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天逢樹の夜
<オープニング>
「22時過ぎでした。私、友達と食事した帰りで…。終バスが近かったので、あの道を通ったんです。その木は、月の光の中で光っていたんです」
マイクを向けられたOLは、インタビュアーに向って頷いた。
「はい。何となく、手を触れた所まで覚えてます。その時私、確かに彼の事を考えてました。で、気がついたらその彼が目の前に居たんです」
OLの話は、何と彼も同時刻、同じ夢を見ていたと言う不思議話で終わった。草間武彦はテレビのスイッチを切ると、少々面倒臭そうに依頼人に向き直った。
「こいつに間違いないんですか?」
「はい。間違いなくこれは『天逢樹』です。あれは昼間は周囲の樹と見分けがつきませんが、夜、月の光の中でだけ、白く輝いて見えるのです。変化出来るのは月明かりのある晩だけ。触れた者の想いの強さによっては相手の魂まで呼び込んでしまう…危険なのです」
「危険…ねえ」
年の頃は25、6だろうか。柔らかそうな銀の髪に、金色の瞳をしたこの青年を一目見て感じた草間の嫌な予感は的中した。胡散臭い依頼。彼の心中を知ってか知らずか、青年は続けた。
「お願いします。『天逢樹』を探して下さい。出来れば、満月が来る前に。」
満月まであと二夜。そう言う事は先に言ってくれと呟きながら、草間は後ろにいた零に目配せした。
<依頼受諾>
「光る樹…か。面白そうね。いいわ、私がやる」
シュライン・エマは客と自分たちの分の珈琲をテーブルに置くと、草間の隣に腰を下ろした。休みの筈が呼び出され、少し不機嫌だった彼女だが、武彦に頼りにされるのは嬉しかったし、何よりこの『天逢樹』とやらに興味がわいた。依頼人は助かります、と礼を言うと、珈琲カップに手を伸ばした。
「変化の度合いは想いの強さに比例します。例えば、単なる憧れ程度ならば姿だけ。恋愛対象なら…そうですね、魂の一部を呼び込む程度。テレビに出ていた女性はその典型ですね。月が沈めば変化も解けるし、彼は夢を見たくらいにしか思いません。けれど、もしも魂の全てを呼び込んでしまったら…」
「どうなるの?」
「樹に取り込まれてしまいます。そのまま花が咲いて実をつけてしまうと、元の樹は枯れてもう永久に身体には戻れなくなる。困るでしょう?」
さらりと言われて、シュラインと武彦は顔を見合わせた。永久に肉体には戻れないなんて、『困る』どころの騒ぎではない。
「ねえ、もしかして…」
ふとある事に思い至って、シュラインが口を開いた。
「今、その樹の中には…誰か、居るの?」
答える代わりに、依頼人は穏やかに微笑んだ。
<探索>
『光る樹』の噂は、既にあちこちで広まっていた。光る樹に触れたら、大好きなアイドルが目の前に現れた。などと言う他愛の無いモノが殆どだったが、中には憎い相手が現れた、と言うモノもあった。確かに言われて見れば、逢いたい理由など人それぞれだ。彼女はまず、全ての情報を収集整理する所から始めたのだが。
「何とか一人で探そうと思ったのですが…。結構移動してしまうもので追いきれなくて」
と依頼人が言っていた通り、『天逢樹』は殆ど一晩ごとに移動していて、情報収集に半日、整理に一日を費やしてしまった。今夜が期限の、満月の夜だ。幸い花が咲くのは満月が沈む瞬間だと聞いたが、それでもかなりぎりぎりだ。シュラインは事務所の古い机に片肘を突いて溜息を吐いた。
「結構時間かかっちまったな」
咥え煙草で言った武彦を、じろりと睨む。依頼人の話によれば、『天逢樹』がこの街に現れたのは一月前に遡る。従ってインターネットに新聞、雑誌、果ては街の噂話まで、得た情報はカスも入れれば膨大な数にのぼった。作業はとても厄介だったのだ。
「残業代、つけといて貰うからね」
眼鏡の奥の眠い目をしばたかせながら言うと、武彦は生返事をしてくるりと窓の方を向いた。どうやら多くは期待しない方が良いらしい。シュラインは気を取り直してパソコンに向った。とりあえず確信の持てた目撃情報及び遭遇情報を元に割り出された樹の移動距離は、電車などを使用した場合を除けば月の出、入り時刻に関連があると思われる為、それらも入力して予想される現在位置を絞り込んでいく。樹を最後に目撃したのは、高田馬場にすむ大学生だった。光る樹に触れた彼は、高校時代憧れていた先輩と酒を飲んで別れたと話している。当然ながらその先輩は現在留学中で、彼に出会える筈は無い。
「ふうん…。こりゃ結構広いな」
いつの間にか隣に立っていた武彦が、画面を覗き込んで呟いた。画面上の地図には大きな紅い丸が描かれている。範囲は駅を中心とした新宿全域に近い。
「これ以上は絞り込めないわ。ここ数日の目撃情報が無いの。この辺りは人が多すぎて。それにもしかすると、人間には接触しなかったのかも」
シュラインの言葉に、武彦は無言で受話器を取り上げた。
「どうするつもり?」
見上げたシュラインに、武彦がウィンクを返す。
「優秀な情報屋が居てね」
