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<東京怪談ノベル(シングル)>


煙管と湯桶と手拭いと

 天高く馬肥ゆる秋。おだやかな風吹く昼下がりは働きに出ている者のしばしの休息。腹ごしらえ。
 腹が減っては戦は出来ぬ。腹が満ちれば風呂に行く。
 黒く固いあすふぁるとと言う名の大地は歩きやすけれども、情緒は無し。
 細長い箱のような人間たちの戦場の傍らを悠然と風に目の上の毛をなびかせながら歩くぺんぎん一羽。
 些か不可思議なれど、それがどうした青っ洟。世の中真実は数知れず、だがそれに構う暇無し。
 ひたひた、と進めていた歩をぴたりと止めゆっくりと顔を廻らせるぺんぎん文太。
 物珍し気な好奇の視線が突き刺さる。 
 
 何故にこの場にいるのだらう?
 
 理由なぞはどうでも良い。覚えていないのだから仕様が無い。
 木枯らし吹きぬくびる郡は所謂現代の竹林か。一円玉の旅がらすとは言えども一円玉なぞ持ってない。あるのは粋な煙管と檜の湯桶と手拭いと、それが文太の旅の供。
 
 そうだ……温泉にいこう

 思い立ったが吉日。目指すは温泉。伊香保であれば尚良し。
 再び、ひたりと歩を進めた文太に風が吹く。
 ぴゅう、と音立て吹く風にひらりと手拭いが宙を舞う。
 ふわりと膨らむ手拭いはすぐに落ちて来るかと思いきや、上に流れる強き風にあっと言う間もなく飛ばされる。
 あぁ、哀れ文太。手拭いが無ければ風呂に入れぬ。それはいかんと駆け出した。
 現代の竹林の中を、疾走するぺんぎん一羽。その速さやこの世のものとは思えぬ代物で、神の成せる業か物の怪の所業か。
 人間どもが何やら喚きふためいているが、そんな事に構う暇無し。
 今、目指すは空を飛ぶ手拭いひとつ。
 走れ、走れ。文太よ走れ。それ、もう少しで手が届くぞ!
 おっとどっこい、そうは簡単に行かないようだ。目の前にそびえる石の箱。そのまま行ってはぶつかるぞ。
 車と手拭いとぺんぎんは急に止まれぬもの。
 べしゃり、と無様な音立てて壁とぺんぎんご挨拶。
 尻餅ついて痛い嘴を撫でる文太の上にひらり手拭い舞い降りる。
『…………。』
 手拭いを取り、見つめる文太。
 すっくと立ち上がったぺんぎん一羽。さて、これでようやく湯煙の元へ行けると尻の埃を叩き落とす。
 
 ぴゅう……ぅ
 
 風のいたずら、加減を知らずまたも手拭い舞い上げる。
 唖然と見上げる文太の頭上を越え、勝手気ままに秋空目指して手拭いが飛ぶ。
 今度は高く、高く、どんどん空に昇っていく。
 これは拙いと慌てて駆け出す物の怪ぺんぎん。だが、どんどん手拭いが遠くなって行く。
 文太の足がどんどん早く、仕舞いにゃ煙を上げ始める。転がる鉄の乗り物さえも追い越して駆ける文太に、通りを歩く人間が幾人か突き飛ばされるが人間……おっと失礼。ぺんぎんは急に止まれない。
 力の限り走る文太の目の前に、見えてきたのは高い橋。
 ひらりと陸橋の上をゆっくり飛んでいる手拭いを、逃がすまいとぺんぎん文太は駆け上がり、遠ざかる手拭い目掛け陸橋の端から宙に飛ぶ。
 さぁ、手拭いへ前ひれは届くのか?!
 あと一寸。落ちて行く体と上がっていく手拭い。
 しっかと文太は手拭いを掴んだ。
 良くぞやったぞ、ぺんぎん文太! それでこそ、男というものだ。
 男の意地を見せた文太。さて、次なる問題はこのまま落ちる己をどうするか、だ。
 速度を増して迫る黒い大地。自棄に両の前ひれを必死に動かしてみるが、そのぽってりとした丸い体には抗う事が出来ず今度はあすふぁるととご対面。
 それでも鳴き声一つ上げず、めげずに身を起こす文太に更なる危機が迫る。
 大きな警笛音と耳障りな車の急な減速音に文太は振り返る間もなく、強い衝撃に襲われまたもや宙を飛ぶ。
 くるくると変わる景色を眺めながら、はたと文太が思う事。

 はて、何故にこのような状況にいるだらう?

 理由など今思案したところで仕様が無い。放物線を描いて体はどうやら歩道へと落ちているようだ。
 ぼうっと落ちる文太は此方を見上げて、何やら喚く人々の間に起き上がり辛夷のように綺麗に着地した。
 
『…………。』

 右を見る。檜の湯桶と旅道具一式が、しっかりそこにある。
 左を見る。ようやく手元に戻った手拭いがある。
 嘴の前を見る。そこには友人から貰い受けた古い煙管がある。
 満足そうに一つ小さく頷いて、ぺたりぺたりと足音立てて、ぺんぎん文太は歩き出した。
 秋風吹く、昼下がりのびじねす街。好奇の視線を向ける人々の間を悠然と歩くぺんぎんはぴたりと歩みを止めて、空を見上げた。

 ……はて、我輩はどこへ行こうとしているのだらう?

 文太の行く先は、ただ風のみが知っている――