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闇風草紙 〜休日編〜
□オープニング□
僕はどうしてここにいるんだ……。
逃げ出せばいい。
自分だけ傷つけばいい。
そう思っていたのに――。
関わってしまった相手に心を許すことが、どんな結果を招くのか僕は知っている。
なのに、胸に流れる穏やかな気配。
僕は、僕はどうすればいいんだろうか?
今はただ、目を閉じて声を聞く。
耳に心地よい、あんたの声を――。
□星煌く場所にて ――麗龍公主
光が開く。
私は今、ひとつの提案を未刀に問うた。了解の頷きを聞くまでもなく、連れていくことにもう決めていた。
「未刀、心の準備良いか? 出発するぞ?」
「…あ、ああ……」
曖昧な返事。理由は分かっている。それは私の腕がきつく未刀の体を抱きしめているからだ。気にしていない風を装っていることくらい、見抜けない私ではない。懸命に朱に染まろうとする頬と戦っている少年を眺め、私は嬉しさが込上げた。
「我が開きし、光遁の道ぞ。しっかり掴まっておらぬと落下するでな♪」
ギュギュと更に強く抱くと、未刀は間近に迫る私の顔を感じたのか、所在に困った様子で耳を赤くした。吐息さえも届く距離。
――いや、心臓の音すらはっきりと聞こえるよの。ふふ、緊張で鼓動が早いわ。
長しえに。永の時間であれと願う。けれど、それは叶わぬというもの。光遁は光の道。光の速さで移動できる仙術ゆえ。
遥か遠方の仙界。私の暮らす崑崙山が目的地。けれど、そこまでの道のりは玉響。瞬きのひと時で行けてしまう場所なのが、少し残念に思える。無論、それは未刀と触れ合っているのが嬉しいに他ならないからなのだった。
+
僕は戸惑った。それは関わりたくない、関わって傷ついて欲しくないと思った相手からの進言。絶大なる力を持った女性…翻弄される。僕の動揺も困惑もすべて、寛容な手のひらの上の出来事のように感じさせられてしまう。透き通った眼に、心まで見透かされているのかもしれないとも思う。
――このままで良いわけないのに。
どうすればいいのか。もう自分でも分からなくなっていた。ただ、彼女の提案は疲れ切った僕にはあまりにも魅力的なものだったから。受け入れれば考えねばならない事柄を、一瞬でも忘れることができるかもしれない。
だからこそ。
僕は頷いた。了解の言葉はなく、代わりに強く抱き締められた。
「わっ! な、なにするんだ。は、離して…くれ」
「でも、私と崑崙に行くのであろ? 未刀は疲れておるのじゃから、星でも見て骨休めするのが良いと思うがの」
「…あ、いや……その行くのが嫌なんじゃ…。そうじゃなくて」
しどろもどろになりつつも、懸命に意志を伝えようと努力した。しかし、ほのかに甘い香りが僕を包み、耳に直接囁かれる声がまともな思考能力すら奪ってしまうのだ。眩暈すら感じる。女性というものはこんなに積極的なものなのだろうか?
今まで、修行ばかりに時間を費やされ、人として扱われたことはほとんどない。ましてや、女性と関わったことなど皆無に等しい。身の廻りを世話していたメイドと、時折強引に連れ出される父上主催のパーティくらいで会うことがある位なものだった。メイドは視線さえ合わすことのない壁の向こうの存在であり、パーティで出会う女性は僕を値踏みする目でしか見なかった。浮かぶのは嫌悪の感情だけ。
だから、こんな風に触れ合うことがあるなんて思いもしなかった。
――ど、どうすれば分かってくれるんだ…? 僕は…どうすればいい……。
この感情は何んていうものなんだ?
