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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


 月光 ― 日常と戦いと ―


「3、2、1……」
 背の低い、やや茶けた髪の女性が、時計を見ながら小さく呟く。
「……0」
 秒針が12時丁度に向かうと共に、授業終了のチャイムが教室に鳴り響いた。
 これからが戦いの始まりである。
 授業の終りを告げる教師の声。その声を前に、小さく背伸びをした。司馬光(しば・ひかる)、将来の夢は料理人であり、日々料理の腕を磨く毎日である。

 だからこそ、授業終了後のこれからが本当の戦いなのだ。

「司馬ぁ、今日の弁当なんだ?」
「俺のリクエストの唐揚げ有るかぁ?」
「光ちゃーん、また少し分けてぇ」
 授業が終わって数分もしないうちに、他の生徒数人が一気に机に群がる。
 誰も彼もが飢えた狼の眼をしている。要するに、腹が減っているのだ。腹が減っている上に無遠慮だ。
 いや、腹が減っているからこそ無遠慮なのかもしれないが。
「俺の弁当に手を出すと噛み付くぞっ」
 横から伸びる箸を、自らの箸で素早く払いつつ、光は春巻きを自らの口に放り込んだ。
 自分が目指す味にはまだ遠い。けれど、それでも普通の人が食べれば十分なほど美味い。だから、人が群がる。
 もっとも、この小さな背丈と可愛気の有る顔が、余計に人を呼び込んでいるのだが、光は一切それを認めない。
「友達甲斐がねぇぞぉー」
 光の頭を撫でながら、箸を伸ばす男子生徒。
「駄目だってばっ」
「いーじゃんよー」
 慌てて弁当を横に避け、光は彼の顔を見る。弁当をわざとらしい涙目で示しながら、光を見てくる。
 これでは断れない。少なくとも、光はこの攻撃を避ける手段を持たなかった。
「じゃあ、少しだけ……」
「光も何時も大変ねー」
 避けた弁当の先から声を掛けられて、きょろっと振り向く光。その先には、水鏡千剣破(みかがみ・ちはや)が立っている。その頬を、微妙に膨らませながら。
「……焼売が一個足りない」
「あはは……ばれた?」
 千剣破は苦笑しながら箸をカチカチと鳴らす。
 唇を尖らせる光の前で、他の生徒達もちょこちょことおかずを奪い去っていった。まるで野盗軍団だ。
 千剣破もちゃっかり、その野盗の群に混じりながら、光を見る。
「でも本当、美味しいよ、これ」
 ここまでは誉め言葉だろう。だが、その先の一言は余計だった。にんまりと笑いながら千剣破が口を開く。
「これなら、良いお嫁さんになれるね」


「まだ怒ってるの?」
 放課後、人が減った教室で、千剣破は”彼”の顔を覗き込んだ。
「別に怒っては無いけど……」
 今前の椅子に座っている光は、童顔の美少女と言って差し支えない。だが、実際に美”少女”では無い。
 司馬光、17歳。彼はこれでも、れっきとした男である。
「ただ……気をつけろよ」
 光は呟きながら、自らの肘を抱いた。
 千剣破が朧であるのと同じく、彼もまた、前世の記憶を持たない御霊、朧だった。
 だから、千剣破とはある種の感覚を共有出来る。だからこそ、彼女の行動に口を出せないでいる。彼女が留守にすると言えば、止める術を知らないのだ。
 やや情けなく感じた事も有る。だがそれでも、止める事が出来ないのであれば、彼に出来る事は、彼女の信頼に応えるという事。留守を確実に守り通し、また彼女が、無事に戻って来る事を祈るくらいだった。
「今度の偵察は、それ程長くならないと思う。 ……ありがと、光が居るおかげで、あたし安心して伊吹山を留守に出来る」
 微笑を返して千剣破は光から離れ、教室をあとにしていく。
 後には一人、教室を赤く染める夕日を見て、光が残っている。


