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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


水妖の夢

【壱】


 暇を持て余していた神納水晶のところへ舞い込んできたのはなんとも不可解な一つのバイトだった。
 アトラス編集部。
 数あるオカルト雑誌のなかでも比較的有名な部類に入るという話しだったが、それがどこまで本当なのかはわからない。日雇いにしては報酬は決して悪くはない。ただ仕事の内容が内容だった。湖で続発する失踪事件。その裏には妖の影があるのだという。オカルト雑誌が飛びつきそう内容だということはすぐにわかった。しかし何故自分がそれに付き合わされなければならないのかがいまいちぴんとこない。
 けれど神納はそれを引き受けた。
 報酬が目当てではない。
 何よりも強く好奇心が働いた結果だ。
 とりあえず会って説明を聞いてもらいたいという、三下という男からの電話でアトラス編集部を訪ねると本当にここが編集部なのだろうかと思わせる面々がそれぞれに何かに没頭している。何故ここにいるのかもわからないまま、居眠りをこいている奴までいる始末だ。一体ここはなんなのだろうか。変なものに引っかかったのではないかとドアの辺りで立ち尽くす神納に声をかける男が一人。おどおどした雰囲気が仕事などまるでできませんといっているかのようだった。
「お電話を差し上げた三下忠雄と申します」
 目の前に立つ三下におずおずと差し出された名刺を受け取って、とりあえず自己紹介を済ませる。奇跡的に空いていたといっても過言ではない応接セットのソファーに座るよう促されて、三下と向き合うような格好で腰を下ろすと、早速ですがと断って三下がしどろもどろに事件のあらましを説明してくれた。
 湖で発生した行方不明事件。原因は不明。狙われるのは常に男性だけ。その被害者に編集部の関係者が含まれていることが発端で調査するに至ったのだと三下は説明する。説明しながらも三下はその事実にすっかり怯えきっているようだったが、神納は本当にそこまで怯える必要があるのだろうかと思った。男性ばかりが行方不明になる。その裏には何がしかののっぴきならない事情が隠されているのではないかと思ったのだ。水神様の祟りという言葉が気になったせいかもしれない。近隣の住人も近づくことのない湖。近づけば水神様の祟りがあるというのである。しかし悪しき者だけが人に害を及ぼすわけではないような気がする。
 一通り三下が説明を終えると、自然と二人の間に沈黙が落ちる。どこか居心地が悪いと感じるのは、きっと三下が怯えた様子を隠さないからだろう。怯えているにも程がある。
「それで、俺は何をすれば?」
 とりあえず何か話さなければならないと思って振り絞るように言葉を綴ると、三下は前もって話していたとおり調査してほしいのだと答える。
「話しを聞く限りだと調査って云ったって、原因不明ならどうしようもないんじゃ……。第一、警察じゃあるまいし、俺じゃ、何の役にもたたないと思うんだけど?」
「警察のほうでもお手上げ状態らしいんです。何せ原因不明ですから……。関係者の周辺を洗ってみても、どうやら失踪する必要があったような人はいなかったようで、失踪したうちの関係者だって失踪する理由なんてありません」
 それはそうだと声に出さずに神納は思う。
 きっと失踪する人間にとっての理由など、些末なことだと思った。理由などいくらでも後から付け足すことができる。重要なことはきっかけに過ぎない。たった一つのきっかで人は死ぬことも生き続けることもできる。簡単に云ってしまえば、世界の総ては偶然によって必然の皮を被せられているにすぎない事象によって形成されているのである。
 そんな皮肉なことを思いながらも、一生懸命に事のあらましを説明する三下に次第に妙な同情のようなものが生まれてくるのはどうしてだろうか。おどおどした態度に苛立ちのようなものを覚えているという自覚はあるというのに、そうした態度が余計に同情を煽り立てているような気がする。いくらバイトといえども原因不明の調査をしてほしいだなんて非常識なのではないかとさえ思っているのだ。それでも放置することができない。できることなら何かしてやりたいと思ってしまう。
「……引き受けてもいいけど、どうすればいいのか教えてもらわないとどうにもならないんだけど」
 引き受ける旨の言葉を発しなければ、このままでは何時間でも拘束されかねないと思って神納が云うと、三下はぱっと表情を明るくさせてこのまま調査に行きませんかと云った。引き受けてもらえることがわかったからにしても、早すぎる反応だった。そんなに急を要することなのだろうかと思い、そのままに訊ねると三下はちらりとデスクに向かう一人の女性に視線を向けた。
「編集長が編集長なものですから……早くさっさと片付けないといけないんです」
 かしこまって云う三下は溜息をついた。
 引き受けた限りは従うほかないだろう。
 デスクに向かう女性は理知的で、いかにも仕事ができるといった雰囲気がある。それにくらべて三下のほうはまるで仕事ができませんという看板を下げているような人間だ。神納は二人を見比べて云った。
「わかったよ。とりあえず現場に行ってみよう」

