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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


汝いかにして天より落ちしや



リンスター総帥殿 あるいはその近しい御友人様各位

この度某所にて怪しげな式を執り行うとの、まことしやかな噂を耳にいたしました。
表向きにはとある鏡の出品をメインにしたオークションではありますが、その裏では古来より伝わる地獄の者を呼び出すための儀式を行っているとの噂。
不躾ではありますが、もしやこういった噂は貴殿方の御心をくすぐるものではあるまいかと思い、御一報さしあげました。
オークションのチケットを二枚差し上げます。余興ついでに出向かわれるのもまた一興かと思います。
なお、くれぐれも御衣裳は黒を重んじたものを御選びいただきますように。



 とある秋の日の宵。
リンスター財閥の総帥でもある美貌の紳士セレスティ・カーニンガムは、全身を黒で着飾ったいでたちで車に乗り、柔らかな笑みを浮かべて隣の席を見やった。
高級車の中は悠々と足を伸ばして座ることが可能な面積を誇り、無駄な揺れもなく、ひどく快適な移動時間を堪能させてくれていた。
セレスティの隣には、やはり全身を黒で着飾った少年が一人。
彼は背筋をきちんと伸ばして座り、黙したまま前方を見やっていたが、セレスティの視線に気付くとかすかに首を傾げて静かな笑みを浮かべた。
「どうしました? セレスさん」
 物静かな印象を与える少年は、やはり美と形容するにふさわしい見目を誇っている。
薄っすらと色のついた眼鏡の向こうでは陽光を思わせる金色の双眸が、真っ直ぐにセレスティを捉えている。
「いいえ、用事は特にないのですが……マリオン君もやはり胸を躍らせているのかと思いまして」
 ニコリと笑って目を細めれば、マリオン・バーガンディは応えるように首をすくめて頷いた。
「そうですね。セレスさんと同様に、少しばかり心を弾ませています」
 金の目を細めてみせるマリオンの言葉に、セレスティはポケットにしまってあった封筒を取り出して振ってみせる。

 上質な紙で作られた真白な封筒には、インク文字でセレスティの名前が記されてある。
蝋で封をするという作業をしている辺り、手紙の送り主はもしかしたらアンティーク好きなのかもしれない。
送り主の著名は当然のようになされていなかったが、その辺はセレスティの能力を使えば調べ上げることなど容易い事である――はずだった。
が、送り主を探り当てようと神経を巡らせる度、そこに広がっているのは底知れぬ暗闇ばかり。
文字通り一面に広がる暗黒に、セレスティはむしろ手紙の内容よりも、そちらの方に心を惹かれた。

 マリオン・バーガンディは絵画の修復を生業の一つとしていたが、とある縁から、今ではリンスターが所有する美術品の管理を一任されている。
元より美術品に興味を持っている彼なので、オークションという場にも好んで足を運んでいた。
 セレスティとマリオンは趣味を同じくする者としても親交を深めているのだ。 
今回セレスティの手元に届いた奇妙な招待状に二人揃って興味を惹かれたのは、しごく当然の事であったかもしれない。

「ところでセレスさん。地獄からの客を招く儀式といえば、まず間違いなく悪魔を呼び出す儀式の事ですよね」
 マリオンの顔に無邪気な――それでいてどこか意地の悪そうな笑みが浮かぶ。
セレスティはその笑みを横目で確かめ、くすりとかすかな笑みを作る。
「楽しそうですね、マリオン君」
「セレスさんこそ」
 お互いに顔を見合わせて肩をすくめる。
車は難なく会場へと滑りこみ、二人は間もなく怪しげな場へと踏み入った。

 そこは都心からは少し外れた場所にある建物で、数年前までは劇場として使われていた場所だった。
が、着工工事の時から立て続けに起こった不可思議な現象が元で閉鎖に追い込まれ、それからは時折好奇心にかられた若者が足を踏み入れる以外に来客のない、閑散とした場になっているとの事だ。
劇場跡とはいえそれほどには大きくない規模のその中に立ち入ると、思っていたよりも綺麗に調度された内装が二人を出迎えた。
敷き詰められた赤い絨毯の上を歩けば、踵が鳴らす音が高く低く沸き起こる。
「奇妙な音楽のようですね」
 マリオンがそう言ってセレスティを振り返ったのも無理はない。
鳴り響く靴の音と、どこかから小さく零れ出る話し声、買い値をつりあげていく客達の声。
……それに紛れて、ごくごく小さな笑い声さえもが聞こえてくるような気がする。
それらが織り成す音は、マリオンならずとも”音楽”を彷彿とさせる。
セレスティはマリオンの言葉に頷いて音楽に耳を傾けた。
笑い声のように思えるそれは、どこかの窓が響かせる風のささやきだろうか。

