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<東京怪談・PCゲームノベル>


ジャック・ザ・リッパー


 ――プロローグ

 トレンチコートのポケットに突っ込んだ煙草が、しけってしまうかと思っている。霧雨は静かに肩を濡らし、そして何事もなかったかのように彼のどこかを重たくさせる。深町・加門はゆっくりと雨の降る街を歩いていた。歩道橋を渡ってちらりと歩道を見下ろすと、色とりどりの傘が咲いていた。車のテールライトと信号機ばかりが目を引く夜だった。
 いっそのこと靴の中がぐっしゃりと濡れるほど降ればいいものを。歩道橋の階段を下りながら、加門は考える。霧雨は験が悪い。割り箸が巧く割れなかったとか、タコ焼きにタコが入っていなかったとか、その程度のことだ。とにかく、加門が考えるにこういう夜はまるでのらないのだ。
 たしかあの人は、こんな雨の日でも窓を全開にして能天気な声で「粉みたいにさらさらした雨」と霧雨を形容して一人で笑っていたけれど、そんなときでも加門は早く窓を閉めろと言った気がする。本当のところがどうだったのか、まるで記憶にはない。確かなことは、加門が今粉みたいなさらさらした雨をよく思っていないということだ。
 歩道橋を渡り終えて、歩道橋の下でコソコソ話しをしている若い男女を一瞥する。二人はこの陰鬱な雨の中、嬉しそうに声高に笑っていた。こんな風に笑えていた頃があっただろうか。傘を差していない加門を片方が指差したので、二人の視線は加門に向けられた。肩をすくめてやりすごす。
 こうやってなにもかもやりすごしてきたのだと、自覚した。
 ポケットから煙草を取り出して一本つけると、煙草は一応まだ乾いていて火はきちんとついた。路地を曲がった暗がりに、たった一つの小さな光が灯る。白い煙さえも、光がなければ見ることはできない。


 ――エピソード

 雨は嫌いではない、心の不浄を洗い流してくれるようだから。
 フラッシュバックする回想シーンはいつもどこか他人行儀で、それが事実だったのかどうか、わからなくさせる。雨はそんなことにはおかまいなしに、静かに音を立てずに降っていた。しっとりと濡れた服と、足元で音を立てる落ち葉、そしてその足元をすくわれるような感触が、冠城・琉人を不安定にさせた。足は落ち葉に静かに沈み、それと共に心まで踵より下へ持っていく。
 濡れた落ち葉の匂いが辺りには立ち込めていて、気分が悪い。
 誰もいない公園に一人、琉人は立っている。
 足を踏み出すごとに、みしりみしりと落ち葉が小さな悲鳴をあげる。
 濡れた膝丈の黒装束は、琉人の肩をたしかに重たくさせていた。
 特になにがあったわけではないのだ。琉人は静かに考える。出先からの帰り道に、たまたま霧雨が降り出しただけだった。霧雨は視界を遮りしかしその名の通り、まるで霧のようにうすぼんやりとした印象で降っている。霧はまるで心を写す鏡のようで、琉人はそれを見なかったことにした。
 公園を抜けると、傘を持った多くの人が往来を歩いていた。
 まるではじめて傘と雨の中を歩く人々の顔を見たような気がして、琉人は立ち止まった。過ぎて行く人は、それぞれさまざまな表情をしていた。誰も霧に写った自分の影など気にしている様子ではない。
 琉人は少し帽子の庇を下げた。
 
 
 霧雨は不思議な予感を連れてくる。
 オレンジ色の傘を開いていたシュライン・エマは予感に連れられて、本屋の軒先に身体を入れた。傘を斜めにすると、するりと水滴が移動していく。そのかすかなつうという音は、透明感があってとても心地よい。
 傘をくるくると巻いて閉じてしまってから、シュラインは霧雨の中を歩き出した。細かい雨は少し風に煽られて、まるで粉雪のように舞っている。風に合わせて往来の人々の傘がゆっくり揺れる。傘に落ちた雨はほんの少しだけパッという音を発して、そのあと静かに流れ落ちる。つうという単語が一番近い。そして傘から落ちる瞬間に、タッという音をさせる。それは多くの人には認知できない音だ。
 やわらかく人を包むように降る雨は、遠慮がちな音さえも優しい。
 しっとりとした粉っぽい香りを鼻に感じながら、歩き出したシュラインの顔に細かい雨が降っていた。
 もう十月も終わりに近い。
 街はすっかり冬の訪れを歓迎していた。ショーウィンドのツイードの新作コートはコミカルでかわいらしく、黒と白のツイードのコートが自分に似合うかどうか考えてしまった。今日はレザーではなく、フェイクレザーのジャケットを着ていたので、少しぐらい濡れても平気だった。革製品は濡れるときれいに拭き取らなくてはならないが、偽物なら平気だ。九月半ばにバーゲンで安くフェイクレザーを購入しておいてよかったと、くだらないことを考えた。


