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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


蒼き心臓(第二話)

●盗品の行方
 異世界での戦いが終わって数ヶ月後、アンティークショップ・レンの店長、碧摩蓮からの連絡によって、その事件はまたも浮上した。
 碧摩蓮の元に持ち込まれていた商品が無くなったというのだ。
 それだけではない。それは、紫祁音が持っていたあの小瓶と同じ物で、二つで一つということだった。それだけではない、魂を込めたあのカードも何枚か無くなっているのだ。
「困った事になりましたね…」
 ユリウス・アレッサンドロ枢機卿は溜息をついていった。
 異世界に居を構える吸血鬼一族の闘争は、その一族の長の実弟によって引き起こされたものであったが、人間社会に関係無いとは言い難い。
 吸血鬼たちは独自の科学形態を持っているため、人間の生活そのものを脅かす事はそうそう無かった。しかし、堕天の血を触媒にした麻薬を持ったまま逃走中のロスキール・ゼメルヴァイスが関係しているようであっては、ただの盗品事件と片付けることはできない。
 草間武彦によってこの興信所に呼ばれた闇の一族の長は、針水晶色の瞳を向けたまま、ユリウスをの次の言葉を待っている。
 一族の大半を失い、実弟までもが裏切ったというのに、その女は怯えの表情も浮かべてはいなかった。焦るどころか顔色一つ変えず、細巻煙草(シガリロ)を燻らせながらユリウスを見つめている。後ろに控える見知らぬ男も黙ったままだ。
 同朋のペラギウス・ルテリオスは死に、その高すぎる代償を支払ったが、それで済む訳でもない。きっと、紫祁音はペラギウスに与えた麻薬を数本は用意しているだろうし、逃げる際に紫祁音が言っていた『魔王(サタン)の血』から作った純正の麻薬を使ってくるのは避けようも無いことだろう。
 碧摩蓮は電話で「虚無の境界」の名を出していた。
 保管されている商品――カードだけは、蓮の扱いは違う。だがその彼女の目を掠めて、そのカードたちを盗んでいったのは虚無の境界しかないだろうと言うことだった。
 当初、いわくつきの品として蓮のもとに小瓶は届けられた。それゆえに小瓶の管理も充分にしていたはずなのだ。
 ここ数ヶ月おとなしかった紫祁音の動きが活発になってきている。しかも、虚無の境界まで連れて…
 彼女が何を考えているかは分からないが、また、一戦交える必要があるのかもしれない。闇に生きる氏族は他にもいる。ゼメルヴァイス家が半壊したとて氏族間での影響力は変わらない。ここで反勢力は押さえておくべきだろう。
「やれやれ…たがが外れた吸血鬼が毎夜この街をわんさか闊歩しても困りますしね…」
 難しい問題にユリウスは流石に何度となく溜息をついていた。
「虚無の境界…面白い存在だな、ユリウス」
「やめてくださいよ…ヒルデガルドさん。悪戯はいけませんよ?」
 なにやら企むような闇の一族の長の微笑にユリウスは肩を竦めた。この女が何を考え、どんな力を持っているのか。ユリウスには完全に把握しきれていない。
 次なる脅威になりえるのだ。今の状態が手を繋いでいると、誰が断言できるだろうか。だが、彼女がここに――草間興信所に来ているうちはこちら側の人間という事になる。
 彼女の今までの行動からすればそう言えた。決して儚い望みではない。
「こちらはフェアセル・セシエ。武器商人だ…必要ならばこの男から武器を買うといい。もしも、先立つものが無いのなら…私が出しておこう。何を持って返すかは私と交渉次第…」
 ヒルデガルドはそう言って控えさせていた男を紹介しつつ、金まわりの悪そうな武彦の表情を見て忍び笑いをした。
 フェアセルと呼ばれた男は傍らに置いた鞄を開けてみせる。質は上々。変わった形状のものがあるのが分かれば、おそらく武器の製造していることも知れた。
「私の望みはただ一つ。反逆者と反勢力に殲滅の斧を…」
 闇の長、ヒルデガルドは氷の彫像のような美貌に笑みを浮かべた。

●調停
「動き出しましたか……まあ、このまま静かにしているとは思ってませんでしたが」
 聞こえてきた神山・隼人の声にヒルデガルドは視線だけを向ける。
「此方と対峙し戦う時の事を考えて、あの店の品を盗んだ可能性も有る気がしますし、今彼等の手の内に有る品々を考えると余り面白くない事に成りそうですね」
「確かにそうですねぇ」
 ユリウスはもっともそうに頷いた。でも、何処か暢気な感じがするのは人柄の所為だろうか。
「一族との共存を欲するのなら、ロスキール氏への処罰は一族間で決着を付けるべきものと私は考えているのですが…」
 セレスティが僅か眉を顰めたのは、ヒルデガルドに対する奮起からではなく、この一連の事件に関係するであろう被害者の報告書を読んでいたからであった。先月、金曜日深夜の赤坂で、今月は渋谷で大量の殺戮とテロと思しき事件が起こっていた。被害者総数百八十九名、被害総額四百五十七億円と規模は巨大だ。細かい被害総額実数を挙げたらきりが無いだろう。亡くなった人間の殆どは深夜業に従事するものであり、そしてそのサービスに与るものたちでもあった。
 一瞬にして、数十名の命が飛び散る血潮と共にビルから投げ出され、アスファルトに血の海を創り上げたという。
 その報告書は警視庁第九十九課の塔乃院・影盛が作成したものだ。ネットワーク社会の中に潜む能力者に協力させているらしく、その正確さは類をみない。
 吸血鬼側としては『堕天の血』を触媒にした麻薬の奪還し、族長の実弟ロスキール・ゼメルヴァイスを拘束する必要があると考えている。だが、ヒルデガルドとしては、実弟の生死すら問う気は無いのだ。ヒルデガルドは悪戯っ子をたしなめる姉のような表情を浮かべて言った。
「そうだな、ミスター…いや、セレスティ。総帥の地位にある貴方ならご理解いただけると思うが、一族間だからこそ私が動けないケースもあるということを。まぁ、自ずから手を下す必要があるなら動かねばならんが」
 セレスティは軽く瞠目してから目を開ける。選択を誤るわけにはいかないトップの気持は痛いほどよく分かった。
 一方、教皇庁側は麻薬の奪還と解析を望んでいた。無論、ロスキールの生死については考える必要は無い。だが、ゼメルヴァイス一族との共存は望んでいた。表に知られてはならない事実だが、いらぬ戦闘が多くなるよりはずっといい。警視庁第九十九課側としてもこれ以上の被害は被りたくないし、楽しいニュースではなかった。
 リンスター財閥の総帥であるセレスティも、些細な事で不仲になるのは永遠を生きる存在達を相手にするには賢明でない方法だと考えている。
 出来うるならばワクチンを。セレスティはそうも考えていたが、教皇庁側のアリア・フェルミはそう思っておらず、その薬効をもって武器を作ろうとしていた。
 思惑が絡み合う中、楽しげに見つける者たちが居る。
 無論、ヒルデガルドもその一人だが、現代社会では財閥会長の地位にあり数千年を生きる鬼、荒祇・天禪もそうであった。
 有翼の虎身に一面六臂の鬼女という本性を持つ女怪、紅・蘇蘭も何処となく楽しげにその様子を見つめている。
「盟主としては痛い失敗だねぇ、ヒルデガルド? …とはいえ、坊や達のお痛で私の遊び場が壊れるのも困った事」
 喉奥でクッ笑うと、蘇蘭はそう言った。
「草間、電話をお貸し? やましい者が潜むならば裏の領分、少々調べてやろう。表か霊的になら天禪におきき」
 それを聞いたヒルデガルドは無言のまま笑う。
 蘇蘭は受話器を持ち、情報屋に電話を掛け始める。
「草間よ、我らの情報網で感知できぬものはないぞ」
 天禪は楽しげに蘇蘭を見つめている。
 アリアは蘇蘭を睨み据えていた。異教どころか、異種の存在が居る事にピリピリしている。そして、ヒルデガルドは煙草の煙を細く細く吐き出してから言った。
「本当にそう思うのか、紅・蘇蘭殿?」
「おや、どう言うことかねぇ」
 手を止めて蘇蘭が言った。
「解からないか…紅瞳公主よ。ならば、私が他の長老どもを押しのけて君臨する理由はどうなるんだろうな…」
「おやおや。血を好むゆえかねえ」
「まぁ、いい。どのみち清掃の必要はあっただろうしな…私の世界も、お前達の世界も。そうだろう、ユリウス?」
「さぁ、どうなんでしょうねぇ」
 私にはちっとも解かりませんといった風な表情でユリウスは言った。そんな様子を見てヒルデガルドは笑う。
「いつも思うが…腹黒いな」
「あー、失礼な。私の何処が腹黒いと…」
「自分の口から否定する辺りが腹黒いというのだ、ユリウス」
 そんなことを言いつつも、目を細めて笑うヒルデガルドは精巧な彫像のように美しい。人としてはありえぬ美を持った存在を前に、アリアはこの調査の行方を考えていた。
 これから、宮小路・皇騎もやってくる。ユリウスとの付き合いもあり、色々と経験もある宮小路家は教皇庁と吸血鬼側の間で調整に努めるにはうってつけの人材であった。
 宮小路家は、闇の者を無差別に滅するような無慈悲な一族ではなく、共存も可能と考えている。それゆえに宮小路財閥御曹司の皇騎がこの場に来る事になっていたのだった。
 ユリウスがヒルデガルドに言い返そうかと口を開きかけたその時、和菓子の菓子折を持った隠岐・智恵美と宮小路・皇騎がやってきた。
「お待たせいたしました、ユリウス猊下。宮小路です」
「あぁ、いらっしゃい。皇騎さん…お久しぶりですね」
「本当ですね…三ヶ月ぶりでしょうか」
 ユリウスの挨拶に返事をしながら、皇騎は周囲を見回した。ここに居るのは政財界の大物ばかりだった。
 アイルランドのリンスター財閥総帥、セレスティ・カーニンガム。
 日本政財界の「凍れる獅子」にして財閥総帥の荒祇・天禪。
 華僑がらみの裏社会では知らぬ者無い人物、「大姐香主」紅・蘇蘭。
 ヴァチカン国務省のエリート外交官にして教皇庁特務第二局メリクリウス(水星)機関の武装異端審問官、アリア・フェルミ。
 今回、騎士団団長代理に就任した若手エクソシストにしてユリウス枢機卿猊下唯一の弟子、ヨハネ・ミケーレ。
 神山・隼人は合法非合法問わず仕事を引き受ける何でも屋であるが、気さくな好青年然とした笑顔の下に底知れぬ何かを皇騎は感じていた。ただの青年ではないと直感が告げている。

