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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>
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Black Book
城ヶ崎由代がドアを潜って店内に足を踏み入れると、蓮は待ちかねていたと言う表情でしきりに由代を手招いた。さては探していた本でも見つかったのかと期待してカウンターに陣取る蓮の下に駆け寄ったが、案の定と言うべきか、
「頼みたい仕事があるんだけど、いいかい?」
蓮の口から発せられたのは期待はずれのそんな一言だった。
「……またですか」
この店で商品を買うより仕事を請けるほうが多いのではないかと由代はため息をついた。どうせ暇だろうと思われてのことだろうが、暇にも色々とあり、退屈を伴うか伴わないかでその質も随分と変わってくる。今現在の由代の「暇」は退屈を伴わない、むしろ怠惰を伴う「暇」であり、仕事を請けるにはいささかモチベーションが足りないのだ。
そんな骨子の独自理論を展開する由代にはまるで構わず、蓮は背後の棚を探っている。
「ああ、あったあった」
これだよ、と差し出されたのは黒い本だった。
辞書ほども厚いそれはかなり古いものらしく、背表紙や小口は随分と日に焼けて色褪せている。表紙には元は金文字でタイトルが記されていたようだが、今はそれもほとんど読み取れない。かろうじて大仰な飾り文字だと言うことが判るくらいだ。
その、いかにも魔術書ですと言った風貌に、途端に由代の瞳は活き活きとした輝きを見せる。現金なことに、怠惰の虫は一瞬で好奇心に駆逐されてしまったようだ。
「これをどうすれば?」
解読しろとか真贋を確かめろと言う依頼なら嬉しいが、と尋ねると、蓮は、そんな手間のかかる仕事じゃないと眼を細めた。空いた片手で本の表紙に触れながら意味ありげな笑みを浮かべる。
「この本をある人に届けて欲しいんだよ。それだけの簡単な仕事さ」
簡単な、と言うところを強調するようにアクセントを置いて言い、カンと高い音を立てて煙管の灰を盆に落とす。そして、やらないはずはないだろうとばかりに、蓮は黒い本を由代に押して寄越した。
ただの届け物と言うのには少しがっかりしたが、やる気を見せてしまった以上断れない状況に陥っている。
「これが届け先だよ」
そういって添えられたメモには住所と名前が走り書きされている。どれだけ遠い所まで行かされるかと思ったが、何のことはない、ここからそう離れてもいない場所だ。
「じゃあ、行ってきます」
さっさと仕事を済ませてしまおうと本を手にする。そしてそのまま店を出ようと席を立ってドアに手を掛けたとき、後ろから声がかかる。
「判ってると思うけど……」
中途半端に乾いた音を立てるドアベルが黙り込むのを待って、蓮は続けた。
「それはただの本じゃあないからね。多少のトラブルはついて回るものと思っといておくれよ」
例えば謎の集団に襲われるとかね――。
そう、蓮は楽しげに笑って煙管をふかした。
「…………」
聞き捨てならない台詞に由代は開けかけたドアを静かに閉め、蓮を振り返った。
「……トラブル?」
「トラブルがどうかしたかい?」
「簡単な仕事だって言いましたよね」
「ああ、だってただの届け物だからね。簡単だろう?」
「簡単な仕事なのに、『謎の集団』に襲われたりするんですか?」
「例えばの話さね。それにあたしは依頼人に言われたことを伝えてるだけだから、詳しいことは知らないよ」
蓮はけろりとして煙を吐く。そうして早く行けと言うようにひらひらと手を振った。
「……せめて、その謎の集団の正体くらいは判らないものですかね?」
