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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


汝、運命(さだめ)に逆らいし者


 彼女の足取りに迷いはなかった。
 頭上に突き出した小枝をひょいと潜り、背の高い草を跨ぎ、まるで森に生息する小動物か何かのような身軽さで目的地へ向かう。
 何度も小川と目的地の間とを往復しているのか、ささやかながらも道らしきものができていた。
 こうして道ができていくのか――と彼は感慨深い思いで、彼女の頼もしい背中を見つめる。歩を進める度に肩口で切られた髪がさらりと揺れ、その表情は見えないものの、楽しそうな雰囲気が伝わってきた。
「――どこへ向かっているんですか?」
 彼――ゴーストは僅かに息を乱しながら訊く。
 己はホムンクルスであると名乗った少女は――グザイという名の彼女は、肩越しにちらりとゴーストを振り返り、にっと笑顔を浮かべた。
「俺の隠れ家さ」
「隠れ家……ですか……」
 こんな山奥に隠れ家を作る物好きもいるのか、と思う。いや。人里離れているから隠れ家なのか。
「アトリエと言ったほうが正しいかもしれねぇな」
 グザイはぽんぽん、と左腕に抱えた画板を叩く。
「どんなものを……描いているんですか……?」
「俺に敬語はいらねぇよ、ゴースト」彼女は容姿に似合わない男っぽい口調で言った。「色々、さ。目に映るものすべて。見えた通り、素直に描く。ここには俺の描くべきものがたくさんあって退屈しないんだ」
「描くべきもの……、ですか」
 それはヒトや、ヒトが生み出したモノでは有り得ないのだろうか。疑問に思って訊いてみると、グザイは、人間は描かないと短く答えた。
「人間が大勢いる場所は嫌いだ。どうも頭が痛くなってくるんだよな。あんただって好んで人間の群れの中に行こうとは思わないだろ?」
「確かに、人は……今も昔も……、嫌いというよりは恐怖の対象だけど……」幻は切れ切れに答える。「今は行こうと思わないというより……行こうと思っても行けない、というか……」
「はは、それはそうだ」グザイは軽く笑った。「人間のいる場所まで降りていこうってんなら、まずはその見た目をなんとかしないとな」
「そんな酷い外見を、している……?」
「性別も年齢も不詳だよ」
「人間にすら……、見えないかもしれない」
 獣か、あるいは悪魔か。
 事実、自分はもはや人間ではない。この際何に見えようが変わらないんじゃないかという気がしてくる。人の出来損ないだろうが、異形の悪魔だろうが。
「あんたは俺と同じだな」とグザイ。「ヒトの形をしているが厳密には人間じゃない。人形(ヒトガタ)だ」
「人形……」
 人形、か。疲労で満足に動かない足は、なるほど、もはや自分の身体の一部ではないように思える。マリオネットを操っているようなぎこちなさだ。老いも死も知らぬ肉体を手に入れたはずなのに、尚も疲労を感じるのは、精神が参っているせいかもしれなかった。生きている証拠と思えば多少マシだ。
 彼は大きく息をついて、その場に立ち止まった。グザイは髪を揺らして、くるりと百八十度方向転換する。
「だらしねェな、ゴースト。息が上がってんぜ?」
「ずっと上り坂じゃないか……」
「あと少しだよ。勢いで登っちまえって、ほら」
 ほら、と手首をつかまれた。
「ちょっと――」
 強く腕を引かれ、前につんのめるようにして歩き出す。山道に足を取られ、半ば引き摺られるように、ゴーストはグザイについていった。
 彼女の手は血が通っていないかのように冷たい。ホムンクルスか。その身体に血液は流れているのだろうか。
 ふと視界が開けた。
