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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


魔神の輪舞曲

■ アンティークショップにて ■

 都内のどこかでこじんまりとした看板を広げている一軒のアンティークショップ。
その店主であるレンは、自分の声で集まった三人の顔をまじまじと眺めつつ、一筋の紫煙をふいと吐き出した。
――実に絶妙な組み合わせだと、レンは口の端をゆるりと持ち上げて笑う。
その笑みに興味を惹かれたのか、一人の男が口を開けた。
「さて、今回は一体どのような問題かな?」
 そう発したのは城ヶ崎 由代。
由代はレンが勧めた椅子に深く腰掛けた姿勢で身を乗り出し、慣れ親しんだ店主の顔を覗き込む。
「ああ、そうさね。電話では詳しい話をしていなかったものねぇ」
 レンはそう返して小さく頷き、煙管を口にしてから一枚の葉書をちらつかせた。
なんの変哲もないその葉書には、見れば随分と達筆な文字が記されてある。
「レンさん、それは?」
 レンがちらつかせる葉書の文字を目で追いながら、白瀬川 卦見がそう問いた。
「これが今回の依頼さ」
 レンはそう応えて葉書を三人の前に差し伸べ、卦見がそれを受け取った。
葉書に記されてある文字を目で追う卦見の横で、セレスティ・カーニンガムがレンの顔を見据える。
「面倒な依頼でしょうか?」
 そう問うセレスティの声音はひどく穏やかなものだけれども、レンを見据える視線には、彼女の考えを覗き見やろうとする鈍い輝きを浮かべていた。
 
「息子が遺したあのオルゴールを、破壊するかどうにかしてほしい。手段はお任せするので、どうか私を助けてほしい」
 卦見の声が静かに葉書を読み上げると、由代が片手を口許にそえて首を傾げた。
「今回の依頼は回収ですか? 依頼文から察するに、回収とは違うもののようだが。……”オルゴール”とは?」
 印象的な低音の声でそう問うと、レンを見据えたままのセレスティが同意を示した。
「詳しいお話をお聞かせ願えますよね?」
 セレスティがそう告げると、レンは肩をすくめて紫煙を吐き出し、ゆったりとした口調で事の起こりを語り始めた。

 北関東のとある市の外れに、かつてひどくいたましい事件が起きた豪邸が残されている。
二年前の冬に起きたその事件は、そこで幸福な生活を送っていた一家全員の死を迎えるという、最悪の結末を迎えたのだった。
 その豪邸は莫大な財力を誇る家族が住んでいた。
代々続いてきた名家としてその地に根付いてきた家だったのだが、いつからかその家系は呪われた血を抱えていると噂されるようになっていた。
――幸福な生活を送っていた若夫婦と、生まれたばかりの双子。狂気はなんの前触れもなく訪れた。
呪われた血という名を持ちながらも、楚々とした暮らしをしていた息子が、ある日突然妻と子供達をズタズタに刺し殺してしまったのだ。
庭の手入れをするためのハサミで容赦なく何度も貫かれた3人の遺体は、足を踏み入れた全ての者の目を覆わせたといわれる。
家族を皆殺しにした後、息子は自身でガソリンをかぶり、ごうごうと燃え盛る炎獄に巻かれて絶叫しながら館中を駆け回り、門の外に出たところで絶命したのだった。
 住む者のいなくなった館は部屋という部屋のほとんどが破壊され、家具という家具全てが破壊され――
傷一つなく残されていたのが、その家に代々続く古いオルゴールのみだった。

「今回のこれは、どうもそのオルゴールの事をさしているようさねぇ。……けれど壊してくれなんて依頼は、あんまり滅多に来たことがないんだけれどもねぇ」
 レンは事件の内容を話し終えた後に深く短いため息を一つつき、頬づえをついて煙管を口に運んだ。
「ふむ、なるほど」
 頷いたのは由代だ。由代は小さく呟いて腕を組み、何事かを思案しているのか、それきり黙してしまった。
その由代をちらりと確かめてから、卦見が再び葉書を読み出す。