 扉を押し開けて中を覗くと、オークションはすでに始まっていた。
席の数は100を超えている程度のようだ。やはり劇場の規模としてはさほど大きくはない。
その席に座る客の姿がちらほらと見うけられる。
セレスティとマリオンはチケットを確認したが、どうやら座席の指定は特にないらしいことを知り、手近で空いていた席に腰を沈めた。
何人かが二人に目を向けてきたが、そのどれもが無気力でまるで生気の感じられないものだ。
 マリオンが言葉なくセレスティに顔を向けてニコリと笑みを浮かべる。
それに気付いたセレスティがマリオンを見やってふわりと笑みを作る。
――――時計の針は夜の到来を知らせ、静かにゆっくりと時を刻んでいく。
そうしてさほどには面白く感じられなかったオークションが終盤に近付くと、集まっていた観客達は一様に立ちあがり、地響きのような声で祈りにも似た言葉を発し始めた。
「……始まったようですね」
 セレスティが澄んだ青の双眸をゆるりと細める。
その横顔はようやく退屈な時間から解放された子供のような、好奇心に満ちた微笑みをたたえている。
「見てください、セレスさん。最後の一品が展示されるようですよ」
 小さな動きで舞台を指差したマリオンもまた、胸に沸きあがる好奇心を押さえきれない、といった具合にうきうきと笑っていた。

 ぎすぎすと痩せ細った男――一見しただけでは年齢の検討をつけ難い容貌だ――がカートに乗せて運んできたそれは、何の飾りもない、真黒なものだった。

「マリオン君。あれはマジックミラーでしょうね」
 肘掛けに片腕をついて頬づえをとった姿勢で、セレスティが口を開ける。
「地獄からの客を招くための儀式に用いる鏡といえば、マジックミラーになりますね」
 マリオンが頷いた。

 
さあさあお集まりの我等が同志諸君。本日今宵この類い稀なる儀式に足をお運びいただきましたこと、まこと心からの感謝を申し奉る。
まずはこのようなかたくるしい挨拶はさておきまして、今宵ここに招き出します客人の名前を披露するといたしましょう。

 
 舞台の上の男が朗々とそう告げる。
観客達は一斉に沸き立ち、立ちあがってどんどんと足を踏み鳴らしてみたり、椅子に乗りあがって哄笑をあげる者もいた。
――観客のどれもが狂っている。
そうとしか思えない光景に、しかしセレスティとマリオンは、浮かべた笑みを強張らせることもなく、ただ静かに舞台に視線を放っていた。


今宵ここに招きまするは、錬金術に長けた61番目の精霊――ザガン統領でございます!

 舞台の上の男が悪魔の名前を言い渡す。
と、それまで狂ったような騒ぎを見せていた観客達が同時に口を閉ざした。
黙したままの彼らは誰からともなく歩きだし、熱にうかされたような足取りで舞台の周りへと集まり出した。
舞台の上で観客達を眺めていた男は満足そうに微笑み、その視線をセレスティとマリオンの方へ投げ出した。
男は一瞬だけ驚いたような顔をしていたが、しかし次の瞬間にはもう二人には興味もないといった表情を浮かべ、舞台に敷き詰めていた赤い布を払いのける。
そこにはしっかりと描かれた魔法円が現れ、男はその円の東側にマジックミラーとマジックトライアングルを安置し、自らは円の中心に立って周りに何かを描いていく。
観客達はいつのまにか円の中に入りこんでいて、男がしている行動を逃すことなく見つめている。
 円の周りに焚かれた乳香が、さほどに広くはない劇場の中、ゆるゆると広がっていく。


我は、汝、精霊ザガンを呼び起こさん。至高の名にかけて、我汝に命ず


 準備が整ったのか、何の断りもなく、そして慣れた口調で堂々と、男は呪文を唱え出した。
それに唱和するかのように、観客達の声が同調して呪文を述べ出した。


アドニー、エル、エルオーヒーム、エーヘイエー、


 男達の声が呪文を唱え進めていくのを、セレスティとマリオンは席に座ったままで見つめている。
進行を勤めているあの男が二人を確かめて一瞬驚いたのは、おそらく円陣の内にいないと、呼び出した悪魔によって贄にされると踏んだからだろう。
ここに集まる客人達はほとんどがそういった知識を持ち合わせた者なのだろうか。
知った上で円陣に入らない二人の事を、男は果たしてどう思っただろうか。
「呪文が終わりますよ」
 マリオンが身を乗り出して両手を組んだ。
歓喜に満ちたその顔からは、これから呼び出されるのであろう存在に対しての恐怖は、微塵も感じられない。
「水をワインに。ワインを血に変える悪魔、ですか。……美味しいワインが飲みたいですね」
 頬づえをついた姿勢のままで、セレスティが口の片側を持ち上げる。
血のように赤いワイン。さぞかし芳醇な味わいのある銘酒でしょうね。
そう呟き、目を細める。


いと高き、万能の主にかけて、汝、ザガンよ、しかるべき姿で、いかなる悪臭も音響もなく、


 男達の声が地鳴りのように響き渡る。
漂う乳香が――空気が、ゆらりゆらりと揺らぎ出した。

オ、オオオオ、オオオオオ

 どこからともなく聞こえ出した唸り声は、男達のそれであっただろうか。
痩せぎすの男は声を震わせて最後の句を絶叫した。


すみやかに現れよ!