<探索>
シュラインに気付いたのは、依頼人の方だった。青年は軽く片手を上げると、お疲れ様です、と微笑んだ。その傍らには着物姿の少女が居た。肩口までの黒髪が、紅色の着物によく映えている。どうやら彼女が草間の言っていた情報屋らしいと分かって、シュラインは少々驚いた。しかも腕はかなりのものだ。草間武彦が彼女に連絡を取ってから、まだほんの2、3時間しか経っていない。それだけの間で、この新宿の雑踏の中から『天逢樹』を見つけたというのだから、多分見た目通りの子供ではないのだろう。
「緋井路桜さん、と言うそうですよ」
青年が言うと、情報屋の少女、緋井路桜は少し、頭を下げた。黒髪がさらっと揺れて、黒目がちの瞳がシュラインを見上げる。
「よろしく。あたしはシュライン・エマ。シュラインでいいからね。それで…」
皆まで言わずともわかったのか、桜はこくりと頷くと、すっと腕を伸ばした。その指先が指し示す方を見て、シュラインは思わずあっと声を上げた。
「新宿…御苑…」
「日が落ちて来ると、さすがに冷えるわねえ」
シュラインは上着の前をかきあわせるようにして、呟いた。その隣には緋井路桜、そして依頼人の青年が並んでいる。三人は御苑の隣にある雑居ビルの屋上に居た。普段ならば閉苑ぎりぎりに滑り込んで、そのまま潜むという手もあったが、今日は生憎と閉苑日だったのだ。苑内を見下ろせる場所で日暮れを待とう、というのは、シュラインの提案だった。
「御苑なんて、確かに盲点ではあったけど」
シュラインはちらりと桜に目をやってから、依頼人を見上げた。
「確かなのかしら?ここ、夜は立ち入り禁止よ?人間に姿を変えた樹が入れる筈は…」
シュラインが言い終わるのを待たずに青年が微笑んだ。二人の会話に気付いた桜が顔を上げる。
「桜さんのお話だと、どうやら天逢樹は猫に変わっていたらしいんですよ」
青年が桜を振り向くと、彼女はこくりと頷いた。
「ちょっと待って。人間以外にも変わるって事は、人間以外の動物が触っても変化するの?!」
そうなったら御苑の中に今もあるとは限らない。だが、青年は首を振った。
「可能性が無いわけではありませんが…難しいでしょうね。天逢樹を変化させるには、結構な意思の力が必要なんです。犬や猫ではちょっと無理だと思いますよ」
「そう…」
シュラインはほっと胸を撫で下ろした。視界の端に、ぼんやりとした不思議な光が見えたのは、そのすぐ後だった。
「ねえ、あれ…」
シュラインの言葉に、青年が頷いた。青白い光。夕陽は既にビルの向こうに消え、残る薄明もゆっくりと宵闇に飲み込まれて行こうとしている。御苑の森を覆おうとしている夜の闇の中に浮かんで見える微かな光は、次々と灯されていく街灯とは明らかに異質の光だった。
「とにかく、行きましょう」
階段に向おうとしたシュラインを、青年が引きとめた。差し伸べられた手に首を傾げつつ、シュラインは自分の手を重ねた。彼は反対の手で桜の手も取ると、そのままとん、と床を蹴った。ビルの上から飛んだのだ。短い悲鳴を上げたシュラインに、青年が大丈夫、と頷いた。実際、三人の体は重力を無視して風に乗り、ゆっくりと御苑の中に下りていく。
「普通の人よりちょっと、変わった事が出来るだけですよ」
疑惑の眼差しを向けたシュラインに、青年が言った。あんな樹を探している人物なのだ。普通である筈もないと納得したシュラインの反対側で、桜が気持ちよさげに夜風に髪をなびかせていた。いきなり空を飛ばされても動揺する様子もない。日本庭園の大きな池が見える斜面に降りると、あの光がすぐ近くに見えた。
<天逢樹>
「間に合ったようね」
まだ南天にある月の光に呼応するように、天逢樹が輝いている。高さは多分、10メートルにも満たないだろう。幹も細い。だが、その光はぼうっと長く伸び、ほんのりと空まで届いていた。闇を照らすでもなく、どちらかと言うと溶け合うような光は、どこか懐かしく暖かい。
「触れてみたいですか?」
青年の声に、シュラインと桜同時に我に返った。知らぬ間に随分と樹に近づいていた。二人の頬や髪を、青白い光が照らしている。
「引寄せられた…?」
シュラインの言葉に、青年が頷いた。
「これもまた、天逢樹の厄介な特性の一つでして。私もついうっかり」
「…引寄せられたのね」
「まあ、そういう事です。心に思う人がある場合は特に強く引寄せられるんですよ」
貴方にも、心当たりはあるでしょうと言われて、シュラインがほんの少し頬を染めた。
「でも、私は触らないわよ。彼の魂なんて呼んじゃったら困るし。それに、私にはそんな必要、無いもの」
きっぱりと言い切ったシュラインを、青年が少し目を細めて見た。
「私はずっとあの人の傍にいるから」
「もし、どこかへ行ってしまったら?」
「探すわ。そして必ず見つける。これでも結構優秀な調査員なのよね」
シュラインがにっと笑ったその時、独りじっと樹を見上げていた桜が歩き出した。
「え、桜ちゃん!」
止めようとしたシュラインの手を振り切って、一歩一歩、樹に近づいていく。
