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<東京怪談ノベル(シングル)>


花明かり

 太陽は夏の様相。長い休暇が始まったことを僕が一番喜んでいるのかもしれない。
「ただいま……。母さん、少し休んでいい?」
 鞄を放り投げて、リビングのソファに体を横たえる。台所で夕飯の仕度をしている母の音が耳に届いた。
 あれからどのくらい経ったのだろうか?
 僕は指折り数えなくとも、脳裏に刻まれた時間を知っていた。すでに7月も終わろうとしている。何の変哲もない毎日が繰り返して行く中で、僕が抱えたのは僅かな寝不足だけ。それ以外は、以前と変わらない。何ひとつ――――。

 ――ああ、キミひとつだけ。

 そうだった。頑なに心から追い出そうとしても出て行かない幻想。その想い人。学校に行かないということは、彼女に僕を探す手段はないということ。それを知って安堵する気持ちと、焦がれる気持ちが拮抗していた。
 声にすると胸が痛む。けれど。
「もう、あんな真似…したく……ないんだ……」
 呟き顔を覆う。忘れるべき人。忘れるべき抱擁。忘れるべき――――心。

                            +

 部活動などしていない僕は、長い夏休みの間ぼんやりと家にいた。出掛ければ、偶然に彼女に出会ってしまうかもしないから、その時自分はどんな顔をすればいいのか分からない。それよりも、あの夢のように彼女の細い首を食み、無心に精気を貪ってしまいかねない。
 ソファに滲むのは涙。零れた唯一の雫。

 ――なら、他に方法があったのか? 逢いたいと思わなければ、初めから彼女を知らなければ……。

 身体を縮凝らせ、僕は母に聞こえないよう唸った。
「都昏? ……どうかした?」
 母が台所から顔を出した。手をエプロンで拭きながら、慌てて起き上がった僕の横に座った。平然を装うだけの時間はなかった。だから、母は僕の目を見つめて困ったように眉を寄せた。
「知りたいことがあったら、何でも聞いていいのよ」
 優しい声が心の壁を取り去ってしまう。僕は知りたかった全てのことを、夕日が落ちるまで母に尋ね続けた。

 どうして淫魔は人の精気を吸わねばならないのか?
 精気を吸われた相手はどうなるのか?

 湧き上がってくる疑問を手当たり次第にぶつける。一通り僕の言葉を聞いてから、母はゆっくりとした口調で言った。
「長い歴史を持つ血脈を途切れさせるわけにはいかないのよ。吸われた相手は疲労するでしょうね…永遠に」
「永遠……」
「そう…、一度知ってしまった餓えから逃れる術は、他にないから……」
 憂う。己の血を。何故、こんな身体に生まれてしまったのだろう。何も特別なものなどいらなかった。好きだと思った人に、ただ素直に近寄ることもできないこんな身体。運命。

 ――いらなかった!! こんな…こんな――――!!

 涙で曇った視界。溢さぬように天井を見上げた。そのまま、僕は最後の問いを母さんに投げた。
「……母さんは…、人を……淫魔じゃない誰かを、好きになったことが……ある?」
 答えは戻らない。袖口で隠すように涙を拭い母の顔を見つめた。ふいに母は腕を伸ばし、僕の頭を優しく撫でる。その目にあったのは惜別の色。過去にあった苦別の色。母の手は優しかった。殊更柔らかく僕を撫で続けた。問いの答えが胸に棘を差す。永遠に抜けることのない棘を。
 『この恋は報われない』
 哀しい現実。それが今の僕に与えられた唯一。
 目を閉じる。キミは僕を照らす、唯一の光。けれど、永久に逢うことの叶わぬ人。忘却の世界へ旅立つ人。

                            +

 僕はその日から眠れなくなった。目を閉じると、彼女が現われ僕を苛む。焦がれる想いを完全に封じ込められるほど、僕は強くない。痛む胸、そして再び僕に楔を立てる餓え。また夢を通して精気を貪ってしまいそうな気がして、暗闇の中でいつまでも目を閉じることができなかった。

「忘れ…なけれ…ば――」
 夕日が目に染み込んで、僕は買い物の帰りだったことを思い出した。どこまでも続くような錯覚を起こす河川敷。いつもは通らぬ場所だったが、指定された物を買うにはどうしても歩かねばならない道だった。
 ふと、角を曲がると思わぬ場所に出た。
「しまった……この道、こんな場所につながっていたのか」
 考え事をしている間に、来てはいけない通りを歩いていた。それは忘れ得ぬ思い出の神社と彼女と初めて出会った校舎。それが連なる通り。自然足取りが早くなる。その刹那。
「え? ……花…の香り? どうして、こんな場所で」
 住宅街。花壇さえない一角。視線を前方へと向けた。そこにあったのは花。手折ることを恐れ、近寄ることを拒絶した花。美しく咲き誇る一輪の――――。

「!! そ、そんな、どうして………」
 視線が交錯する。彼女は驚いて信じられないという風な表情を浮かべ、それは瞬間に笑みに変じる。手を振り僕に向かって駆けた。
 その時だった。
 けたたましいクラクション。黒い車体。
「…都ぐ…―――― キャア!!」
 すべてが耳を劈く。彼女の悲鳴が僕を動けなくする。伸ばしかけた腕が空を掴んだ。
 恐ろしくゆっくりと彼女の手にしていた買い物袋が宙を舞った。やけに、のどかなヒグラシの鳴く声を乗せて。
 僕は夢であれと願った。
 
 大地を蹴る。それは罪への一歩。
 そうと知っていても、体と心は別のモノ。僕は彼女の元へと一心に駆けた。


□END□

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 こんにちは! ライターの杜野天音です♪
 既に書きたくて待っている状態だったりします(笑) 今回は都昏くんのシングルということで続きが気になる展開になってますね。ドキドキ。それにしても都昏くんのお母さんの描写あれでよかったでしょうか? 少し不安です。
 恋する気持ちを早々忘れることなんてできませんよね。都昏がこれから彼女の心をどう受けとめるか楽しみにしています。

 ではまたの展開に期待して♪ 今回はありがとうございました!