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<PCシナリオノベル(シングル)>


君の手のひらにあるモノ 〜約束〜

 少し考え事をしながら、私は草間興信所へと向かっていた。手には紙袋。空は厚い雲の隙間から瞬間の太陽が覗き、僅かだが明るい。興信所を訪れるようになってどのくらいが経ったのだろうか?
 長いようで短かった気もする。時間の経過を自分の中に残る記憶の多さが物語っていた。
「今日はいないのよね……」
 軽くため息。言葉にしてみて再確認してしまうのは淋しさだった。理由はとても簡単。武彦さんがいないのだ。私は3日前のことを思い出していみた。

                     *

 ――あれは木曜の夜のこと。何かのついでみたいに武彦さんが、運ばれていくコーヒーカップに視線を向けたまま言った。
「あ、そうだ。シュライン、明日から俺いないからな」
「え? ずいぶん突然なのね」
 また調査だろうか。幾日か前から抱え込んでいた依頼がまだ片付いていないことは知っていた。それでもこんなに急に仕事が入ることは珍しい。
「今回はちょっと遠方だから、帰ってくるのは月曜くらいかもしれない」
「そう」
 私は「一緒に行くわ」という言葉を飲み込んだ。明日は用事が入っていないが、日曜日にどうしても外せない講義の初日だったことを思い出したからだった。人気の講義で初回に必ず出席するよう連絡があり、私自身受講するのに1年待ったほど。これから本格的に興信所を手伝っていく上で必要な講義でもあった。
 私の気鬱に気づいてもいない想い人を眺め、無理やり笑顔を作った。
「一日一回くらい連絡しなさいよ。武彦さんたら、いつも調査の時には自分の時間忘れてしまうんだから」
「へいへい、シュラインのお気遣い恐れ入るよ。零にも同じこと言われたっけな」
 軽口に舌を出して、武彦さんは美味しそうに2杯目のコーヒーを飲み干している。私は気づかれぬように肩をすくめたのだった。

                     *

「はぁ……こんなことなら、やっぱり強引にでもついて行けばよかったわ。武彦さん、今ごろどうしてるかしら?」
 再び太陽に雲がかかり、私の前を歩いていた影が消えた。私の思いもこんな曇天では欠き消されてしまうに違いない。煙草を吸いすぎていないかとか、ちゃんと食事を取っているんだろうかとか、考えることは山形にいるはずの彼のことばかりだ。
 胸を埋め尽すのは淋しさと物足りなさ。歩いて辿り付いた先に、願うものがないということがこんなにも気持ちを萎えさせるものなのだと痛感してまう。
「ほんと、急に休みだなんて……。こんなことなら、一緒に行けばよかった」
 同じ言葉を繰り返す。もうため息を何度溢しただろうか? 数える気にもならないまま、私はいつもの道を古びた雑貨ビルの立ち並ぶ一角へと歩き続けた。休講は突然。すでに彼が出発した後で、連絡は高速を移動しているせいか、彼を捕まえられないまま今に至っている。
「充電が切れてるのかもしれないわ」
 一度調査に集中すると、必要のない事項は片っ端から後回しにしてしまう彼。私の思考が、携帯の充電器すら持って行っていないのではと考えたところで、足はきちんと目的地まで辿りついていた。
 見なれたビル。
 大きな地震がくればすぐにでも崩れてしまうのではないかと思うくらい、壁が剥がれかけた場所。その3階の一室が彼がたくさんの吸殻とともに生活している興信所だった。見上げていると私に向かって声が掛けられた。
「あら? シュラインさん? 今日は来られないんじゃなかったですか?」
「零ちゃん! ふぅ…そうのなのよ。講義がお休みになっちゃって。……まだ、帰ってない…わよね?」
 苦笑しつつ階段を降りてきたのは、武彦さんの妹である零ちゃんだった。
「まだです。待ち合わせしてらしたんですか?」
「ううん…そうじゃないのよ。ね、上がってもいいかしら」
 長い黒髪に赤い瞳。印象的な少女姿が頷くのを確認して、私は階段を彼女と一緒に上がることにした。

