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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


Black Book


 蓮が強引なのか、はたまた自分が押しに弱いのか。どちらだろうと考えながら、それが今更なことに気づいて、幾島壮司は深いため息をついた。
 久しぶりに訪れた知人に開口一番、「仕事を頼まれてくれ」はあんまりだろうと思う。蓮らしいと言えばらしいが、無沙汰を詫びる暇ぐらい与えてくれてもいいだろうに。
 壮司の心中などこれっぽっちも気にせず、蓮はカウンターの奥の棚を引っ掻き回している。
「ああ、あったあった」
 目当てのものを見つけた蓮はにっと笑い、カウンターに腰掛けると壮司と顔を付き合わせた。
「これだよ」
 差し出されたのは黒い本だった。
 辞書ほども厚いそれはかなり古いものらしく、背表紙や小口は随分と日に焼けて色褪せている。表紙には元は金文字でタイトルが記されていたようだが、今はそれもほとんど読み取れない。かろうじて大仰な飾り文字だと言うことが判るくらいだ。
「……何ですか」
「本だよ」
「いやそりゃ見れば判りますけど」
 これをどうすればいいのかと問うと、蓮は眼を細めた。空いた片手で本の表紙に触れながら意味ありげな笑みを浮かべる。
「この本をある人に届けて欲しいんだよ。それだけの簡単な仕事さ」
 簡単な、と言うところを強調するようにアクセントを置いて言い、カンと高い音を立てて煙管の灰を盆に落とす。そして、やらないはずはないだろうとばかりに、蓮は黒い本を壮司に押して寄越した。
「これが届け先だよ」
 そういって添えられたメモには住所と名前が走り書きされている。どれだけ遠い所まで行かされるかと思ったが、何のことはない、ここからそう離れてもいない場所だ。
 壮司は本を手に取り、少しサングラスをずらしてまじまじと眺めた。
 金に光る左眼が不自然に瞳孔を広げ、表紙に書かれた文字を特定しようと解析を始める。インクが既にかすれて取れてしまっていても、わずかな凹凸や磨耗、紙質の劣化から文字は十分に読み取れるのだ。
「……V、ulga……ta?」
 アルファベットではあるが見たことのない単語に壮司が首を傾げていると、割り込むように煙を吐き出して蓮が言う。
「ヴルガータ。ラテン語聖書のことさ」
「……聖書、ねえ……」
「まあ、ただの聖書じゃあないみたいだがね」
 紫煙と共にお決まりとも言える台詞を吐いた蓮に、壮司はまたため息をついた。
「何かいわくでもあるんですか?」
「さあねえ……」
 ぷかぷかと煙管をふかしつつ、蓮は目を細めて笑った。
「さあねえって……」
「いろいろあるんじゃないのかい?その本を狙う悪の組織に襲われたりとかさ」
「…………」
 さらりと告げられた台詞に絶句した壮司とは対照的に、蓮はさも愉快そうにからからと笑う。
「さ、早く行っといで」
 蓮の笑い声と煙管の灰を落とす甲高い音に追い出されるように壮司は店を出る。ドアは背後で無常な音を立てて閉まった。