「あのオルゴールは息子を狂わせ、先祖を狂わせ、呪い続けてきたのだ。遠く離れた地に逃げ延びた私にも、その呪いは日に日に近付いてくる。それが解る」
 卦見はそれを淡々とした口調で読み上げ、記されてある文字を目で追って口をつぐんだ。
睫毛を伏せて黙してしまった卦見を見つめ、セレスティが首を傾げる。
「どうされましたか、白瀬川さん?」
 そう問うセレスティの横顔を、レンがため息まじりに眺め、煙をふいと吐き出した。
「あの家系は、さかのぼれば南のほうで隠れキリシタンをやってたとかなんとかいうけどもねえ。取り締まりから逃れてこっちに腰を落ちつかせたというけど、その辺は関係しているんだろうかねえ」
 吐き出された煙は一筋の糸となって、空気の中へと失せていく。
「なるほど。何やら曰くありげな話だね」
 足を組みなおして微笑みを浮かべ、由代がそう頷くと、それまで黙していた卦見がようやく顔を持ち上げて葉書を読み上げた。
「あの、魔神が住まう魔界のオルゴールを、あの館から回収し、そしてそれを破壊してほしい。私を、私を助けてくれ」

 卦見は葉書を読み終えて一息つき、レンが用意していた紅茶のカップを口に運んだ。
「……非常に達筆ですが、文章自体はひどく混乱されているような……そんな感じですね」
 カップを受け皿に戻してそう告げた卦見に、由代が返事の代わりに小さな唸り声を一つ。
「それに、どうも内容がおかしい。もし万が一本当にオルゴールに魔が憑いているのであれば、それを壊すなどもっての他だ」
 由代の疑念に同意を見せ、セレスティが頷いた。
「あの事件でしたら私も記憶しています。とてもいたましいものであったと。……私の記憶に間違いがなければ、確かあの家にはすでに身内といった存在は残っていないはずなのですが」
 妙ですねえと続けて首を捻るセレスティに、由代がカップの中身を一息に飲み干してから言葉を返した。
「何かと気になる内容ですね。今回のこの依頼、我々が承らせていただきますよ、レンさん」

■ 惨劇の場所 ■

 惨劇の舞台となった屋敷に着いた頃には、陽が落ちて久しい時間になっていた。
民家が密集している場所からは少し離れた場所に立つその家は、文字通りの廃墟そのものといった風だった。
「ひやかしなどといった若い人の訪問もないんでしょうかね」
 そう告げる由代の口許には薄い笑みがはりついている。
ボタンを外したままのジャケットが風をうけて静かにはためいていた。
「あまりにも”ヤバい”との噂があるようなんですよ」
 応えたのは卦見だ。
薄暗い闇の中でも、ほの白い輝きを放つ銀の髪と瞳がゆらゆらと揺れているのが見える。
由代とセレスティの視線が自分に注がれていることを知り、卦見は少し首を傾げてみせた。
「”ヤバい”現場は訪れてみたいものの、まつわる噂が”ハンパじゃない”場合は、さすがに彼らも引いてしまうのだそうです」
 細い首筋にかかる銀髪が、風をうけてはらはらと舞う。
「ヤバい話、ですか」
 小さく吹き出してそう返し、由代は卦見の顔を確かめた。
卦見は自分の言葉が由代の関心を引いたことを悟り、首を縦に動かして微笑む。
「占い師をやっていますと、色々な方からお話を伺うことが出来ます。こちらの噂も、以前少しだけ耳にしたことがあるのです」
「なるほど」
 納得して視線を屋敷へと戻し、由代は深い嘆息を一つついた。
 語らっていた二人の背後からガサリと歩み寄ってきたセレスティは、自分も屋敷に視線を向けて微笑む。
「どうやら面白い情報をお話できるようですよ」
 そう言って葉書をちらつかせたセレスティに、由代と卦見が同時に振り向いた。
その二人に葉書を差し伸べてクスリと笑ってみせると、セレスティは長い睫毛をそっと伏せて口を開けた。
「私の力でこの葉書の送り主を読みとってみましたが、どうやら送り主は、少なくとも生きている人間ではないようです」
 そう告げて睫毛を持ち上げる。
そこには神妙な面持ちをしている卦見の姿と、それでもかすかな笑みを浮かべている由代の姿とがあった。
そしてその向こうには、物々しい空気を放ちながら静寂を守っている一軒の屋敷。
「――――さて、やはりどうにも厄介な予感がしますが」
 屋敷に目を向けてから二人の表情を交互に見やり、セレスティは小さく短いため息を洩らした。
「行きましょうか」