 草間零。私が知っているのは彼女が人ではないということ。世間体的には武彦さんの義理の妹になっているが、本当はそうではない。過去、大日本帝国軍決戦兵器である霊鬼兵として、中ノ鳥島で人知れず暮らしていた。
 今は兄になった武彦さん達がその島を訪れた時、すべての霊魂は解放され消滅した。その中で、唯一存在し続けたのが零だ。初めて、妹なのだと紹介された時の戸惑いと心配を思い出した。
 それはこの低く垂れ込めた黒雲のせいだろうか、それとも零ちゃんの顔を見て感じる違和感のせいだろうか。
「コーヒーでいいですか? 今、淹れますね」
「ね、零ちゃんどうかした?」
 私は思い切って、彼女に問いかけた。ふいを突かれたからか、こちらを向いた顔には隠し切れなかった涙が光っていた。
「……泣いて…るの? 私でよかったら、理由を聞かせて。これでも武彦さんの助手なんですから」
 軽くおどけて胸を叩いて見せた。
「シュ…シュラインさん!!」
「こらこら、そんなに抱きついたら話が聞けないわ。ほら、座ろう。美味しいクッキーを買ってきたのよ」
 涙ぐんでいる零ちゃんを事務所のソファに座らせた。彼がいないとこんなにも綺麗なのかと感心するほど備品は整えられ、灰で汚れていた床面は心なしか光ってさえいた。食べる必要のない体の彼女だったけれど、誰かと一緒にお茶をするのは楽しいと笑ったことがある。
 私はクッキーの袋を開けつつ、隣に座って彼女の言葉を待った。
「あの……ウサギさんが…」
「ウサギさんがどうかしたの? そう言えば、今どこにあるの?」
 私の言葉に彼女は胸の前で両手を強く握り締めた。
「昨日からいないんです。……落してしまったみたい」
 零ちゃんの手にはいつもウサギのぬいぐるみがあった。それは島からずっと彼女の傍にあったものなのだと、武彦さんから聞いたことがある。白と紫色という変わったコントラストの継ぎ接ぎのぬいぐるみ。
 広くもない事務所の中を見まわしてみても、それらしきものはない。大体、ひと抱えもあるぬいぐるみなのだから、この部屋にあれば嫌でも目につくはずなのだ。
「そう……。探してみたのね?」
 コクンと小さく返事をする彼女の不安そうな瞳。私は居ても立ってもいられず、こう言った。
「私も一緒に探すわ。ひとつの目よりもふたつの目の方が確かだし、哀しそうな零ちゃんを見ていられないもの」
「いいんですか?」
「もちろんよ。私にとっても零ちゃんは大切な妹なんですからね」
 雲っていた空が晴れるように、彼女の顔が明るく輝いた。やはり、彼女はこうでなくてはいけない。ただ命令に従って笑顔をつくっていた頃とは、もう違っているのだから。