実のある返答を期待しない問いに返ってきたのは、予想に違わぬ分からないと言う答え。どうやらせいぜい警戒するより他はないらしい。
諦めの色を滲ませたため息をつきつつ、由代はすっと片手を動かした。慣れた手つきで、図形の輪郭を空中に描き出していく。召喚の印章だ。
始点と終点が一本の線で繋がった瞬間、図形は鋭く発光した。いや、正確には実際に光を発したわけではない。空間が歪み、別の場所へと繋がる瞬間のずれが、常人の目にはあたかも発光したように見えるのだ。
印章の形のままに空間は歪み、そこをぐにゃりと通り抜けて異形の生物が一匹、キィキィと鳴きながら現れる。身体のあちこちに醜い瘤のある醜悪な小鬼だ。小鬼は縮こまった二枚の翼をぱたぱたとはためかせ、由代に向って一際甲高い声を上げた。
「よしよし……」
おいで、と由代が腕を差し出すと、小鬼はその腕にとまってまたキィと鳴いた。
「僕を尾けてくる怪しい奴がいないか見張っていてくれ。報告は欠かすなよ」
承知したと言うように大げさに手を振って、小鬼は翼を精一杯はためかせて店の天井近くまで飛び上がると、そのまま壁をすり抜けて姿を消した。それを見届けてから、由代はさて、と居住まいを正した。
「じゃあ、改めて行ってきますよ」
「ああ、早いとこ行っといで」
蓮の唇から紡がれる紫煙の螺旋に送られるようにして、由代は店を後にした。
アンティークショップ・レンを出てすぐに、由代は裏通りを抜けて大通りに戻った。もちろん、蓮の言うところの「謎の集団」の襲撃に備えてのことである。
さすがに、こちらに情報が漏れていないと思っているほど相手も呑気ではないだろう。下手をすればもう監視されている可能性もある。雑踏に紛れていたほうが尾行をまきやすい。
先ほど召喚した使い魔は律儀に尾行者の有無を報告してくる。言葉として通じるわけではないが、ダイレクトな意思の疎通とでも言うのか、直接意識が流れ込んでくるような感覚だ。
使い魔によれば、今のところ怪しい人間は見当たらないとのこと。由代が視認出来る範囲でも、特に挙動のおかしい人間はいない。スーパーの袋を抱えた主婦や、手持ち無沙汰に携帯をいじる若者、学校帰りの小学生たち。「謎の集団」など影も形も見えない。ありふれた日常の光景に尖らせていた神経も自然と緩む。
そもそも蓮は「可能性」と言っていたのだ。必ず襲撃されると言ってはいない。
少し安心すると同時に、むくむくと好奇心が頭をもたげてくる。
腕に抱えた黒い本を由代はまじまじと眺める。
気になるのだ。気にならないわけがない。
中身を見なければ正確なことは言えないが、今まで数々の魔術書を見てきた由代には一見して魔術書かそうでないか位は分かる。それなりの魔術の記された本と言うものは纏うオーラからしてただの本とは違ってくるものだ。
目の前の黒い本が放つ一種重たいオーラはまさに、魔術書特有のそれだ。オーラの強さと表紙の布や紙の質から考えても、原本とまではいかなくても、初期の写本と言う可能性はある。
「…………」
中身には非常に興味がある。おそらく、中身を見たとしても黙っていれば分からないのだろうが……。
「――いや」
由代は表紙に触れかけた手を引っ込めた。黙って覗き見るのは気が引ける。どうせなら、所有者に許可を得てからにしたほうが気分もいい。魔術師と言う人種は知識を共有することに関しては寛大だ。届ける相手が魔術に関わる人間であれば、見せてくれと言う申し出を拒否されることはまずないだろう。
そういう結論に達し、本を抱え直して辺りを見回したとき、由代は奇妙な違和感に襲われた。
買い物帰りの主婦や、今風の茶髪の若者、学校帰りの小学生たち。周りでは変わらない日常の光景が展開している。
しかし、それらと由代の間には確かな隔たりが存在するのだ。透明な壁が一枚存在して、由代の周りの存在の輪郭をぼやけさせている。
――何だ……?