 屋敷の庭は荒れ放題で、伸び放題になっている草の丈は長身の由代の腰ほどにまで達していた。
訪れる客がいないということは、当然ながら道らしいものも残されていないということだ。
三人は枯れかけた草をかきわけて踏み進め、朽ちてしまってもう役目を果たしていない両開きの扉を前にした。
風雨にさらされた木製の扉は腐り落ちていて、はからずも、訪れた三人を手招くように、はたはたと揺れ動いている。
その扉をくぐって屋敷の中に足を踏み入れると、中は湿って重い空気で満たされていた。
腐った木片や布などといったものが放つ異臭だろうか。あるいは何かの拍子に屋敷の中で死んだ犬や鳥などがいたのかもしれない。
情報の通り、家の中は確かに焼け落ちてしまっていた。
焦げた壁や焼け落ちたドアが、どこからともなく流れてくる異臭とあいまって、この世と隔絶された空間を思わせた。
「ちょっと強く踏んだら抜け落ちてしまいそうですね」
 卦見が床に目をやって、軋む板を片足で踏みしめながらそう言った。
確かに床板はぎしぎしと鳴って、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
「一階の部屋はどうやら全部焼けてしまっているようだね」
 一番奥の部屋の前に立っていた由代が、部屋の中を覗き込みつつ告げた。
その言葉に頷き、セレスティが二階へと続く階段を見上げる。
「しかし件のオルゴールはどこかの部屋に残されているのですよね。……二階の部屋でしょうか」
 そう呟いて二階を見やるセレスティの視線につられるように、卦見と由代も階段の上を確かめた。
どこかから流れてくる異臭は、二階から漂ってきているようだった。

「自分の家族を殺したという男性ですが、状況から考えて、やはり魔に憑かれて操られていたと見ていいのでしょうか」
 階段を上りながら口を開いたセレスティの問いかけに、頷いたのは由代だった。
「そう考えておそらく間違いないだろうと、僕は思います。その時点で魔はすでにこちらに影響するだけの力を持っていたということですが、注目すべきなのは、その事件によって生贄がささげられたということです」
「生贄? 亡くなったご家族の皆さんのことですか?」
 卦見が訊ねると、由代はゆっくりと首を動かした。
「生贄の血が流された以上、魔はこの世界に影響を及ぼすことが可能な状態にあるはずだ。……オルゴールを破壊することはつまり、最後の縛めを壊してしまうという事になりますか」
「オルゴールが彼の――悪魔が封じ込められている砦ということでしょうか?」
 足の不自由さを感じさせない動きで階段をゆっくりと上り、セレスティは自分の前を行く由代の背中を見やった。
由代は肩越しにセレスティの顔を眺め、低く唸るように頷いた。
「知らずにそれを壊してしまえば、魔はたちどころに現世に姿を現すだろうね。……対峙する前に、下準備が必要でしょうね」
「……しかしそのオルゴールは、どういった感じのものなのでしょうね。美しい細工のなされているものなのでしょうか」
 由代の言葉に同意を見せながら、セレスティはそう言って目を細めた。
「わたくしも。わたくしもそれが気になっていました。その、不謹慎かもしれませんが、それなりの歴史を持つものならば、骨董価値などもそれなりにあるのでしょうし」
 セレスティが呟いた言葉に、卦見の表情が薄っすらと輝いた。
「オルゴールが日本で作られたのは1948年が最初なのです。オルゴール第一号は1796年にスイスで開発されていますが、そういった背景を考えて、件のものもそんなに古いものではないだろうと思うのです」
「オルゴールがお好きなのですか?」 
 嬉しそうに目を細めて話す卦見に、由代が笑みを見せつつ訊ねる。
「好きといいますか、一つとても良いオルゴールを所有しているものですから、自然と関心が向いてしまうといいますか」
 銀色に光る双眸を細めて由代を見やり、卦見はそう応えて階段を上りきった。
続いて由代も階段を上りきって一息つき、ゆっくりとした足取りで階段を上るセレスティに手を差し伸べながら頷いた。
「なるほど……さぁてと、オルゴールがある部屋はどこかな」
 
