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どっちもどっちなのじゃ。
その鼻輪は由緒正しき品であった。故に、それはそれはこれまでにそいつが経てきた年代を見るからに感じさせる趣と風情があった。
「まぁようは尋常でなく煤けて古臭い骨董品、と言う意味でもあるがな」
「……浪漫の欠片もない女子(おなご)ぢゃの、おんしは…」
狩雄登呂城から盗み出した、うら若き可憐な乙女の子牛と婚姻の印である鼻輪。その時の強奪メンバーである源、兵衛、嬉璃に加え、今回は大介もそこに加わって四人で廃屋の一部屋に詰めているのであった。
「…で、この鼻輪。一体、何の価値があるんだ?」
寝袋を枕に仰向けに寝っ転がった大介が、例の鼻輪を天井から吊るした簡易ランプに透かして見る。立てた片膝に逆の足を引っ掛け、ぶらぶらさせながらの余裕ぶちかましの体勢だ。そんな大介の手から、嬉璃がひょいっと鼻輪を奪い取る。そんな嬉璃の片手にはフォーク。どうやら食事時らしいのだが、四人の前にある料理はと言えばただひとつ。大皿に積んだナポリタンスパゲッティだけだったが。
「粗雑に扱うでない。わしらが死に物狂いで奪ってきた品ぢゃぞ」
「そうとも、わしのお気に入りの振袖を台無しにしてまで奪ってきた大事な鼻輪じゃ」
「…もしかしなくとも根に持っているでござるか、源殿……」
傍らで胡坐をかき、その足の間に愛刀・斬甲剣を抱えた兵衛が遠い目でぼそりと呟く。源は、最後の最後、城から逃げる際に火が燃え移った振袖の袖を鮮やかに斬って捨てられた事が忘れられないらしい。愛しい人の珠の素肌を火傷なんぞで傷つけてはならぬ、との兵衛の思い遣りであったのだが、その真意は受け取って貰えなかったようだ。大金持ちで同じような柄の振袖を何十揃えと持っている癖に、細かいところで妙に拘るお嬢様である。
「ともかく、そんな危険を冒してまで盗って来たお宝なんだ、なんか目的とか意味があるんじゃないのか?」
大介が身体を起こし、傍にあったスコッチの瓶を掴むと、アルミのマグカップになみなみと注ぎ入れた。ぐびりとそれを喉に流すのを、じっと見詰める源。どうなのぢゃ、と返答を求める嬉璃に、源が不意に『てへ♪』と照れ隠し笑いをする。
「どうであろ?そこんこと詳しい事はわしにも判らぬ」
「おんし…言うに事欠いてそれか!」
だん!と嬉璃が簡易テーブルを拳で叩いている間に、源が大皿に積み上げられたスパゲッティを、フォークにくるくると糸巻きのように巻き切って奪取しようとする。その策略?に気付いた嬉璃も、フォークで応戦するが、パスタの殆どを源に持っていかれ、口惜しそうに下唇を噛み締めた。
「…重ね重ね、腹の立つ女子ぢゃ、まったく……」
「っつうか、ただ単に食い意地が張ってるだけだろ、おまえさんら」
大介が小声でぼそっと突っ込むが、それには源も嬉璃も聞いてない振りをした。
そんな間に、いつの間にか例の鼻輪は兵衛の手へと渡っていた。兵衛はそれを四方八方からじっくりと観察する。
「……永正十四年、後柏腹天皇の時代のものでござるな」
「なんじゃと?兵衛殿、まさか骨董品の価値が判るとでも言うのか?」
聞きようによっては強烈な厭味だが、根が素直な兵衛はそうとは受け取らず、いいやと首を左右に振る。
