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<東京怪談ノベル(シングル)>


人魚石



 遥か遠い、南方のきれいな海の底に、人魚のお城がありました。
 そこに住んでいたのは、王さまと6人のお姫さま、そして彼女たちのおばあさまです。
 
 人魚のお姫さまたちには、一人の弟がおりました。
 古い掟により、男の人魚である彼はお姉さまたちと一緒に暮らせません。
城から遠く離れた場所に世話係とひっそり暮らす生活でしたが、それでも彼は寂しくありませんでした。
 いつだって、お姉さまたちが彼を訪ねてきてくれたからです。
 
 特に彼が大好きだったのは、末のお姉さまでした。
「ねえ、お姉さま? また地上のお話をして?」
彼がせがむと、末のお姉さまはいつだって素敵なお話を聞かせてくれました。
「ええ、いいわよ。
海のずっと上には陸地というものがあって、そこには人間が住んでいるんですって。
そして空には鳥が舞っていて、咲く花はとてもいい匂いがするらしいわ」

 そうして彼に地上の話をした後、お姉さまは決まって一つだけため息をつくのでした。
「私も早く大人になって、地上へ行ってみたいわ……」


 やがて末のお姉さまも15歳になり、地上へ行く許しを得ることが出来ました。
そのことを、彼もとても喜びました。もっともっといろんなお話を聞かせてくれる、そう思ったからです。
 ですが、地上から帰ってきた末のお姉さまは、なぜか暗い顔をしていました。
 彼が何を尋ねても、暗い顔で首を振るばかりなのです。
「お姉さま、どうしたの?」
 心配になった彼がお姉さまの顔をのぞき込むと、お姉さまは涙ぐんで言いました。
「私、地上で王子さまに出会ったの。
とっても素敵な王子さまで、私一目ぼれをしてしまったわ。ああ、もう一度王子さまとお話がしたい!」

 そうしてお姫さまは、王子さまからもらったという指輪を大事そうに握りしめるのでした。


 それからというもの、末のお姫さまはため息をついてばかり。
 哀しそうに一日中うなだれていては、ふと顔をあげて頭上を見つめます。
 ――海の底では、楕円形にゆがんだ太陽が波間にゆらゆら揺れて見えます。
お姫さまは大きな瞳をじっと見開いたまま、その降り注ぐ光を見つめていることが多くなりました。
地上とつながるその光を辿って、想いを馳せているかのようでした。


 弟人魚は心配になりました。
「このままでは、大好きなお姉さまがいなくなってしまうかもしれない……!」
 そして、その心配は的中したのです。
ある日、弟の元にやってきたお姉さまは言いました。
「さようなら、かわいい弟。私は地上へ行きます」

「お姉さま、行かないで」
 彼は必死に止めようとします。ですがお姉さまの決意は変わりません。
彼がどんなにお願いしても、どんなに泣いても、お姉さまはうなずいてはくれませんでした。
「お願いだよ、どうかずっと一緒にいて」
 そして、彼はお姉さまがとても大事にしていた指輪をとりあげました。
 ――そう、お姉さまが王子様にもらったという指輪です。
それがなければ、王子様はお姉さまのことが分からなくなってしまうでしょう。
 だけど、お姉さまとどうしてもお別れしたくなくて、彼はその指輪を尾びれに隠してしまいました。
 
 それでも、お姉さまは言いました。
「さようなら、かわいい弟。私は行くわ。
魔法使いに人間になる薬を作ってもらったの。すぐにその効果は切れてしまうから、急がなくてはいけないのよ」
 そうして彼に小さくキスをしてから、お姉さまは行ってしまいました。
 
 
 
 すぐに、弟人魚も魔法使いの元へと急ぎました。
 ごうごうと渦をまく海流の向こう、ぬめぬめと海中を揺らぐ海草の森の先に、その魔法使いは住んでいます。
「お姉さまを追いかけたいんです。指輪もお返しして、取ってしまってごめんなさいって謝ります、だから」
 弟人魚は言いました。
「私のことも人間にしてください。お姉さまと離れたくないんです」
すると、魔法使いはニタリと笑いました。
「それなら、薬代を寄越しな。……そうだね、あんたのその瞳の輝きをもらおうか。
いいかい、地上に着くまで決して目を開けてはいけないよ。もし開けたら、あんたの目は死ぬまで見えなくなるからね」



 弾みたくなるような嬉しい気持ちで、弟人魚は地上へ向かって浮き上がって行きました。
 その目はきつく閉じたままです、だけど、感じる太陽の光がどんどん強くなっていくのは分かりました。
 ああ、もうすぐお姉さまに会える! ――そう思った時でした。
 
 お姉さまの悲鳴が聞こえました。それは、泣きたくなるような、こちらまで胸が締め付けられてしまいそうな、苦しげで、とても悲しい声でした。
「お姉さま!」
 弟人魚は、思わずその目を開けてしまいます。
 
 
 そうしてその瞳に飛び込んできたのは、泡になっていくお姉さまの姿でした。







「キミ」
 突然声をかけられて、俺は驚きのあまり叫びそうになった。
 慌ててソファから立ち上がり直立不動の姿勢を取ると、背後にいつの間にかいたその人はおかしそうにくすりと笑う。
「そんなに驚かなくてもいいですよ」
「い、いや、そ、その! 勝手に書類読んでてスイマセンっした!」
 お詫びと共に勢いよく頭を下げると、その人は「ああ、」と言って一つ首を振る。
「別に構わないですよ。それをテーブルの上に置いたままにしておいた私が悪いのですからね。それと、随分とお待たせしたのもこちらが悪いのですし」
 言いながらその人は自分の車椅子を手馴れた様子で繰り、俺の前へと進み出る。
 