 二階は湿気と異臭とでひどく空気が悪い。重々しかった空気はさらに濃度を強めたように、立っているだけでずしりと全身に圧し掛かってくるようだ。
「……気のせいでしょうか。焦げ臭いような気がしますね」
 そう告げたのはセレスティだった。
セレスティはそう告げてから由代に礼を述べ、ゆったりとした面持ちで辺りに視線を配る。
焼け焦げた柱と壁紙、ただれ落ちたドア。中を覗き込むと、黒ずんだベッドなどがそのまま放置されてある。
割れた窓ガラスからは冷えた風と月光が入りこみ、ヒュウヒュウと小さく気味の悪い音を立てていた。
「確かに……何か燃えてるんでしょうか」
 卦見が眉根を寄せる。
ともすれば、鼻をつく異臭で誤魔化されてしまいそうだが、確かに何かが燃えているような焦げ臭い匂いがしている。
由代はといえば、目を閉じて何事かを呟き、ひっきりなしに何かを宙に描いていた。
「何かが、いますね」
 セレスティの穏やかな声が、低くそう呟いた。
「――――悪魔」
 卦見がそう返した時、焼け落ちた部屋という部屋の中から、無数の黒い球体が飛び出した。
 否、それは球体のように見えただけの、黒ずんだ人魂だった。

■ 恐怖の王 ■

 現れた無数の黒い人魂は三人を取り囲んでグルグルと回り、ゲタゲタと下品な哄笑を張り上げた。
雨が屋根を叩くような音が鳴り始め、それは瞬きの後に打楽器を叩く音へと変容した。
まるで何か儀式でも始まったかのような喧騒が辺りにたちこめ、壁や柱が黒々とした炎で包まれていく。
「これは一体――――」
 卦見は立ち昇りはじめた煙から口と鼻を覆って、黒を映す瞳をゆらりと細めた。
セレスティは穏やかな表情をわずかに崩し、端正な顔にかすかな怒気を浮かべて、廊下の奥の一点を見据えている。
そこには焼け落ちていない扉があり、異臭はその向こうから流れてきているようだ。
「この炎は視覚的なものであって、実際には存在していないものだよ」
 由代が口を開く。
「でも脳がそれを認識してしまえば、実際には存在していない炎でも、体は焼けてしまうかもしれませんね」
 セレスティが一点を見据えたままでそう続けた。
黒い人魂は相変わらずけたたましい哄笑を撒き散らして飛びまわり、辺りを黒い炎の海と化していく。
卦見はセレスティの目線の先にあるものを確かめて、細く白い首を傾げて告げる。
「あの部屋にあるのですね」
「そのようだね。……さあ、行こうか」
 由代が炎よりも黒い瞳を緩ませた。

 部屋に向かう三人を取り囲む黒い球体は、扉が近付くにつれてその大きさや勢いを増していった。
「さっき、魔がこの部屋から外に逃げないようにと、シジル……結界を張っておきました。面倒だったから屋敷全体を囲んでおいたんだけど、そのせいでこうした小物が現れだしちゃったのかな」
 由代はそう笑って片手を持ち上げ、飛び交うそれに向けてパチリと指をならしてみせた。
途端に黒いそれの数個が弾け飛び、跡形もなく消え失せる。
「あなたは魔に対する専門家か何かですか?」
 セレスティが片手に持った杖の先端で足元の板を数度叩くと、噴水のように噴き上がった幾筋もの水が、セレスティと卦見を囲んでいたものを突き刺した。
黒い人魂は全て消え失せたが、それでも打楽器を打ち鳴らしているような音は消えない。
ドアノブに手をかけた状態で、由代は薄い笑みを張りつかせて頷いた。
「魔術書の解読と著述を生業としています。自分でもまあ、少しばかり使えますが。……開けますよ」
 後ろにいる二人を見やってそう告げる。二人が首を縦に動かすのを確かめてドアを押し開けようとした時、ドアは自動ドアのように勢いよく開かれた。
「歓迎されているようですね」
 卦見が肩をすくめた。

