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<東京怪談ノベル(シングル)>


赤い思い出と


 夢が彼女を駆り立てた。
 血飛沫が彼女の心を責め苛むことも、もはや無い。
 退魔刀『紅蓮』は、いまや撲り殺すためだけの凶器のようだ。
 はじめのうちは涼香自身も、何故これほどまでに標的たちが憎いのか、わからなかった。ただ、ある夏の日から、急に仕事中に理性が吹き飛ぶようになったことはわかっている。
 ――人形。
 友蛾谷涼香を狂わせるもの。
 ――人形。
 結果は知っていても、理由はわからない。何故、自分は人形が憎いのだろう? あの、美しい、紅い目の人形に呪われたからか?
 ――ちがう。
 あの人形に呪われる前から、きっと涼香は人形に憎しみを抱いていた。
 居酒屋での仕事を終え、着替えてからすぐに、連絡が入った。まるで涼香が帰宅するのを見計らっていたかのような、タイミングの良さだった――内容は『仕事の依頼』だった。

 街が死にかけていた。
 まるで戦時中のように静まりかえっていて、出歩いている人を見ない。
 暗黙の戒厳令が敷かれているのだ。
 今年の夏から立て続けに起きている通り魔的な殺人事件は、未だに終わる気配も見せない。警察はマスコミに叩かれていたが、沈黙を守った。涼香は、真実を知る数少ない人間のひとりだ。警察も、上層部は真相をすでに掴んでいるらしい。日本が古来から抱える退魔集団も動いているし、IO2が乗り出してくるのも時間の問題だろう。
 黄昏どきに女を襲い、その血肉を喰らうものどもは、涼香たち退魔師が倒しても倒しても、すぐにまた現れた。ネズミのように殖え続けているのではないかと、危惧する者もいる。
 斬れば腐りかけた血を噴き、臓腑を垂れ流す、残虐な犯人は――人形なのであった。
 木製の、球体関節人形によく似た、しかし珍しい造詣のものだ。きれいに髪を整え、紅をさし、着物を着せると、さぞかし美しいものなのだろう。
 涼香が滅ぼさねばならない魔であった。この夏の終わり、秋の始まりにかけて、一体いくつの人形を滅ぼしたのか、もうわからなくなってしまっていた。
 夢の中でも彼女は人形を破壊し続け、
 母の思い出とともに、
 涼香はすでに、百もの人形を葬っていたかもしれない。

 その夜も、電話口の向こうの相手が標的の正確な位置を教えてくれたおかげで、すぐに仕事を済ませることが出来た。気がつけば、涼香は喉を涸らして血みどろになっていた。
 明るい茶の瞳から、涙までこぼしていた。
 凶り眼にも、涙か。
 涼香は、クールな友人とともに(その場には、憎んでも憎みきれない人形もいた)事件を解決したあの黄昏時のように、血濡れの姿で駆け出していた。彼女が走り去ったあとには、ぐすぐずと腐りはじめた木屑と肉塊があった。
 涼香はまたしても我を忘れ、標的が潰れるまで『紅蓮』を振り回していたのだ。『紅蓮』が単なる刀であったなら、刃こぼれどころか折れていたかもしれない。
 彼女は泣きながら帰宅すると、熱いシャワーで血を流し、血染めの服を焼き捨てて、ベッドに倒れ伏した。夕食を摂っていないことにも気づかないまま。
 眠る気にはならなかったが、深夜3時をまわった頃、彼女は眠りに落ちていった。


 ぁん……おかぁん! おかぁん! おかぁん! ……

 まばゆいような、灰いろのような、不可思議なもやの中で――母親が倒れる。倒れてくる。血を流しながら。母親はもう死んでいるのだ。左胸を割られ、襲撃者の第一撃で命を奪われていた。
 しかし死んでもなお、母親は娘を護ろうとしたのだ。
 涼香を護ろうとした。
 母親の生温かい死体は、幼い涼香に覆い被さった。
 母親の温かさが、つめたい死の運び手の姿かたちを隠していた。
 近づいてくるのがわかる。
 死が、自分に近づいてくる。

 おかぁぁぁぁぁぁぁん!!