                      *

 クッキーを1枚口に押し込んで、私は零ちゃんの出してくれたコーヒーを飲み干した。ドアに鍵をかけ、階段を降りた。
「昨日のいつ頃のことなの? どこに行っていた時だったか覚えてるかしら」
「はい。お昼の買い物に行ったんです」
「じゃあ、近くの商店街なのね。とりあえずは、道順を追ってみましょう」
 私達はビルから裏通りへと向かい、そこから歩いて5分くらいで着く商店街へと向かった。その途中の道の側溝や駐車場の隅などを見て廻ったが、ウサギの姿はなかった。
 アーケードが近づいて、夕暮れせまる通りに人の波がうねっているのが見えた。
「誰かが持って行ってしまったのかもしれないわね」
 あんなに大きなぬいぐるみなのだ。子供の目につかないわけがない。私はまだ積極的に人と関わることの苦手な彼女に代わって、商店街を行き来する人や店員に声をかけてまわった。
 しかし、収穫はない。当然かもしれない。大人にとってぬいぐるみは必要のないもので、そこにあろうがなかろうが自分達の生活に関わるものではないと感じるだろう。人は得てして必要がないと判断したものは、目に入らないものなのだから。
「零ちゃん。昨日、子供達が遊んでいるところとか見た?」
「……多分、見たと思うんですけど」
 商店街で遊ぶ子供は多い。しかも落したのが昼間ならば、拾われてなければ小学生の帰宅時間にもぬいぐるみがあった可能性が高い。私は、焦点を子供に絞った。
 雨が降りそうな空模様。すぐ近くに公園があることを思い出して、私達はそこへ向かった。早くしないと子供達が帰ってしまう。暗くなった空を不安げに見上げる零ちゃんの手をひいた。
「あっ! 待って。ねぇ、ひとつ聞きたいことがあるんだけどいいかしら」
「ん? お姉さん達何? 僕、急いでんだけど」
 公園の門柱が見えた時、少年がひとり飛び出してきた。私は慌てて、声をかけて引きとめた。
「昨日、この辺りでウサギのぬいぐるみを見なかった? ええと、白と紫の継ぎ接ぎの」
「えー? 見たかなぁ……。あ、そう言えばヨッちゃんが抱っこしてた奴かな?」
「誰かが抱いていたの!?」
 私は思わず少年の両肩を掴んだ。目を丸くした少年が頷く。
「うん。多分、そうだったと思うよ」
「零ちゃん! 見つかるかもしれないわ」
 私は振り向いて、零ちゃんに微笑んだ。けれど、少年の言葉は続いていた。
「あーーでも、バイバイした時には持ってなかったよ」
「え? ……抱っこしたまま家に持って帰ったんじゃないの?」
「ううん。ヨッちゃん、お母さんが来た時に椅子のとこに置いてたよ。僕もあれからすぐに帰ったからわかんないなぁ」
「そう……なの」
 少年はチラリと空を見て、そわそわし始めた。
「お姉ちゃん、もういいでしょ。僕もう帰んないと怒られちゃうよ」
「あ、ごめんね。ありがとう……そうだ。これが最後、ヨッちゃんが帰った後、誰かまだ公園にいた?」
「いなかったよ。僕がいつも一番最後だもん。僕の後は誰もいないよ」
 話し終わると駆け出して、商店街の人ごみへと消えて行った。私は顎に手を当てて思案してしまう。昨日の時点で確かにウサギはこの公園にあった。けれど、その女の子が持って帰らなかったのなら、公園にあるはずだ。
「……シュラインさん、ウサギさんどこに行ったんでしょうか」
「あの子の話だと、ベンチのところに置いて行ったというから、まだあるかもしれないわ。行ってみましょ」
「はい。早く見つけてあげたい」
 連れ立って公園の門柱をくぐった。

 この公園は私自身もたまに通る場所だった。興信所のあるビルと商店街、それから大通りをつなぐ位置にある。一目で見渡せるくらいのサイズだが、ここが東京だということを考えれば広い方かもしれない。
 零ちゃんに尋ねると、買い物帰りには来た道ではなく、この公園を通るという。信号に掛からないですむし、楽しそうな子供達の声に引き寄せられてしまうのだとも彼女は言った。
 少しブルーの塗装の剥げたジャングルジム、ブランコと砂場。藤棚が葉を茂らせて目に鮮やか。子供の声がしないのは、やはりこの空模様のせいだろう。
「誰もいないわね。あそこにベンチがあるわ」
「……ないみたい」
 ベンチは他に2ヶ所あったが、そのどちらにもウサギの姿はなかった。雨の匂いが強くなる。肩に雫が叩く音が響いた。
「いけない、雨が降ってきたわ」
 私は雨宿りする場所を探した。勘でしかまだないが、この公園にウサギがいるような気がするのだ。だから、離れるわけには行かない。日が暮れ、明日になれば更に見つけにくくなるに違いないし、見つかっても一晩雨に濡れていれば痛みがひどくなってしまう。淋しそうな彼女の瞳を見れば見るほどに、すぐに見つけてあげたい気持ちでいっぱいになるのだった。
「シュラインさん。あそこ、トンネルになってるんです」
「じゃ、行きましょ。本降りになって来たわ」
 見れば、ただの山だと思ったものはコンクリートの山だった。その下には入り込めるほどの大きな空間があった。私と零ちゃんは乾いたコンクリートの上に座りこんで、すっかり濡れそぼった周囲を見つめた。
 雨の音が響く。
「篠つく雨…ね」
「すごい音……」
 通り雨という感じではない。おそらく夜通し降り続くだろう強い雨だ。
 トンネルの中は充分に広くて、中央に寄り添って座ると雨粒が時折顔にかかる程度で済んだ。私は何か暖かいものでも持ってくればよかったと考え横を見ると、零ちゃんが震えているのに気づいた。寒いからじゃないことくらい分かってしまう。
「濡れウサギさんで見つかったら、お風呂に入れて干してあげないとね」
 微笑んで、零ちゃんの濡れてしまった頭を撫ぜた。撫ぜてあげたいのではなく、私が撫ぜたかったのだ。
 変な話だけれど、泣いたり不安な表情してる零ちゃんみると妙にホッと感じる。それは、確実に彼女が人へと近づいている証拠だから。島から来た頃は戸惑う事はあれどそんな態度もなく、心の底に湧いてても理解出来てなかったんだろうなって。