 開かれたドアの向こうに広がった部屋は、放置されていた年月など微塵も感じさせないほどの明るさを持ったものだった。
可愛らしい模様がプリントされたカーテンが風に揺れ、敷かれたカーペットは数年前に子供達の間で流行ったキャラクターのものだ。
二段ベッドの上には柔らかそうな布団が敷いてあるし、様々なオモチャが所狭しと広げられてある。
「あれ。あれがそうですね」
 卦見が指差した場所には、小さな丸いテーブルが広げられていた。
その上にはショートケーキとジュースが用意されていて、真ん中には真鍮製の古めかしいオルゴールが飾られてある。
蓋は閉じられてあるから音楽が流れることはないはずなのだが、部屋の中では三拍子のメロディーが響いていた。
「子供部屋だったんですね」
 部屋の中を一望してセレスティが呟くと、由代が眉根を寄せて言葉を吐いた。
「小賢しいやり口だな……生贄として欲しかったのは子供だったと見える。……子供の贄を欲する魔といえば」
 由代の手がゆっくりと持ちあがり、ゆらりと揺れた。
「姿を見せたらどうだね、モレク」
 宙に見えないシジルを描き始めた由代のバリトンが、隠れた悪魔の名を呼ぶ。
「モレク――――恐怖の王、ですね」
 セレスティがそう呟く。
オルゴールに視線を向けていたままの卦見が、口許に片手をそえて頷いた。

 ゴウと音を立てて炎が渦を巻いた。
部屋の中は見る間に焼け爛れていき、何かが――肉が焼けるような臭いが広がった。
三拍子のリズムは鳴りやまず、のどかなリズムを、一瞬で地獄絵図と化した部屋の中に広げる。

 ゲタゲタと笑いながら現れたのは、牛の頭を持った逞しい男の姿だった。
「あ、あれを――!」
 卦見が声を震わせる。
男の手の中には二人の幼い子供がいた。
男の手の中で、子供は尽きることのない炎に巻かれて叫喚している。
半ば狂乱しているのだろうか。両目は大きく見開かれ、白目は血走って、焼け爛れた皮膚の下、助けてという言葉さえも忘れた口がひたすらに泣き叫んでいる。
「僕がモレクを封じます。その間少しでいいので、モレクを抑えてくれますか」
 見えないシジルを描きながら由代がそう言うと、セレスティが低く唸るように同意を返した。

我を押さえこみ封じるなどと無駄な事――――
我を呼び出したのは他ならぬ人間、お前達の同類だ――――
これは絶えぬ富の代わりにと我に差し出された贄の一部にすぎんのだよ――――

 ゲタゲタと品のない哄笑を張り上げてモレクが咆哮する。
その咆哮は地鳴りのように響き、屋敷全体をビリビリと揺らした。
三拍子のリズムが、いっそユーモラスなテンポを伴って響く。
黒々とした炎が、渦を作って三人に襲いかかった。
しかしそれはセレスティが呼び起こした多量の水によって防がれる。
「こ、これも視覚的なものでしょうか」
 広がる水蒸気に顔をしかめながら卦見がそう言うと、片手を持ち上げて水を操りながらセレスティが答えた。
「これは本物です。さきほどのようなものではない――しかしこれだけの力」
 整った顔に苦痛の表情が滲む。
水はどんどん水蒸気へと変化していく。しかし炎の勢いは留まりを知らず、むしろ勢いを強めているようにも見える。
「モレクの力を実体化させているものがあるはずです。それをどうにかすれば、あるいは」
 セレスティの声がかすかに震えている。額にはうっすらとした汗さえ見える。
卦見は由代を見たが、由代はまるでオーケストラを指揮しているかのような、優美な動きを止めていない。
――――シジルはまだ完成されていないのだ。
「実体化させているもの……」
 無理矢理に頭を落ちつかせ、煙の向こうのモレクを見据えて、卦見はふと考え付いた。
「オルゴール」
 思いつき、音を響かせたままのオルゴールに目を向ける。
――――あの曲を止めれば、もしかしたら!