 そこだけ人為的に木々が伐採されており、小さな広場の中央に、丸太を組んで作ったらしいログハウスが小ぢんまりと建っていた。人工物でありながら、自然に同化している。悪くない建物だ。
「ようこそ、俺の隠れ家へ」
 グザイは両腕でドアのほうを示した。
 こんな山奥までやって来て盗みを働こうとする物好きもいないだろうに、ドアにはしっかりと鍵がかかっていた。それも南京錠なんていう古いタイプの鍵だ。
 グザイは黒い繋ぎのポケットから鍵を取り出し、扉を開けると、彼を先に中へ通した。
 独特な匂いがつんと鼻をついた。シンナー系の、刺激臭だ。それから――この香ばしい匂いは小屋の材料になっている木のものか。
「凄い。絵の道具ばかりだな」
 雑多な空間を見回し、彼はそんなつぶやきを漏らした。
 調度品らしき調度品はほとんどなく、代わりに、絵を描くのに使用すると思しき細々した道具がログハウスの内部を占めていた。
 壁にはいくつものキャンバスが立てかけて置いてあり、そのうちのいくつかは現在進行中のようだ。白いスペースが、筆が下されるのを待ち構えているようだ、と思う。
 筆は太いものから細いものまで揃っており、絵の具のチューブも、自然界にこれだけの色が存在しているのかと思わせる量である。具体的に何に使うのかわからないような道具もあった。油絵に使用するものだろうか。
 テーブルの上にスケッチブックが開いたままになっている。鉛筆による静物画のデッサンで、素人目にもそれとわかる相当な腕前だった。
「なるほど、これはアトリエだ」
「一日の大半は、絵を描いて過ごしてるぜ」
「……作品を見ても?」
「上手いもんでもないけどな」
 イーゼルの上に載ったキャンバスには布がかけられている。布を取ると、水辺を描いた風景画が姿を現した。
 その絵を見、ゴーストは感嘆の溜息を漏らした。
 はじめて――
 はじめて、彼は忌々しいばかりのものと思っていた自然を、美しいと思った。
 キャンバスに手を伸ばせば水面に触れられそうな気がする。水を描いた青は流麗で、樹々の緑は躍動的。灰色のごつごつした岩は、そこに黙して存在していた年月の重みを感じさせる。
「たいしたもんでもねぇだろ?」
「そんなことない。――才能があるんだな」
「才能?」グザイはおかしそうに笑い出した。「よしてくれよ! 俺は戦うために作り出されたホムンクルスだぜ」
「戦うため……?」
「ああ。俺は戦闘用であって、『絵描き用』じゃない」グザイはまだくっくと笑っている。「才能なんてないさ――絵の才能なんてのはね。芸術ってのは、人間の十八番だろう? 俺は人間じゃない」
「だけど、目に映った通りに描いているというなら、貴方の……グザイの目には、この世界がこんな風に見えているということだ」
「ああ、見たまんまさ。何かおかしいか?」
「僕の目に映る景色は……こんなに綺麗じゃない……」
 ゴーストは魅入られたようにキャンバスの前に立ち尽くしている。
「買い被りすぎさ」とグザイは肩を竦めた。
 彼女はどこからか煙草を取り出して、火をつけた。煙を吐き出し、空中に輪っかを二個三個と浮かべる。随分と美味そうに吸うものだ。その仕種はちっとも人形らしくなんかない。
「何だったらあんたも描いてみたらどうだ、ゴースト」グザイはキャンバスの縁を指で弾く。「自分の目に映るものを描き出すんだ」
「きっと、酷くつまらない絵か、暗い色彩の絵になる」
 グザイは、ああ、そうかもな、と同意した。
「だがそれだって、立派な『芸術』さ。写実的である必要も、印象派みたいに淡くて綺麗な色彩である必要もない。絵の世界には不正解なんてないだろう?」
 人生に、不正解なんてものがないように。
 細く窓を開け、グザイはそこから煙草の煙を逃がす。
「――あんたは」ふと、口を開いた。「自分の身に降りかかってきた、この過酷な運命をどう思う?」
 唐突な問いだった。
