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<東京怪談ノベル(シングル)>


あちこちどーちゅーき 〜ユメ・モノ・カキ〜

「随分遠くまで来ましたね」
 地図を確認しつつ、桐苑・敦己は一人呟く。
 目の前には、静かに流れる川があった。福岡に数多ある川の一つ、室見川は、白魚で有名だと、さっき挨拶を返したおばあちゃんから聞いたばかりだ。
 整備された護岸は、ウォーキングやジョギングができるように整備されており、また、ベンチも設置されているので、敦己のような旅人にはよい休憩場所となる。
 そろそろ涼しくなってくる秋の中でも、九州の福岡はまだ少し熱い。程よく歩いた体には少々辛いが、我慢できない暑さではない。
「さて、と、今日はどこに宿を取ろうかな」
 いつもは普通の宿に泊まっているのだが、民家にお邪魔して一晩過ごさせてもらうのもなかなかに面白い。さて、どうしようか、と考えつつ視線を巡らせた先に、一人の少年が居た。
 特に何かが気になったわけではないが、なんとなく、少年を観察してみる。中高生なのか、制服姿の少年は、川べりに座りながら、絵でも書いているのか手を動かしている。遠目にはよく分らないが、少年の脇にはスケッチし終わった紙が積んであり、石で押さえてある。
「芸術の秋、という感じですねぇ」
 川の中の魚でもスケッチしているのか、とそのまま見ていた敦己の髪を、強い風が撫でていった。同時に、石で押さえていた紙が舞い上がる。少年が慌てて押さえたが、数枚が風に舞い上がり、こちらへ飛んで来た。
「おっと」
 紙は足元へ落ちてくる。見れば、紙には絵ではなく、400字詰めの線のなかにぎっしりと文字が書いてあった。
 落ちた紙を拾って顔を上げると、こちらを見る少年の姿がある。警戒させないように笑みを浮べつつ、少年に近づいた。
「はい、どうぞ」
「……ありがとう」
 少年はぶっきらぼうに返事を返しつつ、紙を受け取る。見れば、石で押さえられていた紙にも、きっちりとした字で文章が書かれていた。
「それじゃあ」
 人見知りするのか、少年は敦己に背を向けると、再び執筆に戻ってしまう。その様子に、少し興味が湧いた。隣に腰掛けると、執筆風景を眺める。
 敦己が隣に座ったのも気づかないように、少年は万年筆を走らせていた。 その手は、書き殴るように激しく動いている、が、書かれた文字はきっちりとして読みやすい。頭の中で話が出来上がっているのか、ものすごいスピードで原稿用紙が文字で埋まっていった。
 あっという間に、手元に持っていた5ページの原稿用紙を書き終えて、少年が一息つく。ふと、視線が隣に動き、敦己の目と合った。
「なに?」
「いや、頑張ってるな、と思いましてね」
 こちらをうさんくさそうな目で見る少年に、敦己は笑顔を向ける。友人から“不思議な魅力を持っている”と表されるその笑顔に、少年の表情が少しほぐれた。
「別に頑張ってない、プロの人はもっと書く」
 そう言う少年の目は、どこか不安そうに揺れている。敦己は、それを、自信がない目だと見た。
「それだけ書ければいい、と思いますけど」
「まだだ、まだなんだ」
 少年の唇が噛み締められる。若者によくある生き急ぎ、というものか、と考えて、自分の年寄り臭い思考に苦笑した。いいではないか、若いのだから、少しくらい無理しても。
「で、何を書いているんですか?」
「川の話」
 少年の視線が、目の前の川に注がれる。
「川っていうのは、色んな命を乗せて流れてる。それをモチーフにした物語を書いてる」
「へぇ」
 川を見る少年の視線は、ひたむきな思いを抱えていた。自分が生まれ育ったその川を題材に物語を書く、それは、青春の一時を使うに値する偉業なのだろう。
 そう思いながら、書き終わった原稿に視線を落とす。結構な量がそこに詰まれていた。
「読んでもいいですか、これ」
「え……」
 少年が意外そうな顔でこちらを見る。いいですか? と目で問うと、こくり、とうなずきが返ってきた。
 石をどけて、原稿の束を膝の上に乗せる。“命の川”と題されたその物語を、ゆっくりと目で追っていった。文字がきちんと書いてあるので、読むのは苦にならない。それに、少年の書く物語の引力に、すぐに引き込まれてしまった。
 川という線の中の、命の営み。そして、それが海に流れ込み、拡散していく悲しみ。そんな物語としての魅力だけでなく、少年の作品には、少年の年頃でしか感じられない悲しさや苦しさが織り込まれていた。
「いや、面白いですね、これ。で、続きは――あれ?」
 置かれていた分を読み終わった敦己が顔を上げると、少年の姿はもうなかった。ただ、少年が座っていたところに、原稿の残りが置いてある。
「もしかして……」
「アンタ、物書きの人かね」
 はっと顔を上げると、杖を突いた老人が、こちらを見ていた。とりあえず笑顔を浮べつつ頭を下げると、向こうもゆっくりと頭を下げる。
「で、物書きの人なのかね?」
「いえ、違います。この原稿は、ここに居た少年が置いていったんですけど、見ませんでした?」
 敦己の問いに、老人は首を横に振る。そうなのか、と落胆する敦己の隣に、老人が腰掛けた。
「昔ここにな、今のアンタみたいに原稿用紙抱えて小説を書く子供がおった」
「え?」
「ワシぁ、それをずっと見守っとったんだが、ワシが目を離した隙に、そいつは足を滑らせて川に落ちてな」
 老人が、川に視線を向ける。そこには、深い悲しみと後悔が宿っていた。
 少年は死んだ。そして、自分が会ったのは。そこまで考えて、敦己は考えるのを止めた。少年が誰であろうと関係ない。彼は、ただひたすら物語を書くことに命を賭けた、ただそれだけ。
 しかし、自分にはすることがある。少年に託された事が。
「おじいさん」
「何じゃ?」
「これ、受け取ってください」
 少年が置いていった原稿用紙を差し出した。その題名を見た老人の顔色が変わる。
「お前、これ」
「シャイな少年でしたから、自分で渡すのは恥ずかしかったんでしょう」
 老人に渡すタイミングをつかめずに、少年はずっと小説を書きつづけていた、ずっと。
 それを終らせ、橋渡しが出来る自分の力が、少し誇らしかった。
「それでは、俺は」
「……ん、行くのか」
「俺は旅人ですから」
 立ち上がり、老人に一礼すると歩き出す。背中越しに、鼻をすする音が聞こえた。
 しかし、敦己はこれ以上関わらない。敦己は旅人であり、旅人は留まってはいけないから。
 次の街には、自分を必要とするモノが居るかもしれない。それとも、自分を否定するモノが居るのかも。そんなことを考えつつ見上げた空は、遠く、そして青かった。

END