 思いついた後は早かった。
裂傷のように広がる幾本かの空間の裂け目を見つけ、そこに体を滑りこませる
危険な試みだが、自分一人だけが何もせずにいられるはずもない。
……そう。空間を移動してオルゴールを掴み取り、鳴っている音楽を止めるのだ。
もちろんその前にモレクの手にかかってしまう可能性も考えられる。
考えると首筋が粟立ったが、立ち止まりそうになる足を奮い起こし、視線を持ち上げる。

 片手に握っていたはずの杖がカタリと床に転がったのに気付き、セレスティは不自由な足に力をこめた。
両足は今にも力をなくして倒れそうになるが、今はその不自由さよりも、目前にいる強大な魔と対峙する方が大事だと踏んだ。
卦見が空間の裂傷の中に姿を消したのは知っていた。その目的も、おおよその検討はついている。
ならば、今ここで自分がモレクの気を少しでも引きつけておくことは、何よりも重要な事だろう。
水は炎に押されてしまいそうだが、それでも時間稼ぎにはなる。
――後ろにいる由代の動きが止むまで。
――空間から伸びてきた卦見のあの腕が、オルゴールを掴み取るまで。

 モレクは三人の思惑の全てを把握しているかのように、地鳴りにも似た嘲りを轟かせた。
異臭を放つその口からは汚らしい言葉が絶え間なく吐き出され、贄とされた子供達は絶えず狂気の声を張り上げる。

『無駄だ無駄だ虫けらどもめが』
  
 モレクがそう咆哮して高く笑った――その時、その体は幾重にも巡らされたシジルによって囲まれた。
どこか滑稽なワルツを奏でていたオルゴールはその動きを止められ、セレスティの横に戻ってきた卦見の腕の中におさめられていた。
「完了しました」
 由代のバリトンがそう告げて小さく笑う。
崩れそうになったセレスティの腕を卦見が掴み、床に転がっていた杖を由代が拾い上げた。
「呪いはこれで一時終着するだろうが、それでもこれは一時凌ぎにしかならないだろうね」
 由代がそう呟く。
幾重もの複雑なシジルによって縛められたモレクの手から、白目をひんむいた子供達が解き放たれた。
それを見やり、セレスティはようやく大きな嘆息を一つつくことが出来た。
「魔の力を人間が欲する限り、いつかまた呪いは覚醒してしまうかもしれない。そういうことですね」
 セレスティの呟きに、卦見は睫毛を伏せる。
――――果たして今まで占ってきた人間達のどれほどが、似つかわしくない願望を抱いていたことか。

 モレクの咆哮は少しづつ勢力をそがれ、やがてその姿もろとも闇の向こうに消えていった。

■ 呪いの継続 ■

「――――で、これがそのオルゴールかい」
 
 夜の静寂に包まれたアンティークショップの中で、レンは紫煙を一筋ふいと吐き出しながらカウンターに目を向ける。
何の飾り気もない――しいて言えばわずかに花の模様が彫りこまれてある程度のそれを眺め、レンは眉根を寄せた。
「苦労しましたよ。結構な大仕事になりましたからね」
 卦見はそう告げながらレンの横顔を眺め、小さな声で、疲れましたよと続けた。
「フゥン。そりゃお疲れ様だったね。まぁお茶でも飲みなよ」
「そうします」
 レンが差し伸べたカップを口に運び、熱いハーブティーを一口すする。
「それで、その呪いとやらはどうなったんだい? 依頼主は結局人間じゃなかったんだろ?」
 ハーブティーで体を温めている卦見を見つめてレンがそう問うと、セレスティがカップを受け皿に戻しつつ応えた。
「結果からいえば、オルゴールに憑いている悪魔は祓われていません。つまり、何かの拍子に再び悪魔が呼び出されてしまうという可能性は否めないということです」
 