 届け先は最寄の駅から二駅先、歩くと多少時間がかかるのだが、「悪の組織」とやらの襲撃に備えて電車を使うのはやめた。悪の組織に襲われる、と蓮が言うのだ。それはもう、十中八九襲われるに違いない。警戒だけは怠らないのがいい。
 しかし、どうにも貧乏籤を引いた気がしてならない。
 壮司は損をした気分のまま、手の中の本をじっと見つめた。
 ただの本ではないと言う蓮の言葉を思い出して少し躊躇したが、思い切って表紙に手を掛ける。ゆっくりとページを開くと、古びて乾燥しきった紙のかさかさした感触が指先に伝わってくる。
「…………」
 開けた途端に飛び出す罠でもあるのではないかと思っていたが、せいぜいページがくっついていたくらいで、本は思いの他素直に中身をさらした。
 そして、そこにはやはり読めないアルファベットが延々と書き綴られている。蓮の言うとおりのラテン語の聖書のようにも思えるが、ただの聖書であれば悪の組織に狙われる謂れはない。何かが封じられているなり、暗号が隠されているなりするはずだ。
 壮司は通行人を気にしながらサングラスを少しだけずらし、左眼で解析を始めた。瞳孔がせわしなく収縮を繰り返し、あらゆる情報を読み取っていく。
 一通り解析をし終わって、壮司は釈然としない面持ちで首を傾げる。
「……判らねぇな」
 どこがおかしいのか判らないと言う意味ではない。異常なら幾つも見受けられる。ただ、その異常が示す意味が判らないのだ。
 聖書の本文を解析していくと、ところどころで文字が二重印刷になっていた。インクの厚みが他と違うので判ったが、重なりには寸分の狂いもなく、一般人がいくら注意深く眺めたところで気づくのは無理だろう。科学的な分析にかけてやっと判るかどうか、と言うところだ。
 だが、その二重印刷は文字も記号もごちゃまぜでばらばらだ。おそらく何かの暗号なのだろうが、壮司の知っている解読方法には当てはまらない。
 文字の置き換えのパターンを頭の中でいろいろと試しているうちに、少し、警戒することを忘れた。目の前の路地を何の気もなしに曲がる。
 すると――。
「――!」
 瞬間、殺気が壮司を貫いた。
 反射的に身構える。 今日は買い物だけのつもりだったから、生憎と愛用の鉤棍は持ち合わせていない。
 殺気の出所は路地を曲がりきった先。
 殺気は近づいてくる気配はない。仕掛けて来いと誘ってでもいるようだ。
「……面白いじゃねえか」
 壮司は手にしていた本をバッグに押し込むとぎゅっと拳を握った。一つ大きく息を吸って、勢い良く角を飛び出す。
 曲がった先には男が一人、壮司の行く手を阻むように立ちはだかっていた。壮司の想像していたような悪の組織の刺客とは違って、どこにでもいそうな凡庸な中年男だ。
 一瞬気抜けしかけた壮司だったが、男が手に持っているものが何なのか認識すると途端に青ざめた。先ほどまでの気合も跡形もなく削がれる。
「……マジ?」
 壮司のその問いに答えるものはいなかったが、代わりとでも言うように男は手を上げ、そして、――発砲した。
 男が持っているのは黒光りする銃だった。
 放たれた弾丸は幸い壮司の足元をかすめただけだったが、二度目は判らない。
「じ、冗談じゃないっ!」
 何らかの能力者であるならどうにか対抗も出来た。しかし相手が銃となると、これはもう物理的身体的に無理としか言いようがない。最善の選択肢を模索した結果、壮司が取った行動はと言うと、「逃げる」だった。
 じりじりと後ずさりながら壮司は左眼に意識を集中した。能力を発動させるためだ。
 ぐるぐると視界が入れ替わり、頭の奥が痛む。身体には、この多数の能力をストックし入れ替えると言う行為はかなりの負荷を与えるらしい。
 頭痛が去ると、今度は頭の中が妙に冷え始める。能力が発動した証だ。他人記憶の中からの自分の外見に関する記憶を無差別に消去する、グレイ・リトル・マンの能力。
 これでこのまま逃げ切れれば面は割れない。壮司は男に背中を向けると、脱兎のごとく駆け出した。
 銃声が立て続けに響き、弾丸が空気を切り裂いて壮司の後を追ってくる。だが幸い、相手の射撃の腕前はそれほどでもないらしく、壮司に命中することはない。
 路地から路地へ角を曲がり、常に一瞬でも相手の視界から逃れるように逃げる。そして幾つめかの角を曲がって少し大きなとおりに出、相手から自分の姿が見えなくなったことを確認すると、壮司は逃げるのをやめて足を緩めた。もちろん、追跡を振り切ったわけではないので男はすぐに路地を曲がって壮司に追いつく。
 ――が、男は壮司が目に入らないかのようにきょろきょろと辺りを見回している。すぐ目の前を歩く壮司を見失ってしまったかのように。
 他の通行人が銃を見て首を傾げたり息を呑んだりするのに気がついて、男は小さく舌打ちして路地に戻っていく。
 壮司はそれを横目で見ながら、ほっとため息をついた。



