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<東京怪談ノベル(シングル)>


秋晴れの空の下で、あなたと。


世界を、創る。
その言葉はとても簡単な字面だが、響きは重く複雑で。
力法術が自由自在に操れたとしても、時に命を手の内に納めたとしても、それは叶わない。
 高く、遠いその目標は、届くような気がしない事もある。
けれど、届かないからといって、手を伸ばさないわけにはいかない。
 何時か届くと信じたいから。
 叶わないからと言って、夢を見ないわけにはいかない。
 何時か実現させてみせるから。



「ふぅ……」
 溜息が漏れた。
 それから、緩やかに顔を左右に振る。何かを振り切るように。動きにあわせて、銀の髪が絹糸のように踊った。
 同じ色の銀の瞳が、どこか気弱そうな光を湛えて伏せられる。銀の睫が、頬に影を落とした。
 少女だった。十五歳くらいの。
 けれど、それだけではない。彼女の頭の両横から、ピンと天井を目指しているのは耳だ。馬のものを思わせる。そして、その額から突き出た真珠色の角。それらは明らかに、人間という種族とは一線を介している。
 その特徴を謙虚にするのは、下半身。毛髪と同じ色の清らかな銀の体毛に覆われたそれは、馬体であった。
 少女の上半身と、ユニコーンの肢体を持つ、半人半獣の幻獣。
 その名を、クリスティアラ・ファラット。
 溜息を落としたその少女は、悲しそうに涙を落としたのだった。
 解っています。
 クリスティアラは心の中で呟いた。
 しなくてはならない事。重要な行事。彼女に課せられた責務。それをしてもいいという許し。そして、義務。
 「それ」をしなければならないのは重々承知の上で、逃げられはせず、また、逃げる事はできないと知っていた。
 けれど、非建設的だと罵られようと、この竦んだ体は動き出したりしないのだ。何度頭の中で「それ」を行わなければ、と言い聞かせても、尻尾の先すら動かせない。
 理由は明白だ。
 何と考えようと、心の底では「それ」を恐れており、心底行わなければならないと思っているわけではないから。
 だから、体は正直に動き出そうとしない。
 解っています。
 もう一度、今度は口の中でその言葉を呟く。
 「それ」をした時のメリットとデメリットが幾つも脳内に浮かんだ。クリスティアラはその天秤がメリットに傾く事を待ったが、何時までたっても時は訪れず―――とうとう天秤はデメリットの方へ傾く。
「あぁ……」
 呻いた少女は、薄い両手で顔を覆ってその場に崩れ落ちる。
 どうしようもなかった。
 八方塞。
 四面楚歌。
 彼女の現在の生息地である「地球」という星の「日本」という国の言葉が不意に浮かんだ。
 星があり、生命体が存在し、言葉があり、文化が存在する。
 それが、憧れなのだと、不意に思い出した。
 いつか、それを自分が創るのだと。
 創り、たいのだと。
 望み、希望し、願望を抱き、切望する。
 やがて、少女は顔を上げた。
 ややふらつきつつも、その四肢は再び大地を踏みしめる。
 前を、向いた銀の瞳。
「行かなくては」
 そう、言った。呟きでも囁きでもなく。
 誰に聞かせるわけでもなく、自分自身で。
 それは、決意。
「………………散歩に、行かなくては………っ!」
 先史文明の遺産である魔法使いの杖を握り締め、クリスティアラは断言したのだった。