「全てを見分けられる訳ではござらぬ、ただ、この鼻輪の側面に掘り込まれた、これはなんじゃもんじゃ様式の唐草模様…これは、後柏腹天皇の時代に、高級官僚達の間で流行った紋様でござる。しかも、この唐草の跳ねの部分、この巻き具合は永正十四年に限定で作成されたものだと聞いた覚えがあるでござる」
「なるほど、庶民の血と汗の結晶を無造作に喰らって華開いた文化と言う事ぢゃな」
嬉璃が頷く。兵衛が、鼻輪を己の頭上に翳し、吊るした簡易ランプの光に透かして見た。
「しかもこの細工、細かなところまで良く掘り込まれておる…なかなかの名工の手でござろうな。場合によっては、本当に天皇家の財宝かもしれないでござ……ん?」
兵衛の言葉が途切れたのを、何かに気付いた印だと理解した三人は、鼻輪をじっと見たままの兵衛へと意識を定める。
「ここに何か文字のようなものが掘り込まれているでござるが…拙者では読め申せぬ」
「どれ。貸してみよ」
困惑の表情を浮かべる兵衛に向け、源が手を伸ばす。受け取った鼻輪を、さっき兵衛がしたように、ランプの光に透かしてみた。
「………。光と影、…磨り減っていて良く読めんのじゃ。これは、古代猛蒙(もうもう)語じゃな」
「…おんし、いつの間にそのような……」
無駄な知識を、と言い掛けて嬉璃は口を噤む。理解する者が少ない→学ぶ者も少ない→学ぶ価値が余りない古代猛蒙語とは言え、今はこの鼻輪の価値を探る為に重要な知識である。源のご機嫌を損ねるようなことがあっては絶対にならぬのだ。
が。
「…嬉璃殿、今、世界規模で無意味なとか刃の無いハサミ程に役に立たないとか電信柱並みのデクノボーとか、心の中で思ったじゃろ」
「そこまで酷い事は考えておらぬ。ただ無駄な知識だと思っただけぢゃ。……あ」
まんまと引っ掛かって白状させられた嬉璃と、してやったりとの表情の源。その傍らの男子二人は、顔を見合わせて互いに小さく首を左右に振り合う。
「…もういいか、いつものボケとツッコミは」
「何を言う、わしらは漫才師ではないぞ」
「似たようなものでござる。…で、とにかく、その鼻輪には古代猛蒙語で何かが書かれているのでござるな?」
確認をする兵衛に、改めて源が鼻輪を見、そして頷き、言った。
「じゃが、どうせ大した意味はあるまい。捨て置け」
「………はぁ!?」
嬉璃と大介が同時に声を上げた。煩いとばかり、源は顔を顰めてその場を立つ。
「と言う訳で、わしは降りた。あとは好きにするがいい」
そう言い残し、源は振り返りもせずに廃屋を後にする。が、出て行く直前、兵衛に何かい痛げに目配せした事には、嬉璃も大介も気付いていなかった。
「わしが思うにこれは、幻の民族と伝えられておる古代猛蒙人が遺した、宝の在り処を示す暗号か何かなのではないじゃろうか?」
源が、鼻輪を手にそう言うと、兵衛の表情もみるみるうちに変わった。ここは、先程の廃屋から少し離れた某飲み屋。源の目配せに応えた兵衛と、二人きりの秘密会談である。
「なるほど…そこに書かれてある文言には、ちゃんとした意味があると言う訳でござるな?…しかし源殿、なにゆえそれを皆の前で言わなかったのでござるか?」
兵衛の問いに、源はにやりと口端を持ち上げて笑ってみせる。
「痴れた事、一を四で割るか二で割るか。真っ当な思考能力を持ち合わせたものならば、どちらを選ぶかは明白であろ?」
確かに理屈はわかるが。兵衛としても、当然後者を選びたいのであるが。
だが、と兵衛の心中で誰かが叫ぶ。拙者の正義はそのような不義理を許さぬ!嬉璃殿も大介殿も、大切な仲間でなかったのか?!