「ねえ、ちょっと!」
声をかけたシュラインに少しだけ振り向いて、小さな声が言った。
「声が…聞こえる…から…」
「声?」
何の事を、と言おうとした彼女を、青年が止めた。
「彼女には、天逢樹の声が聞こえているようです」
そうでしょう、と言うように彼女を見た青年に頷いて見せると、桜はそのまま樹に向って腕を伸ばした。ざわり、と樹が揺れたとシュラインは思った。正確に言うならば、動いたのは樹を取り巻く光だ。それはふわりと渦を巻くと、シュラインや青年の間を通り抜けて桜の身体を包み込んだのだ。
「光の・・・ベールみたいね」
シュラインが呟いた。不夜城と言われる新宿の空に、ぽっかりと開いた夜の闇をベールが覆う。幾重にも彼らを取り囲んだ光のベールは最大限に広がったかと思うと瞬く間に集約し、その中で天逢樹は次第に姿を変えた。最初は若い男に。古い時代の、異国の服装をした男だ。次は年老いた女に。幼い少女に。妙齢の女性に。姿を変える度に光のベールが少しずつ消えていく。
「天逢樹に取り込まれてしまっていた魂達です。既に肉体の死を迎えた者達ばかりのようですね。桜さんが天逢樹の心を解放して下さったお陰で、皆やっと天上に還れます」
「貴方の、その…大切な人は?」
その言葉に静かな笑みで答えると、彼はまだ姿を変え続ける樹に歩み寄り、手を伸ばした。
「そろそろ、目覚めているんでしょう?…姉さん」
彼の言葉に応えるように、天逢樹はゆらりと一際強く輝き、姿を変えた。現れたのは桜よりも少し幼いくらいの少女だ。青年よりも更に色素の薄い髪を長く伸ばした少女は、青年の手に自分の手を重ねた。
「帰りましょう」
少女の姿が完全に樹から離れ、桜が青年を見上げる。彼が何事か言うと、桜はそっと樹から離れた。と同時に彼は反対側の手を空に掲げた。その手には水晶のようなものが握られている。
「何するつもり!?」
シュラインが叫んだ。
「樹を、封じます。ありがとうございました。シュラインさん、桜さん。お二人のお陰です…」
次の瞬間、水晶から凄まじい風が放たれて天逢樹を巻き込み、程なくして消えた。後に残されたのはシュラインと桜、そして今正に西の空に沈もうとしている満月の最後の光だけだった。
「ったく。酷い目に会ったわよ!あいつ、私達の事置いてったのよ?!」
シュラインは冷蔵庫の中からミネラルウォーターを取り出すと、一気に飲み干した。さんざんな夜だった。青年は天逢樹と共に消え、彼女と桜は共に真夜中の御苑に置き去りにされたのだ。何とか門を乗り越えて戻れたものの、警備員に見つかっていたらタダでは済まない。
「でもまあ、見つからないで帰れてよかったよかった」
椅子にふんぞり返ったままの武彦の台詞にはやけに生気が無かった。首を傾げるシュラインに、零が困ったような笑みを浮かべた。
「実は、その、依頼料が届いたんですが…」
「届いた?」
振り込まれたの間違いではないのかと思っていると、零が台所からずるずると大きなダンボールを引きずってきた。その中身は山のような…
「…桃…?」
ダンボールの中に入っていた手紙を恐る恐る開く。そこにはこう書かれていた。
「『今はこれしかありません。すみません。一つ食べると十年寿命が延びます』…って、何これ」
「全部で36個もあるんですよ。桜さんには三つ送るとして、皆で食べたら一人百十年も寿命が延びちゃいますね」
にっこり笑う零を他所に、顔を見合わせた武彦とシュラインの心は同じだった。
・・・寿命より、現金。
それから三日間、延々と桃を食べ続けた興信所の面々だったが、本当に寿命が延びたのかどうかはまだ分からない。
<終>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086/ シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1233/ 緋井路 桜(ひいろ さくら)/ 女性 / 11歳 / 学生&気まぐれ情報屋&たまに探偵かも 】
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■ ライター通信 ■
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シュライン・エマ様
初めまして。依頼参加、ありがとうございました。新米ライターむささびでございます。
天逢樹の夜、お楽しみいただけたでしょうか。今回はとても特性の違うPC様の組み合わせとなりましたので、分業で依頼を完遂していただきました。
それなりに苦労した仕事だったと思うのですが、やはり草間興信所にはあまりお金は入らないようです。寿命は延びましたけど。
今回登場させました依頼人は、今後ともNPCとして時折現れる予定でおります。よろしかったらまたお会いいただければ嬉しいです。
むささび
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