 大きく息をついて、涼香は目覚めた。
 無言のまま彼女は洗面所に向かう。鏡に映る洗ったばかりの自分の顔は、健康的に映るはずの小麦色の肌とは裏腹に、心なしかやつれて見えた。目は赤く、腫れている。夢の中での涙が、そのまま現実の涼香の身体に影響を及ぼしたのか――。
 涼香は枕を見に、寝室に戻った。枕を濡らす、などという典型的なことはしなかったらしい。
 だが、夜を泣き明かした女の顔をしている自分がいた。


 居酒屋の仕事がない「オフの日」のはずが、夕暮れに入った仕事の依頼のために、ふいになった。もっとも、いまの涼香は、「オフの日」を楽しみたいとは思えなかったが。
 その日は一日中家にいて、喋りが専売特許であるはずの彼女は、黙ったまま過ごしていた。友人に電話でもかけて気を紛らわそうとしたが、それも結局実行には移さなかった。
 逆に携帯が鳴って、彼女は呼び出され、『紅蓮』を手にして街に繰り出す。
 相変わらずの戒厳令下にある、黄昏の街が、彼女を出迎えた。

 今回は、標的の大まかな位置しかわからないのだと、依頼主は言っていた。それでも、すぐに居場所はわかるはずだとも言っていた。涼香も、そう思っている。
 何しろあの人形は血を飛ばし、命を散らす。
 木琴の音色のような音も出す。
 ころりころりと――。
 音を見出し、涼香は獣のような勢いで走った。向かう先で、血溜まりを踏んだ。白いジーンズの裾が紅に染まり、束の間涼香は足を止める。
「……何人目や」
 生臭い血溜まりの中に沈んでいるのは、女の手首だ。奴の食べ残し。ネイルアートが施されたきらびやかな爪。その他の部位は、すべて喰われてしまったのだろう。
「う、う――」
 不意に目の前が暗くなって、涼香は頭を抱え、血溜まりのそばに屈みこむ。『紅蓮』が傍らに滑り落ちて、硬い音を立てた。

 きちきちきちききちきちち……
 く、クククククくくくくく……

 屈みこんだまま、涼香はゆっくりと振り向く。
 そこに立っているのは、一糸まとわぬ姿の女、否、人形。
 首をきちきちと回し、ころころと笑い声を上げる。かぱりと口が開いた――赤黒い血がその口から垂れ落ちる。血には、髪の毛が混じっていた。
『お、んな、ごはん』
 人形は、涼香が得物を手放していることを理解しているに違いない。だから嗤っているのだ。人形は、血塗れの腕を振り上げた。いびつな木の音がする。
 そして、そのいびつな音は、捻じ曲がった。
 涼香の得物は、ひとつではなかった。
「許さへん……」
 涼香はほとんど金にも見える薄茶の瞳で、人形をねめつけていた。人形は、一丁前に戸惑っていた。振り上げた腕が動かなくなり、あらぬ方向に曲がったのだから。
「……許さへん!」
 その隙をついて、涼香は『紅蓮』を掴むと、立ち上がりざまに斬りあげた。刃は人形の脇腹をがつりと抉った。
 それから先は、どんな攻撃を繰り出したのか、涼香もまったく覚えていない。
 低く叫びながら、型も何もなく、ただ怒りに任せて『紅蓮』を振るった。気づけば、『紅蓮』は、人形の頭を叩き割ったところであった。歯と眼球が飛び散って、涼香の頬を打った。人形の目はガラス製で、歯は白木だった。
 ガラスの目玉がアスファルトに落ちる――
 かち・ん、かち・ん、ころ、ころころころころ……。

「ぁ、ぁ、ぁ!」

 母親が倒れる。倒れてくる。血を流しながら。母親はもう死んでいるのだ。左胸を割られ、襲撃者の第一撃で命を奪われていた。
 しかし、死んでもなお、母親は娘を護ろうとしたのだ。
 涼香を、護ろうとした。
 母親の生温かい死体は、幼い涼香に覆い被さった。
 母親の温かさが、つめたい死の運び手の姿かたちを隠していた。
 近づいてくるのがわかる。
 死が、自分に近づいてくる。
 きちきち、ころころ、きりきり、
 くクククくと……音を立てながら。

 音を立ててもどってくる記憶に、涼香は絶叫した。
 『紅蓮』を握りしめ、彼女は逃げ出す。
 涼香の叫び声は、犠牲者の断末魔と間違えられたことだろう。

 彼女は、人形が、憎い。




<了>