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<東京怪談ノベル(シングル)>


夜の果て

「おーい、オギ〜ッ♪ 呑んでるかぁー」
 男は酒瓶片手によったふりをした。本当は酔っているだけなのかもしれないが、あえてオギと呼ばれた男はそれについては語らなかった。
 本当の名は春日・イツル。オギというのは先輩がつけた名だ。どこにもその言葉が無いのにそう呼ばれるのか。それはイツルの芸名、伎神楽(わざおぎ かぐら)の名からきている。
 子役から今までやってきただけなのだが、若手実力派俳優と言われていた。ただ、長くやってこれただけなのに、そう思うことは多い。ただ、こうして大部屋の先輩達が暇なときに飲みに連れて行ってくれるのは嬉しいことだった。
「お前さぁ、店長やってんだろ? やるねぇ」
 先輩の一人が言った。
 最近、売れ始めてきたバンドのべーシストだ。ヴィジュアル系で売っているだけあって、辺りの女の子は何度も振り返ってこちを見ている。
「そんな事無いですよ」
 イツルは返した。
 目の端に騒ぎ立てる少女達の姿は見えているが、振り返る事はしない。それが充分に刺激になるからだ。誰がいるとか話している声は聞こえてきている。
 ここにいる誰もが、いわゆるヴィジュアル系の類に入る容貌だから、騒がれるのは日常だった。おまけに、知られていないものはいない。だからこそ、少女達を刺激する方法も心得ていたし、無論、無視しつづけ、いかにも打ち合わせの最中のように見せかけることもあった。
 密会のような雰囲気に誘われるように、女達の薫りが漂う。一人として女の同伴が無いこのテーブルは恰好の蜜だ。
 誘いをかけないからこそ、引き寄せられる。視線すら向けないから、女たちの視線が集中する。前を見たまま先輩の一人が言った。
「さしずめ、俺達は花みたいなもんだな」
「俺達が? じゃぁ、先輩。女の子は蝶か?」
「それっきゃねーだろ? 見ろよ、うかうかしてられねぇって顔だぜ。あそこのテーブルの女、お前に気があるみたいだな」
「よしてくれ…興味無いさ」
 イツルは肩を竦めた。
 一体、そんな女の何処に魅力があるというのだろうか。暗がりで見えるのは、化粧の濃い顔だけ。香水だけでは、仕草から漂う醜さは隠せない。こういうときには、どうも、あの愛しい巫女を思い出して仕方が無った。
 本当に愛らしい女が減ったと思う。笑顔は偽ものだし、言葉もいつわりが多い。
 久しぶりの外出はイツルの体力を奪っていったのであろうか、妙に酒の周りが早いような気がしてきた。
「顔色が悪いな」
「ちょっと…疲れてるだけだと思うが…」
「そうならいいけどな。お前のジャーマネってば、うるせぇんだもんよ」
 前にも何度か後輩を酔い潰したことのある男がケラケラと笑った。
「飯も食い終わったし、解散するかぁ」
「それがいいんじゃねーの?」
「じゃ、お開きなー」
 そう言うとみなは財布を取り出し、適当に札を放った。うち一人が金をまとめ、伝票を持って会計へ向かう。財布を出し損ねたイツルがその男を呼び止めようとしたが、先輩の一人が制した。
「金は今度でいいぜ。どうせ来週も撮影だしよ。またこのメンバーで会うだろ?」
「あ…あぁ」
「ま、そういうこと」
「オギ。お前、今日は結構呑んだな。…ちゅかさ、この時間だと電車止まってるぜ」
「あー…」
「俺ンとこ泊まっていけよ」
「いいのか…?」
「気にすんなよ」
 そう言うと、男はイツルを引っ張った。流石に足にきているようで、力が入らない。ゆっくりと歩き始めると、その男の肩に掴った。
 店を出れば、繁華街のネオンは明るく、闇色のはずの街の上空は、古代よりも少し薄い夜空だ。時が経てば何もかもが色褪せる。イツルは夜空までも色褪せてしまうとは思っていなかった。
 そのまま、先輩の家まで歩いて行く途中で、他の先輩と別れた。明日になれば違うスタジオに向かい、来週にはまた再び集まる事になる。
 夜の果てには、朝日が待っている。
 世の果てには破滅が待っている。
 自分の人生の先にはなにが待っているのだろう。
 愛しい女のいない世に待っているのは、悲しみではないのだろうか。

 せめて、今夜の先には温もりがあればいい。
 イツルはそう思いながら先輩と共に暗がりを歩いていった。

 ■ END ■