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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


駆け抜ける腹の虫

 守崎・北斗(もりさき ほくと)は走っていた。
 茶色の髪を振り乱し、青の目をきょろきょろさせながら逃げる方向を探し、忍者の術を使うタイミングを見計らいながら走っていた。
「どうしてこんな事に……!」
 ぽつり、と北斗は呟く。とある都立高校の敷地内で、北斗はただただ走っていた。後方からは、眼鏡をかけたお局のようなおばさんだとか、体格のいいジャージのおじさんだとかが追いかけてきている。中には「いや、お前はいいから」と思わず言いたくなるような、ふうふうと息を切らして大分差があるにも関わらず頑張っている太ったおじさんや、走りすぎると別の世界へと走り出していきそうなよぼよぼしたおじいさんだとかまで追いかけている。
(あのデブのおっさんは、いいダイエットになるかもしんねーけどさ)
 大分に失礼な事を北斗は思い、小さく苦笑する。
(あのじーさんはやばいよなぁ……)
 何で、あんなのまで追いかけてきているんだよ、と北斗は溜息をつく。息はまったく乱れてはいない。流石は忍者というか、当然というか。
(何でこうなっちまったかなぁ……?)
 北斗は逃げながら考える。今、こうして追いかけられているという事実は、一体どうして起こってしまったのかを。
 ぐう、と北斗のお腹が鳴る。
(ああ……そうか)
 お腹の音に、北斗は思い出す。今こうして、追いかけられたそもそもの原因を。


 北斗は午前中、依頼をこなしていた。もっと長くかかるかもしれないと覚悟して行った依頼だったのだが、意外と早く終わってしまった。
「まさか午前中にカタがつくとはなぁ……」
 依頼の帰り道に、とろとろと歩きながら北斗は呟く。もし午後までかかるようだったら、依頼人が何かお昼ご飯でも出してくれたかもしれないというのに。
「出してくれるとしたら、やっぱし店屋物だよなぁ。うどんとかそばとか、ラーメンとかさー。……もっと奮発して、寿司とか」
 流石にただの調査員に寿司が出てくるとは考えられない。
「おっと、それは無いにしても……。あ、そうだそうだ。宅配ピザと買っていう手もあるよなぁ」
 焼きたてのピザがやって来る様を思い浮かべ、北斗は顔をへらっと緩ませた。ふわりとあがる白い湯気、途端に広がるピザソースの香り、千切ると伸びる溶けたチーズ。それを口一杯に放り込むのが美味しいのだ。
(っつっても、あんまし食べれねーんだよな。兄貴ってば、ああいうのは余計に高いんだって頼んでくれねーし)
 それくらいならば自分で作ると言い出す兄だ。勿論、兄の作る料理は美味しい。店屋物など敵ではない。だが、兄の得意とするのはあくまでも和食である。時々は洋食を食べたくなるし、体に悪いと見て分かるようなジャンクフードだって食べたくなる。
「兄貴は融通が聞かねーからなぁ」
 ぽつりと北斗は呟き、溜息をつく。と同時に「ぐう」とお腹が鳴る。
「ほら見ろ。腹まで鳴り始めやがったし」
 誰に言う訳でもなく北斗はいい、再び溜息をついた。
「……何かいい匂いまでしてきやがったし」
 北斗は呟き、それからすぐに「いい匂い?」と呟いてからはっとし、くんくんと鼻で匂いを嗅ぎながら辺りを見回す。何か店か何かがあったかどうかを確認する為に。だが、あったのは店でもなんでもなく、高校であった。特に珍しくも無い、都立高校である。
「高校……あ、ここは!」
 北斗は暫く考え、ぽんと手を打つ。妙に聞いた事がある高校名だと思っていたら、それは光月・羽澄(こうづき はずみ)の通っているという高校だったのだ。
「あーそっかそっか。ここって羽澄の高校だったんだ」
 北斗は羽澄の事を頭に浮かべる。青みがかった銀の髪に、緑の目。
「……にしても、いい匂いだな」
 ぐう、と再びお腹が鳴った。北斗は少し考え、小さく「羽澄に会うってことで」と呟いてから塀を見上げる。高校の塀は意外と高かったが、忍者である北斗にとっては高い塀も障害にはなりえなかった。ひょいと飛び越え、綺麗に着地する。そして再びくんくんと鼻を使っていい匂いの元を辿る。
「あっちだな」
 もし兄や羽澄本人がこの場にいたら、呆れた顔をされるであろう嗅覚を以って、北斗は行き先を決定する。そしてゆっくりとその匂いを辿りながら歩いていく。
「……ここだな」
 それは乗り越えてきた場所から少し離れた、一階の一番角の部屋であった。窓の上に換気扇がついており、そこからいい匂いがしているのだ。丁度お昼前と言う事もあり、また午前中に依頼をこなしていたというのも手伝い、再び北斗のお腹が「ぐう」と鳴る。
「……ほら、羽澄がここにいるかもしんねーし」
 誰に弁明する訳でもなく北斗は呟き、そっと窓を覗く。すると、そこには本当に羽澄の姿が存在していた。エプロンと三角巾をつけ、クラスメイト達と一緒にコンロの傍で話をしながら鍋をかき混ぜている。
「あー……あれは味噌汁だな」
 超人的な匂いの嗅ぎ分けをし、北斗は呟く。更に見ると、電気炊飯器も目に映る。鍋の隣のコンロでは、フライパンで何かをいためている。
「……この匂いは……ちょっと甘酸っぱくて……野菜もあるな。肉もあるな……って事は……」
 北斗は目を閉じてくんくんと匂いを嗅いでいたが、急にカッと目を開く。
「献立はご飯と味噌汁と酢豚だ!」
 ぐっと北斗は拳を握る。妙に誇らしげに笑いながら。それと同時に、お腹も「ぐう」と鳴る。
「……献立も当てたし、何か景品が出たっていいと思うんだよな、うん」
 自分にしか成り立たないかのような理屈を呟き、北斗は頷く。
「そうだ、羽澄に分けてもらおう。ちょっくらこっから呼べば、くれるかもしんねーし」
 北斗はそう心に決め、窓からそっと羽澄を呼ぼうとした。窓からひょっこり顔をのぞかせ、手を振りながら「羽澄」と呼ぼうとした、正にその瞬間だった。
「そこで何をしているんだ?」
 突如聞こえた声に、北斗はぎくりとしながら後ろを振り返った。するとそこには、太ったおじさんが立っていた。服装からすると、ちょっと上の位置にいる……校長だとか教頭だとかそういう類の人らしかった。
「……やべっ」
 自分が不法侵入をしている事に北斗は気付き、慌てて走り出した。
「ま、待ちなさい!」
 後ろから太ったおじさん……もとい、先生が追いかけてきた。それに加え、たまたまその近くを歩いていた他の先生までそれに加わってきたのだ。
「えー!」
 北斗は後ろを振り返り、思わず声を上げる。後ろから追いかけてきた人間がどんどん増えていっていたのだ。
「くそー!」
 北斗はそう言い、ぐうぐう鳴るお腹を抱えて走り出した。小さく「くそう」と呟きながら。