【弐】

 三下の運転する車で湖へと向かうことになった。ビルの群れから脱出するように緑の濃いほうへと車は走る。神納は助手席で背もたれに躰を預けたまま、変化していく窓の外の風景を眺めるでもなく眺めていた。灰色の風景が自然の温みに包まれていく。穏やかな自然がまだ残されているのだと思うことのできる風景の鮮やかさに、神納はこれから自分が向かう場所にあるものが本当に悪しきものなのだろうかと考えていた。
 確かに人をさらうことは許されることではない。けれど何がしかの事情がある筈だと思う。話せばわかる。きっとわかってもらえるのだと信じたい自分がいる。特別なことなど何一つも考えることなく、ただ好奇心でついてきただけの自分だがどこかで湖での失踪理由に拘る何かに同情してついてきた自分もいた気もしないではない。
 失踪させるのではなく、呼ばれるのではないかと思う。呼ばれるがままに姿を消しただけで、他人の意思によってではないのかと思うのだ。湖に住まう者は伴侶になってくれるような何者かは誰かを待ち続け、それに反応するのが男性だけだというそれだけで、そこに悪意などないのではないかと。そして男性だけがそれに反応するということは女性なのではないかとも。しかしそう思うと同時に、水神様というものは男性で伴侶にする女探しのために必要な躰を求めて男性を呼び、その躰に取り憑いているのかもしれないとも思う。
 思考回路は混乱。
 はっきりとした答えが姿を見せる気配はない。
 しかしどうであれ祈るように切な気持ちで、迎えに来てほしいと訴えていることだけは確かなような気がした。けれどそれに反応することができるのは人間の男性は待ち人ではないのだろう。繰り返される失踪はそのためではないのだろうか。指先から零れ落ちていく砂を眺めるように湖の住人はただひたすらに自分の意にかなう誰かを呼び続けているのだろう。その行動は決して褒められるものではない。けれどどうあっても会って話しをしてみなければ真実はわからない。
「もし悪いものじゃなかったらどうすればいいんだ?」
 隣でまっすぐに前を見たままハンドルを握る三下に問う。
「悪くもないものを罰することはできないだろう?」
「そういう場合は話し合いで解決すればいいんじゃないでしょうか?……話しを聞いてくれるかどうかはわかりませんけど」
 無責任な答えだと思った。
 もしかすると三下はあくまでも運転手でいるつもりなのかもしれない。
 神納は傷つけるだけが総ての解決になるとは思えなかった。待ち続けているだけならば、その気持ちを一番に尊重してあげられればいいと、叶わぬ願いなら傷つけないよう安らかな答えを与えてあげられたらいいと思う。自分は甘いのだろうかと思うことはあっても、傷つけて解決することだけは受け入れられないような気がした。
「つきましたよ」
 随分長い間車に揺られていたような気がしたが、時計を確認するとそれほど長い時間ではなかったようだ。車は拓けた場所に停車している。
 三下と共に外に出ると透明な風が神納の銀色の髪を揺らした。辺りには小鳥の囀りが響く。
「すぐに現場に行くのか?それとも近くの村で水神様の話しを聞いたほうがいいのかな?」
 神納の問いに、三下が辺りに視線を彷徨わせる。思案するその姿があまりに頼りない。神納は残酷だと思いながらも逃げる時の盾くらいにしか役に立たないのかもしれないと思った。
「じゃあ、とりあえず現場に行ってみましょうか」
 本当に考えたのかもどうかもわからないまま言葉が綴られる。
 そして長く伸びる道の突端を指差すように曖昧な方向へと人差し指を向けた。
 三下の指の先に木々が鬱蒼と茂る獣道が見えた。神納は三下を置き去りにしたまま歩を進める。慌てた様子で後を追いかけている三下にかまうつもりは毛頭なかった。このまま一緒にいたところで役に立たないであろうことが、この場所に辿り着くまでの間でわかってしまったからだ。大きなストライドで足場の悪い獣道を行くと、不意に視界が開ける。
 大きな青い湖。
 それは静かに横たわり、妖の気配など微塵も感じさせない場所だった。
 神納は目蓋を閉じて、視覚に感じる情報を遮断する。目を開いていてはわからない焼けるような鋭い気配がそこかしこに感じられる。囮になろうか。思った刹那、行動のほうが先立つ。空気が変わる。神納が放つ神気のせいだ。喰いついてこい。思いながら目を開けると、すぐ目の前に女の顔があった。一重の双眸がまっすぐに神納を見ている。紅色の唇には笑みが刻まれ、長い睫毛が白い肌に濃い影を刻んでいた。
 背後で三下の悲鳴が聞こえる。
 けれどそれにかまうつもりはない。守る必要もないだろう。身に危険を感じたならば自分の足で逃げろ。そんな風に思いながら神納は問う。
「なんのためにここにいるんだ?」
 ―――おまえこそなんのためにここに来た。ただの人間ではなかろう?
 女の長い黒い髪が風になびく。
「行方不明の人間を探しに来たんだよ。心当たりがあるんじゃないのか?」
 ―――くだらんな。あんな役立たず共などもうこの世にはおらぬ。
「なんのためにこんなことをしたんだ?」
 ―――器を探していたのさ。我が子を残すための女が必要だったからな。
 冷たい声。
 それは低く、どこか不思議な魅力のある声だった。
「男か……?」
 呟くように問う神納に目の前で女の姿をした妖が笑う。
 ―――性別など関係のないこと。
 声と共に神納の頬に鋭い痛みが走る。
 次いで肌を濡らすのは生温かい自分の血液。手で触れて確かめて、神納は左の手を握り締めた。
「死ぬか?」
 ―――それはおまえだ。
 妖の髪の一本一本が刃のように鋭さをまとって神納に襲い掛かる。神納は咄嗟に左の掌から抜き取った刀でそれを薙ぎ払った。鋭さを失った柔らかな黒髪があたりに散る。妖が不敵な笑みを刻んだ。
 ―――その躰を頂くぞ。
 云った妖の手には細身の刀が握られていた。


