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<東京怪談ノベル(シングル)>


あちこちどーちゅーき 〜夜哭く山阿〜


上り列車、発車いたしまぁす
ピイイイイイイイ


 車掌の声が列車の出立を告げて、単線のレールの上を走り出していく。
古びた列車はガタゴトと横揺れしつつ去っていき、駅に残されたのは桐苑敦己ただ一人だけであった。
敦己は小さくなっていく列車の姿を見つめていたが、その姿が豆粒ほどになった頃を見計らい、切符の確認をしに来る駅員さえもいない改札口をすり抜けた。

 北国の端にある小さな町。待合室の中には薪をくべて燃やすタイプのストーブが一つと、それを囲むように並べられた青い椅子が数個。
隅には自動販売機が一台、チカチカと光を放っている。
古びた駅だ。待合室の中には敦己の他に老婆が一人、曲がった背中を丸めて座っているだけ。
「……ふぅ」
 持ちなれた小さなリュックを肩から下ろし、老婆からはわずかに離れた場所に腰を下ろす。
疲れた足を投げ出して大きく背筋を伸ばし、天井を見上げれば、むきだしの電灯がチカチカとほのかに照っている。
時計の針は夕方五時を回っていた。
秋の気配を色濃くしはじめている時期だから、もうそろそろ陽も沈んでしまうだろう。
――――さて、今晩の寝床をどうするか。
チカチカと光る電灯を見上げ、しばし考える。
野宿もいいが、さすがにそろそろ寒いだろうか。たまにはゆっくり風呂に入るのもいいだろうし。

 うむと頷いて立ち上がり、リュックを背負う。
それから何か温かい飲み物をと、自動販売機に移動する。
……ふと自分を見ている老婆の視線に気がついた。
「こんばんは。すいませんが、この近辺で寝泊まり出来る場所はありませんでしょうか?」
 軽く首を傾げて微笑む敦己に、老婆は色素の薄い窪んだ瞳を泳がせて小さな唸り声をあげた。
「アンタめずらしいねぇ、余所からここに来るなんて。小さな町だから見てっても面白くもないだろうに」 
 曲げていた背中を伸ばしてこちらを見やる老婆の言葉に、敦己は首を振って応える。
販売機がガコンと重い音を立てて緑茶を吐き出した。
「観光だとかで来たわけではないんです。その、あちこち気の向くままにウロウロしているだけで」
 言いながらポケットの中のコインに触れる。
コインを投げたらこの町に行き当たったので、とかいうよりは、こういう言い方をしたほうが、老婆には分かり易いだろう。
老婆は敦己の言葉に納得したのか、小さな目を細めて笑みを浮かべ、頷いた。
「ほうかほうか。何だか知らんが若いのにネェ。……旅館なら、ホレあそこに一つだけ」

 老婆が指で示した辺りに目を向ける。
駅を出た向こうに、一軒の小さな建物があった。
ほの暗い夜の闇の中、よく目をこらせば、確かに木製の看板をかかげてあるのが見える。
「――ああ、本当だ。助かりました、お婆さん。ありがとうございます」
 丁寧に頭を下げて、買ったばかりの緑茶を老婆に手渡して駅の出口へと向かう敦己を、老婆の声が呼び止めた。
「アンタ、この町にはネェ、お山がひとつあってネェ。でもそこには立ち入らない事さァ」
 声を潜めて告げられたその言葉に、敦己はわずかに眉根を寄せて振り向いた。
「お山、ですか」
「ほうさぁ。お山に気に入られちまったら、アンタお山に食われちまうからネェ」
 老婆はそう告げ、温かそうに緑茶の缶を握り締めた。


「ああ、夜哭山の事でしょう」
 敦己を旅館の部屋に案内した女将がそう頷いた。
「夜哭山? 何か曰くのある山なんですか?」
 リュックを下ろして視線を向けると、年のいった女将は何度か小さく頷いて茶の用意を始めた。
「昔この辺はひどい冷害に襲われたことがあったらしく、その折りに派手な口減らしがあったみたいなんですよ」
「はあ、口減らしですか」
 テーブルに置かれた湯のみを手に取って一口すすれば、冷えていた体がゆっくりと温まっていくのが分かる。
女将は敦己の顔を見やって眉根を寄せた。
「それで、何だかオバケが出るとか噂がありましてね。悪戯に足を踏み入れて気に入られると、捨てられた子供達に冥土に連れていかれるのだという話ですわ」
 遊び相手としてなのか、それとももっと別な理由があるのかは知りませんけれどもね。
女将はそう続けて体を小さく震わせた。


 風呂は決して広くはなかったが、夕食はそれなりのものが並べられた。
山の幸をふんだんに使ったそれは、町を訪れる観光客をもてなす精一杯の心だったろうか。
敦己は膳をすっかり平らげてしまうと、疲れた体を蒲団に投げ打って大きな欠伸を一つついた。
 窓の外に目を向ける。カーテンごしに覗き見る外の世界は灯かり一つない暗闇で覆われている。
都会の夜に見受けられるような喧騒は少しもなく、むしろ通る人の気配さえも感じられない。
夜がもたらす静寂がそこにある。
――――敦己はしばらく夜の闇を眺めていたが、やがて夢の世界へと吸いこまれていった。

 ……どれほどの時間が経っただろうか。
どこかから視線のような気配を感じて目を開けると、ヒヤリと冷えた空気の向こうに、ゆらゆらと揺れる何かがあるのが分かった。
しかし目を凝らしても何も見えなかったから、敦己は小さな欠伸を一つついて蒲団にもぐり直すことにした。
見えないものにかまっているよりも、今は眠りを優先させたい。