 クリスティアラは一言で言えば神様候補である。そして、異常なまでの「人間恐怖症」であった。目が合えば角を斬られる、と思い込んで久しく、そのため、極々一部の人間としか交流できない。
 いつか世界を作るためにリサーチは必要であると知っているにもかかわらず、積極的に交流できないのはそういった理由からだ。
 そんな引きこもりがちのクリスティアラだが、やはり、世界に触れる事は大切だ。そんなわけで、彼女は自身に「散歩に行くこと」を課した。サイクルは人間風に言えば一週間に一回。小一時間、ぶらぶらと街中を歩く。
 場所は東京。日本の首都だ。人も多く、また、人以外のものも跋扈するこの街。あまり散歩には向いていない気もするが、本人はいたって真面目である。
 今日は彼女と交流する事を許された、ごく一部の人に顔見せに出かける事になっていた。本来は午前中に出かける予定だったが、現時刻は正午。つまり、逡巡の時間がそれだけの長さであったということである。
 只今、クリスティアラ(自称十五歳)は公園にいた。しかも木の陰。
 人間が怖くて仕方のない彼女。ここまで出てきたのはいいが、足が動かない。人間の気配がするだけで体は硬直するし、何だか視線を浴びている気がする。
 客観的に記すなら、見られて当たり前だ。
 まず、服装。
 純白と青銀の二色で、藍色のラインが入っているその服は、体にフィットした継ぎ目のない物。宇宙服が一番イメージ的に近い。
 そして耳と髪の色。銀髪の日本人など、数えるほどしか居ないと想われる。
 最後に角。
 前髪の間から覗いたその真珠色の角は、人間にはありえない。ついでというのは難だが、尻尾まであるのだ。
 上手く人間に化けられているとはいいがたい。
「ふぇ………」
 その銀の瞳を、涙が濡らす。神秘的なまでに煌めきを含む瞳は、気弱そうに地面ばかり写していた。
 やっぱり帰りましょう、と彼女が結論を出してしまう、その前の瞬間、
「わうん!」
 何かが、吠えた。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 それだけでもう、恐慌状態一歩手前だった彼女は悲鳴を上げて駆け出した。本人も、多分何故逃げたかまったく解っていないに違いない。
 彼女の知識の中には「犬」という生き物は存在した。この世界の「人間」の最も古くからのパートナーとして位置を占める動物。それが「犬」。犬ぞり。盲導犬。聴導犬。看護犬、など。人間の社会の中で確固たる存在意義を持っている動物は、何種類もない。
 という知識は、現物の一声の前に雲散霧消した。
 とりあえずクリスティアラは手足が軋み、肺が悲鳴を上げるまで、全力疾走で逃げ出したのだった。
「はぁっ……はぁっ……」
 自分が走っている理由が解らなくなった頃、彼女は近くの家の壁にある鉄格子に捕まって息を整えた。
 全力疾走は散歩とは言えまい。
 それに彼女が気付くかどうかはともかくとして。
「あれは、犬という生き物でしょうか……」
 少し冷静になったクリスティアラ。なんとか現状を把握する事に努める。気がつけば人気のない場所―――平日正午の住宅街―――に来ているし、そうなれば、彼女は冷静に分析する事が出来る。
 筈だが。
「わぅん!」
 どこか嬉しそうなその声は、先ほどと何ら変わる事のない位置で聞こえたのだった。
 クリスティアラは、恐る恐る背後を振り向く。
 顔は青ざめ、走ったときに乾いた涙が、またせり上がってきた。
「わぅんっ!」
 目が合ったとき、それ―――柴犬だった。しかも子犬らしい―――は尻尾を振って自身の存在をアピールする。
 クリスティアラは逃げようにも、もう体力が無かった。それに、一度恐慌状態から冷めてしまえば、意外に自暴自棄になるもので。
 脱力も加わり、彼女はずるずるとその場に崩れ落ちたのだった。