 この世の深遠か財力か、技か。手に入れれぬ領域に達した者しか居なかった。心地良い緊張が皇騎の背を走り抜ける。そう言う人物達とあらゆる手を尽くすのはやりがいがあると言えた。
 しかし、そこには自己中心的で性格破綻者、超鬼畜野郎な陰陽師と有名らしい人物がいた。不名誉な称号しか得ていない者。その名は桜塚・金蝉である。蒼王・翼はその隣に立っていた。
「あの組織も動き出したのね…。忙しくなりそうですね、ユリウスさん」
 智恵美は笑って言う。おっとりとした智恵美だが、非公式とは言え、現在IO2特別顧問である。
 これだけのメンバーの前である事と騎士団の代理団長を兼任しているのとで、ヨハネは相当に緊張していた。
「まったくですよ…毎日、いつもの時間におやつが食べれるかどうか心配で……うごッ!!」
 アリアの拳銃が狙いをつけ、最悪なことに勢い余ってユリウスの後頭部に銃口が激突する。物凄い勢いでぶつかった所為か、ユリウスは手に持ったケーキを落っことした。頭を抱えて蹲る。
「猊下ッ!」
「あ〜〜う〜〜…わかりましたよぉ、アリアさん」
「ユリウスさん、ちょっといいですか?」
 ブチブチと文句を言うユリウスに、智恵美はニッコリと笑って言った。
「はい?」
 ちょっとだけ畏まったように言う、智恵美の声に何かを感じて、ユリウスは顔を上げた。
「二人だけの方がいいですか?」
「いいえ」
 首を横に振った智恵美の様子に、ヨハネが首を傾げる。
 智恵美の心中を察したユリウスは立ち上がってキッチンの方に行こうとする。ドアのところで振り返って、ヨハネに声を掛けた。
「ヨハネ君も来てくださいね」
「え?」
 いきなり呼ばれたヨハネは何が何だか分からなくて目を瞬いた。アリアは何も言わずにユリウスと一緒にキッチンの方へと歩いて行く。
「何をしているか。早く来い」
 それだけ言うとアリアはキッチンの方に姿を消した。仕方なく、ヨハネはキッチンへと向かう。
 武彦は何も言わずに見送った。

「今日はヴァチカンの枢機卿としてのユリウスさんにIO2との協力体制の容認を求める為に来ました」
 智恵美は言った。
「はあ…」
 ユリウスは溜息をつく。
「お互いの情報交換と有事の際の協力ですよ」
「調印でもするんですか?」
「そう言うことになりますね」
「でしょうねぇ」
 ユリウスはやれやれといった風に肩を竦める。
「それは私に調印せよと言うようにとのことですか? それとも、智恵美さんがIO2の人間だと言うことを示して話をするんですか?」
 つまりあなたは自分の身分を明かすのかと言いたいのであった。確かに、利害の一致の上なら問題も起こらないだろう。しかし、均衡が崩れた後では共倒れになるかもしれない。
「多分、調印はしてくれると思いますけれどもね…まぁ、教皇庁側としては吸血鬼の脅威を押さえるためにという姿勢は示したいでしょうしね」
 やれ、厄介なと言いたげに肩を竦めると、智恵美に向かってユリウスは笑いかけた。
「私は自分の素性を知らせるわけにはいきませんからね」
「そうでしょうね。皆さんは何処の所属だか、薄々は分かってるとは思いますけども。じゃぁ、調印式といきますか。では、隣の部屋に。……ん?」
 テーブルの下に何か居る。
 ユリウスは下を覗いた。誰か居る事に気がつかなかった智恵美とヨハネ、アリアは身構える。そして、テーブルの下からでてきたのはペンギンだった。
「もけっ?」
「な、何…ペンギン?」
 智恵美が吃驚して目を瞬く。
「ただのペンギン違うもき。ボクはヴァイスもき。ユリウス、また悪巧みしてるもきね」
 どう言う構造ゆえにアイスを持つことができるのか分からないが、アイスを持ったペンギンは羽をパタパタさせて言った。
「しゃ、喋ったぁ!」
 最近、草間興信所に出入りしているペンギンだ。それを初めて見たヨハネはじーっとペンギンを見つめる。
「ヴァイス君、お話聞いてました?」
「ボクにはどうでもいい事もき。くだらない判子押しの話もき。興味無いもきよ」
 そう言うと、ヴァイスと名乗ったペンギンはキッチンの外に出て行った。
「あ、あれ…なんですか、師匠」
「あぁ…彼は…まぁ、一言で言い表すとアリアさんがここで銃を撃つことになりますから…聞かないで下さい」
 ユリウスは頬を引き攣らせながら言った。…と言う事は、旧教に仇なす存在しかない。それを聞いてアリアは銃を構えそうになったが、調印式もあるし、何よりしなければならない仕事が山積みになっているためにそれを一旦は諦める事にした。