【参】


 神納が手にする神刀を受けて妖がさもおかしそうに笑い声を上げた。
 ―――ただの男じゃ駄目なのさ。
 弾かれる刀。
 硬質な音が辺り響く。
 刀を手にしたまま距離を置いて、神納は妖の隙を狙い斬りかかる。ふわりと長い着物の裾を引いて妖がかわす。
 ―――おまえのような者を探していた。
 細い切っ先が神納の目の前をよぎり、髪が数本斬り落とされる。怯むことなく斬り込む神納を揶揄うようにして妖が引く。水面に逃げられればなす術はない。妖は冷たい笑みを刻んだまま、手にした刀の切っ先を神納に向けた。
 ―――大人しくその躰を寄越せ。失うには惜しい躰だ。
「真っ平だ」
 吐き捨てるような神納の言葉に体勢を整えた妖が刀を振るう。
 水面を蹴ったとは思えない軽やかな跳躍。
 目の前に迫る妖の胸元めがけて飛び込む神納の動作を予想していなかったのか、妖は刹那目を見開いた。
 鈍い手ごたえ。
 神納は妖の胸元に刀を突き立て、ゆるゆると奥へ押し進めながら云う。
「死ぬのはおまえだ」
 妖は胸元に刀を深くおさめたまま、それでも笑みを消すことはない。
 華やかな袖が軌跡を描いて刀が振り上げられ、斬られる、思って神納は強引に妖の胸元から刀を引き抜き後退した。
 ―――どうだろうな。
 挑発するような声に、神納は再度斬りかかる。
 湖に突っ込んでいくような勢いで走りこみ、滑らかな動作で刀を横にはらう。
 硬質なものを斬った確実な手ごたえ。
 濡れた足を気にすることもなく、妖の姿を確かめる。
 頸が、落ちた。
 刹那妖の目が事実を認識できないとでもいうように見開かれる。
 それが最後だった。
 無様な悲鳴が辺りに響く。
 三下のものだ。
 この役立たず。
 思うと同時に辺りから忌々しい不穏な気配が消えたのを感じた。
 静寂だけが痛々しいほどに辺りに満ちていく。何事もなかったように静かだ。妖の姿も初めからそこにいなかったかのように消え失せた。刀を収めて、神納は腰を抜かしてへたりこんでいる三下を振り返る。
「これでいいんだろ?」
 云う神納に返す言葉も綴れなくなったのか、三下は何度も頭を上下に振った。 
 そんな三下を他所に可能は思う。悪しきものだけが総てだとは思いたくない。けれど今斬った妖を許すことはできなかった。反省の気配もなく、ただ利己的な考えのためだけに行動する妖を許すことなどできなかった。だから刀を振るう腕に迷いはなかった。躊躇いもなく頸を斬り落とせたのは、やり場のない怒りを感じたからだ。妖がどこへ去ったかなどどうでもいいことだ。自分はただ許すことができなかった。それだけが本当で、それ以外の何ものも意味をなさない。
「もういいんだろ?なら帰ろう」
 三下に云う。
 だからといってへたれこんだ三下に手を差し伸べるようなことはしなかった。
 何故かやりきれなかった。自分の行動が正しかったのかそうではなかったのかがわからないせいかもしれない。
 それでもきっといつか忘れる。
 自分に云い聞かせるように思って神納は濡れた足を引きずるようにもと来た道を歩いた。
 悪しきものだからといって斬る必要がなかったのかもしれない。道すがら抱いた同情のようなものがそう思わせる。
 けれど今になってそれを後悔したところでどうなるわけでもない。
 そう自分自身に強く云い聞かせるような神納の足取りは鋭いものだった。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3620/神納水晶/男性/24/フリーター】


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■         ライター通信          ■
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初めまして。沓澤佳純と申します。
少々後味の悪い作品になってしまいましたが、少しでもこの作品がお気に召して頂ければ幸いです。
この度のご参加、本当にありがとうございました。
また機会がありましたら、どうぞよろしくお願い致します。