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<東京怪談・PCゲームノベル>


 『瑪瑙庵』


 秋晴れ、という言葉を忘却の彼方へと押しやってしまったかのように、東京は連日雨の日が続き、湿っぽい空気に包まれていた。
 デリク・オーロフは、普段講師として勤務している英語学校の授業が、今日は午後までだったため、以前から行きたいと思っていた店に、足を向けてみることにする。
(楽しみだな)
 彼はひとり微笑み、黒い傘を差し、街中へと出た。

 都心から、やや離れた場所。
 その店は、周囲の景色に溶け込むかのようにひっそりと佇んでいた。見た目はこぢんまりとした日本家屋で、良く見れば『瑪瑙庵』と筆文字で書かれた木の看板が掛かっているのだが、一見して店とは分からないので、客入りがあるのかどうか甚だ疑問である。
「いらっしゃいませぇ」
 磨り硝子が嵌め込まれた、木の引き戸を開けて中に入ると、どこか間延びした男の声に出迎えられる。
 ここの店主なのだろう。紺青色の着物を纏い、薄萌黄の帯を締めている。茶色く染めた長髪を、後ろで束ねていた。見た目からして、デリクと同年代か、やや下、といったところか。
 まずは店内を見回してみる。
 タロットカード、パワーストーン、占いに関する本、雑誌、その他にも占いグッズや、アクセサリーなどが所狭しと並べられていた。和風な店の雰囲気に全然似合っていない。
「いやいやどうして、面白い品揃えですねェ……」
 デリクはそう言いながら、目に留まったシルバーアクセサリーを手に取る。見た目は普通のアクセサリーと変わりはないが、彼の記憶によれば、明らかにオカルトグッズである。
「ありがとうございます〜」
 店主は、ニコニコと愛想良く笑顔を振りまいていた。
「実は、噂を聞きつけて遊びに来ましタ。『体験』って何ですかネ?とても興味があるんですけれドモ」
「あぁ、『体験』希望者の方ですかぁ。『体験』がどういうものかは、実際に体験してみれば分かりますよぉ。こちらへどうぞ〜」

 通されたのは、店の奥にある群青色をした暖簾をくぐった先にある、薄暗い小部屋だった。中には香の匂いが立ち込めており、大きな屏風に囲まれる形で、長い紫の布が掛けられた小さなテーブルと、一対の木で出来た椅子が置いてある。
 瑪瑙亨と名乗った店主は、デリクに手前の椅子を勧め、彼が座ったのを確認してから、自分は奥に座った。
 そして、懐からタロットカードを取り出し、手早く切り始める。その姿は、手馴れた印象を受けたが、いかんせん彼の外見にそぐわない。
 やがて、三枚のカードが、テーブルに並べられた。
「あ、ダリのタロットですネ」
「そうですよ〜」
「ところで、『体験』と占いは一緒にやってもらえないんデスカ?」
 デリクの問いに、亨は笑顔を絶やさないままで答える。
「ええとぉ、『体験』が終わった後に、俺が一言アドバイスする程度で宜しければ、やりますよぉ」
「そうデスカ……では、これからの東京生活がどんなものになるかを占っていただきまショウ。漠然としてますケド、私がここしばらく平穏な生活を過ごせるかどうカってことデ。よろしくお願いしマス」
「了解しましたぁ。では、一枚選んで、引っくり返して下さい。手はそのまま離さないで下さいねぇ」
 その言葉に、暫し逡巡した後、中央のカードを裏返すデリク。
 そこには、青い空をバックに、男性とも女性ともつかない人物が、崖から乗り出している姿が描かれていた。左膝からは角のようなものが生え、手には先に蝶のついた棒を持っている。そして、空中からは影のように伸びる手。
「なるほど」
 亨は、デリクの手にしたカードに指先で触れると、そう言った。
 今までの間延びした口調は影をひそめ、落ち着いた響きを持つ声に変わっている。目元も笑っておらず、射抜くような視線がこちらへと向けられていた。
 そして、朗々と言葉が紡がれる。
「『悪魔』のカード――どうぞ、良い旅を」
 次の瞬間、目の前が暗転した。