●A signing ceremony out of balance.
 宮小路家代表の皇騎はまず問題の麻薬の解析を共同で行う話を持ち掛けた。教皇庁側もそれに納得し、情報の提供と警視庁との協力体制の確保を図るつもりであると述べた。聖庁呪術調査部から警視庁へ情報と戦闘部隊を供与する代わりに、都内の警察ヘリや駐屯地と輸送ヘリを騎士団用に確保して欲しいと願い出てきた。無論、「貸すから貸せ」なのだが、そこは双方とも口に出さないのがお約束である。教皇庁と言えども権力社会または官僚社会の中に居る事には変わりは無い。
 教皇庁、警視庁、吸血鬼側の三派は智恵美の提示した平和条約調印を行うため、草間興信所内で調印の時を待っていた。
 調印監査委員会が発足し、その委員会は普段、最高裁判所にある違憲立法審査権を一部同時に持つこととなった。つまり、この調印に必要な立法の変更が起きた場合、異種間違憲立法審査権をもって審査するとのことである。どちらにしろ、日本の警察に不利にならぬよう設立して居る事には変わりが無い。それでも、教皇庁としては文句は言う気はないようだ。霊兵器拡散防止条約なども項目に揚げているようであったが、この場合、使わない方が無理なので一般に対しての使用禁止に留まっている。
 三者は共に吸血鬼用の麻薬の完全解析に務める気でいた。
 リンスター財閥としては、被害にあった人々の治療のために施設を用意していた。場所は都心臨海部にあたる有明にその施設を設置。吸血鬼用麻薬精製工場跡地は東京の晴海と場所的にはとても近い場所にある。道路事情が悪くなければ十分とかからずに辿り着く事も出来た。跡地攻防戦はテロとして報じられ、一般の人間の通行は禁止されている。その場所に近いこともあって、有明に近付くものは少なかった。
 警視庁側は、教皇庁の要請どおりに駐屯地を月島に用意し、そこで三者はそれに調印した。
 一時的な歩みよりでしかないが、さほど問題ではない。出回る恐れのある物のほうが遥かに凶悪だった。
「連絡用に衛星携帯人数分用意いたしましたのでお使いください」
 そう言ってセレスティはにこやかに笑う。
「こちらです」
 セレスティが提供した携帯を執事が渡していった。
 モーリス・ラジアルとの間で綿密な連絡をとることにしているため、セレスティは既に携帯している。モーリスはアンティークショップ・レンの方で調査を行っていた。
 ヨハネは基本的に、警視庁本部で指示出しする事になっている。
 アリアは聖庁研究室へ、薬のサンプルから過剰効果により相手を自壊させる薬を作り、これを利用して武器を作る命令を出していた。反対にセレスティはワクチンを、皇騎とIO2側である智恵美は中和剤もしくは浄化薬の生成を目指している。互いが互いの思惑と利益をもって活動していた。 
「解析には、錬金術に詳しい者を含むめ研究班に任せますが、それではきっと検証は無理なので、私はこれから研究所に向かうつもりです」
 皇騎はそう言った。
 かなり危険だが、解析結果の電子化通信シミュレーションシステムによる追検証をせねばならないだろうと踏んでの事だ。ネットダイブの応用であるから出来ない事は無い。障害が出ないとも限らないが、皇騎にしか出来ない事だ。
「ユリウスさん、堕天の血や魔王の血の対極にあたるモノに心当たりはありませんか?」
「対極ですか…仏舎利とか使えばいいのかもしれませんがね。各地にある殆どが偽ものですし、寺院は何があってもそれをわたす事は無いと思いますよ」
「そうですよね…」
 日本人の釈尊に対する思いは旧教に匹敵する所がある。まず、それを差し出すものはいないだろう。旧教が聖布を差し出すことが無いように。
「麻薬奪還の策として、偽情報を偽装して流して待ち受けようかと思いますが」
「あぁ、それは良いですねぇ♪」
 何処となく楽しむようなユリウスの表情に皇騎は目を剥いた。
「今回は深夜の赤坂とか、渋谷道玄坂とか狙ってくれましたから。それぐらいの意趣返しは構わないと思いますよ」
「では、暫くしたら麻薬の解析が最終段階に入って、詰めを私の家が行っていると情報をリークしておきましょう」
「大丈夫ですか?」
「えぇ、家のものは武術が出来るものも居ますしね」
 そう言って皇騎は笑った。
 手には教皇庁から得た、試作品のデータファイルがある。既に吸血鬼化している人間の血と共に会席にかければ何か分かるはずだ。そのファイルを持ってセレスティも病院へと向かう。智恵美はすでにファイルをIO2に送信していた。
 それぞれがそれぞれの持ち場に帰ってゆく。ユリウスは草間興信所から連れてきた協力者と共に駐屯地に残った。
 その協力者というのは――あのヴァイスなのだが、どういう思惑をもって連れて来たのか、弟子には皆目見当がつかなかった。当のヴァイスも難色を示していたが、報酬内容を聞くと協力する事を承諾してくれた。一体、ペンギンに何ができるというのか。アリア以下、騎士団の誰もが全く分からなかった。
 ユリウスは午後のおやつを食べながら、ヴァイスを膝の上に乗せている。ヴァイスはカップアイスを食べていた。
「じゃぁ、ヴァイス君。食べ終わったら仕事をお願いいたしますね? 報酬は『いつものやつ』で」
「わかったもき。ボクに出来ない事は無いもきよ」
 丁寧に最後の一口を食べ終わったヴァイスは頷いた。
「では、お願いしますね♪」
 ユリウスはそう言うとヴァイスを膝の上から降ろす。
 そして、協力者・ヴァイスも外に出て行った。
 己に架せられた任務を遂行するために。

●跡地にて
 神山は使い魔を放って彼等を捜す傍ら、聖堂騎士団が壊滅させた吸血鬼用麻薬精製工場跡に向かった。そこは既に二人の調査員が調査に来た後だった。そこで戦闘があったようだが、その報告は調査員の一人の契約者であるセレスティに戦闘報告内容は送られていた。
 教皇庁側とリンスターの共同作業で跡地は浄化されていた。
「やはり浄化された後ですか…ん?」
 智恵美も麻薬精製工場の跡地で何かしら残された物がないか調べていたのに気がつき、神山はそっと姿を物陰に隠した。
 智恵美は特に隠し部屋などが無いかを調べていたが、一向に見つからないようだった。
「ものの見事に何も無いですね…あら?」
 落ちていた十センチほどの鉄の棒らしきものを拾うと、智恵美はじっと見た。
「何か他の材質と違うようですけど…」
 詳しく調べるためにアカシックレコードを読み解こうとした時、神山の姿を見つけたような気がし、そちらの方に注意が反れた。
 その瞬間、銃器を明らかに弄る音が聞こえて智恵美は飛び退った。
(…誰っ?)
 智恵美は辛うじて隠れられる場所を発見し、そっと後退った。隠れる場所の少なさに壁際に移動したいところだが、何かあったら一番危険なのは壁際だ。
 暗い工場後に声が響く。
 神山は様子を見るだけで手を出さずに隠れていた。
「今日もいい運動ができそうだ………」
 そんな声が聞こえた。
 智恵美は何も言わず、そっと入り口の方向に移動する。
 敵味方を問わず品定めをするように厭らしく睨む目が二つ、虚空に浮かぶ。いや、人だった。暗がりにぎらぎらと光る野獣のような瞳。
 閃光が暗がりに走る。
 目にした物は片っ端から高笑いと共に斬り捨てていった。周囲のものが音を立てて切り裂かれていった。
 より確実に目的を達成するからには、敵だけで無くとも同じ調査員の存在は却って邪魔だと感じていた男は、異門の能力に目覚めた者だった。名は藤原・槻椰。人外犯罪を放置した世界への復讐を決意し、新たなる世界の統治者に君臨するべく非合法異門機関「待宵」を創設した男。
「さぁ、抗うがいい」
 けたたましく笑う男の哄笑を聞くや、智恵美はダッシュした。少しでも広い場所に出たほうが有利だからだ。
「私たちはここだ」
「消えるのはお前だ」
 声が聞こえた。
 そんな戦闘の最中に無謀にも現れたのは蒼王と桜塚だった。吸血鬼や教皇庁等どの陣営にも付く気は無いと、二人で行動していたみたいだが、智恵美はその存在を完全に無視した。
「僕が誰かわかるだろう? 僕たちに喧嘩を売っておいて逃げられるとは思わない事だ」
 戦闘の最中に声を上げ、ここに居ると名乗る人間が何処の世界に居るだろうか。巻き添えはごめんだし、任務を遂行する必要がある。申し訳ないがここは無視が一番だった。
「フハハハ!! 死ねェッ!」
 藤原はショットガンを撃つ。蒼王の足元のコンクリートに大穴が開いた。
 振り返らず走る智恵美の前に黒い影が横切る。
「あ…」
 その刹那、工場跡の半分は吹き飛んだ。
 智恵美にはそう思えた。
 藤原も桜塚も蒼王も巻き込んで砂塵が辺りを満たす。
「な、何…」
 目を凝らすとペンギンがそこにいた。
「おまえを助けに来たもきよ」
「助けにって…」
「ユリウスに頼まれてたもき」
「ユリウスさんが?」
「そうもきよ。猪口才な、玩具はゴミ箱へポイもき〜♪」
 そう言ってヴァイスは振り返った。そこには血みどろになった藤原が立ち尽くしていた。
「ボクの超音波を避けるとはいい度胸もき。そんなお前には、最高の速度をもって応えてやるもき」
「…な、何だと…」
 藤原は言ったが、ヴァイスは聞いていなかった。智恵美を即してヴァイスが言う。
「お前、早くどっかにいくもき。巻き添え食うもき」
「あ、ありがとう…」
「後から追う。心配無用もき」
 それだけ聞くと、智恵美は市街地の方へと走り出す。ヴァイスは藤原の方へ目をやって、手に持ったメイスを構え直した。藤原の足元には既に巻き添えになった蒼王と桜塚がいたが、ヴァイスは見てもいなかった。
 遠くで車を走らせる音が聞こえると、ヴァイスは智恵美が充分に逃げきれる距離まで待った。そして、安全であろう圏内に入ったのが分かると藤原に言った。
「魔神に歯向かうとはいい度胸、死をもって贖えもき。今度は直撃もきよ〜♪」
「そんなことがで……うわぁッ!」
「突撃もき〜〜〜〜〜〜ッ!!!!」
 小さな足で大地を蹴ったヴァイスは初速をコンマ一秒で上げ、藤原の顔面にヘッドバッドを食らわした。しかも、マッハ13という高速で。
「あぴゅッ!」
 そんな音が聞こえたような気もしないでもなかったが、ヴァイスはあっという間に東京上空に到達していて確認なぞできる訳もない。工場跡はソニックブームの為に木っ端微塵に吹き飛ぶ。ヴァイスは悠々と空の空気を楽しんでいた。
「う〜ん、空は良いもきね〜。そう言えば、何か他にも二人いたような気がしたもき。まぁ、地上で最速だしたら、無事なわけないもきー♪」
 実際のところ、藤原・蒼王・桜塚の三名はヴァイスが飛行の際に生まれるソニックブームに巻き込まれて死亡した。風によって切り裂かれた後はどのようになったのか。その後にやってきた調査員は夥しい量の血が満たしているのを見た。しかし、肉片もまともに残っていない状態で、それが誰であるか鑑別をする事も出来なかったという。
(ただ…風のようになりたかったんだ……)
 そんな思念が風に吹かれて消えていく。そんな思念を感じたが、ヴァイスは意識を向ける気など更々無い様で、気にせずに飛んでいた。東京の臨海都市部に降りると、ユリウスの待つ駐屯地まで歩いていった。