「…これは、わしと兵衛殿のふたりっきりのヒ・ミ・ツ♪じゃ」
嬉璃殿、大介殿、すまぬ…拙者にも譲れぬものがあるでござるよ……。
ある意味、世界一幸せな男である。
「まずは関係者の聞き込みからじゃ。情報は足で稼がねばのぅ」
宝捜しが、いつしか刑事の捜査みたいな事を言っているが、一応は正論である。源と兵衛の二人は、この鼻輪の本来の持ち主である、子牛の元へと向かった。
意に添わぬ結婚をさせられようとしていた子牛は、源達によって救い出され、今は緑の牧場でのんびり暮らしている。遠くから源達の姿を認め、嬉しそうに駆けてきた。
「おお、元気そうで何よりじゃ」
(当たり前よっ、だって源サン達がアタシを助けてくれたんじゃないの〜ぅ)
と、子牛が言った訳では無いが、そんなような表情をしていた。と言うのは源の主張である。
「ところで……これに見覚えはあるな?」
(それは…あの時の鼻輪ね…アタシの家に古くから伝わる、猛蒙王家の継承者である事を示す鼻輪…でも今は源サンにお礼としてあげたんじゃないの〜ぅ)
「…源殿、…拙者には、子牛殿にはなんの断りもなく鼻輪を持ち帰っただけだと記憶しているのでござるが…?」
「喧しい。嘘も方便じゃ(使い方間違ってます)」
いずれにせよ、鼻輪を見ても焦ったり興奮したりする様子のない所を見ると、今の子牛にとっては、その鼻輪はさほど価値のあるものでもないらしい。そうすると、先程の源の、猛蒙王家継承者の証云々と言うアテレコは実に怪しいものであるが、その辺りを的確に突っ込んでくれる嬉璃は、残念ながら今はここにはいない。
「で、じゃ。聞きたいのは、この腕輪に隠された秘密であるが……」
(ひみつ?)
「……ヒミツ…」
首を傾げて問い掛け返す子牛はともかく、【ヒミツ】と言う単語にすっかりなにやら妄想爆裂気味の兵衛は如何なものか。源はさり気なくでもなく、きっぱりとそんな兵衛は無視をして、子牛にだけ頷き返した。
「そうじゃ。ほれ、ここに古代猛蒙語による掘り込みがあるじゃろ?掠れてよく見えんのじゃが、ここに何が書いてあったか知らぬか?ほれ、かような重要な文言は、大抵はその王家に伝わる古き謡などとして語り継がれている、と言うのがお約束じゃからな」
のう?と満面の笑みで子牛に同意を求める源であったが、当の子牛はと言えば、たださっきとは反対向きに首を傾げただけだった。
「…のぅ、教えてはくれぬかのう…悪いようにはせん、勿論、得た宝の何割かは子牛殿に差し上げるゆえ」
「……?ンも〜ぅ」
「そんな惚けずとも良い。子牛殿も人が…いや、牛が悪いの」
「モ〜〜ぅ〜〜」
「…わしが大人しく下手に出ておるうちに白状した方が身の為じゃ。わしとて知らぬ仲ではない子牛殿に、手荒い真似はしたくないのじゃ」
懇願から脅迫へと、源も説得が姿を変えるなか、子牛は相変わらず平和そうな顔で首を右へ左へと傾げているだけだ。
「子牛殿…良かろう、覚悟は出来ておるようじゃな?」
「んモ〜ぅ」
べろん。
「うおっ、何をするのじゃ、子牛殿!」
子牛は一声無くと、源が手にしていた鼻輪を、厚い舌で徐に舐めたのだ。当然、牛の唾液がべっとりと、源の手ごと鼻輪に塗れたのであった。
「なんと、所詮は牛か…わしの言葉は通じておらなんだか……!」
「源殿。これを見るでござる」
激昂する源とは対照的に、至って冷静に兵衛が言う。なんじゃ!と半ばやつ当たり的に怒鳴り返す源であったが、兵衛が指差すそれに気付くと、はっと目を見開いた。兵衛の指先は、例の言葉が掘り込まれた部分をさしている。だが、そこにある文字の配列は、先程源が読んだものとは違うものに見えた。つまり、
「これは……?」
「先程、子牛殿が舐めた事により、掘り込まれた文字の溝に唾液が入り込み、変化したように見えるのでござるな」
「…じゃが、溝が埋まっている部分とそうでない部分とあるぞ?」