 男がそう告げ終えた時、同時に金切り声にも似た音が、劇場の中を駆け巡った。
オ オ オオオオ  オオ
高く低く響くそれはガラスを割ったような音にも似ていたし、地の底から響いてくるような音にも似ていた。
金属片を掻きむしった音にも似ていたし、カエルがひしゃげた時に出す泣き声のように聞こえた。
それが男達の歓喜ではないことを知るまでに、さほどの時間は要しなかった。

 劇場の中を駆け巡っていた音は舞台の上でピタリと止み、乳香の煙が何か巨大な生物の影を象っていった。
それが有翼の牛を描き終えるまで、ほんの瞬きの間であっただろうか。
屈強な牛の姿をしたそれは自分を呼び出した主達を見止めると、その口をニイと引いて高らかに笑った。
そしてぼそぼそと何事かを男達に向けて発したが、それはセレスティとマリオンがいる席までは届かなかった。

「……何を告げたんでしょう?」
 マリオンが呟いた。
その呟きを聞き取ったのか、ザガンは二人がいる席に顔を向けてニタリと笑みを浮かべた。
「さて」
 セレスティはようやく頬づえを解いて座り直し、盲いた目で悪魔の影を見やる。
「しかし彼らというものは、自分を呼び出した主の言い分は滅多に聞き入れないものですよ」
 嘲笑にも似た笑みを洩らして前髪をかきあげる。
絹のような銀糸がさらさらと流れ落ちる様を見つめ、マリオンはわずかに首を傾げた。
「――――まぁ、退屈しのぎにはなりましたね」
 透けるような白い肌に、闇のような黒い髪がするりと揺れる。
わざと大袈裟に肩をすくめてみせるマリオンは、小さな嘆息を一つついてみせた。

 舞台の上では、ザガンがささやいた何事かに恐れおののいた男達が、我を見失って円陣から脱していたところだった。
そうして脱した男のどれかが踏み砕いたのか、マジックミラーが黒く鋭利な破片となって散らばっている。
それから後は文字通りの地獄絵図だった。
しかしその阿鼻叫喚も長くは続かず――そういった絵図を、セレスティとマリオンは、表情一つ変えずに見つめていた。


 瞬きの後、悪魔は二人の前に立っていた。
血みどろの牛を見やり、マリオンが小さな笑みを作る。
「牛の言葉は解らないから、出来れば人の形をとってくれませんか」
 すると悪魔はニヤリと笑い、端正な若い男の姿をとった。
長い黒髪に浅黒い肌。瞳は燃える炎のようだ。
「これで、いいか」
 ザガンが発した声音はとても低い。
「結構ですよ。お手数をおかけします」
 マリオンが小首を傾げた。
「お前達は我を呼び出すことに関心はなかったのか」
 悪魔が問いた。セレスティがクツリと笑って応える。
「ワインには関心ありますけれども」
 悪魔が再びニヤリと笑んだ。
「良かろう、くれてやる。ちょうど今ほど、多量のワインを作り出したばかりだ」
 そう言って、背に伸びる大きなグリフォンの羽をバサリと揺らす。
その羽の下から姿を現したのは、グラスになみなみと揺れる赤いワインだった。
「受け取れ」
 グラスを手にした悪魔はそう言って口の端を歪め、笑った。

 水をワインに。ワインを血に変える事が出来る悪魔、ザガン。
錬金術に長けた彼であれば、たった今舞台の上で流された多量の贄をワインに変える事など、造作もないことだろう。

「いただきます」
 セレスティは悪魔が差し伸べたグラスを躊躇なく受け取って礼を述べた。
「さすがに良いワインですね」
 マリオンが金の双眸を細めてグラスを口に運ぶ。
悪魔は二人を見やってくつくつと喉の奥をかき鳴らしていたが、やがて乳香の煙と共に空気の中に溶けこんでいった。

 残された二人は舞台の上や劇場の隅々までくまなく見渡してみたが、そこには二人以外に気配はない。
それどころか、まるでそこには初めから彼らしかいなかったかのような、絶対的な静寂ばかりが広がっていた。
魔法円の跡さえ残されていないその場所に立ち、セレスティは手にしていたグラスを小さく傾けた。
マリオンがそれに応えてグラスを傾けた時、ヒヤリと冷えた風が劇場を駆け抜けていった。