●技術
 一ヶ月前、一瞬のうちの殺戮が終わった後、赤坂では体力が無かった人間はヴァンパイアウィルスによって吸血鬼化していった。粉塵が撒き散らされた血を吸って人々の肺に忍び込んでいったのである。幸いにして、その次の日は雨が降った為、被害はそれ以上に大きくならずにはすんだ。とは言え、約五百億円の損害があったのは言うまでも無い。
 確実にキャリアのままの若者達を捕獲し、リンスター財閥は総力をもって治療にあたった。警視庁と教皇庁の圧力のお陰で資金の八十パーセントを日本政府からせしめる事が出来たものの、流石に医師の人数が足りなかった。
 こんな時に彼がいてくれたら…と、セレスティは言葉を零したという。
 キャリアになってしまった者はワクチンで治すことは出来る。ウィルスに犯されているだけだからだ。しかし、変貌してしまった人間は治すことは出来なかった。
 ロスキールの持つ麻薬を使った純血種の吸血鬼は見つかっておらず、ゼメルヴァイス一族の被害者は殺害された数名と行方不明の数名に留まっていた。
 解毒剤か中和剤の作成をしようと思っていた智恵美は暫し悩んだが、アカシックレコードから読み解くことにした。麻薬製造の技術だけは何とか見つけることが出来たが、大事な素材の二つが見つからない。多分、一つは魔王の血だろう。もう一つが何なのか、全く分からなかった。
 研究では平均的な純血種はウィルスを保持しているのではなく、血液構造自体が違うようである。それゆえに、空気中に散布されると他の菌のDNAを刺激し、突発性の貧血症を伴うヴァンパイアウィルスに変化しているようだった。
 その報告書を読んで智恵美は唸った。
 先程見つけた金属はゼメルヴァイス一族の空間に存在する金属だということがわかったが、それが何に使われているのかは不明だ。
 報告書を読み進めば宮小路家は血で汚れた土を浄化する薬剤を開発し、今一度、赤坂と渋谷を消毒することにしたことが分かった。教皇庁側は多分有効であろう武器を製造する事が出来たらしい。血液凝固材を使用した弾丸だが、はたして暴走した吸血鬼に何処まで通用するかは分からなかった。無論、吸血鬼の体で実験する事をヒルデガルドが許さない所為である。
「厄介な事になりましたね〜」
「暢気ですねえ、ユリウスさん」
「これだけ情報が揃えば上々ですよ。教皇庁だけでは、きっと無理ですしね」
「あらあら…アリアさんに聞かれたらことですよ」
「いやだなぁ、智恵美さん。そんな寿命が縮むようなこと…」
「誰の寿命が、誰の手によって縮むのでしょうか…猊下?」
「あはっ、あははっ…」
 しっかり聞かれていたユリウスはスイートポテトカップを抱えたまま後退りした。
「ち、智恵美さん。後をお願いいたします…。わ、私は聖務が…」
「今日も朝の礼拝に遅れてきた人間のいうことですかッ! げ・い・かぁ!!」
「ひィ〜〜〜!」
 バタバタと走っていく教え子を智恵美は優しい眼差しで見つめる。彼の教え子は今ごろ警視庁の方で指揮に追われているはずだ。教皇庁特務第八局は屈強な戦士達が集う、扱いが難しい騎士団だ。彼の手に余りはしないかどうかと智恵美は心配になった。

●夜が紡ぐ甘い罠
 医療に力を注ぐ傍ら、セレスティはロスキールの捜索もしていた。
 ヒルデガルドの世界に有る一族の屋敷に姿を見せたかどうかを確認したが、それらしき人影は見なかったようである。彼の趣味趣向から考えると、紫祁音の言うことを素直に聞いて大人しくしている筈は無いとセレスティは思っていた。
 今日はヒルデガルドの召使が雑用をさせるために、氏族の少年を何人かお供に連れて来ていた。一時間ほど前、召使に紹介されたのだ。その少年達の姿を見つめ、セレスティは呟いた。
「彼の居城にでも行った方がいいのでしょうかね…」
「セレスティ様、それは危険でございます」
 執事が心配げに言うのを聞いて、セレスティの胸はつきんと痛んだ。
「大丈夫ですよ、そんなことはしませんから…」
 そう言ってはみるが、ロスキールの足取りを追う方法がセレスティには一つだけあるのだ。上手く連絡を取れるのか分からないが、相手が乗ってくればかなりの確立で捕まえることは出来る。
「さあ、貴方も今日は疲れたでしょう。帰りなさい…」
 実行するなら今だと思ったセレスティは、執事を帰えそうと促す。不安げな執事は困ったように立ち尽くしていた。不安が頭を擡げて離れる事ができないでいるよう。仕える者の勘だったのかもしれない。セレスティはニッコリと笑って言った。
「もう少し被害者の方の様子を見てから帰ろうと思うのですよ」
「でも、セレスティ様…」
「大丈夫ですから」
「はい、分かりました。お夜食でも用意しておきますから、早く帰ってきてください。セレスティ様、せめてお守り代わりと思ってこちらをお持ちください」
「これは何ですか?」
「見てのとおり、月銀の十字架と吸血鬼に対して有効な血液凝固剤です。凝固剤の方は、このようにキャップを外しますと針が付いていますから、そのまま打ち込んでしまえば大丈夫です」
 執事はキャップを外してみせた。青い溶剤入れは細く小さい。それに注射針がついていた。
「気休めにしかなりませんが、せめて持っていてください」
「心配かけてすみませんね」
「セレスティ様、何を仰いますか。私めは仕える事に喜びを感じておりますから、そのようなことで謝ったりしないで下さい。それより、セレスティ様とモーリスのいない屋敷はあまりにも広うございます。早く…早く帰ってきてください」
 執事は涙ながらに訴えると、一つ礼をして病院から出て行った。
(すみませんね…私は…)
 セレスティは小さく息を吐くと、振り切るように歩き始めた。病院の雑務を手伝っていた少年を見かけたの方に歩いていく。人気の少ない所に行くのを見て、近付く速度を速める。
(きっとこういう嗜好の一族ですから、誘えば何とかなるでしょう…)
 僅かな期待を持って、セレスティは声を掛けた。
「ちょっといいですか…」
「はい?」
 振り返った少年は十五歳ほどだろうか。黒髪の子で、中々に愛らしい。
「お願いがあるのです」
「何ですか…ミスター」
「ロスキール氏のところに行きたいのです」
「え?」
 今では忌諱とされる名に、少年の背は少し跳ねた。こちらをじっと伺う。
「僕は何も…」
「分かっています。ただ、私は彼の行方を追いたいだけなのですよ。せめて、彼が使っていた居城にでも行けば、何か手がかりでも掴めるんじゃないかと思って…」
「僕は…」
「確かめたいことがあるんです。きっと他の人間とだったら彼は現れないかもしれない…今しかないんです!」
「……」
「ご褒美はあげますから…」
 そう言って頬を撫でた。撫でる仕草は愛撫に似ている。少し潤んだような瞳をセレスティは見つめ返した。
(やっぱり……)
 子供といえども、そう言った嗜好は変わらないようだ。考えようによっては、吸血鬼はもっとも恐ろしい種かもしれなかった。その美貌で誑かし、このような子供でも淫乱で、そして巧みに血を奪う。
 少年は自分が乗ってきた異次元移動用のバイクのあるほうにセレスティを連れて行く。
、半分、車に近く細長い先端が特徴的な流線型のボディーは夜の街の灯りを跳ね返し、黒く艶やかな光を放っていた。運転席の上部に触れるとキャノピーがスライドする。
 二人はバイクに乗り込んだ。何回か次元回廊を跳躍すれば、彼の居城に辿り着ける事だろう。そこにロスキールが居なかったとしても、何かを見つけることは出来るかもしれない。
 一縷の望みを抱いて、セレスティは次元を超えた。

