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<東京怪談ノベル(シングル)>


真実の罠はその先に。



 学校を終えバイトを終え、彼女は一日を堪能して暗くなった玄関先に佇んでいた。
 青い背中まで届きそうな髪が、無造作に風に弄られている。この辺りではプレミアムの付きそうなセーラー服のプリーツスカートも縦横無尽に広がった。
 それらを抑える術も無く、彼女は立ち尽くす。
 青い瞳が驚愕に見開かれ、口元がわななく。
 震えた手先が、強く握り締められた。
 試練。
 そう呼ぶには、あまりに過酷だ。
 ポストに入った大型郵便。
 白い封筒に深い藍色の趣味のいいインクで「海原みなも様」と書かれている。
 そこまでは問題ない。
 彼女を小一時間ほど固めたのは、裏側の差出人の名前。
 そこに父の名前が入っていて、いい事が在った験しは一度もない。
 そう。
 ただの一度も。
 しかし、いい加減疲れてきた彼女は、一つ溜息を落として、その封筒を手に家に入っていったのだった。
 小一時間見ていて特に変化は無かったから、即効性の罠はなさそうだ。
 再度溜息を吐き―――溜息を吐くと幸せが逃げると言ったのはどこの誰だったか―――リビングの椅子に座ってそれの開封に当たる事にした。
 作業はいたって簡単。
 ペーパーカッターで封を切る。
 さかさまにして全容を見る。
 以上。
 中から出てきたのは、緩衝材エアキャップ(通称プチプチ)に包まれたCDケース。当然中身はゲームだろう。
 一瞬またか、と彼女は思った。
 しかし、今までゲームが送られてきて過剰包装がなかった事が在っただろうか。否、ない。
 となると、この簡潔なまでの全容すらも彼女の疑心を掻き立てる。寧ろこれで十分で、今までがおかしかったのだが、何故だかそれに考えが至らない。
 父から送られてきたゲームは絶対しない。
 それが誓いだ。
 棄ててしまうか、と真面目な彼女が本気で思って手に取ると。
 なにやらメッセージカードがはさんであるではないか。
 何気なく手にとって開いてみる。
『愛しているよ。我が娘』
 綺麗に整った字で綴られた言葉。
 歪んでいたって、愛は愛。
 それが罠だとはっきりとこれ以上なく解っているのに。
 みなもは項垂れて、ゲームを始める事にしたのだった。





 ゲーム内容は至って無難な育成シュミレーション。
 戦争をしている人間と悪魔。その戦火で一人の少女が全ての身寄りを失う。一人で森を彷徨う少女に救いの手を差し伸べたのは、この戦争を空虚に感じ愛に飢えていた魔王―――何故か、と考える必要もない―――であった。
 魔王は人間の少女を育て、やがては愛に目覚めていくのである……
「止めましょうか」
 何と言うかもう、身も蓋もない。
 これほどまで直接的にくるとは。
 いっそ感心してしまうが、それが自分の命運に関係あるとなれば感心ばかりもしていられない。
 みなもがリセットボタンに手を伸ばすより先に、画面が切り替わった。
『娘の名前を入力してください』
 やたらと可愛らしい字体で書かれたその文字に、みなもがリアクションを返しきれず眺めていると、ゲームが独りでに動き出した。
『み』
『な』
『も』
「え?」
 もちろん、彼女は何もしていない。
『う』
『な』
『ば』
『ら』
 一斉カタカナ変換で『ミナモ・ウナバラ』と入力終了。
 ゲーム開始。
「え? ちょっと待ってください?」
 良く考えれば制服のままだった、とみなもが後悔した瞬間、目の前が青い光で溢れる―――
「いらっしゃい、我が娘よ!」
「こんにちは。さようなら」
 みなもはにっこり笑って踵を返した。
 世界は気が付けば変わっており、もう一々寝るのを待つ、などというまどろっこしい事をするのはやめたようだ。
 アンティークな雰囲気のある屋敷の一室で、みなもは魔王と対峙する。
 相変わらずな笑顔を湛えるのは、いかにも、な紳士。黒のタキシードに方眼鏡が奇妙に良く似合う。
 穏やかな雰囲気とは裏腹に、彼は涙を浮かべてみなもに擦り寄ってきた。
 本能的に逃げ出そうとした瞬間、足がもつれて彼女は転んだ。妙に体のバランスが悪い。
「大丈夫かい?」
 あっさりと魔王に追いつかれ、一瞬で視界が変わる。
 紅色の絨毯だったのが、ぐるりと回って天井が見えたかと思えば直ぐ傍に、魔王の顔がある。
その腕に抱き上げられたのだと悟った瞬間、彼女はオープニングを思い出した。
 魔王に拾われた、幼い少女。
「幼児化してますか、もしかして」
 その声は、意識すれば妙に幼い。
 広げて目の前にかざした掌は、ぷくぷくした子供らしい紅葉の手。
 制服まできちんと小さくなっているのには、感心していいのか悪いのか。
 うわぁ、と突っ伏して「もう嫌。どうして私ばっかり」と泣いてしまっても誰も彼女を責めないと思うのだが、幼女となったみなもは、嘆息を一つ。
「で、今日のスケジュールはどうなっていますか? お父様」
 ゲームに付きやってやる事にしたのだった。