「……何かしら?」
 丁度その頃、妙に騒がしくなった外に気付いて羽澄は窓に近寄った。そっと覗き込むと、見慣れた茶色い頭がたくさんの先生たちに追いかけられていた。羽澄は小さく「え?」と呟く。
(あれは……北斗?)
 茶色の頭ならば、もう一人候補がいた。北斗の双子の兄である。だが、双子の兄があのような失態を犯すとは到底思えないため、すぐに却下された。つまり、あそこで追いかけられているのは北斗なのだと。
(何であんな所に……)
 走っていった方向からすると、元はこの近辺にいたのだろうと予想がついた。つまりは、自分のいる調理室近くにいたのだろうと。
(私に何か用でもあったのかしら)
 羽澄は小さく首を傾げ、それからちらりと時計を見た。丁度12時。お昼ご飯の時間である。勿論、それにあわせて調理実習が行われたのだが。
「じゃあ、皆さん。そろそろ食べましょう」
 家庭科教師が皆に声をかける。羽澄も他のクラスメイトに言われ、返事をしながら席につく。
 いただきます、と皆で声を揃えて箸を手に取りながら羽澄は考える。北斗と来れば食欲、食欲と来れば北斗。
(時間は丁度正午。お腹を空かせてこの近辺をあるいていたとしたら……?)
 たまたま北斗の目に、自分の通う高校が目に入っただろう。知り合いのいる高校だと思えば、そこまで警戒心も働かない。加えて、この調理室から漂ういい香り。北斗の好きな肉を使った料理。
(豚肉だけど)
 羽澄は酢豚を口に運びながら考え、小さく笑う。北斗にとっては牛肉だろうと豚肉だろうと関係は無い。美味しいものは美味しいと思うだろうし、好き嫌いも無い。何でも美味しそうに、たくさんの量をそのお腹に収めるのだ。北斗の双子の兄が、慢性的な赤字状態を引き起こす原因なのだと、溜息混じりに教えてくれた事もある。
(北斗ってば)
 羽澄は思わずくすくすと笑う。その様子に、クラスメイトは「どうしたの?」と尋ねてくる。
「ううん、何でもないの」
 羽澄はそう言い、何かを思いつく。
「ねぇ、これ全部食べきれないわよね?だったら、私が貰って良いかしら?」
 羽澄が皆に尋ねると、皆は快く承諾してくれた。羽澄は皆に礼をいい、それから悪戯っぽくそっと笑うのだった。