●駐屯地〜市ヶ谷周辺地下五十メートル〜
 同時刻、ヨハネは警視庁第九十九課の専用オフィスにいた。
 場所は市ヶ谷駅から五百メートルほど先に進んだ所にある。ただし、地下にだが。
 地上から僅か五十メートルほどエレベーターで降りたところにオフィスがあるとはヨハネは思わなかった。そこは射撃場からコンピュータールームまである。
 そんな中、他の呪禁官たちに混じって、ヨハネは教皇庁特務第八局と共に捜査していた。異種間テロという事もあって、異常な緊張に包まれていが、そんな中でも出来うる限りのことをしようとヨハネは頑張っていた。
 だが、そんな気持も一日で粉砕されそうになる。
 呪禁官と他教を嫌った団員の間でいざこざが起きたのだ。それも毎時間のように。叱り慣れていないヨハネは必死で団員を叱責し、呪禁官たちを宥めた。
「頑張れよ…ヨハネ坊や」
 九十九課のボスである塔乃院・影盛は、へとへとになってソファーに座っているヨハネにからかうように言った。
「もう! 塔乃院さんがボスじゃないですか。貴方が怒ってくださいよ!」
 半泣き状態のヨハネを見ると、塔乃院はデスクに突っ伏して笑いを堪えていた。あまり表情を変えない塔乃院がこんな状態で笑うのは珍しい。
「馬鹿言うな、お前だってボスだろう…騎士団の」
「僕は団長代理ですぅ! 師匠〜〜」
 団長代理になって、今日で二週間目に突入しようというころだ。団長は団長でも、音楽団長の方が良いと言ってヨハネはタクトを振り回す。さすがのヨハネも精根尽き果てたか、ストレスが溜まったようだ。
 先日、工場跡地が木っ端微塵になった事件の後から忙しくなっている。行方不明の蒼王、桜塚の捜査も困難を極めた。
「諦めろ」
 にべもなく塔乃院は言った。
「…師匠ぉ〜、智恵美さぁ〜ん…」
「お待たせぇ〜、暖かいココアだよ♪ あれ、ヨハネさんどうしたの??」
 ドアを開けて入ってきたのは銀髪の少年だった。腰まで届く髪を三つ編みにしている。両手にはスターバックスの紙袋を持っていた。買出しに行っていたのだろう。
 銀髪の少年の後ろに立っている青年も紙袋を両手に持っていたが、塔乃院たちの様子を見ると、呆れたように言った。塔乃院と同じ声で。
「兄さん…。少年からかって何が楽しいんだ? ちょっとは助けてやっても良いだろうに」
 百九十を優に越す長身と、膝裏に達するほどの長髪。造作は瓜二つ。なのに中身は正反対の双子の弟君を見上げ、ヨハネは溜息を付いた。
(塔乃院さんがシェルフさんみたいに優しかったら良いのに……)
「反応があるやつをからかうから楽しいんだろうが。分かってないな、晃羅は…」
「兄さん…仕事の時はコードネームで呼べ。本名で呼ぶな」
「あぁ、わかった…注文が多いな。…シェルフ」
「注文が多いのは兄さんの方だろうが」
「違いない…」
 そう言うと、部屋の中に入ってきたシェルフから、塔乃院はカフェベロナのグランデサイズを受け取る。緑色のスティックキャップを外し、口をつけようとしたその時、オフィスにベルが鳴り響いた。東京ガスの災害用非常回線を使ったホットラインは、すぐさまリンスター財閥からの情報を送ってきた。
 シェルフはコンピューターのタッチパネルに触れると、壁一面のモニターディスプレイにリンスター財閥下の病院が映し出される。モニターには燃え上がる病院が写っていた。
「病院が…」
「患者は!?」
 そして、一台の電話が鳴った。ゆっくりとヨハネが受話器を取る。
「もしもし?」
『おぉッ、ヨハネ様ですかな?? わたくしめはセレスティ様の執事でございます。セレスティ様が…セレスティ様が!』
「お、落ち着いてください! 何があったんですか?」
 そう言いながら、ヨハネは自分の鼓動が早くなるのを感じていた。
『早く帰れと言われて一旦帰ろうと思ったのですが、嫌な予感と申しましょうか…そんな感じがして戻ったら。病院が…』
「セレスティさんが怪我でもしたんですか?」
『いいえ。…いないのでございます。…どこにも…火の勢いが急で中に入れないのでございます。…た、助けてくださいませ!!』
「分かりました、今すぐいきます!」
『お願いいたします…』
 沈痛な声にヨハネは瞳を曇らせた。ゆっくりと受話器を下ろす。
「如何だったんだ…坊や?」
「どこにも…セレスティさんの姿を見ることが出来ないって…」
「とにかく現場に行かなくっちゃ! ヨハネさん、頑張って」
 自分より年下の少年に励まされ、ヨハネは苦笑した。
「うん…僕、行ってきます」
 顔を上げると、ヨハネは召集用マイクを掴んで団員に言った。
「只今二十三時十七分より、戦闘に入る。十字架(ロザリオ)及び識別章(ドックタグ)を携帯。同時刻をもって戦闘時死亡誓約書を回収する。Battle dangerous frequency,Level5。戦闘に備えよ。以上!」
 それだけ言うと、ヨハネはタクトをデスクの上に置いた。僧衣服のポケットから特製のピアノ線を出す。振り向くこともせず、ヨハネは病院へと向かった。

●狂夢の城
 何度目かの次元跳躍の後、セレスティはロスキールの居城の一つに着いた。贅を尽くした造りの白い城はハイデンベルグのノイシュバンシュタイン城のような印象を受ける。しかし、この城はその大きさの三倍近くはあった。他にも、このような城がちょっと軸のずれた異次元に幾つもあるのだそうだ。だから、ここが先程までいた人間の世界とは同列の時間軸にいるとは限らない。
「他の城は何処だか分かりますか?」
 流石に他の城は知らないと少年は首を振る。セレスティは溜息を吐いた。
 紫がかった薄闇に浮かぶ白い花に視線を向ければ、それは大輪の百合。全てが時から隔離された空間で、唯一、生ある美しさを持っていた。周囲の森でさえ、物憂げに沈んでいるというのに。
「これほどに美しい自然なのに…勿体無いですね。とても…悲しい」
 胸を突くような空気の冷たさと、生い茂る森の翠を帯びた黒に侘しさを感じたセレスティであった。様子を窺うような表情の少年にセレスティは笑いかける。
「折角だから、もう少しだけ探検させてください」
「構いませんが…良いのですか?」
「えぇ…何のお土産も無しで帰ってはつまらないでしょう」
 そう言ってセレスティは歩き始める。その城は今は誰も使っていないようだ。遠くに見える周囲の農村からも閑散とした雰囲気を感じる。
 ここには生も無い。そんな感じがした。幽閉された王の住まう城に良く似たここは、命を感じない城だった。
 薄闇に染まって揺れる百合の花は、鎮魂の為に植えられていると言われても、きっと信じて疑わないだろう。ここはそんな場所。
(帰るとしましょう…待っていますから)
 セレスティは前庭を後にしようと振り返る。隣に居たはずの少年は何処にも居ない。
「おや…彼は一体何処に…。…ん?」
 高い塔の前に人影が見えた。遠いのと、辺りが暗い所為か、セレスティにははっきり見えない。
「さぁ…帰りましょう、皆が心配しますし」
 そう言ったが、その人影は返事をしない。不意にその人影は走り出す。思わずセレスティは杖をついて、いつもより早く歩き始めた。
「ま、待ってください…私は足が…。あッ!」
 石畳に躓いてセレスティは転んでしまった。打った手がジンと痛い。ゆっくりと起き上がろうとしたその時、誰かがセレスティを支えた。
「あ…ありがとう…」
「礼には及びませんよ、ミスター・カーニンガム。いえ…Blau des Frosts?」
「えっ?」
 聞き覚えのある声にセレスティは顔を上げた。
 そこにはヒルデガルドに良く似た人物がいた。実弟の――裏切り者のロスキール。
「ロスキールさん…」
「お久しぶりだね…相変わらず綺麗だ。跪く、その姿でさえ…」
 ロスキールは起した体を抱きしめた。ぞっとするほど冷たい体に、セレスティは震える。なにより、その存在が氷のようだ。
 前と変わらない笑顔――どこか人の良さそうな、暖かで憎めない、少し愚かな少年のような。だが彼は全くもって違うものに変質してしまっていた。
 凍った湖の下に住む『死』を目の当たりにしたような気分だ。反射的に振り解きそうになって、セレスティははっとした。彼を拒絶してしまえば、ここに来た意味がなくなってしまう。
 セレスティは顔を上げ、やんわりと微笑んだ。
「お久しぶりです、ロスキールさん」
「えぇ…本当に。逢いたかったよ」
 笑っているのに何処か冷酷さを感じる視線。ただ純粋に快楽を望んでいた昔の彼は何処にも居ないような気がした。違う快楽を望む魔性そのもの。
「今や僕は一族の裏切り者。何故、このような場所に? 姉上のお手伝いですか?」
「わ、私は…」
(このままでは帰れませんね…)
 セレスティは意を決し、彼に向かって柔らかく微笑む。
「私は貴方に会いたかったのです」
「僕に?」
「えぇ…。どうして…どうして、私を殺したくないと前に言ったのか…気になっているのです」
 セレスティの言葉を聞き、ククッっと喉奥で笑う。ロスキールはその美貌に微笑を刻んだ。そして、止め処もなく、少し逸脱した感のある話し方で喋り始める。
「玩具が欲しいと言ったよ? 綺麗で壊れない強い玩具がね…綺麗なだけなら幾らでもいるけど、貴方ぐらい綺麗な人は居ないし。貴方ほどに強い人もいないしね。第一、目が違うよ。綺麗な綺麗なBlau des Frosts。貴方の目は弱いと聞いたけど、輝きが違う。生きているからかな? それとも太陽を見ることができるから? だったら、他の――あの汚らしくて狡賢い人間どもも同じになってしまうね」
「そんな…私は…」
「なんだろう…貴方はとても眩しいよ。君達のいる世界の太陽。僕たちの世界にある太陽じゃなくてね…それが登る前、僕たちの間では最も忌むべきあの瞬間の、真っ青な薄闇を映した霜の色みたいだ。海の青? それとも空の青かな? 僕は君達の世界の青を太陽の下で見ることは出来ないから、僕の知ってる太陽とどう違うのかも分からない」
「もっと見てみたいとは…思いませんか?」
「……もっと?」
「えぇ、そうです。私は知りたいから…貴方の玩具になっても良いですよ」
 誰彼なく魅了する美貌に笑みの色を刷いて、セレスティはロスキールを誘った。