 ……なんだか、不思議な人だと俺は思った。
銀色の長い髪に青い瞳。厚いカーテンが引かれた薄暗い部屋なのに、それが鈍く光ってるようにも見えた。
見かけはとっても若いようにも思えたし、でも貫禄、というかなんか迫力みたいのがあって、ぶっちゃけ同世代には見えない。
 でもなんだか目が離せない人だった。
 ……金持ちってのは、みんなこんな風なんだろうか。
 
 と、その人が俺をじっと見た。
「あなたは、いつもの方と違うのですね」
「あ、あの! オーナーがぎっくり腰で!! そんで、新人の俺が来たんス!」
「新人ですか。あのお店に入ってどれくらいですか?」
「そ、その……今日が初仕事、っす……」
 ――俺はちっぽけな宝石店に就職したてのペーペーだ。今言ったとおり、今日が初出勤で初仕事。
 店から出されていきなりどこへ行かされるのかと思ったら……このカーニンガムさんとかいうでっかいお屋敷の主に会って、商品手渡して来い、とか言うんだから参る。
「そうですか。聞いているかと思いますが、私はセレスティ・カーニンガムといいます。
セレスティと呼んで下さい。これからどうぞよろしく」
「は、はい! よ、よろしくっす!」
 ……と、ヤバイヤバイ。学生時代の口癖が抜けない。

 
 と、なぜか……ええと、セレスティさんは静かになってしまった。
 ふっと遠い目をして何かを考え込んでるみたいだったけど、気がつけばその焦点は良く合ってないみたいで、もしかしてこの人目があんま良くないのかな、と思う。
「……あの、もしかしてこれって、セレスティさんが書いたんですか?」
どうにもこうにも沈黙が居心地悪くて、俺は目の前の書類の束を指差した。
 それは俺がさっきまで、つい読んでしまってた――そう、どこかで聞いた童話みたいな話。
 と、セレスティさんはこちらを振り向かないまま一つうなずいた。
「ええ、そうですよ。私の可愛い人が、昔語りをせがむので」
「なんか、『人魚姫』みたいだなーって、思って。えっと、続きはどうなったんですかね?」
 ――すぐに返事はなかった。
 もしかして地雷だったかな、と思いきや、セレスティさんはふ、とかすかに笑ったように見えた。

 
「そうですね。こんなのはいかがですか?
 ……弟が指輪を奪ったせいで王子は人魚姫のことが分からず、その想いが遂げられることはありませんでした。
後悔にさいなまれた弟は、姉の復讐を誓うのですよ。
 身を立て、事業を起こし、それはやがて財閥となり……。そして国の情勢をも左右するまでに成長したその財閥は、王子の国を没落へと追い込んでいくのです」
「……え?」
「だけれど、亡くなった姉が戻ってくることは決してなかった……」


 セレスティさんは、顔を窓の方へ向けた。
 秋の午後、カーテンの隙間から漏れる色づき始めた日の光を浴び、その横顔は少し悲しそうにも見える。


「ところで、新人さん」
 咄嗟に誰を呼んでいるのか分からなかった。数瞬の後、俺のことかとようやく気づいて、あわててはい、と返事をする。
「名前が分からないのですから、こう呼ばせていただきますよ。
それで、新人さん。今日キミに持ってきていただいた品ですが」
「あ、は、はい! 修理出来てます」
 ……そうだった。話に夢中で危うく用を忘れるところだった。
 カバンからジュエリーケースを取り出す。深紅のベロアで作られたそれの中に、預かっていた品はしっかりと納まっていて一安心。
「えっと、この指輪でいいんですよね」
 振り向いたセレスティさんが、指輪を見て満足そうにうなずく。
「えっと、なんかすごく古い指輪ですよね」
 俺が話題を振ると、セレスティさんは一つうなずいた。
「ええ。私が人魚の頃、姉からいただいたものですからね」

 うまい冗談だと思った。
俺は「そうなんすね!」 と手を叩いたけど、セレスティさんは急に真剣な表情になって、ちっとも笑わなかった。
「あ、あれ……冗談、っすよね?」
「そう、思いますか?」
「え、だ、だってあの話って作り話です……よね? も、もしかしてあの話って本当だった……とか……?」

 とセレスティさんは返事をする代わりに、微笑んだ。
 俺とはちょっと違う風に、……なんと言うか、名案を思いついたように、だろうか。
「そういえば、この指輪の宝石。なんと呼ぶか知っていますか?」
「え、えっと……?」
 俺は必死に、ここへ来る前のレクチャーを思い出す。
「あ、アクアマリンでしたっけ……?」
 顔色を伺いながら俺が恐る恐る言うと、セレスティさんはニッコリ笑う。
「そうです。濁りのない透明な水色からその名が付きました。古代ローマでは永遠の若さの象徴とされていたのですよ」
「は、はあ……そうなんスね……」
 だが俺がホッとしたのもつかの間だった。
「では、アクアマリンの別名はご存知ですか?」
どうやら試験はまだ続くらしい。
お手上げ状態の俺が素直に分かりません、というと、セレスティさんは教えてくれた。



「人魚石、というのです」