 気がつくと、切り立った崖の淵に立っていた。
(なるほど……さっきのカードの絵の場所か)
 下を覗いてみると、底の方は霞んで全く見えない。相当深さがあるのだろう。
 今度は空を見上げる。
 カードに描かれていたような、青空ではない。灰色のどんよりとした雲が、重く垂れ込めていた。
(やれやれ……東京もこちらも、天気が良くないな。晴れた空が見たいものだ)
 そして、周囲を見回してみる。
 辺り一面が、オレンジ色の絨毯で覆われていた。
 だが、それは全て、蝶の死骸。
 それは、デリクの足元にまで及んでいた。
 この場所から動こうとするならば、どうしても踏んで通らなくてはいけないだろう。
 仕方なく、一歩を踏み出そうとした途端。
 蝶の死骸は一瞬にして砂と化し、渦を巻き始める。
 それに足を取られ、ずるずると引きずりこまれていく。地面全体がすり鉢状になり、まるで蟻地獄の巣のようだ。
 何度も抵抗を試みるが、砂の流れは相当に強い。
(仕方がない。このまま流れに身を任せてみることにするか……)
 抵抗をやめると、すり鉢の中心部は、驚くほどのスピードで近づいてくる。
 そこには、巨大な穴。
 息を呑む暇もなく、デリクの身体は穴の中へと吸い込まれた。

 笑い声が聞こえる。
 目を開けると、眩しいほどの太陽と、抜けるような青い空が広がっていた。
 草と花の匂い。
 自分が横たわっているのだと認識するのに、少しだけ時間がかかった。
 何かの気配。
 デリクは慌てて身を起こす。
 そこには、広大な花畑が拡がっていた。
 色とりどりの花々。
 ひらひらと空を漂うオレンジ色の蝶たち。
 そして、すぐ傍には、長い黒髪の美しい女性が、一糸纏わぬ姿で立っていた。
「気がついたのね」
 彼女は、透き通るような声でそう言い、艶やかに微笑む。
 また、笑い声が聞こえた。
 そちらに目を遣ると、十数人の女性が、楽しげに戯れている。
 どの女性も、街を歩けば、多くの人が振り返るであろうほど、美しく、魅力的だった。
 そして、全員、何も身につけてはいない。
「ねぇ。私たちと一緒に、いいことしましょう?」
 傍らにいた女性が、デリクの身体に手をまわし、耳元で囁きかける。
 彼は、そのまま頷きそうになった。
 だが、理性がそれを押し留める。
 すると、女性が心中を見透かしたかのように、こう言った。
「理性なんて要らないのよ。プライドも捨てておしまいなさい。ただ、快楽だけを求めればいいの」
 その言葉に、またもや頷きそうになる。
 何かがおかしい。
 頭の芯が痺れて来ている。
 とても、心地良かった。
(――匂い)
 先ほどから、香を焚いたような花の香りが辺りに充満している。普通の花なら、こんなに強い匂いはしない筈だ。
 デリクは、ポケットからハンカチを取り出すと、急いで鼻腔に当てた。
 すると、意識が次第に鮮明になって来る。
 彼は、頷く代わりに、こう答えた。
「そんな格好をしていると、風邪を引きマスヨ」
 一斉に上がる笑い。
 向こうで遊んでいた女性たちも、こちらへと近寄って来る。
「そんなこと心配しないで。楽しいことをしましょう」
「残念ながら、私には先約が沢山ありましてネ」
 そう言ったデリクに、黒髪の女性は、皮肉っぽく笑う。
「もしかしたら、あなたはこちらの方がお好みかしら?」
 すると。
 女性たちの身体が、見る見る変化し始めた。
 緩やかな曲線を描いていたボディーラインは、固い線となり、あっという間に、美女の集団は、逞しい体つきの美しい男たちへと変貌を遂げる。
「いかがですか?」
 爽やかな笑みを浮かべる男性に、デリクは口の片端を上げる。
「生憎と、私にはそっちの趣味はありマセン」
 その途端、男性の半数が女性へと戻った。
 何故か、足枷がはめられ、そこから伸びる鎖は、地面へと繋がれている。
「私たちは捕らえられているんです」
「助けて下さい」
 口々に訴える彼らに視線を向けたまま、デリクは思考を巡らせる。
(この先に、また展開がありそうだな)
 何気なく目線を遠くに遣ると、大きな岩に穴が穿たれているのが見えた。
 途端にその穴は、急速に拡大し、瞬きしている間にも、目前に迫って来る。

 気がつけば、暗闇だった。
 そして、強烈な臭気。
 何かが、腐敗しているような臭い。
 やがて、段々と目が慣れてくると、様々な動物の死骸が転がっているのが確認出来た。
 後ろを振り向いてみるが、もはや入り口は存在しない。
 湿った空気が、頬を撫でた。
 どこかから、水が滴る音がする。
 そして、遠くには幽かな光。
 デリクは、その光を頼りに歩みを進める。