 外は寒いからと言って強請り、居城の一室に二人は移動した。そこなら誰も手を出す事は出来ないだろう。運がよければ情報を得ることができるかもしれない。そんな思いを抱いて、セレスティは部屋に入った。
「こっちへおいでよ、ミスター。寒いんでしょう? 暖めてあげるよ…もっとも、貴方の方が暖かそうだけど」
 そう言ってロスキールは笑った。乱杭歯が覗く。温かいという言葉に妙な韻を感じてセレスティはビクッと反応した。それが吸血鬼の真の魔性だったのかもしれない。
 寒い所為なのか、暗がりにいる所為なのか分からない。それでも言い知れぬ追い闇の恐怖を静かに感じていた。
 不意にベットに引き倒され、セレスティの銀髪がシーツの上に広がる。彼は自分に執心であったから、魅了してしまえばきっと情報は手に入れることができると考えていた。しかし、セレスティはその考えが迂闊だった事を思い知らされる事となった。
「暖かいね…貴方の血の暖かさだ」
 ゆっくりと押さえ込んだロスキールは、セレスティのスーツを肌蹴ていく。シャツを脱がされ、愛撫する手の冷たさにセレスティは震えた。その冷たさがやけに情欲を煽る。それが底無しの快楽の始まりだと誰が知ろうか。
「ひッ…ぁ…」
「あぁ…ごめん、ミスター。僕の体は貴方よりも体温が低いから、ちょっと冷たいかな? でも、貴方は暖かくて気持ちいいね」
 耳元で囁き、首筋を乱杭歯で甘噛みする。罠に落ちた獲物が吸血鬼特有の手管に落ちれば、際限なく快感を感じるようになる。牙で嬲られる感触からは誰もが逃れられない。触れ合ううちに魔力に囚われていると知らず、通常の何十倍もの感度になった相手は、快感に耐え切れずに果てる運命にあった。
「ぁあッ…」
「どうしたんだい? やけに反応が良いね…それじゃ、最後までもたないよ?」
「あっ、あっ、ぁあ…」
 触れられているだけなのに断続的な悲鳴が漏れていった。今、自分がどんな状態なのかさえわからない。必死で意識を繋ぎとめようと努力するだけで精一杯だった。
 艶かしいものを感じているのは、自分の中なのか、外なのか。耳元で跳ねる水音が鼓膜を嬲る。熱を奪う手が滑らかに這った。
「やぁッ…もう…やめてくださ…」
「だめだよ。そんな姿も綺麗だね。あぁ、やっぱり貴方が一番だな…」
 切れ切れの悲鳴と嬌声が迸り、目の端からは涙が流れた。何度、許しを乞うても許してもらえず、牙で弱い部分を嬲られ、啼き続ける。セレスティは吸血鬼の愛撫に何度となく触れ、声が嗄れても責めたてられた。
 思考が焼き切れそうな快楽に溺れ、逃げる事も許されず、揶揄の言葉にさえ快楽を見出しそうになる。いつの間にやら手錠を掛けられ、動く事もままならない状態でいた。
 不意に声が聞こえた。澄んで冷たい女の声。
「ロスキール…やっと念願の玩具が手に入ったみたいね」
「紫祁音? 覗き見はいけないな、レディーのする事じゃないね」
 姿を見せぬ女に苛ついたか、ロスキールはそう返した。窓ガラスからの月の光が差し込む先に顔を向ける。音もなく現れた紫祁音に僅かな言葉の毒を吐いた。
「折角、薬を与えてやったというのに酷いわね」
「馬鹿を言わないで欲しいな。あの薬のお陰で、僕はこんなになってしまったよ」
「得るものが多いと失うものも多いのよ。贅沢言うのは得策ではなくてよ? 貴方は力と玩具を手に入れた。私も欲しいものをいくつかいただいたわ。私は文句なんて言わなくってよ、子供じゃあるまいし。どうなの、ロスキール。あなたの玩具にしては出来すぎの人よ。壊さないように抱きとめておくことね」
「僕も返す気はないから隠しておこうと思ってね。彼の従者は厄介だから、鍵でも掛けておくよ」
「それは賢明ね。厄介な連中が手を組んだわ。このままでは虚無の境界も黙ってはいないでしょうね…。私はこれから小賢しい虫どもを潰してくるつもりよ。生贄も用意できたし。お前の氏族の者を貰ったわよ。霧絵が五月蝿いから…貴方も来なさい、私一人じゃ埒があかないわ」
「仕方ないな。ミスター、良い子にしてるんだよ。帰ってきたら、また遊んであげるから」
 そう言うと、ロスキールはベットから身を起し、手早く服を身につける。ぐったりとしているセレスティにシルクの生地に刺繍を施したローブを着せた。
 ロスキールはセレスティの体を抱き上げると、用意しておいた棺桶に入れる。指一本動かせない程に疲弊したセレスティはなすがままになっていた。
 棺桶にはたくさんの薔薇の花が入っている。綺麗にセレスティの髪を整え、胸元に一輪の白百合を置いた。
「や、やめ…て…」
 セレスティは力無く言った。
「すぐに帰ってくるよ」
 にこやかに笑うとロスキールは蓋を閉めた。そして、呪符を張り、結界を施す。
「すぐに帰ってくるよ…セレスティ」
 愛しげにロスキールが呟く。憧憬に似た眼差しを向け、そして、後は振り返らずに戦地へと向かった。

●召集の時
 離宮。
 看板にはそう書いてあった。永田町にある高級バーである。
 飴色のカウンターの上で電話が鳴った。漂う紫煙が不意に揺らぐ。鳳凰の刺繍を施したカウチから優美な女が体を起した。対座した巨躯の男は動かない。
「来たようだねぇ。本当に面白いこと…この電話、霊界のものだろう?」
「まあな…有事の際には情報が必要だ。さて、多少は手伝ってやらねばならぬかな」
 カウンター前に立っていた店員が受話器を取り上げる。内容は今、二人が話していた内容と同じもののようだ。
「血の氏族は面白い息抜きをくれたものだねぇ…まぁ久しぶりに血の匂いを嗅ぐのもよい。不可抗力ゆえ、少しは私も楽しんでよいだろう? …天禪」
 普段より僅かに楽しげな蘇蘭に天禪は笑みを返す。
「不可抗力にまで文句は付けまいよ。ほどほどにしておけ、血に酔うお前は美しいが相手が不憫だ」
 天禪は低く笑った。
 彼女が夢中になっている様子を見るのは楽しいようだ。
 煙管をとんと叩いて刻み煙草を落とせば、蘇蘭は立ち上がり、ステンドグラスのはまった扉の方へと歩いていく。
「おやおや、相手が不憫? ちょいと撫ぜてやろうというだけじゃないか、いやだねぇ」
 蘇蘭はクックッと笑う。
 スツールからショールを取り上げると、天禪は蘇蘭の肩に掛けてやった。
「さあ、行こうか。久しぶりにお前の戦う姿が見れるなら安いもの…」
 二人は外界と深遠たる店内を隔てていた扉を開け、夜の街へと文字通り消えた。