説明し難い動悸とますます上がっていく体温。嬉しそうに目を細めた公主の顔を見ることさえできないまま、僕は光の中に投げ出された。
「う、うわぁ〜!!」
「ほほ、叫ぶか。…そうよの、ここは仙人しか通らぬ道ゆえ。未刀は特別じゃ♪」
それに返答することはできなかった。光と風の渦が目まぐるしく、僕の上下感覚を失わせていく。そして、集束していく光の帯が目に飛び込んできた。一瞬のようで、永遠とも思える時間が経過して、目を閉じた僕の鼻にかぐわしい花の香りが届けられた。
「もう、着いたぞえ。ふふ、未刀恐かったのか?」
目を閉じたままの僕が可笑しかったらしく、公主に抱き締められたまま笑われた。彼女の豊かな胸と青い髪が風にやわらかく舞って、ここが先ほどの空間でないことを知った。
「……ここは? 東京じゃ…ない?」
あの夜を従えた街の姿はどこにもなかった。霧の海が広がり、その間から高く細い山の稜線が無数に突き立っている。岩肌は灰色で、頂上付近にしか緑を配していない風景。どこかの逸話に出てきそうな独特の雰囲気に息を飲んだ。物音に視線を横にやれば、五色に彩られた鳥が枝から飛び去っていく。僕は口を開けたままでいたことに気づき、あわてて閉じた。
「言うたであろ? ここは崑崙山。私の家でもある。仙人はたくさんの家を持っておるし、ここ全体が家のようなものだからの」
「夜…だったのに」
分かり切った台詞。でも驚きを隠せない。予想していたらしい公主が、余裕ある微笑みで僕の体をようやく解放してくれた。暖かな体温と柔らかな肢体が離れる、その一瞬。どこか寂しい気がしたのは、気のせいだろうか……。
僕はクラクラする残り香を振り払って、すでに歩きはじめている公主の後に続いた。
家に案内され、仙界で最も美味と云われる物の一つだと言う「甘天丹」を飲まされた。花の香りのするお茶とともに飲み込むと、身体が軽くなった気がした。効用として精神・肉体疲労の回復があるのだと、公主が僕の対面に座って言っていた。
それから、僕は公主と会話するでなく、ただ横に座って外を眺めていた。その傍で、公主もまた美しい装飾と織り物を敷いた長椅子の上で、横になっていた。見つめてくる瞳から逃れるために、外を見ていたのかもしれない。彼女はまっすぐに僕を見て、それを離そうとはしなかったから。それがひどく気恥ずかしく、僕の心臓は鼓動を早めた。顔に出さないようにするのに苦労してしまうほどに。
しかし、同時に彼女に感謝していた。何も考えなくて良い時間を与えてくれた公主に。
ここは安息地。
まさに、世俗と隔離された場所。ゆったりと過ぎる時間。僕は世蒔神社で乱された心の落ち付きを取り戻した。
――夜がくる。
それは瞬く間にやってきて、周囲に闇の帳を下ろした。
「さぁて、今宵は丁度流星群じゃ、流れ星が見えるぞ♪」
「流れ星? ……それって」
「ふふ、人間界で見られるものとは別格じゃ。美しいぞ! なんと言っても俗界の塵芥が崑崙にはないしの♪」
横にしていた体をいきなり起こし、公主は僕の腕を取って外へと向かった。
「な…ちょっ……ちょっと待て。流れ星はどこで見られるんだ? 部屋から見られるなら、僕はここでも――」
不慣れな場所。本来なら人がくる場所ではない異邦の地。僕は闇に沈もうとする世界に戸惑った。恐かったわけではないつもりだが、闇は過去を連想させる。東京ならば真の闇は存在せず、いつでもイルミネーショが瞬いている。だから、忘れられていたのに。
「すぐそこじゃ。無論、ここでも見えるが――ん! やはりあそこが良い♪」
自己合点して、公主は僕の手をひいて家の裏手の森を奥へと進んで行く。どこへと尋ねようとした時、公主の歩みが止まった。
僕の顔を上げた先にあったのはなだらかな丘。中央にブナの巨木が、空に大地にと手足を伸ばしているのが見える。柔らかそうな草が密に育ち、闇の中でも淡く緑色の光を放つかのように光っていた。
それよりも美しく光るのは、空の星。
流れて流れて、光の脈を残す。一瞬に消え、一瞬に瞬く。無数の星々が緩やかに湾曲した大地へと落下していた。
聞こえないはずの音すら、響いてくる気がする。
「ここが一番綺麗に見える場所じゃ……未刀と一緒に見られるのが嬉しいの」
「他にも誰かと来たことがあるのか?」
思わず聞き返していた。
一瞬湧き上がった。猜疑心。自分以外の誰かと仲良くしている公主の姿が脳裏にチラつく。
その理由と意味を理解する間もなく、公主が驚いた様子で声を返した。