よからぬものを感じて使い魔に思念を送るが、返答がない。使い魔と繋がっていた意識が途中で寸断されている。
「……!」
しまった、と由代は眉をしかめて小さく舌打ちした。
由代のいる空間だけが回りからほんの少しずれて、隔離されている。ぼやける違和感はそのせいだ。使い魔との交信が遮断されたのも、あの下級の小鬼の力では空間を越えてまでの交信は到底無理だからだ。
考えるまでもなく、蓮の言っていた「謎の集団」の仕業だろう事は明白だ。本に注意が行っていたせいでガードがおろそかになってしまったのもあるが、これだけ人通りがある中で由代ただ一人だけを空間転移させるとは、相手もなかなか手練のようだ。
「謎の集団」の刺客は、と辺りを見回せば、ただ一人、由代の目にぼやけずに映る人間が視線を受けてぴたりと立ち止まった。それは先ほどからずっと由代の数メートル前をつかず離れず歩いていた、茶色い髪の青年だった。
「必ずしも――」
青年は背中で笑う。
「尾行者は後ろにいるもの、とは限らないってことだな」
ぱちんと大げさな音を立てて携帯を閉じ、青年は振り返ると由代の行く手を遮るように立ちはだかった。薄い唇の口角だけを吊り上げて笑う。
「あんたの持ってるその本、渡して欲しいんだけど?」
「……悪いが、いきなり言われても応じられないな」
由代は本を抱える腕に少し力を入れ、一歩後ずさった。青年は肩をすくめて呆れたような笑いを漏らす。
「あんたに選択の余地はないんじゃないのか?自力でこの空間から出れんの?」
袋の鼠じゃん、と言う青年の哄笑を受けて、由代は改めて回りを見回した。
元いた空間とのずれは、それこそ周りの輪郭がぼやける程度の些細なものだ。だが、些細なずれだからこそ元の空間に立ち戻るためには微調整が必要になってくる。目の前の青年が何を仕掛けてくるか判らない状況では、かなり難しいだろう。
「……そうだね。確かにここから出るのはちょっと難しいな」
「だろう?」
「キミが張った結界なのかい?見かけによらずいい腕だな」
そう話題を振って、由代は不自然にならないように腕を後ろに組み替えた。手首を動かして器用に指先で図形を描いていく。
青年はそれには気づかず、また口元だけに馬鹿にするような笑みを浮かべる。
「人は見かけによらないって言うだろ?魔術師なんか、実際はそこらへんにゴロゴロいるのさ」
判るだろうと言いたげに青年は由代に向けて顎をしゃくる。
「まあ、同感だね」
過去に教団に在籍していた頃、周りの人間はみな実生活ではごくごく普通の小市民だった。弁当屋の店長だったり、商社の営業マンだったり、女子大生だったり、魔術師と呼ぶべき人種は実はどこにでも存在しているのだ。
間延びした由代の返答に苛立ったのか、青年は少々語気を荒げる。
「あんたも魔術師なら、相手の力量くらい判るだろ?さっさとそれ、渡してくれないかな」
「そうだねえ……」
表面上は呑気に首を傾げつつも、背後では着々と印章が完成に向かっている。最後の一線を描ききる前で由代は一旦動きを止め、青年に向かって穏やかに微笑んだ。
「お断りだな」
言うと同時に指を動かし、図形を完成させた。
鋭い発光と共に由代の背後の空間が奇妙に歪んで、空気が波立つ。そして音を切り裂くようにして二匹の黒い狼が現れた。
青年が一瞬狼狽した隙を見逃さず、狼は牙を剥いて突進していく。そしてそのまま青年の体に牙を食い込ませる――かと思われたのだが。
「――!」
青年に触れる一歩手前で、二匹の狼はまるで攻撃を受けたかのように悶え、瞬く間に霧散して消えてしまったのだ。
「……どうして……」
呆然とした由代の台詞に、青年は満足げな笑みを浮かべる。青年がぱちんと軽く指を鳴らすと、空中に淡く発光する魔術陣が現れた。図形ではなく、マス目にアルファベットが散りばめられただけのシンプルなものだ。
「……十章一番か」
アブラメリンの呪い返しの魔術陣。魔術を志す人間でこれを知らない者はいない。この陣の前ではアブラメリン以外の魔術はことごとく打ち消される、強力な魔術だ。
陣越しに青年が得意げに笑っているのが見える。
「どう?渡す気になった?」
アブラメリンの魔術は使う者に厳しい資格を要求する。魔術師の中でもこれを使いこなせるのはほんの一握りだ。青年の自信もここから来るのだろうが。
――しかし、まだまだ甘い。