 連絡を受けた智恵美、神山は、一路、月島にある病院へと向かった。塔乃院、ヨハネは警視庁のヘリで移動している。ユリウスは皇騎に連絡し、浄化剤の追加を頼んだ。その運搬用の車に乗って皇騎は月島に向かっていた。
「うぅ〜〜〜〜…」
「どうなさいました?」
 ヘリの機長がヨハネの声を聞いて尋ねた。
「僕…高いところが嫌いなんです」
「坊や…よく団長が務まるな…」
「塔乃院さん…言わないで下さい。僕だって…僕だって…ぅう…」
 ヨハネの嘆きを聞くや、塔乃院は呆れたように肩を竦めた。病院上空に到着すると塔乃院は立ち上がり、ドアに手を掛けた。
「あ、ちょ…ちょっと!」
「じゃぁ、俺は行くぞ。機長、後は頼んだ」
「了解しました、塔乃院様」
「塔乃院さーんっ!」
 ヨハネの静止の声も聞かず、塔乃院は吹き込む風に目を細めつつも、夜の空へとその身を投げた。その瞬間、呪符を発動させる。その背に黒い翼を得た塔乃院は、病院近くの公園に舞い降りた。
「塔乃院さーんっ!」
「閉めますよ、団長」
 副長はドアを閉め、急激な気流の流れは止んだ。バサバサになった髪を整えてヨハネが溜息をつく。
「霊波急上昇中。敵を発見! 急降下します」
「え、あ? や、やめっ…」
 ガクンッ!と機体が揺れた。
「うあっ、うあっ、うああああああああッ!!!!」
 ヨハネの絶叫が響く。教皇庁秘蔵の浮遊石を装着し、無敵のホバーリング能力も持つ機体ゆえ、機長は相当に無理な運転をし始めた。
 上も下も分からなくなったまま、ヨハネはひたすら叫びつづける。口から内臓が飛び出しそうだ。息が詰まる。落下による生理的な恐怖がヨハネを支配した。
「ししょぉぉぉぉ〜〜〜! あうっ、うおぁ、えうっ、ああああああああッ!!!!」
 既に日本語にならない叫び声は咆哮のようだ。
 副長にはアリアから『戦力の分散を避け敵の陽動には絶対に動かず、敵本隊のテロには、警視庁から借りた機動力を使って現場を強襲・制圧せよ』との命令が極秘に与えられてたのだ。ヨハネの静止など何処吹く風。機長は現場目掛けて急降下した。

●炎の岸辺
 皇騎は紫祁音に対して有効な武器『清音の鈴』を持って月島へと向かっていた。強化神霊装甲『雷甲牙・改』は既に調整済みだ。病院の火事とともにセレスティが行方不明になったとの情報を得、道を急いでいた。神山も智恵美も現場に向かったと報告を受け、警視庁の協力を得て宮小路家所有のトラックは高速道路を走っている。
 新橋から一般道に下り、昭和通りから晴海通りに出た。勝鬨橋を渡り、月島に出れば病院は目の前である。
 遠くに見えた赤く空を染める炎は病院の位置だ。幾つものヘリが空を飛び、自衛隊まで出動して道路を閉鎖していた。警察と自衛隊幹部からの情報で道を通ることは出来たが、新聞社の車は先に進む事が出来ずに立ち往生している。それを横目で見ながら皇騎は進んだ。
「こ、これは…」
 一面の炎の海が街の一角を覆っている。叫び声と共に人々が逃げ惑い、居なくなった人間を求めて彷徨っていた。その中に執事もいる。
 必死で探していたらしく、呆然と炎を見詰めていた。
「み、宮小路さん!」
 皇騎に気がついたらしく必死で走ってくる。
「セレスティ様が…」
「分かっています、私たちが探しますから、執事さんは邸宅の方で待機していてください」
「はい…よろしくお願いします」
 そう言って礼をすると、執事は待たせていた車の方に歩いていく。途中何度も振り返ってお辞儀していた。
 皇騎が病院の方に歩いて行くと、そこは炎に焼かれた残骸だけがある。その中で幾つもの影が交差した。
「くッ!」
 皇騎は後方に飛んで迎撃を避けた。瞬時に地面に穴が開く。皇騎は跳躍して、更に後方に飛ぶ。飛んでくる小鬼を避けながら周囲を見ると、ユリウス達が戦っていた。塔乃院は小鬼を薙ぎ払い、符を投げつける。智恵美は素手で小鬼を叩き潰していた。
「さぁさぁお逃げよ、私から」
 蘇蘭は底冷えの笑顔で徹底して殲滅していった。軽く指先であしらい、猫のようにしなやかな動きで踏み躙っていく。
「お前たちには俺を楽しませる義務がある。さぁ、かかって来い。多少のサービスぐらいならしてやるぞ…」
 天禪はそう言うとゆっくりとした動作で小鬼の首を掴んで投げつけた。豪腕から繰り出される力に抗いきれず、小鬼は壁に打ち付けられた。
「他愛もない…気のきいた余興を用意しておくべきだぞ…」
  フンと鼻を鳴らすと、天禪は小鬼を適当に蹴り殺す。蘇蘭と天禪は余裕の表情で蹂躙していった。吸血鬼の出来損ないどもを薙ぎ倒し、天禪は片手で嬲っていった。
「随分と余裕ですのね…荒祇・天禪」
 闇の中から聞こえてきた声に振り返れば、長い黒髪の女が立っていた。ふと天禪は眉を顰めた。この女の中から感じるものは言い知れぬ闇そのものであった。
 虚無ともいうべき闇がこの女の全て。そう感じるほどの異様さだった
「おまえは誰だ…虚無の境界とやらか?」
「私? 私は…紫祁音。以後、お見知りおきを…でも、生きていられたらね」
 そう言うや、紫祁音は天禪に呪符を投げた。キィィィン!と甲高い音が鳴り響き、脳髄に衝撃が走る。背後では機銃掃射がはじまっている。それを避け、天禪は耳を押さえた。
「くぁッ!」
「流石に鼓膜への攻撃は耐えられないようね」
 忍ぶような笑みを浮かべ、紫祁音は冷たい視線を天禪に向ける。
「紫祁音、まてぇッ!」
 紫祁音だけを狙い、アリアが飛び込んできた。この3ヶ月間、アリアは騎士団から有能な団員を集め、抹殺チームを結成していた。
 磁場を乱すシステムを開発し、方向感覚を狂わせようとしていたのだが、紫祁音には効かなかったようだ。
「ダメねぇ、教皇庁。それで私を倒せるとでも? さぁ、ロスキール。行きなさい!!」
 紫祁音の掛け声と共に後方から跳躍してきたロスキールがアリアに踊りかかる。教皇庁秘蔵の聖剣をものともせずに飛び込んだ。足払いを食らってアリアは転びかけるが、辛うじて体勢を整えると銃を抜き放つ。間髪いれず引鉄を引き、血液凝固剤を含んだ銀の銃弾が発射された。見切ったロスキールは飛んで避ける。上位の吸血鬼としても優れた戦闘能力だ。
「さぁ、どうしたの教皇庁? ロスキールは力なんて少しも使っていなくってよ!」
「黙れぇぇぇ!!」
「アリアさぁん!」
「あぁ…貴女にはお礼をしなくてはいけなかったわね…。ロスキール、早く玩具に会いたいでしょう? だったら、こいつらを壊さないとね」
「玩具?」
 アリアは眉を潜める。紫祁音は薄ら笑いを浮かべた。
「えぇ、そうよ。ロスキールの大事な玩具。そうそう…名前はセレスティと言ったわね」
「セ、セレスティ…って…まさか」
 思わずアリアは呟いた。
「丁度いい玩具だったからいただいたわ」
 殊のほか可笑しそうに紫祁音は言った。
 ロスキールは無言のままアリアたちを見る。
 何もかもを跳ね返す氷のような、澄んだ瞳。何もかもを映さない瞳の底冷えのするような視線に皆はたじろぐ。
「Blau des Frosts…僕ハ…帰ラナキャ」
 正気を失った瞳には暗い感情の色に染まっていた。
 ロスキールが地面を蹴る。回り込んだロスキールはゆっくりと手を上げた。アリアにはそう言う風にしか感じない。だが、その認識も正しくはなかった。銃を払われた瞬間、ゴキンッという音を聞いたような気がした。アリアの左手に激痛が走る。
「ぐッ…うぁあああッ!!」
「約束シタカラ…」
 どこかうっとりとした表情でロスキールが笑う。それはとても愛しそうに。
 宝物を抱えた少年のような笑顔に智恵美は言葉を失う。
「Blau des Frosts…約束シタカラ…帰ル」
「下がれぇ!!!!」
 神山が叫んだ。
 その声も虚しく、アリアは吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
「がはッ!……」
 口から血を吐き出して、アリアは睨み据えた。宿敵に屈服はせんとの思いを込めて、力の限り立ち上がろうとする。そんなアリアを無視して、ロスキールは手近にいる騎士団員の首を素手で撥ねた。近くにいたものは真っ赤に染まっていく。
 駆け出したロスキールは跳躍して次の生贄に手を伸ばした。武器など何一つ持ってはいないのに、綺麗な断面を見せて人だったものはその場に崩れ落ちた。
 赤い池は次第に海に変わり、アスファルトを汚していく。容赦無く紫祁音も使役神を操り、皆にまとまった攻撃をさせないようにした。
 小鬼の牽制を避け、騎士団は闇雲に小鬼を追いかける。まとまって攻撃できない式神は厄介な存在だった。
「きえぇッ!」
 天蠅斫剣を構え、皇騎が飛び込んでいく。紫祁音は結界呪符で行く手を阻んだ。同時に、神山が血液凝固剤の容器を握り締め、隙をついてロスキールに踊りかかる。長い爪に肉を少し持っていかれたが、気にせずにロスキールの首筋目掛けて針をつきたてた。
「ええい!!」
「ぅ…ぁ…ぐぁっ…」
 ロスキールが背を仰け反らせて痙攣する。
 先程からのロスキールの異様な言動からすると、『堕天の血』か『魔王の血』のいずれかを投与している可能性があった。大きな効果は得られないものの、有効な手段だったようだ。
「…邪魔スルナ…!」
 悪鬼のような形相で睨み据えると、神山を突き飛ばす。
「くぅ!」
 神山は壁に背を打ってうめく。反射的に念でロスキールの動きを一瞬だけ封じた。体を押さえられ、ロスキールの手は空を彷徨う。それに乗じて、智恵美が自分の持っていた凝固剤をロスキールに打ち込んだ。
「…ぐ…うぁ、ああああッ…」
 喉を掻き毟り、ロスキールが咆哮した。断末魔の叫びを上げて痙攣を繰り返す。
「ロスキールッ! なんてこと…よくもお前達ッ!!」
 紫祁音は睨み据えると結界を二重に張ったまま後方へと飛んだ。じっと睨んでいたが、不意に笑みを浮かべ、紫祁音は意味ありげに言った。
「まぁいいわ…幾らでも代わりはいるから」
「何ィ!」
「言葉のとおりよ。これ以上、ここにいても意味が無さそうね」
「待てッ」
「イヤよ…じゃぁ、皆様ごきげんよう」
 スッと闇に溶け込むと紫祁音はその場から消えた。
「待て! ミスター・カーニンガムを何処に連れて行った!」
 アリアは叫んだが、闇に消えた紫祁音が返事をする事は無かった。ロスキールも蹲ったまま荒い息をしている。
「くそぉッ!」
 アリアは地面を蹴った。智恵美も眉を顰め、紫祁音が消えた方角を見つめている。皆一様に重く口を閉ざしていた。
「おい、ミスター・カーニンガムを何処にやったんだ!」
 アリアはロスキールを捕まえると怒鳴る。
「グゥッ…帰ル…約束…」
「おいッ!」
「まぁ待て…」
 近付いてきた塔乃院がアリアを制した。仕方なくアリアはロスキールを離す。ロスキールはふらふらと立ち上がると幽鬼のように歩き始めた。あてどなく彷徨って、病院の敷地横の暗がりに向かっていく。後をそっと追えば、かつてヒルデガルドが貸してくれた移動用バイクに良く似たものがあった。異空間跳躍の後を追えば、セレスティの元に行くことができるはずだ。皆は凝固剤の効果で弱体化したロスキールを追った。
 