 ――ある意味、合わせ鏡よね。
   不安や悲しみを感じ取れるという事は、きっとその裏側にある安堵や喜びも感じることができるはずだと思うの。

 そんな零ちゃんの姿を見て、私の胸に湧くのもきっと安堵なのだ。暖かさや淋しさ、他愛の無いことで驚いたり、喜んだりすることが『生きている』っていうことだから。それを知ることができたのは武彦さんがいたから。私は傍にいて見守っているしかできなかったけれど、彼は面倒くさそうな素振りで、さり気なく優しさを振りまいていたに違いないのだから。

 誰かがいる幸せ。
 誰かが傍にいる喜び。
 待っていれば、絶対に帰ってくる。
 ひとりだけど、ひとりじゃない。

「ウサギさん、島から一緒だものね。零ちゃんと違って鉄火面だけど、きっと不安感じてるでしょうし小雨になったらもうひと頑張りしましょ」
「シュラインさん……ありがとう。わたし、不安なんです…離れたことなんてなかったから」
「そうね。きっとウサギさんも待っているはずよ」
 僅かに滲んだ涙を零ちゃんは袖の端で拭うと、また外へと視線を向けた。妹のように可愛い存在。それは私が武彦さんに恋をしているからではない。すこしづつ育っていく心を傍で見ていて、ずっと応援してきた。自然な笑顔を初めて向けられた時のことを、私はつい昨日のことのように想い出すことができる。
 人伝でしか、島での暮らし振りを知ることはなかったけれど、血の通った繋がりというのは皆無だったに違いない。私は彼女の上に、新しい世界が開けたことを自分のことのように喜んでいた。だからこそ、彼女にとってウサギさんは大切なぬいぐるみなのかもしれない。島での記憶を閉じ込めた唯一の品。そこにあるモノではなく、きっと零ちゃんの胸の中にさえ住んでいる大事な友達なのだ。

 雨の勢いが緩まり、鼓膜を激しく揺さぶっていた音が静まった。
「あら? 何か聞こえない?」
「え? ……鳴き声、ですか?」
 その耳に新たな音を聞いた。耳を澄ますと、確かにそれは鳴き声だった。
「仔猫? でも、どこにいるのかしら」
 私はトンネルから首を出して、周囲に視線を走らせた。すべてが雨に濡れて光っている。水溜まりが繋がり合い、一面まるで湖のようだ。トンネルから見える範囲には、仔猫がいるような様子はない。でも、トンネルにいるのに聞こえるということは、すぐ近くにいるということだ。
「シュラインさん!」
「零ちゃんどうしたの? あら?」
 彼女が指差していたのは、トンネルの奥だった。この場所は、普通のトンネルの円柱形ではなく奥にいくほど、傾斜が掛かり狭くなっている構造だった。その傾斜を横面にして座っていたので、その空間の存在に気づかなかったのだ。
 声は確かにその暗がりから聞こえてくる。
「これは……入れるかしら? それに暗いわ」
「段ボールとか見えませんか?」
 仔猫がいるということは捨て猫の可能性が高い。ならば、段ボールに入っていると考えた方がいいかもしれない。私はすこし態勢を寝そべらせて、暗がりを覗き込んだ。
「あるわ。それに、こっち側は少し広いみたい。これなら入れそうだわ」
「大丈夫ですか?」
「ええ。それより、零ちゃんの使えるもので光を出すものはある?」
「あります。ちょっと待って下さい」
 彼女は怨霊を具現化して放つことができる。武彦さんの元にきて使用するのは、余程の緊急事態くらいなのだが。黒髪が僅かに浮き上がる。手のひらから光が生まれた。
 青白い幻想的な光。それが霊体だと知らなければ、その美しさにただ感動するだけに違いない。私は久しぶりに見た零ちゃんの力に感心しながら、光が照らし出す一角へと寝そべって覗き込んだ。
「きゃっ!」
「シュ、シュラインさん!? 大丈夫ですか」
 私は思わず身を引いた。中にいたのは母猫だった。激しく威嚇音を出して、仔猫を守ろうとしている。手を引っかかれそうになって驚いたのだ。
「大丈夫よ。それよりも、ウサギさんいたわよ!」
「ええっ! 本当ですか!?」
「母猫が段ボール箱の中に引っ張り込んだようね。それにしても、こんなに怒られたんじゃ手が出せないわ。案外、ウサギさんのことを気に入っているのかもしれないわね」
 零ちゃんが眉根を寄せ、小さく言った。
「取り上げてしまうの、可哀相です……」
「でもあげるわけには行かないでしょ」
「はい……でも…」
 私はひとつ考えた。そこで提案してみる。
「ね、零ちゃん。新しいウサギさんを作りましょ。それと交換してもらうの。そうしたら、猫達も淋しくないわ」
「はい!! そうですね。とても良い考えだと思います!」
 彼女の赤い瞳が嬉しそうにキラキラと輝いた。賛同を得た私は彼女を誘って、小降りになった公園をアーケードのある商店街へと向かった。

