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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


ケダモノは、何処に


 四宮灯火の影が、アパートの前でゆらめく。彼女は、愛らしい顔をクと上に向け、クと傾げた。古びたアパートの階段を照らす蛍光灯が、切れかかっているのだ。ぱちぱちとまたたく光が、灯火の影を動かしている。
 まばたきもせずに、またたく蛍光灯を見つめていた灯火は、無言で顔を階段に向け直した。彼女は、ひどく無表情であり、また、独り言も口にしない少女であった。
 遠目に見ては、美しい着物を着た少女でも――近づき、彼女の肌を見るがいい。そこに、蛋白質の瑞々しさはない。彼女の動きが奇妙に直線的であるのも、頷けるだろう。彼女は、不可思議な力を得た『人形』だ。
 その人形が、東京のうらぶれた通りを横切り、一軒のアパートを訪れたのだった。
 階段をのぼった灯火は、ひとつの部屋の前で立ち止まり、クとドアに顔を向ける。表札はなかったが、かすれた部屋番号が確かにドアに記されていた。
 クと持ち上げられた小さな手が、しとやかに、どこか機械的に、ドアをノックする。
「……」
 返事はない。
 もう一度、ノック。
「……」
 やはり、返事はない。
 灯火の、深い蒼の瞳は、しばらく黙ってドアを見つめていた。

 そして、消えた。

 姿を消した灯火は、ドアの向こう側――藍原和馬の部屋の中に現れた。音も光もなく、言葉もない。たちまち灯火の耳に飛びこんできたのは、豪快な往復いびきだった。獣の唸り声にも似た轟音だ。
「藍原様」
 返事はない。
「藍原様」
 やはり、返事はない。
「……お迎えにあがりました……」
 少女の声は、蚊が鳴くようだ。いびきにかき消され、眠りに落ちている和馬のもとには届いていない。証拠に、和馬は眠り続けている。揺り起こそうと伸ばした手を、灯火はためらい、結局引っ込めた。藍原和馬は年がら年中、ろくな職場で働いていないと聞く。和馬から直接、休憩ももらえなかったという愚痴は何度も聞いた。
 起こしても、いいものだろうか……。
 しかし灯火が出した結論は、その場で揺り起こすよりも過酷なものだった。

 ぼグっ!!

「たわばァ!!」

 華奢な腕が、豪壮なパンチを繰り出した。拳は藍原和馬の顔面に(文字通り)めりこみ、傍らに黙って立っていたあの灯火が、ほんの小さく肩をすくめたほどの衝撃が、店内を駆け抜けた。
 店内というのは、マリィ・クライスが経営する骨董品屋『神影』である。
 灯火の力によって、眠ったまま和馬は師匠マリィのもとに送り届けられることとなった。瞬間移動という、通常ではなかなか考えられない移動手段をもってしても目を覚まさない和馬――彼を目覚めさせたのは、マリィの鉄拳だ。
「な、なんだ! 敵か! ハンターか!」
「なぁに寝ぼけてるんだい? あんたの目の前にいるのは、この私」
「わっ、師匠!」
「騒がしいやつだねぇ、本当に。……ねぇ、灯火」
「……」
 マリィは和馬を見たときのものとは打って変わった、穏やかな視線を灯火に投げかける。クとマリィを見上げた灯火は、ちらりと目だけで和馬を見て、何も言わなかった。彼女はそれなりに気が利くのだ。ひとが傷つくようなことは言わない。
 で、何の用すか――和馬がふくれっ面で尋ねる前に、マリィは銀色のものを彼に手渡した。きらきらと、しかしどこか生々しい銀色の光沢の、それは毛皮のショールである。
「何すか、これ」
 手渡されたショールに眉をひそめた和馬は、まず、じっくり目で観察するより先に、匂いを嗅いだ。そうして、すぐに鼻を離した。えも言われぬ畏怖を呼び起こす、強者の匂いがしたのだ。和馬の中に流れる獣の血が、本能的に毛皮を畏れた。
「……何すか、これ」
 露骨に顔をしかめ、和馬は、マリィの目を見てもう一度尋ねた。
 金眼の師は、和馬に、いつになく真剣なまなざしを向けた。
「それを探りに行くのさ。あんたもついてきたほうがいいと思って」
「……なんか、流血沙汰になりそうすねエ」
 難しい顔のまま、和馬はまたショールの匂いを嗅いだ。獣の血はその匂いを畏れたが、人の血は微塵の恐怖も抱こうとはしなかった。
「来てくれる?」
「ヤだっつっても連れてかれますからね。いいすよ。……灯火ちゃんも連れてくんで?」
「もちろん。この子の力が必要なの。あんたは荷物持ちとして必要」
「えァ?!」
 呆気にとられる和馬の前に、どさどさと荷物が積み上げられていった。