●秘密の蒼よ…
 白亜の城が蒼い闇に染まっている。
 何処までも続く回廊は、永劫にたどり着かない円環のようだ。
 ロスキールは見慣れた城の中をゆっくりと歩く。自分には何も残っていない。姉と遊んだ子供部屋の前を通った。もう、何も感じない。
 許されないほどに裏切って、栄光も地位も捨てた。
 自分が一体なんでそんなことをしようと思いついたのか、そんなことはもう時の彼方。
 ただ――望んだのは一つ。
 太陽。
 失った真の故郷の空に輝く栄光(gloria)
(約束したから…)
 ロスキールはふらつく体を支えてゆっくりと歩く。あの角を曲がれば彼のいる部屋だ。もう少し、もう少しでたどり着く。
 ロスキールは壁にもたれて休んでから、また歩き始めた。部屋の扉を開け、棺桶の傍まで来ると呪符を引き剥がして蓋を開ける。

 Blau des Frosts
 瞳を開けて

「セレスティ…目ヲ…覚マシテ」
 ロスキールは呟いた。自分の耳にはもう声さえも届かない。霞みがかる視野にやっと彼の寝顔が写る。
「ネェ…目ヲ…覚マシテヨ。…痛イ…体ガ痛イヨ」

 Blau des Frosts
 その蒼を見せて

「貴方ノ瞳ガ…見タイ」
 ロスキールは彼の頬に触れる。ゆっくりと胸が上下する。穏やかな寝息が聞こえた。髪からは薔薇の香りがする。
「オ願イダヨ。目ヲ覚マシテ」
(僕が人間だったら…蒼い空は見えたのかな?)
 太陽は僕たちを焼き尽くして罰を与えるから、吸血鬼(僕)は本物の空を見ることが出来ない。どんな色なのか知りたかっただけ。僕たちの見ている空は偽りの色。
 きっと彼の瞳は本物の空と同じ色のはず。
 凍てつく故郷の冬と同じ色をした貴方の瞳。
 きっと、きっとそうに違いない。
 全てを虚無に還して、僕は新しく生まれ変わるんだ。そうしたら貴方と一緒に本物の空が見れる。
「ア゛ァァ…苦シイ。…セレスティ…助ケテ…」
 涙が零れた。
「オ願イダヨ。貴方ノ瞳ガ…見タイ…目ヲ…覚マシテヨ」
 もう…何も見えない。聞こえない。貴方の暖かさだけが全て。
 Blau des Frosts 瞳を開けて。その蒼を見せて。
 僕の秘密を捧げるから、貴方が見た空の色を教えて。
 振動を感じる。誰か来た。空気が震える。誰かが貴方を連れて行く。
 あぁ、やつらが来た。貴方の友達が…。お願いだよ、連れて行かないで。
 僕の夜明け前の空を奪わないで。
 あぁ…もう何も…見えない。貴方の顔さえ。
 
 gloria 僕の……
 
 ■END■

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/ PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 0284 /荒祇・天禪/男/ 980歳/ 財閥会長
 0461 /宮小路・皇騎/男/20歳/大学生(財閥御曹司・陰陽師)
 0908 /紅・蘇蘭 /女/999歳/骨董店主/闇ブローカー
 0979 /アリア・フェルミ/女/28歳/外交官(武装異端審問官)
 1286 /ヨハネ・ミケーレ/男/19歳/教皇庁公認エクソシスト・神父/音楽指導者
 1883 /セレスティ・カーニンガム/男/725歳/ 財閥総帥・占い師・水霊使い
 2263 /神山・隼人/男/ 999歳/ 便利屋
 2390 /隠岐・智恵美/女/46歳 /教会のシスター
 2863 /蒼王・翼/女/16歳 /F1レーサー兼闇の狩人
 2916 /桜塚・金蝉/男 /21歳/ 陰陽師
 4215 /藤原・槻椰/男/ 29歳/ 「待宵」総司令官
                     ( *整理番号順* )

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■         ライター通信          ■
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 お久しぶりですこんにちは、朧月幻尉です。
 皆さんお元気ですか? いきなり寒くなってひいこら言っております。

 ロスキールの大変な変態ぶりを書いたらこんな事に_| ̄|○
 砂糖と吐血の嵐…某PL様のプレイング勝ちでした(汗;)
  黒い蝶シリーズ第五弾、『蒼き心臓』をお送りいたしましたが、お気に召していただければ幸いです。
 感想・希望・苦情等、受け付けておりますので、ご一報下さい。
 これからも精進してまいります。
 第三話でお会いいたしましょう

 gloria

 朧月幻尉 拝