握りしめたチケットを片手に、取るモノも取り敢えず空港へ向かったのだ。殆ど着の身着のままで、まるで荷物は持たずに。
 それで、息せき切って訪れた海外には、涼しげな顔で待っていた多岐川の姿。その時ほど自分の早とちりに頭を抱えた事はない。
 結局、自分一人が先走ってしまい、慌てて会社へと連絡をしてなんとか休暇扱いにして貰えたのだ。
 そのまま多岐川は、改めて真実の格好をジロジロと見る。
 まさに一目瞭然のその姿に、
「心配して駆け付けて来たのか?」
 わざわざ口に出して図星を突く。
 やっぱり意地悪だ、と胸に突き刺さる言葉にそう思う真実。
 いくらカンチガイしたからとはいえ、自分を心配して来てくれた相手に向かって、傷に塩を塗るような真似をしなくてもいいではないか。こっちだってそんなコトは分かりきっているんだから。
 だから、思わず口に出してしまった。
「当たり前じゃないですか! 知ってる人がテロに巻き込まれたなんて知ったら、誰だって心配しますよ!」
 ニヤニヤと笑みを浮かべる多岐川。
 それに気付かず、真実はつい言わなくてもいい本音まで喋ってしまう。
「ホントに、気が気じゃなかったんですからね」
「ほう」
 ハッとなった時はもう遅い。
 慌てて口を塞ぐ真実に、多岐川は意地悪そうに(真実にはそう見える)ほくそ笑んだ。
 その時の真実は夢にも思わなかった。目の前の尊大そうに見える相手が、内心ホッと安堵の息を吐いた事を。思わぬ手応えの大きさに長い間待った甲斐があったな、などと考えている事に。
 真実の目には、多岐川はいつでも尊大で横柄で自信家で落ち着いていて、どんなことにも冷静に対処出来る大人として映っていたから。
「い、言っておきますけど。べ、別に多岐川さんじゃなくても、俺は心配しますからね!」
 言い訳のように口にした科白。
 確かに他の知り合いが事件に巻き込まれれば、自分は随分と心配はするだろう。
 しかし、現地にまで赴こうとするかどうか、までは別問題だ。勿論、今回はたまたまチケットがあったせいで駆け付けたんだ、と心の中で言い訳をしてみるものの、多分チケットがなくてもなんとかして駆け付けたに違いない。
 そんな確信が頭の片隅に、小さいながらも燻っているのが自分でも解った。
 だから、なんとか自分を誤魔化そうと弁明をするのだが。
「ですからね‥‥」
 言葉にすればするほど、虚しさが広がっていくのは何故だろう。
「だから」
 ――グゥゥゥゥ。
 声に被さるように、真実のお腹が盛大に鳴った。
 思わず真っ赤になる真実に、多岐川が苦笑しつつ口を挟む。
「クックック、まあ言い訳はその辺でいいだろう。どうせ着のみ着のままなんだ、買い物がてら食事にでも行こうか」
「‥‥あ」
 そう言われて、改めて着替えが一切ないことに真実は気付く。
 本当に会社から直接来たのだ、と改めて認識し、再び赤くなる。そんな自分の肩に何気ない動作で多岐川が手を置く。
「さて、何が食べたい?」
 まるで女性をエスコートするみたいだ、と真実が感じたのもあながち間違いではない。
 が、さすがにお腹の減った今の状況で彼に逆らうのも無駄だと達観し、促されるままに部屋を出てエレベーターに乗り込んだ。
 行き先のボタンを押し、ゆっくりと扉が閉まる。
 直後。

 ――ドン、という激しい音。
 次いで、強烈な縦揺れがエレベーターの四角い箱を揺らす。

「うわっ!?」
「危ないッ」
 真実の身体が壁に激突する寸前。
 咄嗟に伸ばされた腕に庇われ、なんとか事なきを得る。
 が、代わりに今度は多岐川の身がしたたかに壁に打ち付けられた。呻く彼に真実は思わず青ざめる。
「た、多岐川さん!」
「‥‥ッう‥‥君は大丈夫か?」
「そんな、多岐川さんこそ」
「俺は平気だ。これでも葛井クンよりは鍛えているからな」
 心配する声を余所に、こんな時でも皮肉めいたジョークを口にする。これ以上自分を心配させないようにする配慮だ。
 耳に届く声でそれが解ってしまう。真実が持つ、聞こえすぎる能力のせいで。
 苦手だと思っていた彼の声が。
 ここぞとばかりに心の中に染み入ってくる。
 庇うように強く抱き締める腕の中、トクトクと脈打つ相手の心臓の音が何故か心地いい。不安も焦燥もなにもかもを包み込んでくれるかのようで。
 フッと顔を上げれば、見下ろす視線は優しさに満ちていて――目が離せない。
 そのまま近付いてくる多岐川の顔。
 以前と違い、慌てふためいているワケでないのに。
 ひどく気持ちが落ち着いているのに、真実は避けようという気持ちが沸かず。
 あと五センチ。
 重なり合う直前で。

 不意に落ちた照明。
 四角い鉄の箱は真っ暗闇に包まれ。
 え、と思う間もなく遠くの方で再び聞こえた爆音。
 ぐらぐらと揺れつつも、ビクともしないエレベーター。

「ま、まさか‥‥」
「やれやれ。どうやら閉じ込められたようだな」

顔を見合わせる二人。
 蒼白となる真実に対し、多岐川は何故か落ち着き払った様子で。
二人は、爆発でエレベーターが停止した事を悟った。


【・・・続】