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<東京怪談ノベル(シングル)>


あちこちどーちゅーき 〜みかんと河童と〜

「……」
 無言で顔をしかめ、それから視線を右に左に。
「……ま、迷ったんでしょうか……」
 これも旅の醍醐味といえばそうかもしれない。
(迷ったのは……初めてかもしれないですね……。迷わせられてるんでしょうか……)
 上空で不気味にカラスが鳴く。
「……」
 桐苑敦己は苦笑してとりあえず歩き出すことにした。



 敦己がこの森に来たのは話を聞いたからだ。
「かっぱ?」
 馴染み深い妖怪の一種だ。
 たまたま同じバスだったお婆さんにその話を聞いたのだ。ついでにみかんももらってしまった。
 ここに来るまではかなり調子が良かった。だが、森の中にあるという古い沼を目指していたのだがどうやっても到着しない。
 不思議そうに首を捻りつつ歩き続けていたら、とうとう日が暮れて夜になってしまったのだ。
(野宿は慣れてるからいいんですけどね。河童さんに会えるかも、と思って立ち寄ったんですけど……。まあなんとかなりますよ)
 きっと。
 歩くのを止め、とりあえず野宿できそうな場所を見つけようと視線を周囲に向けた。
(のんびりいきましょう。急いでも河童さんは逃げませんし)
 小さく笑って、それからふと、気づく。
 木の陰からこちらをじっと見ている幼い少年がいる。
「おにいさん、お水、ある?」
 小さな声は敦己の耳にしっかりと届いた。敦己は慌てて荷物を探る。
「あ、あの、すみません。ペットボトルのものしか……」
 少年は目を丸くしてから、ふっと小さく笑ってみせた。柔らかい笑みに、ついつい敦己もつられて微笑む。
「それ、くれる?」
「ええ。どうぞ」
 差し出すと、少年がそっと出てくる。幼い少年の格好が着物姿で敦己は驚く。その着物も上質なものではなく、最低限の質素な素材で作られたものだ。
 内心ぎょっとしたものだが、事情があるのだろうと自分を納得させた。
「いいひと、だね」
 ペットボトルを受け取った少年がにっこり微笑んだ。
「……こんなところに……何しに?」
「実は河童さんに会うためにはるばる来たんです」
「かっぱ……」
 ぽかんとした少年が、喉を鳴らして笑い出す。
「そう。でも残念。いないよ、今ここには」
「そ、それは残念です……」
 しょぼんと肩を落とした敦己を見上げる少年は、うなずく。
「今ね、河童は……修行中」
「え? 修行、ですか」
「おにいさん、話を聞いたんでしょう?」
 その通りだ。
 この森の沼の河童は人間に友好的であるという。その話を聞いたからこそ、敦己はここまでやって来たのだ。
「そうなんですよ。河童さんに会えるかもしれないと思いまして。あ、でも、河童さんを困らせるようなことはしませんから。絶対に」
「わかってる……。おにいさん、優しい目だもの」
 少年はまた小さく微笑む。
「これあげる」
 差し出されたものを見て、敦己はきょとんとした。少年に渡された貝殻を眺め、問いかけるように見る敦己。
「それ、中に薬が入ってるから。河童の薬なの」
 貝殻を開くと、中には確かに塗り薬のようなものが入っている。
「ケガをしたときに使ってね」
「へえ……。何に効くんですか?」
「火傷にも、血止めにも。僕から、お水のお礼ね」
 少年はペットボトルを掲げてから、また、小さく笑った。
「実は……沼にいるからきれいなお水が欲しくて困ってたの。河童が留守だから、出掛けるわけにもいかないし……」
「そうですか……。大変だったんですね」
 少年は不思議そうに敦己を見上げる。
「本当に変わった人だね。理由……きかないの?」
「え? その、色々事情がありそうですし……。話したくないことを訊くのも失礼かなと……」
 苦笑していると、少年は驚いてから笑い出す。
「珍しい人だね」
「そうですか?」
「ここまで迷わずに来たのは、おにいさんが最初だよ」
「え? 迷っていたと思ったんですけど……」
「迷ってないよ」
「迷って、ない?」
 驚きであった。
 そうそう迷うことはないと思っていたが、やはり迷ってはいなかったのだ。
「旅をしていれば、きっと会えるよ。ここの河童は人間を研究してるから。今も……人間の修行中なんだよ」
「なら、きっとどこかで会えますね」
 少年は微笑む敦己の手をとって、きゅっと握り締める。ひどく小さくて頼りない手だった。だが暖かくも冷たくもない。
「おにいさんの旅に、いいことがたくさんありますように」
「あ、どうも……」
 ありがとう、と続ける予定だった敦己の言葉が止まる。
 少年の着物の柄に、見覚えがある。暗くて気づかなかったのだ。
 敦己の表情に気づいた少年が目を細めて微笑む。
「おばあちゃん、元気だった?」
「君は……」
「息子さん夫婦の家に一緒に住むって聞いたけど……元気なら、安心だよ」
「君は……あの、」
「お水、ありがとう。夜は夜でなく、ここはここではなく……。まやかしで目をだまし、感覚をマヒさせる……。もう帰ったほうがいいよ」
 ぐるんと、視界がまわったような気がした。