心の中でそう笑い、由代は新たな魔術陣を描くべく手を上げた。しばらくぶりに使う魔法だから百パーセントの力は引き出せないかもしれないが、青年を足止めするにはそれでも十分だろう。
指先に神経を集中して、手早く空中にマス目を描き出す。そしてその方形をアルファベットで埋めていく。由代の描いた魔術陣を見て、にわかに青年の顔色が青ざめた。
「なっ……、ま、まさかあんたも……」
「その通り」
流麗な手つきで最後の一文字をマスに書き入れ、由代が一言召喚のコマンドワードを唱えると、空気を震わす衝撃と共に魔術陣から数匹のサーペントが飛び出した。空中をうねるように泳ぎ、青年の手足に巻きついてその動きを封じる。
青年はしばらく抵抗していたが、抗えば抗うほど強くなる締め付けにとうとう音を上げて地面に膝をついた。悔しげに由代を睨み付けてくる。
「『人は見かけによらない』のは真実だね」
由代は楽しげな笑みを浮かべると、これ見よがしに黒い本を示してみせる。
「あと、もうひとつ。『能ある鷹は爪を隠す』って言うのも覚えておくことをお勧めするよ」
メモに記された届け先はこぢんまりとした商店だった。昭和の時代から何一つ変わっていないのだろう品揃えと店構えの古い店。ほとんど開店休業の状態らしく、客もいなければ店主の姿も見えない。
「すみません……」
店先から奥に向かって声を掛けると、少しの間が空いて気難しそうな老人が顔を出した。半纏を羽織って煙管を手にした、いかにも下町の住人といった風情だ。
「何だい、何かいるのかい」
「あ、いえ、届け物を頼まれまして……」
黒い本を示して見せると、老人は一言、上がりなとだけ言って奥に引っ込んでしまった。ぶっきらぼうな態度に多少戸惑いつつも、由代は老人の後を追って座敷に上がる。老人は茶箪笥の中を引っ掻き回すようにして何か探していた。
「ああ、まァ適当に座ってくんな。今茶ァでも出すからよ」
「はぁ……お構いなく」
「いつもはかかあや嫁に任せてんだが、今丁度出かけててなァ」
老人はからからと笑う。結局十五分ほどの時間を掛けて薄い番茶が振舞われた。古びた卓袱台を間に由代と老人は向かい合って座り、しばらく黙って茶をすすった。
一杯目を早々に干した老人は小気味良い音を立てて茶碗を置き、ちらりと由代を見た。
「で、届け物は無事かい」
「ええ、これです」
老人は差し出された本を骨ばった手で受け取り、老眼鏡を掛けて中身を検分するようにぱらぱらとページをめくる。
「運んで来る途中、おかしなことがなかったかい?」
「その本を大人しく渡せ、と言う男に会いましたが」
「……やっぱりなァ」
ふう、とため息をつき、老人は眼鏡を外すと目頭をぎゅっと押す。由代の何か言いたげな視線に、老人は困ったような笑いを返した。
「いやなァ、俺ァ最近、所属してた教団から抜けたんだが、俺自体はどうでも良くても、俺の持ってた魔術書は惜しいみたいでな。取り返そうと躍起になって来るのよ」
迷惑掛けたな、と、老人は顔の皺を一段深くする。
「報酬は蓮の嬢ちゃんに渡してあるから、悪ぃがそっちで受け取ってくれや」
はいと返事を返した由代の視線が本に釘付けになっていることにしばらくして気づき、老人は少し笑った。
「気になるかい」
「……気になりますね」
由代も笑顔を返す。
「アルマデルの異本と言うことは、欠落部分である可能性もあるわけですよね」
「ああ、……まあ、偽本の可能性もあるけどな」
見るかい、と差し出された本を目を輝かせて受け取り、すぐに没頭し出した由代を、老親は微笑ましげに眺めていた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【2839 / 城ヶ崎・由代 / 男 / 42 / 魔術師】
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■ ライター通信 ■
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初めまして、青猫屋リョウと申します。
今回はご参加有難うございました。
お気に召していただければ幸いです。
イメージと違う描写などございましたらご一報下さい。
また、機会がありましたらどうぞよろしくお願いいたします。
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