「何? 未刀は妬いておるのか? ふふふ、一緒に見たのは友人じゃ♪ 心配するな」
「え……えぇ!? い、いや…ちがっ! き、気になっただけで」
頬が上気するが分かる。ブナへと向かう足を早め、公主を追い抜いた。
「待て、待てというのに……ふぅ、速過ぎるぞ」
巨木の下に着いた時、すこし息を切らして公主が追いついた。途端に、膝をついて座った。にこやかに笑って手を自分の膝の上で揺らしている。それはまるで手招きのようで――。
「…………え?」
「ほれ。ん? ……分からんのか? 星は寝転んで見るのが良いぞ♪ さぁ、膝枕してやろう」
「え!! う…いや、いらない」
拒絶の言葉とうらはらに、顔がますます赤くなっていくのを感じた。公主が腰を浮かせ、僕の腕を取って強引に隣に座らせた。そして、頭を優しく抱え込んで自分の膝の上に乗せた。僕はいささかの抵抗を見せたが、柔和な笑みを押し返すこともできず、そのままの体制でいることになってしまった。
すぐにでも起き上がりたい気持ちになったが、その恥ずかしささえ、どこか胸に熱くて嬉しく思えてしまう自分に気づいた。
――人と触れ合うことが、こんなに…気持ちのいいことだったなんて。
知らなかった。知る必要がなかったから。唯一、僕を助けてくれた友人をこの手で封印してしまった時に、自分自身に強いた制約。誰も傷つけたくない。その為には誰にも関わらないことが一番。
それでも、心の中に渇望があったのだ。人と触れ合いたいという願望が。
切ない痛みを胸に抱え、僕は空を見上げた。公主の髪ごしに、流れる星が見える。彼女の唇が動いた。
「星が降るとき、願い事をするのじゃっけな……私は、『未刀が幸せになれますように』かな?」
「祈る? ……って僕の幸せを?」
公主は緩く赤らんだ顔を笑むと、流れ星の軌跡がある内に目を閉じて呟いた。
「未刀が幸せであらんこと願う」
どう言葉を返していいのか分からなかった。自分よりも人を重んじる――衣蒼にはなかった考え。いつも愚弄されていた僕と同じ願い。誰かを助ける者になりたかった。ただ闇雲に力をつけ、傷つけるのではなくて。
僕の動揺に気づかぬ様子で、公主が視線を星から僕へと下ろした。
「あ、未刀に私の本名を教えておくか……此の世でも私の名を知っているのは十人に満たぬ……つまり、私にとって、未刀はそれ程大事じゃと云う事じゃ♪」
公主の頬は今まで見た中で一番赤く染まっていた。白い肌に際立つ色。なぜだろう、それを見た時、僕の頬も熱を増し赤くなっていく。
「私の本名は『李龍華』じゃよ」
そう言って上気した頬で笑った。
星が降る。
地上へと。
僕の上にも星が降る。
それは満たされぬ心を癒す優しい声。伝わってくる体温。彼女は生きていて、僕の幸せを祈ってくれる。
また星が流れた。
僕の願いは何だろう。彼女の膝の上にいることを心地よく思えるのはなぜ? いつか知るのかもしれない。
この想いの持つ真の意味を。
「――龍、華……綺麗な音だ…な」
□END□
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
+ 1913 / 麗龍・公主(れいりゅう・こうしゅ) / 女 / 400 / 仙女&死神【護魂十三隊一番隊隊長】
+ NPC / 衣蒼・未刀(いそう・みたち) / 男 / 17 / 封魔屋(逃亡中)
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■ ライター通信 ■
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こんにちは。ライターの杜野天音です(*^-^*)
2度目のご参加ありがとうございました! 休日編はフリーシナリオなので、どんな話がくるのかドキドキするんですよね。今回もまた積極的な公主を書かせて頂きました。
如何でしたでしょうか?
それにしてもロマンチックなシチュエーションですね。膝枕とは!! 未刀の一人称だったので、書きやすかったです。ふふふ、かなり動揺していますよ。まだようやく、暖かな感情を覚えたばかり――という感じですが、きっと支えてくれる公主の気持ちに気づく日が来るはずです。それは遠くない未来♪
いつもなかなか受注できずにすみません。楽しんでもらえたなら幸せです♪
素敵な物語をありがとうございました!!
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