 伊吹山は修験者の訪れる霊山であり、強力な霊域を保持している。彼女の、千剣破の拠点であり、周囲との位置関係から、重要な地点でもあった。
 だがその伊吹山には、なんとも言えない重い空気が漂っていた。修験者が集まる霊山に”異物”が混ざるというと、こうも空気が緊張するものなのだろうか。どことなく、空気が重苦しかった。
 留守を頼まれたのだ。一度交わされた約束。光はそれを、間違い無く守り通したい。
「……」
 光は外を睨み付ける。そしてそのままの眼を見せながら、ゆっくりと足を踏み出し、暗みが掛かる外へと自身を晒す。
 御霊特有の気配を、光は感じ取った。
 静かな息遣いを更に潜め、虚空の一点を凝視する光。
「もう、出てきなよ」
「最低限の実力は、有るらしいですね」
 全体的に陰気な雰囲気を持った人影が、ゆらりと姿を現す。花柄の着流しが闇夜に映えた。虚空と思われた空間には、細い長身の姿が有った。
 灰色の髪が長い。膝と同じくらいはあるだろうか、細かく細い髪は、静かに揺れて風に乗る。
「最低限の実力だって? 酷い言い方だな。手抜きして勝てるなんて、思わないほうがいいぞ」
 相手は、既に殺気立っている。光は相手の目元を睨み、身体を向け直した。
「……冗談、ですよ」
 その光を細い目で見ながら、小さく笑う。だが、辺りは既に日が沈んで久しく、暗い。光は、その笑う口元こそ見えていても、相手が男か女か、俄かには判断が付かなかった。
 女性と主張されれば、女性に見える。
 しかし、男性と主張されれば、男性にも見えた。
「ふと偵察に立ち寄ったのですが……来てみれば、水鏡様はいらっしゃらないようですね」
「だったら、何だよ」
「霊域保持者が彼女でないなら、好都合です。貴方を消せば良いのですから」
 笑いは鋭さを増し、光は自然、気構えた。光は、こういう奴は嫌いだった。行っている事は夜盗同然であるのに、それに不釣合いな程の礼儀正しさは、その本性を覆い隠す為としか思えなかったからだ。
 明らかに、その礼儀正しさは不自然である。
「片手間みたいに、消せると思うか?」
 相手は動かなかった。動きはしなかったが、確かな白線が自ら目掛けて走った事を、光は確実に見た。
「何だっ!?」
 石畳に手を付き、足が跳ねてその場を避ける。
 脇を駆け抜けた白線が宙で一度その動きを止めた。
「狐……?」
 確かに、狐だ。それも白狐と呼ばれる、白い狐が数匹。
 それらが朧気に眼を輝かせ、宙を舞いながら、光を見下ろしていた。
「命には傷を入れさせて頂きます」
 言葉と共に狐が一斉に宙を掛けた。
 相手の余裕の笑みが浮かぶ。
 それは、そうだ。相手としている光は、あくまで水鏡千剣破の留守であり、代理なのだ。普通は、千剣破の戦闘能力を上回らないだろう。
 そう、普通は。
「正体さえ解ってれば、どうって事っ!」
 狐が地を這い、宙を舞って光へと殺到する。次の瞬間、光の幼い眼が鋭く”敵”を見据えた。
 一匹の狐が、彼の腕目掛けてその口を開いた。尖った牙が光の腕へと吸い込まれるように動き、だが、その狐の牙は……いや、牙どころではない。
 光は身体を捻っていた。捻ると同時に、拳は硬く握られ、空を切っていた。
 その余りの速度に、狐は対応出来ず、肉噛み付く寸前に、顎ごとその顔が拉げた。
「次!」
 恐らく、本来は時間差で攻撃を仕掛ける筈だったのだろう。あと一歩まで迫っていた次の狐は、光が想像以上の速度で一匹目を叩き潰したが為に、一対一で正対する事となった。
 今度は口を開く隙も無い。
 一瞬後には、狐の脇腹に、光の細い足が食い込んでいた。
 残る狐が一斉に飛びのく。
 小さく長い息を吐き、身体の動きを整える光。
「どう、もう諦める?」
「驚きましたね……」
 その光を取り囲み、狐達は一切の手出しを出来ない。
