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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


秋のしあわせ。



 一年の分岐点となる、10月31日。
 その夜、死者の霊は懐かしき生家に舞い戻らんと人の世を徘徊し、ありとあらゆる精霊達は大いなる力を発揮する。ときに悪霊は子供を攫い、農作物に害を為すとも言われ、悪しきものを祓い去るために人々は火を焚き、霊を怯えさせるような仮装をして闇を支配する。
 彼岸と此岸とを隔てている境界が揺らぎ薄れ、ともすれば眼に見えぬ何かをこちら側に引き込んでしまいかねない大晦日。明けて、翌11月1日は新しき年の始まりである。
 むろんそれは、古代ケルトの暦に於いてのお話――――。


SCENE-[1] 秋の愉しみ。


 コトリ。

 繊細なレースのカーテンに縁取られた出窓を開けた途端、まるで待ちかまえていたかのように、柔らかな涼風が部屋に吹き込んできた。
 春先とは異なり、どこか心深く沁み入るようなノスタルジック・ブリーズ。
 銀木犀から金木犀、金木犀から柊木犀へと、秋が深まるごとに花の香は移り、いま少しすれば柊の白花の香りが風に運ばれ来るだろう。
 セレスティ・カーニンガムは、秋の澄みわたった高天から降る午后の陽光に、背を長く垂れる銀の髪を煌めかせ、胸腔深く微風を採り入れた。
 明日には11月の声を聞こうというこの時季、朝夕の冷え込みはかなり本格的になってきたものの、晴れた日の午にはまだ穏やかな温もりを肌に覚える。
「……心地よい風ですね」
 セレスティは暫しそのまま秋風に髪を游ばせ、両瞼を静かに下ろして唇に微笑を載せた。
 と、窓外から、
「Trick or Treat !」
 歪なまでに平坦な発音の、耳慣れた文句が飛び込んできた。
 続けて、子供達のはしゃぎ声が耳殻に滑り込む。
「おまえ、おっかしいよ、発音! テレビで聞いたのは、もっとカッコよかったぞ!」
「そんなこと言われても……、英語だしさ」
「いいから、練習、練習! 上手にできたらチョコレートのお菓子たくさんくれるって言ってたんだ、隣の家のおばさん」
「チョコレートのお菓子って、どんな?」
「え? えぇと……チョコチップクッキーとか、トリュフとか、チョコレートケーキとか」
「おいしそうだな……。よしっ、頑張る!」
 屋敷の誰かが近所の子供達を庭に導き入れて、遊び場を提供したのだろうか。
 隅から隅まで丁寧にととのえ設えられたカーニンガム邸の庭園は、一部特別なスペースを除き、基本的には開放されている。それゆえ、今日のようにきれいに晴れた日曜日、子供の声が木々花々の間に聞かれることも珍しくはない。調子にのって花を手折り、庭師にひょいと抓み出されるいたずらっ子も時折いるらしいが、そんな光景を加味しても、庭園は華やかにこの近隣に調和していた。
「Trick or Treat !」
 今度は、先刻より幾分それらしく聞こえるその言葉にくすくす笑い、セレスティは白い指先を顎にあてて小さく頸を傾げた。
「……ハロウィン、ですか」
 呟いたその声に、わずかな郷愁の色が交じる。
 セレスティの生誕国、アイルランド。
 そこは数々の伝説やフォークロアの色濃く残る、大いなる自然に愛された国。「エメラルドの島」との別名をも持つ美しきアイルランド島は、たとえばバンシーなどといった妖精の話題にも事欠かない魅惑的な地である。
 バンシー。
 そう、アイルランドは、セレスティの故郷であると同時に、愛しい彼女の――――ヴィヴィアン・マッカランの故郷でもある。
 二人にとって共通の意味合いを持つ、アイルランド。
 古く歴史を遡れば、ハロウィンの行事もまた、アイルランドの伝承に端を発していることが分かる。簡単に言ってしまうと、古代ケルトの慣習に古代ローマの収穫祭とキリスト教の万聖節前夜祭が併合された結果誕生したのが、現在のハロウィンの祭なのである。
 だが、それはそれとして。
 セレスティ自身は、今までハロウィンを取り立ててこれは大イベントよと祭り掲げ上げたりはしてこなかった。アイルランドには民俗的な伝統や伝承事は数多くあり、どれもみな過ぎゆく日常の、とある一日に纏わる出来事という意識がある。ハロウィンについてもまたそのように捉え、くっきりとした祭の輪郭を己の裡に描き暮らしてきたわけではないのだ。
 しかし、そこへきて、日本というのは面白い国である。
 ハロウィンが一体何の祭なのだか分かっているのかいないのか。どうにも、ただ楽しそうだから一緒になって騒いでいるという感が否めない。そしてそれが、セレスティにとっては不快ではない。伝統的な枠に縛られず、素直に楽しそうなものを楽しみ、嬉しいと思うことを喜ぶ。日本のそんなやり方は、確かに「正式な祭典」と呼ぶには程遠いけれど、今このとき異国の地に在る身に、故郷を思い起こす明るい賑わいをもたらしてくれるには十分だ。
「……急にチョコレートが食べたくなりましたね」
 セレスティは、まだ「Trick or Treat」の練習を繰り返している子供達からゆっくりと視線を室内へ移し、恋人の笑顔を脳裡に描きつつ眼を細めて微笑んだ。
 明日は、11月1日。
 ハロウィンに肖って、生誕の地に根差す家庭料理を彼女に作ってもらい、二人で楽しむのもいいかもしれない。形式張らず、ともに故郷に思い馳せては穏やかに笑い合えるような秋のひとときを過ごすのは、きっとしあわせなことだろう。
「今日のうちに連絡を入れておきましょうか。……ヴィヴィはなんて言うでしょうね」
 セレスティは、ハロウィンの話を持ちかけたときの彼女の表情を想像しながら、電話に手を伸ばした。