 その子犬は、真っ黒なつぶらな瞳をしており、別段クリスティアラに危害を加えるつもりはないようだった。
 が、問題が一つ。
「これは、リード、ですよね?」
 眼前の子犬に話しかけるが、返答はなし。変わりに千切れんばかりに、くりっと巻かれた薄茶色の尻尾が振られた。
 この世界では、犬はしゃべらないものである。基本的に。
 赤い首輪がつけられたこの子犬。しかも、リードがつけられているが誰も持っていない。つまり、別に飼い主がいて、それを振り切ってこの子犬は走ってきたということだ。
「きっと、心配なさっていますね」
 そう呟いて、クリスティアラはこの子犬の飼い主捜索に足を踏み出したのだが。
 問題はまだあった。
 飼い主とは、人間ではなかろうか。
 人間は怖い。
 角を斬られるのは嫌だ。
 しかし。
「くぅん?」
 小首を傾げて見上げてくる、いたいけな瞳。クリスティアラしか頼るもののない、淋しげで、そのくせ信頼しきった真摯な瞳。
 この子犬を、放っては置けなかった。
 そんなわけで、彼女は子犬のリードを引いて歩いているわけだ。道は先を行く子犬が勝手に選んでゆく。
 行く当てがあるわけでないから、クリスティアラも否やはない。
 太陽が暖かくて。
 風は少しだけ排ガスのにおいがした。
 高層ビルとマンションに、四角く切り取られた青空の下で。
 尻尾を振りながら歩く子犬。
 たったそれだけなのに。
 あれほどまでに怖かった世界が、突然優しくみえた。
 初めて顔を上げて歩く町並み。
 人の群れとすれ違ったら、子犬が駆け出した。
 一緒になって走り出せば、もう全部背後になってしまって。
 追いかけてくる気配はつかめない。
 怖かった。
 本当は今も怖い。

 けれど、ちょっとだけ楽しい。
 コンクリートとアスファルトで閉じ込められた秋晴れの空。
 その下で、あなたと一緒の散歩なら。


 楽しい時間は、あっという間に過ぎてしまうもの。
 それを思い出したのは、子犬が今までにない力で引っ張り出してからだった。
「ま、待って」
 そう言っても、聞く気配はない。
 さっきまでとは違う、希望に満ちた瞳をして。
 小さな体にこれほどの力があったのかと疑いたくなるほど。
 ぐいぐいと子犬はクリスティアラを引っ張る。
 つられて走り出した。
 三つ角を曲がって。
 交番の前のクリーム色の家の前。
 一番最初に居た公園が、左手に見えていた。
「あっ!」
 少年が叫んだ。多分続いたのはこの犬の名前で。
 一瞬手を緩めた隙に、子犬は転がるようにかけだした。
 あ、と手が空を切った。
 真正面から吹いてきた風が、銀の髪を揺らして、尻尾を乗せて。
 踏み出そうとしたクリスティアラの足を押し戻した。
「どこ行ってたんだよ! すっごい探したんだからな!」
 この馬鹿犬、なんて罵倒が聞こえた。けれど、優しさに満ちた声。
 心配していたのだと、はっきり解る。
 クリスティアラの外見から二、三歳下の少年は、そこでようやく彼女を見た。
 日本人らしい少し茶色がかった黒い瞳。
 何故か。
 本当に理由は解らないけれど。

 怖い、とは想わなかった。

「ねぇちゃんが連れてきてくれたんだろ? ありがとな」
 白い歯が零れた。生え変わりだろうか。一本だけ上の歯が無かったけれど、不思議と違和感は無くて。
 感謝の笑顔に、つられて、クリスティアラまで笑ってしまった。
 数少ない友人がしてくれるように、手を、振ってみた。少年は力いっぱい手を振り替えしてくれて、あの子犬のように、無邪気な様子で走り去る。
「わうんっ!」
 子犬の声が、一声だけ残って。
 クリスティアラは、今日の散歩の理由を思い出したのだった。
 太陽は段々傾いてきて。
 一人になったら、また、突然人の視線を感じた。
 怖くて走り出した彼女。今日は走ってばっかりだと想いながら、知り合いの家まで走って行ってしまおうと考える。
 胸が、ちょっとだけ淋しかった。
 


 世界を創る事。
 それが目標。何万回、何十万回、もしかしたら、何兆回かもしれないけど、それくらい失敗すれば、世界が作れるだろうか。
 こんな、嬉しくなったり淋しくなったりするような、世界が。
 何時か必ず。
 創って見せると、誓いを新たに。
 秋晴れの空の下、あなたと散歩をした。
 そんな何気ない事が嬉しいような、そんな暖かな世界を創りたい。




END