 相手の御霊も、驚きを隠せぬ表情で光を見ていた。
「だから、簡単じゃないって言ったろ」
 光が料理と共に得意とする、中国拳法。
 彼はまず身体的に自らの強さを増す事によって、御霊としても十分過ぎる戦闘能力を得ていた。
 それによって鍛えられた戦闘センスは、並ではない。そこに、光特有の気の通じがあった。狐霊程度の体格では、光の攻撃をまともに受けて平気な筈が無い。
 今は留守である千剣破も、その光の戦闘能力は、自分よりも数段上だと感じている。
「……一斉に仕掛けましょう」
 整った口から発せられた小さな呟きに呼応し、狐は一斉に動きを早めた。
 その数を更に増やしながら、襲い掛かる白い群。
「ッ!!」
 声にならぬ気合と共に、光は地を蹴った。真正面の狐二匹を、瞬く間に砕き、影目掛けて直進する。
「なっ、速い!?」
 相手の酷く上ずった声。そして、闇の中にその白い柔肌が浮かび上がる。相手の顔は月に照らし出されて鮮明に映え、改めてその整いきった顔立ちが、光の眼に写る。
 それでも尚、その顔は女性か男性か解らない整い方をしている。
 自分は女性顔であるが、世の中にはこういう中性的な顔立ちも有るものだろうか。そう思えてきさえする。
 その相手を仕留める為の拳は、既に硬く握られ、足は地をしっかりと押さえつけ、流れ込むように振られようとしていた。相手の焦る顔が鮮明に写る。
 その焦りの顔とは対照的に、光の腕には鈍い重みが走った。
 狐が数匹、腕に絡まるように纏わりついている。奴の腕から生えて出たかのように。
「なっ……」
「本当に、危ないですね。貴方の言うとお……」
 光の動きを止め、その余裕を見せつけるように顔を近づける。
 そしてそれっきり。顔を近づけたまま、顔を真っ赤にして動きを止めた。
「……え? は? じょ、じょじょ、女性……」
 真っ赤なまま、口をぱくぱくさせている。
「女性ですか!? ち、近づき過ぎないで下さ……」
「誰が女だっ!」
 心の底から沸騰した気分。怒りや憤りではない。
 だが言ってやりたかった。自分を鏡で見ないのかと。美しく整った顔立ちは、見る人次第では女性にも男性にも見える。
 そんな自分の顔を棚に上げておいて、いくら女同然の童顔だからといって、それもれっきとした男の顔を見て、何もこんな反応を示さなくても良い筈だ。
 女性の顔を間近に見た途端、こうなるという事は、だ。
 自分の顔が女性の顔以外に見えなかったと、そういう言う事だ。
「そんなに女に見えるのか! 俺は男だっ!」
「え? いや……えぇ?」
 相手は顔を赤くしたまま眼を背けたり、口を意味も無く動かす。慌てている。それ以外の言葉はこの状況には使えない。当然、抑えた利き腕の力は緩まっていた。
 一気に振り払い、再び腰を深く落とす。
「自分を鏡で見て来いよ、この男女っ!」
 抉るように打ち付けられる拳は、相手の腹を確実に捕らえていた。鋭い一撃は、恐るべき打撃力を発揮し、鈍い音と共に、相手の姿が揺れる。
 そして、掻き消えた。
 狐もが、次々と姿を消していく。
「逃げたのか……」
 光の言葉を最後に、静けさが戻った。
 今までそうそう負けを喫した事は無い。ただ、ただそれでも、次の勝利の保証は、何一つ無いのだ。この世界では。
(千剣破……何時までもこんな状況は続かないじゃないか……?)
 無用な心配なのかもしれない。けれど、心配せずには居られなかった。
 今の御霊を相手にしても、光は圧倒していた。けれど、一時的にせよ、相手に動きを押さえ込まれもしたのだ。
 何時か、この力で対抗し切れない御霊が現れれば、どうなるのだろうか。ふと、そのような考えが頭をよぎった。柄にも無い。そう思いながらも、どうしても無視は出来なかった。
 光は自らの拳を開き、じっと覗き込む。

 月が、光を照らし出す。





 ― 終 ―