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<東京怪談ノベル(シングル)>





 火が流れていく。風は切れ、息も切れる。火は流れていき、悲鳴が轟く。仲間たちの悲鳴だ。彼は助けることができなかった。

 夢だ。きっと、夢なのだ……。

 火の手は、彼のすぐそばで上がったようだった。自分の純白の肌と毛並みが焦げる臭いは、嗅いだこともないほどの悪臭だ。彼は悪臭と灼ける痛みに激しくいななき、火の中に飛び込んだ。そうするしか、逃げる術はなかった。自慢の脚で走り抜けば、火がこれ以上自分を舐めることもないと、本能的に期待していたのだ。
 しかし、炎の勢いは凄まじかった。
 彼にとって、火災の原因などどうでもいいことだ。
 灼熱が彼の全身を舐めた――特に、右半身は、走り出す前から炙られていたために、火傷は深刻なものになってしまった。右目が音を立てて弾けたような、そんなおぞましい記憶も残った。
 火が嗤っているではないか、
 おまえが本当に勝てる相手など、この世にはないのだと。
 所詮おまえは、ただ走らされ、他者によって生かされている。飼われている。
 そうとも、だからこそ、他者によって容易に命を奪われるのだ。
 おれさまはおまえを、こうして炙って、食うこともできる。
 おれさまは、生ものは好かん。馬刺しは好かん。馬も焼いて食ってやる。
 高く、たかくいなないて、彼は焼け爛れた翼を広げ、速度を上げた。背後で火が流れていく。やつの笑い声が風に消えていく。ともに暮らした仲間たちの、断末魔が――遠のいていく。

 夢だ。もう、終わったことなのだ。

 火の哄笑のつぎに聞こえたのは、会話だ。
 混濁した意識の中で聞こえてきたのは――
「こいつ人外だな。こんな火傷で動けるか? 人間が」
「まあ、ワケありなのは確かさ……こんなところに入ってきたんだ。薬も一昨日補充したばっかりだし……と」
「連れてくのか?」
「ほっときゃ死ぬ。なんか、それは勿体無い。見ろよ、結構おまえ好みだぞ」
「まぁたいつものパターンだ。恩着せといて、あれやこれや……」
「おまえも好きだろ、そのパターン」
「まーな」
 身体が動かされた。鈍い、引き攣れた痛みが全身を走った。
 だが、彼は、悲鳴を上げることすら出来なかった。


 人間ならばとうに死んでいるほどの火傷も、彼は、3ヶ月で治してみせた。治療が適切なものだったのも確かだ。だが、彼は包帯を外さなかった。美しい肌と顔を走る火傷は、見るに耐えないものであったから。
 彼の目の前で、『飼い主』ふたりはよく口喧嘩をしていた。喧嘩するほど仲がいいとは、きっとこのことなのだろうと、彼は思った。『飼い主』は、片方は人間だったが、もう片方は人外であった。人外のほうは、気性も激しく、やることなすことすべてが破壊的で、『ペット』が困る顔や、痛がる顔を見て心底喜んでいた。人間の方は、人外よりも大人しかったが、鬼畜には変わりなかった。むしろ、柔らかい物腰であれやこれやの行為を楽しむ彼のほうが、たちが悪いのかもしれない。
 火傷を追った白馬は――彼は、どういうわけか、ヒトの姿で倒れていたところを、このふたりに拾われた。人外の男に首輪をつけられ、おまえは今日からペットなのだと笑いながら言ってきた。
「ペットってのはな、愛玩動物ってこった。愛でられる玩具なのさ」
 なるほど、火傷の君は、愛でられ、遊ばれた。
 アインと名づけられて。

 彼はそんな生活が、けして苦ではなかった。おかしな『飼い主』たちだ、とは思っていたが、生まれつき従順で、それまで飼われていた者だけに、何をされても抵抗はしなかった。
 たまに、『飼い主』ふたりが連れてくる、見知らぬ者の相手をさせられることもあった。
 それも、べつに苦ではなかった。
 愛でられ、遊ばれるだけの存在ではなかったのだ。首輪をつけられてはいるが、彼は、広大な敷地を自由に走り回ることを許されていたから。

 ある晩、人型をとらされ、食事をともにすることを言いつけられた彼は、いつもとは雲行きのちがう言い争いを前にした。
 開ける、開けないでもめている。
 ――何を開けるって?
 それが、自分が関係している話であることは間違いない。
 食事の手をとめて、彼は口喧嘩を黙って見守った。
「プリンス・アルバートに決まってんだろ! 男ならあそこに限る! ほんとはアンパラングに開けてやりてえ気分だ。あそこは痛ェからな」
「下はだめだ。そのうち走らせるんだから、本格的に」
「なに?! そんな予定あるなら、今から鍛えさせとけよ!」
「知らなかったのか? こいつ、LIVE FOR ALLだぞ」
「……おまえ、それ、知ってて……」
「気がついたのは最近。それに、大怪我してたんだ。鍛えるも何もないだろ……って、とにかく、そんなところだめだからな」
「じゃ、ホルンで妥協してやる」
「そこもだめだ」
「何でだよ!」
「ピアスブラブラさせながら走ったら変だろ」
 と、いうわけで――
 彼は耳にピアスを開けられた。

 灼けるような痛みだ。だが、全身を炎に舐められた、あの恐怖と苦痛とは、比べるべくもない。注射針がずっと耳を貫通している、そんなじれったい感覚があるだけだ。
 彼の左耳に開けられたピアスは、三つだった。一度に、ニードルで、手際よく開けられてしまった。今はステンレスのボディピアスが入っているが、穴が落ち着けば、きれいで気の利いたものに変えてやると、飼い主たちは言った。
 ――どうして、こんなもの……?
 じんじんと響く痛みに触れると、鋭い痛みが彼を襲った。それでも、我慢できないほどの痛みではなかったが。
「これは証だ」
 飼い主は笑った。
「おまえには、3種類の『飼い主』がいる。おまえを見つけて、拾った俺」
「おまえを飼ってる俺」
「そして、俺たちがたまに連れてくる、たった一夜の『飼い主』が」
 ――意味があるのか。それなら、いい。
 もとより、彼はピアッシングにはじめから抵抗しなかった。
 抵抗してはならない、とさえ思ったのだ。
 自分は四足の獣。美しい、金になる獣。走っているだけで、人間たちは一喜一憂する。LIVE FOR ALL……その名前だった頃から、ずっとそうだった。

 火が夢を灼いていく。

 走らせてもらえるのなら……
 食べさせてもらえるのなら……
 笑って、遊んでくれるなら……

 火が……

 自分はそんなものなのだ。ただの馬ではないけれど、大人しく従っていれば、自分はただの白馬にすぎない。

 ピアスの痛みが、消えていく。
 だが、そこにピアスがあることを、けして彼は忘れはしない。
 アインではなく、新座となった今も、彼は三つのピアスとともにある。


 火の夢は、醒めた。


「夢でよかった」
 いまの彼は、『飼い主』を持たない。自由気ままに、競馬場や廃墟、人と人に化けたものが息づく都会を、ふらふらと歩いてまわっている。鏡に映る、包帯だらけの自分は、人に化けている時間の方が多くなっていた。
 自由になったというのに、走っていない。
 燃えるピアスを鳴らしながら、走り回ったあの敷地――
 火の夢を、彼は時には待ち望んでいるのかもしれない。
「でも、耳で、よかった」
 ショーウインドウに映る左耳を見て、彼はくすりと無邪気に笑った。




<了>