 ここの世界は、どうも現実とは時間の流れが違うらしい。
 みなもは数時間でそう悟らざるを得なくなった。
 誰かが光速でゲームをクリアしていっているような、そんなスピードで彼女は成長していく。まだニ、三時間もたっていないというのに、十三歳の元の姿に戻っていた。
 この調子だと、あっという間に未来の自分の姿を見る事になる。
 バレエのレッスンをしながら、彼女は鏡に映る自分を眺めていた。
 十五秒もしないうちにレッスン終了。なのにパラメーターは上っていく。これは体力ゲージと色気が主で、気品も少しだけ上った。次は礼儀作法。厚めの本を頭の上に乗せ、これでまた十五秒。今度は気品だけが上る。少しだけ色気が減った。そして、今日は魔法学習。明らかに魔王の配下と思われる妖しげな容貌の女性から、やっぱり十五秒ほど話を聞いて終了。魔術と賢さ、さらに何故だか色気も上った。
 で、これで一ヶ月が過ぎるのだから早いものである。みなも自身は育成シュミレーションをしないので良く解らないが、今のところ困ったことはなかった。
 と、帰宅すると妖しげな商人が来ていた。魔王となにやら楽しそうに対談している。
「お父様、只今戻りました」
 四十五分おきに交わされるこの会話。結構馬鹿らしい。
「おお、お帰り。我が愛しの娘よ。今日は朗報がある」
 朗報、といわれて彼女は思いっきり引いた。
 いい事がある気がしない。
 これもそれも、魔王の日ごろの行いのお陰である。
「なんでしょう、お父様?」
 このゲームに付き合うと決めた時点で、大抵の事は覚悟したはずだ、と彼女は必死で自分自身に言い聞かせた。
 やや引きつった笑みを見せたみなもに、魔王は満面の笑みを浮かべる。それは魔王が何かを企んでいる、というより、お気に入りの玩具を見せびらかす少年のようなものだ。
 何故だか悪意が抱けない。
「丁度この商人から『合成』コマンドの使い方を習った所だ。早速やってみよう」
「はい?」
 思わず尋ね返したが、魔王が説明してくれる気配はない。
「今購入した魔獣はグリフォンが一体と、メデューサ。後はナーガといった所か」
 どれにする?
 爽やかな笑顔で、魔王は尋ねてきた。
 みなもの思考が停止する。
 どれと聞かれても。
 どれも嫌です、と答えたい人間にどう答えて欲しいのか、この男は。
 そんなみなもの視線に気付くわけもなく、魔王は勝手に選んでしまう。
「全部か」
「待ってください」
 思わず待ったをかけた。
「じゃぁ、どれがいいんだい?」
 正直な心境を吐露するわけにも行かず、彼女は苦渋の選択を課せられた。
 鷹の上半身と獅子の下半身と蛇の尾を持つグリフォン。
 一瞥だけで人を石化させられるというあられもない姿のメデューサ。
 半身人間で半蛇の水陸両用のナーガ。
 『合成』というぐらいだから、多分みなもが合体させられる。一番マシな物はどれか、と彼女は真剣に考え―――直ぐに、どれでも一緒か、と嘆息した。
 多分ここで何を選んだところで、全部合成されるのだ。
 解っている。
「ナーガで」
 適当に選んでも結果は大して変わらない。
「そうか」
 魔王が喜色満面で指を鳴らした。
 瞬間部屋が変わり、『実験室』と書かれた妖しげな場所に通された。二つの魔方陣が地面に敷かれ、その内の片方に乗るように指示される。
 もう片方には、檻の中で暴れ狂うナーガだ。その頬まで裂け、顎まで届く牙を剥き、柳眉を逆立て奇声を張り上げる姿は、みなもでなくとも引くだろう。
 今からそれと合成されるのだから。
「では始めようか」
 みなもの心の慟哭になどまるで感心を寄せず、魔王は人差し指でスイッチオン。人生が変わる瞬間としてはあっけない。
 部屋の中が青白く帯電していく。
 魔方陣から紫がかった煙が湧き出してきた。
 ふと気が付けば、ナーガは檻から解き放たれている。蛇の半身で、地面を支え、鎌首をもたげた。鋭い爪を構えたその姿は、ゆうにみなもの三倍はある。
 ほぼ真上から見下ろされ、彼女の体が固まった。
 相手の緑色の瞳を見詰めたまま、指先すらも動かせない。
 じり、と相手が動く。
 に、と笑ったように見えたのはきのまよいか。
「じゃぁぁぁぁぁっ!」
 奇声とも気勢とも付かぬ、奇妙なまでに不快な音を立てて、ナーガはみなもに襲い掛かる。三センチも在りそうな爪が目の前まで来て、頬につき立てられた。
 ぐにゃり、と。
 世界が歪んだ。
 頬につき立てられた爪は、そのまま彼女の中へと沈んでいく。
 引き込まれる事に気が付いたナーガが必死で腕を引こうとしているが、それすら無意味だ。
 もう片手を彼女に突きたてたが、同じ結果を招く。
 じりじりと、しかし確実にナーガがみなもに吸い込まれていく。
 緑の瞳が近づいてくる。
 その瞳に映るのは、恐怖と―――嫌悪と。
 視線の先にいるのが自分だと、みなもが自覚した瞬間。
 全身が粟立つ。
 嫌味なほどに磨きこまれた黒曜石の壁に、現状が移る。
 頬が波打って、暴れ続ける獣を食らってゆく。
 自分が取り込もうとしている相手の醜悪な姿。そして、それに嫌悪で見詰められる自分は、より醜悪だった。
 悲鳴が、喉元で凍った。
 何も動かない。
 慟哭をあげる事も。
 否定も、拒否も。
 感情すら無意味になって。
 自分という存在が、希薄になっていく。
 悪夢のような時間が過ぎ、やがて、ナーガの尾の先までが彼女に取り込まれる。
 指先の爪。
 緑の変わった瞳の色。
 変化はそれだけ。
 後は、パラメーターの魔力と体力が桁外れに増加していた。
 体の自由が開放され、みなもはそこに崩れ落ちる。両手で体を抱いてうずくまった。
 震えが止まらない。
 あの生き物を自分が取り込んだ。
 そう考えるだけで、涙が溢れて。
 人間ではなくなった自分。
 魔王に手を差し伸べられた少女は、自分が人間で在る事をきっと知らなかった。
 自分も知らなかったら、これに耐えられたかもしれないというのに。
「みなも? 大丈夫かい?」
 心配そうに隣に膝を付いた魔王。
 その表情は、先刻とまったく変わらずに、愛しい娘をみるそれだ。
 それだけが、救いだった。
 それだけが、意味だった。
「はい……大丈夫……です」
 掠れた声で頷く。
「今日はもう休みなさい。来月のシフトは、先に決めておくから」
 静かに頷く。
 そして、その腕の中に倒れこんだのだった。
 下半身が、魚のそれではなく、蛇の物になっているとは気付かずに。