 銀のショールは、先日、マリィがある骨董商人から買い付けたものだ。
 『神影』に並ぶ商品のほぼ10割がそうであるように、そのショールにも曰くがついていた。
 マリィは、銀と緑の夢を見た。
 思い出すべきではない記憶の夢だ。
 銀が彼女にすべてを与え、そして奪っていった。
 ショールを手にした者は、みなその夢を見たという。だが、マリィは、自分だからこそその夢を見たのではないかと――思い悩んでいた。

「……マリィ様、その夢は……破るべきもので、ございましょうか?」
「え?」
「……夢は、夢のままであればこそ、わたくしどもに、手を下せない……そうでは、ございませんか?」
 悪い夢であっても、夢の中で何度咬まれ、殺され、呪われようと――大概は、目が覚めた瞬間にすべてがまぼろしになる。
 マリィは、わざわざ夢を現実のものにしようとしている。
 灯火は目を伏せていた。人形に目を落とした和馬も、内心ではその考えに同意している。
「……知らないままっていうのは、何だか、気持ち悪いじゃないか。それに、知ることが出来るのに知ろうとしない輩は、臆病者だよ」
 ふ、とマリィは短く笑った。
「私は、これ以上臆病者になるのはごめんさ」


 銀と闇、緑の記憶が、灯火の力で現実のものになる。
 まばたきののちに、3人がいる場所は、骨董品屋の奥から、森の中に変わっていた。
 空気が一瞬にして変わり果てた。うっすらとした埃と黴がかもし出す古い匂いが、新鮮な湿った空気と入れ替わる。
 時刻は、深夜か――いや、明け方か。どちらにせよ、ここは恐らく、昼なお暗いのだ。鬱蒼と茂った森林は、原生であるようだった。
「日本じゃ……ない、すね……」
 森が、3人を警戒している。木々の視線が確かにあった。草花は囁き合い、3人の出方をじっと見守っている。
 和馬は周囲を睨みながら、灯火の傍らに立った。いつでも爪を振るえるよう、ぎちぎちとポケットの中の手に力を込めつつ。
「灯火、どう? 何か感じる?」
 人間や獣よりも、他者の意志や感情に敏感な灯火が、銀のショールを受け取った。
 灯火の蒼い瞳に、ぼんやりとした光が宿る。
「――こちらに……」
 言うなり、振袖の少女は、しずしずと歩き出した。その横を、和馬が固める。
 マリィは小さく息を呑むと、ゆっくり、灯火について歩きだした。


 すん、と和馬が大きく匂いを嗅いだ。
「水だ」
 彼がそう呟き、灯火が不意に歩みを早めた。
 森が、突然開ける。
 マリィは、言葉を失った。
 しんと静まり返ったその空間には、澄んだ、月を映すための鏡のような泉があった。木々が遠慮がちに生え、泉を取り囲んでいる。
 その光景は、マリィが見たものだった。泉を見つめる彼女の表情は、和馬も灯火も、見たことがない。マリィは、心底驚いていたのである。
 夢は、果たして現実になってしまった。
「師匠――」
 ヤバいすよ、何か来る。
 そう、果たして何かがやってくる。
 草木が畏怖し、道を開けるか。
 銀の光が、暗き森の奥から、堂々と現れ――