 ぽつんとバス停で立っている敦己は、二、三度ほど瞬きして首を傾げた。
「あれ……? 森の中にいたはずですけど……」
 スズメが上空で鳴く。
 それを見上げていた敦己は考え込む。
「朝……? 夜だったはずですけど……」
 しかもこのバス停、見覚えが……。
 悩んでいると、バスが来るのが見えた。まあいいかと乗り込む。
 一番後ろが空いていたのでそこに座った。窓から外は朝日でとてもまぶしい。
「隣、いいかい?」
「え?」
 振り返った敦己は、横に腰掛けた老婆を見てしばらく無言でいたが、「ええ」と笑顔で返した。
「お婆さんは、どこかに行かれるんですか?」
「実はお爺さんの墓参りにね……。都会に比べれば静かで落ち着くね、やっぱり」
 膝の上に風呂敷を置いて微笑む老婆。
「そうそう。ここらへんは河童の噂があってね」
「かっぱ?」
 敦己が目を丸くする。
「河童というと、あれですか。頭にお皿があって背中に甲羅を背負っていることで有名な……」
「昔から、森の奥にある沼に、人間に友好的な河童がいるっていう話だね。ケガした人間がいると、助けに出てくるって話さ。まあ、本当かどうかはわからないけどね」
 苦笑する老婆に、敦己は微笑む。
「いますよ、きっと」
「そうかい? 河童に興味があるなら、その噂のある森の場所を教えようか?」
「……いえ、いいです。河童さんは修行中で、今は留守らしいですから」
「へ?」
 首を傾げる老婆に向けて、今度は敦己が問いかけた。気になっていたモノに対してだ。
「お婆さん、その風呂敷はお婆さんの……?」
「ああ。あたしがここに嫁いできた時に、お爺さんからもらったものなんだよ」
「……」
 敦己はしばらくして、嬉しそうに笑う。
「そうですか」
「そういえばお爺さんも変なことをよく言ってたねえ。うちには座敷童がいるって」
「ザシキワラシ、ですか」
 座敷童といえば、住み着いた家に富をもたらすとされる妖怪だ。子供の姿で目撃される。
「お爺さんが子供の頃、よく見たって言っててね。河童と仲がいいって言ってたけど……ふふっ、なつかしいねえ。そうだ、みかん一つどうだい?」
 風呂敷から取り出されたみかんは一つ。
 敦己はありがたく受け取る。
「ありがとうございます。きっとその座敷童さん、お婆さんのことを今でも気にかけていますよ」
 きっと……。そう、絶対に。