 北斗はぐったりとして茂みの中で蹲っていた。ようやく追いかけてきた教師達は撒けたのだが、ぐうぐう鳴るお腹が鳴り止まない。
「腹減ったなぁ」
 少し涙目混じりに呟くと、後ろからくすくすと笑う声が聞こえてきた。北斗はまだ追いかけてきた教師がいるのかと慌てて振り向くと、そこに立っていたのは羽澄であった。手に何かを持っている。
「やっぱり北斗だったのね。……大方、いい匂いにつられて侵入して見つかったんでしょう?」
 すっかり羽澄に言い当てられ、北斗は小さく不本意そうに「……まあな」と呟く。
「はい」
 不本意そうな北斗に、羽澄はラップに包んだ何かを手渡す。途端に北斗の目がきらきらと輝いた。それは、調理実習の余り物であった。食べきれなかった酢豚と余ったご飯をおにぎりにしたものだ。
「おお!すまねーな、羽澄!」
「ううん。……どうせ余り物だし」
 ぼそりと羽澄は呟いたが、夢中でかぶりつく北斗の耳には入らないようだった。気付けば、涙まで流しながらがつがつと食べている。よっぽど嬉しかったのであろう。ニコニコと笑う口元と、たらたらと流れる嬉し涙。羽澄はその様子に改めて笑うのであった。


 丁度その実習で今日の授業は終わりだという羽澄を待ち、北斗は共に胡弓堂へと向かった。その道すがらに、北斗は今日食べさせて貰った酢豚とおにぎりがいかに美味しかったかを熱弁していた。
「本当に良かったわ」
 羽澄がそう言いながらガラリと胡弓堂の戸を開いた、その瞬間だった。北斗の体が一瞬びくりとした。見ると、中には北斗の兄がそこにいた。
「や、やあ兄貴!」
「……腹は減ってないのか?」
「大丈夫だって。……あ、でもだからといって拾い食いとか買い食いとかしてねーぞ?」
 北斗の言葉に、思わず羽澄が吹き出す。
「……貰い食いは?」
「へ?」
「貰い食い。……約束したよな?拾い食い買い食い貰い食いはしないって」
「あー……してねー……よ?」
 北斗は約束した日の空の色を思い出しながら、そっと目を逸らす。兄は何も言わず、すっと頬についていた何かを手にとって笑う。……恐怖の笑みだ。
「ほほう?ではこのお弁当はなんだ?」
「ええとー……それは……」
 北斗はたらりと汗をたらしながら羽澄のほうを見る。助けを求めるかのように。すると羽澄はにっこりと笑う。
「それ、今日あった調理実習の名残よ。酢豚と味噌汁とご飯なの」
「羽澄ぃー!」
「北斗!」
 北斗は悲痛な声を上げ、胡弓堂の中を逃げる。それを兄が追いかける。
「今日は逃げてばっかねぇ、北斗」
 羽澄はくすくすと笑い、その様子を見ていた。今度の逃走劇は、きちんと間近で見られると呑気に思いながら。
「俺が悪いんじゃないって!悪いのは腹の虫だって!」
「て事はお前が悪いんじゃないか!」
 必死に弁明しようとする北斗に、兄は容赦なく突っ込む。羽澄は「さてと」と小さく呟き、二人が落ち着いた時の為に、お茶を用意するのであった。

<諸悪の根源は腹の虫と主張しながら・了>