「恐らく、埋まってない部分には水分を弾く細工がしてあるのでござろう。…つまりこれは、水を、それも多少粘液質な水分をかける事によって浮かび上がる、隠し文字だったのでござるよ」
つまりは、子牛の唾液が、掘り込まれた文字の溝を所々埋めた事により文字が違って見え、それらが新たな文章を作り出している、と言う訳だ。巧みな技でござる。いたく感心して兵衛は頷くが、源の表情は逆に険しくなる一方だ。
「如何なされたのでござるか?源殿」
「……如何も蛸がもあるか―――!!」
キイッ!と髪を掻き毟って源が歯軋りをした。その表情を見ただけで、彼女が悔しがっている事は明白の理だが、さすがに愛する相手とは言え、その原因までは知る由もない。
「…み、源殿……?」
「ったく、ふざけるのも程があるぞ!おのれ、これが古代猛蒙王国の企みか!」
「一体、何と言う言葉が隠されていたのでござるか?」
「うむ。それがな…『宝の在り処が記されていると思った者ども。残念だったも〜ぅ。これはフェイクだも〜ぅ』と書いてあるのじゃ!」
「………」
さすがに兵衛も言葉を失い、唾液に塗れた鼻輪を見遣った。その傍らでは、アタシには何の関係もないのよ〜ぅと言わんばかり、子牛嬢がのんびりと欠伸をしていた。
さて、その頃―――。
「…いいのか、あいつらほっといて」
サイドカーの座席に、いつものように両足を投げ出し、帽子を顔の上に乗せて日除けにした大介が言う。
「構わぬ」
そう答えたのは嬉璃。バイクを運転中の座敷わらしは、田舎の一本道をひたすらに駆け抜けていた。
源が兵衛に目配せした事は、実は大介も嬉璃も気付いていたのだ。だが、敢えて何も言わなかった。大介としては、敢えて面倒臭い事に首を突っ込む必要はないだろ、との見解だったが、だが彼としては、嬉璃が何も言わずに黙って二人を送り出した事が不思議だったのだ。
「おまえさんの事だ、あいつらの後を付けてって、お宝を掻っ攫うぐらいの事はするかと思ったんだがな」
「見縊るでない、そのようなコソ泥のような真似が出来ると思うのかえ」
はっ、と鼻で笑う嬉璃だが、大介は心の中で思いっ切り『出来るに決まってるだろ』と突っ込んでいた。
「確かに、あの鼻輪には宝の在り処が示されていたかもしれぬ。ぢゃが、おんし、何の宝が隠されているかと言うのは、実際に発見せねば分からぬぢゃろ?」
「…まぁ、そうだな」
「わしは、そのような不確かな情報に惑わされる程、戯けではないと言う事ぢゃ。それよりは、ほれ…」
嬉璃が、顎でサイドカーの後方部分を示す。そこには、あの花輪を奪ってきた時に一緒に持ち帰ってきた、偽札の原版が何枚も無造作に突っ込んであった。
「これで一儲けした方が堅実、と言う訳か」
「その通りぢゃ。わしに協力すれば、勿論おんしにも何割かは融通するからの」
「当てにしないで待ってるぜ」
何しろ、屋台の売り上げの半分を奪っていく鬼の雇い主だ。期待すればする程、後の落胆が大きい事は既に承知済みだ。
それでも大介は、どこか楽しげな様子で、サイドカーの乗り心地の悪い揺れを堪能していたのであった。
……だが、その時点で、嬉璃も大介も気付いてはいなかった。
………彼らが持ち帰った偽札の原版は、全てが裏の部分の版であったと言う事を―――…。
おわり。
☆ライターより
いつもありがとうございます!碧川桜でございます。
そして相変わらずですが、遅くなりまして申し訳ありません(平身低頭)オオトリ!と言う事で妙な気合いが入りまくり、いろいろと思案しているうちに瞬く間に日数が過ぎ…(遠い目)
その後期待にお応えできたかどうかは現時点では不明ですが、少しでも楽しんで読んで頂ければ幸いです。
ではでは、またお会いできる事をお祈りしつつ…。
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