 あれから、もう数十回の『合成』を受けた。
 そのたびに、何も感じなくなってゆく心。
 ただ、魔王が変わらなかったから。
 自分も変わらないつもりだったのか。
 もう、彼女には解らなかった。
 繰り返される日常。
 繰り返される毎日。
 鏡を見ても涙を落とすことはない。
 蛇の半身。
 頭の両側から生えた悪魔の角。
 背中にある鷹の方翼に、皮膜の方翼。
 瞳は今は青に戻っていた。
 肌は青みかかって、白くなってしまった髪に映える。
 鈎針のある手で、尖った耳をそっと撫で。
 全身を包むのは人魚の鱗を繋ぎ合わせたという、薄手のショールだけだった。
 みなもは後ろに立ってホームビデオを回す魔王を振り返る。
「相変わらず可愛いよ。私の可愛いみなも」
「お父様……」
 どんな姿になっても彼の愛は変わらないから。
 だから自分の姿を受け入れられた。
「愛しているよ、我が娘」
 そっと、睦言のように囁かれる声。
 甘いその誘惑に、みなもは艶やかに微笑んだ。
 始めから罠だと知っていたから。
 今更絡め取られたからといって、相手を責める事はできない。罠と知ってここまで来てしまった、彼女にも非はあるだろうから。
「私も……」
 愛していますと囁いた。