 次の瞬間には、檻の中に居た。
 いつ入ったかさえも分からない。
 格子を揺すってみるが、地面に固定されているのか、頑丈でピクリとも動かない。上を見上げてみるが、そちらも塞がれていた。
 やがて、目の前に巨大な黒い獣が現れる。
 艶々と黒光りする長い毛に覆われた身体。
 捻じ曲がった二本の太い角。
 その姿は、どこか山羊に似ていた。
(差し詰め、『逆動物園』ってところか)
 デリクが呑気なことを考えていると、目の前の獣が、声を発した。
 まるで、肉体に直接振動をかけられたような、重低音。
『汝の魂と引き換えに、望むものをやろう』
「私と取り引きがしたいのデスネ?それなら、こんな檻に入れなくてもいいのニ」
『契約が成立すれば、そこから出してやる』
 獣が笑った――かのように見えた。
『我は知っておるぞ。汝が出世欲と野心に満ち溢れた者で、魔術教団内での発言力を強めようと画策していることを。それを、手伝ってやろうではないか』
 今度は、デリクが笑う。
「よくご存知デ。けれど、これはただの『体験』。現実世界にまで影響を及ぼせるとは思えまセン」
『知らぬのか?ここは異界だ。ただの体験などではない。現実世界にも、然るべき影響が出る』
「そうなのデスカ?ならば悪い話ではないデスネ」
 デリクは、再び唇の端を上げた。
『さあ!契約を結ぶと我に誓え!』
 獣が、足を踏み鳴らす。
 その度に、地面が激しく揺れた。
「契約を――」
 獣が笑う。
「契約を、拒否しマス。欲などというものは、自分で満たさないと、意味がないのデスヨ」
 檻が、砕けた。


「どうでしたかぁ?」
 目の前には、亨のにこやかな笑顔があった。口調も、元のように間延びしたものに戻っている。
「中々面白かったデスヨ」
 そう答えるデリク。
「契約、しなくてよかったんですかぁ?」
「あ、あなたにも私の体験したことが観えているのデスネ」
「はい〜。失礼ながら」
 あくまで笑顔を崩さない二人。
「『体験』が、現実に投影されるという話は、本当デスカ?」
「さぁ、どうでしょうねぇ」
 曖昧な答えを返す亨を、デリクは鋭く観察する。
(この男、何かに利用できるかもしれないな……ボーっとしているように見えて、中々喰えない性格のようだが)
「ところで、占いの結果はどうデスカ?」
「そうですねぇ……人間関係やぁ、職場などでぇ、何らかの、束縛があるかもしれませんよぉ。現実的に対処してみて下さいねぇ」
「そうデスカ。ありがとうございマス」

 外は、まだ雨だった。
 周囲は暗く、時計の時刻は当てにならない。
 デリクが店を出ようとするところを、亨が急に呼び止めた。
「あのぉ、さっき言い忘れたんですけどぉ、お金とかぁ、権力とかぁ、そういった物質的な欲望、誘惑に気をつけて下さいねぇ」
「ありがとうございマス。精々気をつけマスヨ」
 そう言って、デリクは、傘を差し、店を後にする。
 彼は、『体験』の中で黒い獣に言われたように、出世欲と野心に満ち溢れており、魔術教団内での発言力を強めようと水面下で画策している。まさに物質的な欲望に満ち溢れていると言ってもいい。
(それにしても……面白い男だ)
 先ほど亨が言葉をかけて来たタイミングに、込み上げてくる笑いを抑えきれない。

 デリクは小さく肩を竦めると、都心へと向かい、歩き始めた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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■PC
【3608/デリク・オーロフ(でりく・おーろふ)/男性/31歳/魔術師】

■NPC
【瑪瑙亨(めのう・とおる)/男性/28歳/占い師兼、占いグッズ専門店店主】

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■         ライター通信          ■
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■デリク・オーロフさま

初めまして。今回は発注ありがとうございます!まだまだ新人ライターの鴇家楽士(ときうちがくし)です。
お楽しみ頂けたでしょうか?

申し訳ありません……シナリオの設定部分に書いておくべきだったのかもしれませんが、この『瑪瑙庵』では、タロットの正位置・逆位置判定はしておりません(ちなみに、今回は逆位置でした)。
これは、解釈をより幅広くし、ノベルを作りやすくするためです(実は、僕は実際の占いでも、判定はしないのです。物事には、ポジティヴな面と、ネガティヴな面が同時に存在する、という意義に則っているので……)。

PLさまが、タロットについて深い知識をお持ちとのことで、今回は物凄く緊張しました……僕は、浅い知識しか持っていないので(汗)。大丈夫だったでしょうか?お話を楽しんで頂けていることを祈るばかりです……。

あと、最初は心情部分の文も「〜デス」などで書いていたのですが、人に対して丁寧でも、心中まで丁寧語なのは不自然だと感じたので、ああいった書き方になりました。また、語尾につくカタカナも同様の理由でなくしました。

そして、これを機に、亨とも仲良くしてやって下さい(笑)

ちなみに、今回使用したデッキは、文中にも出てきましたが、サルヴァードール・ダリによってデザインされた『TAROT UNIVERSAL DALI』です。

それでは、読んで下さってありがとうございました!
これからもボチボチやっていきますので、またご縁があれば嬉しいです。