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<東京怪談・PCゲームノベル>


アトラスの日に


■殺虫衝動『邂逅』■


 20時45分、脱出。


「御国さん……!」
 ササキビ・クミノが思い出すのは、冗談のように大きい蜘蛛と、御国の手だ。
 彼の目だ。
 彼らしくもないが、彼がやりそうな振る舞いだ。



 ――ササキビ・クミノが夏のアトラス編集部を訪れて、やり手の編集長の頼みを二つ返事で引き受けたところだった。
 今はひとつの厄介でしつこい事件を追っているが、その一件だけに集中するのは気が滅入る。というのも、そり事件が暗く、じめじめとしたものであるからだ。
 たまには、さっぱりした仕事をしたい。そういうわけで、何故か、クミノはあまりに美味しすぎると評判の不思議な和菓子屋を調査するという、オカルト雑誌の臨時記者らしからぬ仕事を引き受けたのだ。
 美しい薔薇には棘がある。美味い和菓子には、何が含まれているか。
「……」
 クミノの目は、自然と、ひとつのデスクに向けられていた。
 特に特徴のないデスクだ。今は主もおらず、パソコンの電源も落とされている。あのパソコンのデスクトップが表示されていて、デスクの上に軍艦が表紙の雑誌でもあれば、個性も出るというのだが。
「……御国さんは? 取材?」
 またしても、自然とクミノは麗香に尋ねていた。
「今日と明日はオフ」
 意外な答えが、原稿と睨み合う麗香からもたらされた。
 この、年中無休24時間営業ともいえるアトラス編集部の記者が、連休をもらうとは。しかも、聞けば、麗香のほうからすすめた連休であるらしい。
「一時期よりはましになったけど、まだ少し調子悪いみたいだから」
 クミノは何も尋ねなかったが、無言で顔が理由を訊いていたようだ。麗香は原稿から顔を上げて、そう答えた。
 意外だ。
 この鬼編集長が、記者の健康を考えているとは……。
「そう」
 それだけ言うと、クミノは誰も座っていないデスクに近づき、おもむろにパソコンの電源を入れた。デスクトップが――海を切り裂く自衛艦の姿が平面の世界に広がる。クミノは無表情でテキストエディタを開くと、すばやく短くメッセージを残した。

『どこで何してるんだか』


「それで、どんな人間がコンタクトを取ってきたの?」
「ドライだな。その方が助かるが」
「世間話でもしたかった?」
「お前が面白いと思うようなネタは持ってない。――腕の具合はどうなんだ」
「……奥さんや子供さんにもそんな話し方をするの?」
「……なに?」
「何でもない。腕は大丈夫。だいぶ前に完治してる」
「そうか」

 そんな会話もあった。
 そんな会話も、どこに行ってしまったのだろう。


 クミノは麗香からもらった情報と、ネットカフェ『モナス』の留守番をつとめるメイドが短時間で集めた情報をもとに、噂の和菓子屋に向かった。彼女は美味い桜餅を期待していた。
 和菓子屋の女主人は、どこか浮世離れした、不思議な人物だった。朝から行列が出来る店だと聞いていたが、クミノが店先に到着した頃は、客の姿などどこにもなかった。午後2時をすぎたばかりだというのに、もう閉めてしまったのだろうか。
「ササキビ・クミノさんね」
 箒で店先を掃いていた女主人が、にこりと微笑み、クミノを出迎えた。
 もちろん、クミノは名乗った覚えなどない。
 幾多の修羅場の記憶から、クミノは思わず警戒した。冷徹な顔に上塗りされた緊迫感を前にしても、女主人はやはり穏やかで、箒を置いて店の中に入った。
 再びクミノの前に現れた女主人は、蓋を開けた箱を手にしていた。
 すばらしい香りがした――桜餅の匂いだ。
「あなたのために作っておいたのよ。今日はもう、これでおしまい。食べてちょうだいな」
「……なぜ?」
「さあ、なぜかしら。……少し張り切りすぎたわ。作りすぎてしまったの。だから、ほら、二箱。受け取ってちょうだい」
 なるほど、不思議な和菓子屋だ。
 クミノは無表情で、桜餅が詰まった箱を受け取っていた。両手がふさがってしまって、代金も出せない――クミノが戸惑っているうちに、女主人は店の中に引っ込み、中からシャッターを閉めてしまった。