 やがて、人間と悪魔との戦いは終演を迎える。
 人間の娘を愛した魔王。
 彼がもう、戦いを望まなかったから。
 人々は魔王の傍に佇む同族の少女の姿に希望を見出す。
 人と悪魔は、共存できるのだと。
 世界は、平和を取り戻す。 










「それって共存じゃないですっ!!」
 思わず飛び起き、みなもは静かな部屋の中で荒い息を整えた。
 そこは、アンティークな城ではなく、ごく普通の日本の家。やや和洋折衷な感じが親近感を呼ぶ。座り込んでいるのは紅色の絨毯ではなく、ごく普通の畳だった。
 テレビの前でうたた寝をしていたらしい、と。
 そこまで理解するのに大分時間を要する。
 あれは全て夢だった、と思うには鮮烈過ぎる印象だ。顔を振って彼女は洗面所に向かった。電気をつけて恐る恐る自分を鏡に映すと、いつも通り。
 青い瞳に青い髪。白い肌は少し上気している。
 ナーガが爪を立てた頬に触れてみても、異常はなかった。
 顔を洗って、着替えを済ませて。
 そこまですれば現実が現実として押し寄せてくる。
 明日もバイトで、理科と英語で宿題が出ていた。明日の授業で確実に当たる数学は要予習だ。国語の教科書も、意味の解らない熟語を調べておかないと。
 中学生だって暇ではない。
 あれは夢だった、と忘れてしまって。
 テレビを消そうと画面を見た瞬間。
「どうして?」
 エンディングのラストシーンが目に入る。
『Good end』
 何がグッドエンドか。
 思わず反感を覚えたみなもは、リセットボタンを押して、ゲームのニューゲームを選択。魔王の好みとは対極の少女を育てる、とコントローラーを握ったのだった。




And that's all ……?