                       *

「さぁ、出来たわ。我ながら傑作ね」
「すごいです。あの布がこんな風に可愛いウサギさんになるなんて」
「ふふふ。私の裁縫能力も上がったものだわ。零ちゃんが手伝ってくれたから早く出来たし。それにほら、そっくりでしょ?」
 コクコクと零ちゃんが頷いた。
 あれからすぐに材料を買い求め、夜を徹して作っていたのだ。今は早朝、雨の当らない場所だし、子供達には見つかりにくい場所だからきっと大丈夫。私はすっかり晴れ上がった空の下を零ちゃんと一緒に公園へ赴いた。手にはミルクやパン。それにふたりで頑張ってつくったウサギのぬいぐるみ。
 たくさんの水溜まり。子供がまばらに遊んでいる。トンネルの傍で耳を澄ますと、やはり仔猫の鳴き声が響いていた。
「ゴメンネ、ちょっとこれと交換してね」
 私はトンネルの中に入り、あの暗がりへと手を伸ばした。激しく手を引っかかれたが、無事にぬいぐるみを取り替えることができた。
「ウ、ウサギさん!!」
 零ちゃんが頬を上気させて、しっかりとウサギを抱き締めている。涙が一筋頬を伝っている。私はその姿に本当に胸を撫で下ろした。私の方こそ、この再会劇に感激している。それに、ゆっくりとした時間を彼女と過ごせたことが嬉しかった。
 もらい泣きしてしまいそうになって、私は慌てて感動的な場面に背を向けると、別の話題を口にした。
「……あら? 今日って何曜日だったかしら」
 完全な照れ隠し。武彦さんなら気づくかもしれないが、零ちゃんにはおそらくまだ分からないだろう。
「月曜日ですよ。あっ、そう言えばお兄さんが帰ってくる日ですね」
「あ、そう……そうだったわね」
 気の無い返事をしてはみるけど、嬉しさは隠せない。
 本当は待っていたのだ。心待ちにしてたのだ。武彦さんに会ったら、零ちゃんに気づかれないようにそっと報告しよう。私が何を感じたか伝えよう。
「また一度も連絡して来なかったこと、怒ってやらなきゃいけないわね」
「本当です。いつも困るのは私なんですから」
「そうよねぇ、零ちゃん。困ったお兄さんだわ」
 私と零ちゃんは顔を見合わせて笑った。きっと驚くに違いない。彼が帰宅後一番に目にするのは、すっかり綺麗に洗濯されたウサギさんが、事務所の中に干してある場面なのだから。

 私は零ちゃんの肩を抱いて、興信所への道を歩く。早朝の光はさっきよりも強くなっていた。
 大切そうにウサギさんを抱きしめている零ちゃんの手のひら。抱きしめているのは、きっと想い。これから育っていく暖かな――。


□END□

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 期日より遅れてしまい申し訳ありません。ライターの杜野天音です。
 今回は通常よりも値段を高く設定させて頂いていたのに、発注して下さってありがとうございます。まさにシュラインさん向きのシナリオでしたねvv
 値段に見合うように文字数は通常と比べほぼ倍になっています。書くのが大変だったか――というとそうでもなく、やはり8000文字くらいが苦労せずに物語を収められてよかったです。いつもだとオーバーしてしまうんですよね。
 暖かな感情を覚えた零ちゃん。でもそれは、武彦さんのおかげであり、もちろんいつも姉のようなシュラインさんがいたおかげだと思います。ちゃんと人として「生きる」ことを実感できてよかったです。

 では、またシュラインさんを書かせてもらえる日を楽しみにしております。
 シナリオ選択、発注ありがとうございました!!