 まどろみ落ちていく意識の外で、幼い子供の泣き声を聞いたような、気がした。


 快晴で迎えた翌朝は、探訪していなかった町の中をふらふらと巡ってみることにした。
さびれた町ではあるが小さいながらに商店街を構え、人通りは少ないながらも学生や子供を連れた母親なども行き過ぎる。
――ふと顔を持ち上げる。
町の外れ、そうは遠くない場所に、町を見下ろす山が見えた。
「夜哭山」
 ぽつりと呟き、リュックの紐を握り直す。
観光がてら行ってみるのもアリだろう。いやしかし曰く付きの場所ならば、悪戯に近付くのはどうだろうか。
頭の中に浮かぶ葛藤に決着を着けるべく、敦己はポケットに片手を突っ込み、一枚のコインを手に取った。
そのコインを指先で弾き飛ばし、短い深呼吸を一つつく。
コインが裏ならもう少し町を探訪した後に駅に向かう。
しかしコインが表なら――――――――

 程なく辿りついた山の入り口で、黄色や紅で染め上げられた木々を仰ぐ。
風を頬に受けて目を瞑ると、風が木々を撫でていく音が聞こえる。
ざわざわと揺れる葉擦れの音に紛れて人の声がする。
しかしそれは敦己以外に山を訪れていた家族連れのものだった。
無邪気に駆け回る子供の姿に微笑みを送り、意を決して足を進める。

 ざわざわ ざわざわ
 ざわざわ ざわざわ
……木々を揺らしていく風は敦己が山を踏み進めていくごとに、その音をゆっくりとゆっくりと変貌させていく。
 ひゅううううう ひゅううううう
 ひゅううううううううふふふふふ


「……うわっと」
 石につまずいて転びそうになったのを何とか持ち直し、体勢を整えて小さな嘆息を一つつく。
そうして周りを見渡して初めて、そこが用意されていたはずの山道ではない事に気がついた。
「こ、れは」
 片手を口許に添えて思考を巡らせる。
そこは。敦己が今いるそこは、いつの間にか右も左も分からないほどの、深い山の奥だった。
「……これは……俺が気に入られたということでしょうか」
 独り言をごちて歩みを進めようとした。しかし足はぬかるみにはまったように動かない。
視線をゆっくりと下ろしていくと、自分の足元に見えたのは、数本の小さな腕だった。
青ざめて泥だらけになった小さな枯れ枝のような腕が、地面から生えるようにしてそこにある。
それらは競うように敦己の足首を掴み、――中には懸命に登ってこようとしている腕もあった。

 この場を離れなくては。
まず考え付いたのは、どうにかこの腕を振り払い、この場を逃れる事だった。
しかし周りを見渡しても道らしいものさえも見当たらない。
広がっているのは、いっそ息が詰まりそうになるほどの、深い森。
腕はひょろりと伸びて、敦己の腰に爪を引っ掛けだしている。
ずるずると這い出してくるのは、無邪気な笑みを浮かべた子供達。
顔の半分が骨になっているもの。眼球が片方抜け落ちているもの。
そういった無残な姿になった子供達が、ぬらぬらと蛇のように這い出してくる。
「――――――――!」
 敦己は目を閉じて祓いの言葉を朗じた。
弾かれたように、子供達がばらばらと離れていく。が、すぐにまたぬらぬらと敦己の傍に這い寄り、声にならない言葉で何かを訴え出した。
「――遊んでほしいのですか? それとも一緒に逝ってほしいのですか?」
 どちらの望みも叶えてあげられないんですよね。そう続けようとした敦己の靴に、小さな腕が触れた。
敦己の力では子供達を完全に浄霊する事が出来ない。
つまりは、この無邪気な子供達を救ってやるだけの力がないということだ。

 弱り、子供達に目を向ける。
どうにかこの場を離れる、事は確かに可能だ。しかし、この子供達を見捨てていくのはどうだろうか。
一度は弾かれた子供達だったが、今再び敦己の膝を登ってこようとしている。
 知らずにポケットをまさぐっていた自分の手に気付き、苦笑いを作る。
――――さすがにこれをコインで決するわけにもいかないでしょう。
「ごめんね」
 睫毛を伏せてもう一度祓いの言葉を口ずさもうとした。
その刹那。

ゴウと音を荒げて吹き上げる突風に、敦己は伏せた睫毛を持ち上げた。
子供達はその突風に巻き込まれるようにわらわらと離れ、空気に溶けこむように消えていった。
そしてその子供達の姿が全く見えなくなった頃、敦己の体は山の入り口付近で立ち尽くしていた。
「……ここは」
 まるで狸に化かされたような心持ちで周りを見渡すと、林の中に佇む一人の老婆の姿が見えた。
それは昨日駅で会ったあの老婆だったが、彼女は窪んだ瞳で敦己を見据えているばかりで、言葉を発しようとはしなかった。
「何か用事でいらしたんですか?」
 朗らかな笑みを浮かべて老婆へと近寄ろうとした敦己を、老婆は片手をあげて制し、
「……ほんの礼じゃ」
 シワの寄った口をニイと引いて笑い、老婆はそれだけ告げて踵を返した。
「……はあ」
 礼? 何の礼でしょうか。そう訊ねようとして、昨日老婆に手渡した緑茶の事を思い出す。
「こちらこそ、助けていただいたようで……」
 ぺこりと頭を下げて礼を述べ、顔を持ち上げる。
しかしその時にはもうどこにも老婆の姿は見当たらず、家族連れで来ている子供の無邪気な笑い声だけが、呑気な陽射しの下で響いていた。