 カモミールの香りが、静かな店内にゆっくりと広がる。
 それまで黙していた由代が、カップに指をかけながら口を開けた。
「ものは相談なんだけど、今回の報酬として、このオルゴールを僕に預けてはくれまいか? もっとも二人の内どちらかも欲しいというのであれば、考えないこともないけれど」
 そう告げてカップを口にする由代を見つめ、レンはわずかに首を傾げる。
「そりゃまあ、いいけど」
 そう返してセレスティと卦見を眺めたが、二人はそれぞれに首を横に振っていた。
「わたくしは以前いただいたオルゴールがありますから」
 そう返して卦見が微笑み、
「正直言うと心惹かれますが、どうやらそれは、城ヶ崎君が持っていた方が良いものであるように思うので」
 セレスティが海の色に似た双眸をゆるりと細めた。
「……だ、そうだよ」
 二人の返事を聞いてレンが肩をすくめてみせると、由代は「ありがとう」と笑ってカップを口にした。


 件の家がどのようにして悪魔と繋がったのかは定かではない。
だがモレクが告げた言葉は、それはもしかしたら真実であったかもしれないと思いながら、レンは煙管を口にした。
 
――絶えぬ富と引き換えに――

 考え、レンはそっと目を閉じる。
その昔に海の向こうから伝えられた神を信抑して一族は、しかしひどい迫害に遭い、命からがら逃げ出してきた。
そこでもしかしたら彼らはこう思ったのかもしれない。
神などどこにも居ないではないか、と。
そう考え付いた彼らが対極的なものに向いてしまうのは、無理からぬことかもしれない。
……だがこれは全てレンが描いた想像に過ぎない。
真実はもはや誰にも分からないのだから。

「真実を見出す方法ですが、いくつかありますが……その一つを試してみましょうか?」
 
 レンが考えていることを読み取ったのか、由代がそう言って小さく笑った。
「へえ。どうやるのさ」
 切れ長の視線を由代に向けると、由代はセレスティと卦見の顔を順に確かめてから低く告げた。
「――――僕を呪ってみるかい?」
 
 低い嘲笑を口許に浮かべてそう告げる由代のバリトンは、深い夜の闇の中へと飲みこまれていくばかりだった。


 



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2839 / 城ヶ崎・由代 / 男性 / 42歳 / 魔術師】
【2519 / 白瀬川・卦見 / 男性 / 800歳 / 占い師】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】

以上、受注順

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■         ライター通信          ■
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今回このノベルを担当いたしました、高遠と申します。
久しぶりに骨董屋でノベルを書いてみましたが、やはり書きやすい! 
いえ、書きやすいのと楽しんでもらえるものを書けるというのとは、また別物なのですけれども。

ベタベタの悪魔ネタになりました。
途中、多少の緊迫した場面なども織り交ぜてみましたが、いかがでしたでしょうか。
少しなりとお楽しみいただければこれ幸いに存じます。

>城ヶ崎・由代様
いつもお世話になっております。
今回は悪魔ネタということで、由代様のプレイングをメインに使わせていただきました。
多少暗黒面も出てしまったような気もしますが……(汗)

>白瀬川・卦見様
はじめまして。この度はお声をかけてくださいまして、まことにありがとうございました。
今回はプレイングに指定はありませんでしたが、空間を移動できるという設定を利用させていただきました。
不都合などございましたら遠慮なくお申しつけくださいませ。

>セレスティ・カーニンガム様
いつもお世話になっております。
今回総帥にはちょっとバトルをしていただきました。
……え、戦闘になっていませんでしたか?(汗)
いつもどこか余裕に満ちた総帥というイメージなのですが、今回はちょっと違う感じで。

三名様、発注ありがとうございました。
不都合がございましたらなんなりとお申しつけください。
お気に召していただけましたら、またお声かけなどをお待ちしております。