SCENE-[2] 秋の妖精。


 ふわふわ。

 今日のヴィヴィアン・マッカランを的確に形容するなら、ふわふわ、である。
 秋らしいココアブラウンの、別珍素材ファージャンパースカートを身に着け、胸許と膝丈の裾をフェイクファーでふわふわ縁取り。フロント部分はスウェードリボンで編み上げられており、肩に羽織ったケープまわりはケミカルレースで繊細に飾られている。
 可愛らしい品の良さを感じさせ、ほのかにクラシカルな雰囲気漂う――――それは正しくゴスロリファッション。後ろを向けば蝶のかたちを象ってふわりと結ばれたウェストリボンが愛らしく、ジャンパースカートと同じ別珍のローズヘッドドレスとも相俟って、深まりゆく秋の妖精を思わせる柔らかな装い。
 そんなヴィヴィアンの胸の裡は、こちらも負けず劣らずふわふわであった。
 (セレ様ー……)
 月曜の午前、今は大学の講義中だというのに、ヴィヴィアンの心は昨日電話で聞いた恋人の優しい声音に浸されていた。上質なルビーのように大きく輝く紅の双眸が、うっとりと潤んで見える。
『明日、私の家で、一緒にお食事でもいかがですか? ……私から誘っておいて何ですが、できればヴィヴィの手料理を口に出来たらとても嬉しいのですが』
 そう言うセレスティの声はどこか楽しげだった。
「セレ様のおうちで一緒にお食事ですか? きゃあっ、嬉しいですぅ! 明日というと、ハロウィンのお料理ですねっ、はい、あたし頑張りますぅ」
 ヴィヴィアンは嬉々として応え、すぐさま脳内にさまざまな料理を思い巡らせた。
『ええ、ハロウィンには違いありませんが、あまり気負わずに、ふたりでアイルランドの家庭料理でも楽しめたらと思うのですよ』
 恋人の張り切りように笑みをこぼしながら話すセレスティに、ヴィヴィアンは携帯電話を握り締めたまま幾度も肯き、うきうきと言葉を継ぐ。
「明日はあたし、午后の講義が休講ですからぁ……セレ様とふたり、少し遅めのゆったりディナー、なんて感じも楽しそうですしぃ」
『ああ、それは素敵ですね。もし晴れたら、庭に出て秋の空気を感じながらのディナーにしましょうか』

 ディナー。

 ここ日本ではその言葉は夕食をさすことが多いが、アイルランドに於いては「一日の中でメインとなる食事」のことをディナーと呼ぶ。つまり、三食のうち一番落ち着いて食事をするのがたとえば昼食なら、それがそのまま「ディナー」なのである。そして、昼過ぎにゆっくりディナーを摂った場合、その日はもう夕食らしい夕食は食べないことが多い。その代わり、夕刻に紅茶とお菓子を用意してのティータイムを設けるのだ。
 おそらくセレスティとヴィヴィアンもその慣習に則り、あたたかな手料理に舌鼓をうったあとは、のんびりと庭を散策でもして時を過ごし、風が冷たくなってきた頃には美味しい紅茶で秋の宵を堪能することになるのだろう。
『……では、また明日。大学の講義が終わる頃合に、車でお迎えに上がりますよ、姫』
 最后は少々悪戯っぽく言い添えて、セレスティは受話器を置いた。
 そのあと暫く、ヴィヴィアンは耳許でぼうっと電話の発信音を聞き続けていた。