 大通りから入った路地の奥に、小さな空き地があった。傘は持っていなかった。雲の立ち込める夜空を、黒・冥月は見上げていた。
 思い出は雨ばかりだと、彼女は思っていた。雨のような天候のときに仕事をするのが多かったし、晴れた日に往来を闊歩することはほとんどなかった。たしか、彼が死んだ日も雨だった。心が濡れるような、凍えるような冷たい雨を忘れることはできない。
 だから雨は基本的に嫌いなのだ。
 それでも、霧雨はいくらかましに思う。サラサラと降る雨は、街と心に静寂をもたらしてくれるような気がするからだ。少しだけ心が穏やかになる。
 雨は嫌いだが、私はあめの中を出歩くことをやめないだろう。たとえ辛い記憶でも、そして少ない幸せの記憶でも、あの人……彼とのつながりを求めて。
 空き地には若い東洋人がゴロゴロと転がっていた。
 転がしたのは、冥月である。
 彼女はやはり追われる身であるらしい。しかし、誰も彼女に敵う筈がないのだ。
 影をまとった彼女はなにもかもからの武器から身を守れ、何者にも侵害されることはない。そう、身体的に彼女は無敵なのだ。
 だが彼女の頭にフラッシュバックする光景は、辛いものだった。転がる躯、降り続く雨。もういない彼。
 それなのに、昔よりは悲しくないのはなぜか。
 自分に問いかけて、時間を実感する。悲しみや思い出は静かに薄まっていくのだろうか。
 きびすを返して空き地を後にしながら、ぼんやりと考えていた。


 通り魔が出没する箇所をいくつかピックアップして、日付ごとに整理し今日あるであろう犯行に備えていた。そういった細々としたことは、如月・麗子に頼んであった。彼女は優秀なので、おそらく間違いなくその通りに通り魔は現れるだろう。深町・加門は雨に濡れたまま、煙草を吸っていた。
 狭い夜の公園には誰もいない。加門は煙草をくわえたままベンチへ近付いて、足跡の残っているベンチをちらりと横目にし、ブランコに座った。キイィと小さな金属のこすれる音がして、ゆらりとブランコが揺れる。公園は一本の街灯を灯しただけで、暗かった。照らされている滑り台の階段と鉄棒が、無機質に見える。子供たちの遊ぶ金属片は、夜になると少し不気味な色を帯びた。公園の砂は水を吸っていて、加門の革靴の底にかすかにまとわりつく。フィルター近くまで吸った煙草を下へ落とし、もう一本煙草をくわえた。もう随分外にいるので、湿った髪から水滴が落ちてきている。
 加門は髪を乱暴にかきあげた。
 火をつける前に不用意に息を吐き出すと、白く残っていた。今日は今年一番の冷え込みらしい。近付いてきた冬の気配に、加門は眉を上げる。もう冬かと思う。彼女がいなくなったのは何年前のことだっただろう。煙草をくわえたまま携帯の時計を見ると、もう九時を回っていた。公園に面している通りを、車が音を立てて走って行った。加門は百円ライターを取り出して、煙草に火をつけた。冷たい風を避けるように手で囲いを作り、火をつける。今は煙草よりも酒が飲みたいと、頭の端で考えた。まさか仕事中にしかも公園で飲むほどのことはないと思ってはいたけれど。
「……くそ寒ぃ」
 本当は寒いのではなく、寂しいのだとわかっていながら加門はそうつぶやいた。
 
 
 すっかり全身が濡れてしまったことに、少しだけ後悔していた。
 けれど帰って一番にシャワーに入ることを考えれば、これも悪くないと思える。少し前から雨足が強まってしまっていた。随分濡れていたから、傘を差すことはしなかった。肩や頭に当たった水滴が跳ねる感触がする。アスファルトへ落ちた雨がはねっかえり、音を立てる。パツン、パツンといった小さな破裂音が水滴の壊れる音に聞こえる。
 やはり霧雨の方が心地いい。
 ピシャンとわざと水溜りに足を突っ込みながら、シュラインは思っていた。
 あと五分も歩けば家に帰れる。ちょっと遊びすぎたと彼女は一つ溜め息をついた。雨雲のかかる空を見上げると、空はひどく低く見えた。雲は迫ってくると錯覚するほどの色合いで、静かに雨を降らせている。
 この先の路地を曲がると街灯が一つ壊れていて、長い距離に等間隔で光が灯っている。少し間隔が開きすぎではないかと、シュラインは常々感じていた。