 灯火の目が、さっと右に動くと同時に、銃声が森に響き渡った。
 森が爆ぜた、ようだった。
 木々の枝にとまり、眠りに落ちていた鳥たちが、一斉に夜空に飛び立ったのである。
 銀色の光は、再び、森の中に消えた。何ものも恐れそうになかったその存在は、鉄と、鉄を駆るものの前から逃れていく。
 ――俺がヤバいって思ったのは、あの連中のことじゃねエっすからね、師匠!
 和馬が唸り声を上げた。森を侵し、銃を持って現れた男たちが、泉の奥を指差し、走り出していた。彼らは、意外にもマリィたちの近くから現れた。風下を選び、気配を殺していた彼らは、プロなのだろう。標的ははっきりしている。
「あんたたち!」
 凛とした声が、プロの足すらとめた。
 マリィは一瞬で間合いを詰めていた。その疾さに、狩人たちも驚いたのだろう。マリィの足が、狩人のひとりの腕を蹴り上げた。和馬は、宙を飛んだ狩人の得物にぞっとした。
 狩人は、銀のナイフを手にしていたのだ。
 ナイフが美しくきらめきながら泉の中に落ちた。和馬は牙を剥き、狼のような唸り声を上げると、身を翻した。ショールを持ったまま無表情で立ち尽くす灯火に、銃口が向けられたのだ。それに、和馬は気がついた。
 唸り声を上げて突進した和馬は、狩人が引き金を引くと同時に、体当たりをお見舞いしていた。銃口はものの見事に灯火から外れ、弾丸は和馬の肩をかすめた。
 かすめただけだというのに――
 和馬の肩口を、凄まじい痛みが襲った。銀だ、間違いない。それは、銀の弾丸だ。
「てめェら!」
 和馬を駆り立てた怒りは、痛みのためだけのものではない。和馬は、本能に圧迫される意識の中で、確かにそう感じた。
 護らなければならないものが――ある。
 爪と黒い毛を備えた獣の手が、まだ熱もったライフルの銃身を掴むと、飴のようにたやすくねじ曲げた。続いて、獣の腕は、高く振り上げられた。狩人の頭を叩き潰すために。
「和馬!」
 黒スーツを引き裂いてあらわれた黒い獣人を、マリィがするどく諌める。彼女はすでに、ふたりの狩人から得物を奪い取って、蹴り倒していた。
「死体なんかでここを汚すんじゃないよ!」
 涎を滴らせながらも、獣人がためらう。
 狩人の背後に、音もなくあらわれていたのは、蒼の瞳の人形だ。
「……此処より……お立ち退き……くださいませ」
 しずかに告げた灯火が、とん、と狩人の背中に触れた。
 ねじ曲げられたライフルを手に、驚いた顔で振り向いた狩人の姿が、忽然と消えていた。

 どこに狩人を飛ばしたのか、灯火は答えなかった。
 ただ、灯火のその行動がとどめとなったらしく、狩人たちはそれきり、叫び声をあげて暗い森の中へ消えていった。あの、銀の影が消えた方向とは、まったく逆の方向へだ。
 和馬の姿はないままだ。泉のほとりですんすんと辺りの匂いを嗅いでいるのは、黒い毛並みの獣人だった。
「あんた、肩……」
 マリィの声に、ぅうるるるる、と獣人がゆっくり振り向いて、無事な左肩だけをすくめてみせた。どうやら、効いているらしい。
 獣人は不意に、泉の中に入った。泉は浅く、澄んでいて、沈んだ銀のナイフがほとりからも見えた。獣人は慎重に手を伸ばし、柄を握ると、ナイフを拾い上げた。
「こンなもの……ここにあって、たまるか……」
 獣の唸り声が、確かにそう言葉を紡いだ。
 銀のショールを携えた灯火が、マリィを見上げて首を横に振る。
 銀の獣は、もう近くにはいない。


「……あの銀のお方は、どういった方で、ございましょう」
 埃と黴の匂いが戻ってきた。
 和馬はすぐに店の奥に引っ込んで、そそくさと着替えをしている。
 カウンターの上に銀色のショールを広げ、そのなめらかな毛並みを撫でながら、マリィは無言だ。
 泉から和馬が拾い上げた銀のナイフは、灯火がそっと店の棚に置いた。儀礼用の短剣(これらもまた曰くつきだ)が並ぶ列だった。

「ひとが、踏み込んではならない世界のものよ」

 ようやくマリィが口を開いたとき、和馬の着替えは終わっていた。
「けど、ひとが居た。ひとは、もうどこにも、手が届かないとこなんてねエと思ってる。師匠、まア、ほっときましょうや。ああいう奴らにゃ、黙っててもバチが当たるもんです」
「……そうだね」
 あの牙。目。銀の毛並み。
 ああ、知りたい答えが目の前にあった気がする。
 マリィは、灯火の頭を撫で、和馬の右肩――いや、すんでのところで、左肩に目測を変え、軽く叩いた。
「おつかれ」
 銀のショールを手にし、マリィは寝室に入っていった。
 師の背を見送っていた和馬が、ふと視線を下げる。
 灯火が、無言で包帯を差し出していた。




<了>