 ――――では、また明日。……車でお迎えに上がりますよ、姫。

「……セレ様ぁ……」
 ほう、と、ひとつ甘い溜息を吐く。
 (明日、っていうかぁ、……もう今日、どころかもうすぐなのよねっ)
 講義終了まで残り5分。
 ヴィヴィアンは机上のノートにメモした本日のレシピをじっとみつめた。
 セレスティは、料理に必要となりそうな大体の食材や調味料は揃っているから気にしなくていいと言っていた。彼がそう言うなら間違いはないだろう。ヴィヴィアンとしては、今日このあとセレスティのお迎えを待って、一緒にカーニンガム邸へと向かい、調理に突入するだけだ。

 ジリリリリリリ。

 講義終了のベルが鳴り響く。
 ヴィヴィアンが荷物片手に駆け出す。
 ふわふわスカートを舞わせながら、正門近くで待っているだろう恋人のもとへ。
 速く。
 早く。
 はやく、逢いたい。

「……っ、セレ様!」
 腰まである長い銀の髪を風に靡かせて、笑顔のヴィヴィアンは、頭上に翳した手を大きく振った。
 その視線の先にいる、セレスティに向かって。


SCENE-[3] 秋の食卓。


 アイルランドの家庭料理は、豪華で贅沢というよりは、素朴であたたかい。
 そんな、印象がある。

 ガーデンに据えたテーブルを、オフホワイトのクロスで蔽う。
 その中央に置いた銀のトレイに、ジャムの瓶をきれいに並べる。
 ブラックベリーとりんごのジャム。マーマレード。それからクリームチーズのディップ。
 その傍らにはパン。ブラウンソーダブレッド。ポテトブレッド。
 飲み物はアイリッシュ・コーヒーとレモネードを用意。
 メインディッシュはラムと様々な野菜を煮込んだアイリッシュ・シチュー。
 マッシュポテト。
 ムール貝のワイン煮。
 デザートには、アイルランドのクッキングアップルを使ったアップルチーズケーキ。

 ヴィヴィアンはテーブル上にひとつひとつ丁寧に配置すると、席に着いたセレスティの反応を気にしつつ、近くの木の枝に小振りのジャック・オ・ランタンを吊り下げた。その頭に、ヴィヴィアンと同じヘッドドレスが着けられている。
「こんなに色々一度に準備したのは久し振りでしたしぃ……、それに作ったものがみぃんなセレ様のお口に入るんだと思ったら、もう本当にドキドキしちゃいましたっ」
 胸の前で両手指を組み合わせて笑うヴィヴィアンに、セレスティは穏やかに微笑みかけ、
「ありがとうございます、ヴィヴィ。とても……とても嬉しいですよ。さあ、あたたかいうちに一緒にいただきましょう」
 言って、まだテーブルにつこうとしない可愛い恋人にすいと片手を差し出した。
「あ……、はいっ」
 ヴィヴィアンは慌ててテーブルに向かい、セレスティの手を取った。
 少しだけ、恥ずかしそうに、眼許を紅葉色に染めて。

「では、いただきます」

 その言葉で始まったふたりのディナーは、ゴスロリ仕様のジャック・オ・ランタンと庭園の木花に見守られ、ゆるやかに幸福の時を紡いだ。
「ああ……、このシチューは本当に身も心もあたたまりますね」
 セレスティがアイリッシュ・シチューを口へ運びながら嬉しそうに言うのへ、ヴィヴィアンはマッシュポテトを取り分ける手を止めて明るく笑む。
 ジャムの瓶を開けると、ふうわり果実の甘い香が鼻腔をくすぐり、何だかわけもなく笑い出したいような気分。
 ジャムをすくってパンに塗って、ぱくり。
 ヴィヴィアンが、口をいっぱいに開けてパンを頬張る。
 セレスティは、優雅な仕種でレモネードをカップに注ぐ。
 ふたりを包み込むのはしっとりと肌に馴染むオータム・カラーの庭。
 テーブル脇では、オレンジシャーベット色に揺れるスプレー菊の鉢を木馬が曳き、心和む空間づくりに一役買っている。
「セレ様」
「何ですか、ヴィヴィ?」

 今日このとき、二人の世界は、ただひたすらに、秋の喜びに満ち満ちていた。


[ 秋のしあわせ。/ 了 ]