 ゴーストはしばし考えてみたが、正直なところ良くわからなかった。感情が麻痺しているのか、思考能力が落ちているのか。他人の記憶を眺めているように彼は無感動で、感情の波がまったく揺らがないというその事実に、逆に困惑してしまう。奇妙な感覚だった。
「……良くわからない」
 結局、そんな曖昧な回答になった。
「実感がないか?」
「そうだな――」
 実感。何の実感だろう。
 自分はもはや『幻』ではなく、もっと別の、異質な何かに変化してしまったという実感だろうか。
「……ついこの前まで『幻』だったのが……夢みたいだ」
 ともすればつかめない雲のように霧散してしまいそうな言葉達を、ゴーストは必死で捉えんとする。そうして、彼はゆっくりと、自分自身に言い聞かせるように喋る。短期間の間に己の身に降りかかった災難を、彼はこれまでたった一人で抱えてきたのだ。到底、短い言葉で語れるものではない。筋道立てて話しても、理解してもらえるかどうか。
 ああ、けれど、グザイはわかっているのだろう。言葉を組み立てる必要はない。そう思ったら、少し安心した。
「あれは……一体何だったんだろうな、って……今はそう思う」
 彼は言葉を切った。
「…………」
 グザイは、ぽかんと口を開けた後、呆れとも感心ともつかないような複雑な表情を浮かべた。
「たいしたもんだ……」
 やれやれ、と首を振る。
「……え?」
 ゴーストは戸惑ってグザイの顔を見返した。
「……あんたとあいつは、『厳しさから逃げない』っていうところで良く似てるよ」
「貴炎のことか……?」
 ゴーストは長い髪の毛の下で、眉を顰めた。
 貴炎。自分からすべてを奪った男。そして自分からすべてを奪い返された男だ。
 この身体には、貴炎の記憶が眠っている。
 グザイは軽く頷くと、「あんたは今、異端者達の注目の的だぜ」
「異端者?」
「宗教や学問、あるいは流派――様々な『系統』から外れちまった、ごく少数の変わり者達さ。何らかの事情で――多くの場合はタブーとされている思想のせいで――本流から弾かれちまった奴らだ」
「その異端者達が、僕の何に注目しているというんだ」
「何言ってんだ。あんたは歴史上の賢者という賢者、金持ちという金持ちが何百年追いかけても実現し得なかった『不老不死』を、ついに手に入れちまった男なんだぜ? ――ゴーストさんよ」
「『不老不死』……ね。それは人間であることを捨てるのと、同義だと思うんだけどな」
 ゴーストは自嘲気味に笑う。彼の存在は、グザイのその呼び方が克明に言い表している。
 幽霊だ。実体のない幽霊。人間の社会では、確固たる姿形を維持できないもの。
「奴らがあんたの存在を突き止めるのも時間の問題だぜ、ゴースト」グザイはじっとゴーストの目を見つめる。「……逃げるか? それとも――」
 立ち向かうか。
 既に運命の歯車は回り始めている。
 幻は――ゴーストは――まだどこにも辿り着いてはいないのだ。
 不死を完成させたことは、終わりにはなり得ない。
 この過酷な運命の果てにあるものを、
 ――自分の目で確かめてみるか? と、グザイは問うた。
 ゴーストはしばらく黙っていた。
 仮に逃走を選ぶのだとしたら、それはおそらく、終わりのない逃走だろう。
 行き着く先もなく、野垂れ死ぬことも許されず、永遠に、何かの影に怯えて逃げ回るのだ。
 それを自分は、望んでいるか?
 答えは――NO、だ。
 だが、己の運命を見据え、それが気に食わぬものだったときに、捻じ曲げようと試みるならば。運命(さだめ)に逆らおうとするならば。
 それもまた、今まで以上に辛い日々に違いない。
 しかし、耐えられるだろうという気がする。
 良いだろう。僕は、自分の目で確かめたい。
 ゴーストは顔を上げる。
「……僕は、果てまで行きたい」
 ゴーストの答えを聞き、グザイは満足そうに頷いた。