 前を行く人影が、どうやら知り合いらしいと気が付いたのは彼女が角を曲がる少し前だった。琉人は遠くから声をかけようかとしたが、そういう気分にはなれなかったので、黙って彼女を見送った。この道を真っ直ぐに行くのが琉人の帰路だ。どうせまた近いうちに彼女とは会うだろうし、わざわざこんなさめざめとした夜に足を止めさせることもあるまい。
 シュラインは傘を差していなかった。もしかしたら、琉人と同じように物思いに耽っていたのかもしれない。そうだとしたら自分から声をかけるのは野暮だ。
 立ち止まって帽子を取り、髪をかきあげる。
 しゃっと帽子を振って水滴を飛ばしてから、かぶり直した。すっかり芯まで濡れてしまっていたが、手袋を外した手で肩の水を払った。
「ずいぶんと濡れましたね」
 独り言を口にして、自分で少しだけ笑う。
  
 
 公園の出入り口の近くにある木に寄りかかりながら、加門は通りに目を光らせていた。T字路を曲がった女が歩いてくる。住宅街にあるこの通りにはいくつもの路地が繋がっている。あちこちで交わったり突き当たったりしているので、路地に張り込むことは無理だった。後ろから通り魔がやってきたら、男が立っていれば知らぬ顔で行き過ぎてしまうだろう。
 ちょうどいい位置にあった公園から窺うのが一番だと思っていた。
 さっきブランコの上で吸った三本目の煙草を最後に、煙草を吸うのもやめていた。テロリストに比べれば、殺人者とはいえ通り魔になど興味はない。どうして自分はここにいるのだろうと考える。そんなことはどうでもいい。頭を切り替える。
 捕まえればすっきりするだろう、単純にそう決め付けた。
 静かに人影が公園の前を横切る。
「おい」
「……ん?」
 その影は長い髪を濡らしている冥月だった。
「ちょっと待て」
「加門か……」
「この通りに」
 物思いに耽っていた風の冥月は加門の台詞を遮った。
「ジャスから連絡はあったのか」
「ねえよ、そんなもん」
「また会えるといいがな」
 ふっと顔を伏せた冥月が影に消えようとする。加門は声を荒げた。
「ちょっと待て、話を聞けって」
「……なんだ?」
「この辺に通り魔殺人犯が出るんだよ、で、張ってるわけだ」
「だからどうした」
「お前、すぐ凶器持った奴わかるんだろ。誰か襲われる前に捕まえちまえば、安全だろう」
 冥月はそうかとうなずいて、すうと影に消えていった。
 そして次の瞬間影から出てきた彼女は、片手で男の襟首を持っていた。カランと包丁が落ちる。
 男は訳が分からないという顔でいた。
「これでいいのか」
「ああ、これでいい」
 冥月は加門に通り魔を引き渡すと、少し目を細めてから影の中へ消えて行った。
 
 
 ――エピローグ
 
 シュラインはバスタオルと足拭き用のタオルを用意して、ソファーにも大きなタオルを敷いておいた。シュラインがジーンズとトレーナーで出てくると、二人は渡されたハンガーに上着を掛けていた。リビングへ戻ってみると、それぞれ自分のバスタオルを床に敷いて腰かけている。
「お茶漬けは私がやるわ、冠城さんはおいしいお茶、お願いしますね」
「そうですか」
 立ち上がろうとする琉人を制して、シュラインは笑う。
「お湯沸かしますから、今」
 加門はテレビの上に置いてある耳掻きの置物を手に取っていた。
「しかし寒かったな」
 席に戻って加門がつぶやくと、琉人がこくりとうなずいた。
「まったくです」
「お菓子食べる?」
 シュラインがキッチンから叫んだので、加門が答えた。
「もらう、もらう」
 ひょいと立ち上がる。
「羊羹とお煎餅とかっぱえびせん」
「あー? 適当なの」
 琉人も落ち着かないのかキッチンに顔を出した。
「何全員キッチンに集まってるのよ」
 顔を見合わせて笑った。


 ――end
 
 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女性/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2209/冠城・琉人(かぶらぎ・りゅうと)/男性/84/神父(悪魔狩り)】
【2278/黒・冥月(ヘイ・ミンフュ)/女性/20/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】

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■         ライター通信          ■
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 ジャック・ザ・リッパーにご参加ありがとうございました。
 コンセプトの方向性から、前半は台詞がなかったです。
 お気に召せば幸いです。
 
 文ふやか