 桜餅を食べもせず、クミノは電車に乗っていた。
 降りた先は、東京の、どこにでもある住宅地だ。
 世間から隔絶した生活を自ら送るクミノにも、アトラスや草間興信所で知り合った人間が何人もいたが、その桜餅8個入りの箱をお裾分けする相手が、どういうわけかこの日はひとりしか思い当たらなかった。
 いつかどこかで聞いた、御国将の――くたびれたたたずまいの、アトラス記者の――家が、クミノの前にあった。クミノがそこを訪れるのは初めてだったが、クミノが想像していた通りの一軒家だった。
 すなわち、この住宅地に埋没する、どこにでもある日本の民家だ。
 狭い狭い庭に、プラスチック製の風車が立っている。羽根に子供が描いたと思しき絵があって――
 玄関のドアのノブがかちりと動き、声がした。知らず、クミノは玄関前から身を引いて、塀の陰に隠れていた。べつにこの家を襲撃するつもりではないのに、こそこそとした行動を取る自分が、どうにも理解しがたかった。
 ――いいえ、私はこの家を襲撃しに来た。私は、邪魔なムシ。ムシはムシらしく……陰の中で息を潜め……誰にもその存在を知られないままに、こっそり生きていけばいい。
 影のように黒いステーションワゴンに、御国家が乗り込む。クミノは陰からそっと顔を出して、様子をうかがった。
 御国将は、相変わらずにこりともしていなかったが、子供たちが乗り込んだあと、後部座席のドアを閉めた。
 彼の影は、ゆらめきもしていない。
 クミノは桜餅が8個入った箱を見つめた。
 生ものだ。
 御国家は、いつ帰ってくるかもわからない……。
 走り去るステーションワゴンを、クミノは見た。

 ――貴方が死ぬのは許さない。貴方に護られるものがあって、貴方が護らなければならないものがある。貴方にしか護れないもので、私は決して護ることが出来ない。
 だから私は貴方を救う、
 だけど決して、貴方が護るべきものを救おうとしているわけじゃない。

 あのときの桜餅はどうしてしまったのだろう。
 和菓子屋の謎は……解いたような気もするし、結局何もわからずじまいだったような気もする。確かなのは、今でも思い出せるあの桜餅の味。
 美味かった。

「……ねえ、そろそろ手を引いたら?」
「なんだ、急に。何言い出す?」
「……」
「お前ほどじゃないが、何かあればとりあえず身を護る力くらいはある。……というか、身についた。ここまで来て、引き返せって言うのか?」
「……だって、貴方には……」
「なに? 聞こえん」
「……なんでもない」

 そんな会話も、あった――。

 ――だから私は、貴方を救うの。
 クミノはそれ以上何も言わず、『再突入』のための準備を始めた。彼女はただのひとときも迷わなかった。どこからともなく持ち出してきた、音を立てるエンジン工具が、彼女の細い腕によって投擲された。曇った事務所の窓を破った工具の音に、きっと中のものは気を取られただろう――それを期待し、クミノは手にしたナイフで、戸口を固めた白い糸を引き裂いた。


 20時46分、再突入。




<了>


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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【1166/ササキビ・クミノ/女/13/殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない。】

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               ライター通信
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 モロクっちです。お久し振りです!
 発注内容を見て、ちょっとしたダメージとめまいを覚えた次第です(汗)。『殺虫衝動』……な、懐かしい。
 そうなんですよね。ササキビさまの『殺虫衝動』は、未だに終わりを迎えていない。
 これには、ただただお詫びするしかありません。
 数分といわず、おそらく一分のうちに決意を固めたササキビさまの、その揺らぐ気持ちが書き表せていれば幸いです。