 指定の場所――埠頭だったが――で壮司を待っていたのは、何とも形容しがたい雰囲気の男だった。スーツで身を固めてはいるが到底サラリーマンには見えず、かといってその筋の人間と言うには柔和に過ぎた。
 壮司が何か言う前に、男は気がついて声を掛けてきた。
「君が運び屋か?」
 壮司が頷く前に男はつかつかと近寄ってきて、本を寄越せとでも言うように手を差し出す。壮司は慌ててバッグの中を探り、黒い本を男に渡した。
 男はぱらぱらとページをめくって中身を確かめ、満足げに頷く。
「確かに。ご苦労だったね」
 報酬は、と言いかけた男を壮司の不機嫌な声が遮る。
「あの、それ、運んでくる途中に襲われかけたんですよ。銃持った奴に撃たれそうになって」
「……ほう」
「そんな危険がある仕事だなんて聞いてなかったんで、出来れば危険手当上乗せして欲しいんですけど」
 憮然とした壮司の要求にくすくすと言う笑いで答えつつ、
「判った、幾らか上乗せしておこう。後で碧摩蓮に届けておく」
 くるりと背を向けた男を壮司は思わず呼び止めた。男はぴたりと足を止め、首だけを動かして振り返る。
「何だね?」
 冷たい目と声音に一瞬躊躇したが、一度唾液を飲み下して喉を湿らせると思い切って口を開く。
「……その本、何なんですか?まさかホントに聖書なんて言いませんよね?」
 男は壮司の顔と本の表紙を交互に見つめ、ふっと笑った。
「好奇心は猫を殺すよ」
「…………」
「……まあ、そんな顔をしなくてもいい。IO2と言う組織は知っているかな?」
 I02――怪奇現象や能力者が起こす事件が一般人に影響を及ぼさないように監視し、事件を未然に防ぐ超国家的な組織のことだ。対能力者専門の警察機構、と言ってもいいかもしれない。ただ、その存在も活動も超法規的ではあるが。
 能力者であれば知らないものはいないほどの巨大組織の存在を何の前触れもなく匂わされ、混乱するなというほうが無理な話だ。壮司はサングラスの奥で戸惑ったように目をしばたかせた。
「ちょっと見には判らないが、この本には我々IO2にとって邪魔な能力者たちの名前から能力から本拠地から、全てのデータが記されている」
 男はさも楽しげに目を細める。
「そのままだよ。ブラック・ブック――ブラックリストさ。聖書の形を取ったのはちょっとした洒落だ」
 君を襲ったのは我々に反発する組織の構成員だろう、と付け加えて、男は楽しげにくつくつと笑う。
「納得してもらえたかな?」
 壮司が頷いたのを見、男は口角だけを持ち上げて薄く笑った。
「それでは、私はこれで失礼する。本当にご苦労だった、イクシマ・ソウシ」
 名乗ってもいない名前を呼ばれて驚いたように顔を上げた壮司の目に映ったのは、既に自分に背中を向けて去っていく男の後姿だった。
「…………」
 急に身体の力が抜けたような気がして、壮司は空を見上げてひとつ息を付いた。
 まさか、自分が運んでいたのがそんなものだったとは露ほども思わない。我ながら一般人から見れば十分な非日常を送っているつもりだったが、裏の世界の顔はひとつではない、と言うところか。
 黒い本に自分の名が記されているのかどうか、知る術はない。
 しばらく考え込んだ後、壮司は大きなため息と共にサングラスを掛けなおした。どうせいくら考えても判らないものは判らないのだ。
「真実は闇の中、か……」
 どこかで聞いた台詞を口にして、がりがりと頭を掻く。
 とりあえず今日は報酬で何か旨いものでも食べよう。そう気分を切り替えて壮司は埠頭を後にした。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3950 / 幾島・壮司 / 男性 / 21歳 / 浪人生兼観定屋】


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■         ライター通信          ■
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青猫屋リョウです。
またのお付き合い、どうも有り難うございます。
お気に召していただければ幸いです。
イメージと違う描写などございましたらご一報下さい。
今回、納品が遅れてしまい真に申し訳ありませんでした。
以後、このような事がないよう気をつけますので、また、機会がありましたらどうぞよろしくお願いいたします。