|
it's a small world <<後編>>
破壊衝動を実行しなかった一番の理由は、高揚した気分が終わった後に来る虚しさを本能が悟っていたからかもしれない。ぼんやりとそんな事を思う。壊したおもちゃは戻らない。何も戻せない。ああ、やるんじゃなかった――なんて思っても後の祭りで、時間は可変でも可逆でもないから――残ったものは、絶対。思い出は、不変。
適当にそんな事を考えながら瓦礫の街を見下ろす。もとい、壊れたミニチュアを見下ろす。ちっと勿体無かったかもなー、やっぱり……いや、すっきりしたことはすっきりしたんやけどなー。ストッキングに付いた細かい破片を掌でぱたぱた叩いて落とし、うちは靴の中に足を突っ込んだ。少しちくちくするけれど、無視しようと思えば出来る範囲。鞄を探して視線を巡らせたところで、それを差し出される。にこにこ笑顔と共に。
「なぁ――あんた、結局何がしたかってん?」
「何が、と仰いますと?」
「小娘相手に敬語使うんは慇懃無礼で心証悪いで。伊達や酔狂でうちに――『うち』に、声掛けたんとちゃうやろ」
すぅ、と目を眇めて、うちは相手を軽くねめつけた。
うち、は。
ただの小娘とは違う。ただの女子高生とは違う。別に身長が高いからってのでもなく、ボーイッシュなベリーショートだからってのでもなく、今時珍しい黒髪ってのでもなく。そんな外見的な特徴を圧倒的に凌駕する、内面的な特徴がある。それは、一般人にでも、なんとなく感じ取れるものらしい。そして勿論『一般でないモノ』には――もっと、強く感じ取れるはず。
相手はクスクス笑う。くすくす、くすくす。そこでうちはやっと違和感に気付く。今まで、感じられなかったそれに。
顔が――ワカラナイ。
性別も――ワカラナイ。
姿かたちも――ワカラナイ。
認識が、出来ない。
どうして気付かなかった、こんなことに。その笑い声だけが木魂する、響く、判る、のに。すべてが不可視、擦りガラスを通しているような不透明さがやっと認識される。誰だ? ちゅーか、そう、ここ自体どこや? まるで省略されたように、まるで本のページを飛ばしたように、何かが、欠落、して、いる。気が。する。のに。
何をしていた? 壊していた。 何を壊していた? 世界、を。
壊したくてたまらなかったものを、そのイミテーションを、ジオラマを、ミニチュアを、直らないものを、直せないものを、一度壊れてしまったら――もうどこにも――閉塞されて――頭を押さえる。気分が悪いのですか? 違う、曖昧な、それは。
は、っと、うちは気付く。道の真ん中。ぼんやりとした記憶によれば、手を引かれてここまで戻って来た、はず。あいつに声を掛けられたいつもの通学路。何事も無かったかのようにいつも通りの世界。夕焼けの眩しい道。
何だか妙な疲労感があって、うちは溜息を一つ吐く。暴れ過ぎたんかなー、やっぱストレス溜めるんはいかんわな。うんうん。解消方法見付けなあかんて。邪鬼の嬲り祓い? ごっつい根性悪いな、かわゆい女子高生にあるまじき思考回路やで。うし、大阪節復活。一人ガッツポーズ、うちは、帰路に着く。
帰路に。
が、ぁ、ん。
その光景を見た時、思い出したのは、色々なこと。
ほら、何年か前にあったやん。あれ。大規模テロ。そうそう、そんな感じ。
もうちょっと前にあったやん。あれ。都市大震災。そうそう、そんな感じ。
ついさっきに、やったやん。
あれ。
ぶっ壊れたジオラマ。
ぶっ壊したジオラマ。
そうそう、そんな感じ。
そんな、感じ。
倒れたのは前方に見えたビル。その横に見えたのは巨大な肌色。稜線の見えるそれ。爪のついたそれ。それは、指。
そして黒。黒い柱が唐突に、空から大地に突き刺された。並みの太さではないそれ、都庁ビルより絶対ふっといそれ。太い? 失礼やなあ。これでも締まるトコは締まってんねやで。違う。違う違う違う、そんな一人ボケ突っ込みしとる場合と違う、頭の奥で脊髄を痛ませるぐらいに危険のシグナルが鳴るのに、身体は硬直する。指先が冷たい。血管が、収縮、してる。
なんの、冗談や?
なんの、ドッキリや?
なんの、――幻覚、や?
「う、そ。やろ」
黒い。だけど薄っすらと透ける、それは肌色。中身は肌色やしなあ。うん、冬場はそうやな。足が冷えるからストッキングやねん。女の子は下半身冷やしたら後に響くって、小学校の保健の先生が言っとったもん。ぐしゃ。ぐしゃぐしゃ。どがっ。投げられたのは靴。潰れたのは学校。舞い上がるのは土埃。くすくす笑い声。あいつの笑い声? 違う、うちの、笑い、声。
現実を認識しろ。目の前の光景を信じるな。現実を認識しろ。現実を。
足が見える。足。靴を履いてない、ストッキング裸足。靴は学校を潰した。今日はバドミントン部もバスケ部も野球部も部活で青春の汗を流してる真っ最中や。そうや。靴なんか落としたら、危ないやん。人死にが出るで、人死に。そんな巨大な靴。巨大な。靴。足。巨大な。
これは――現実?
これが――現実?
「嘘、や」
阿鼻叫喚。叫ぶ人が、泣く人が、へたり込む人が。おいおい、あのじーさんさっきから踏まれまくりやで。ピクリとも動かん、死んどるんとちゃうの? おいおい、うちの周り、色んな人が走り回ってくで。よく直立不動でいられるな、自分。おいおい、足、近付いてくるで。前方には見慣れた歩道橋。粉砕。土埃。ああ、横断歩道、渡ら、なきゃ。いや、塞がってるやん。事故車両のフルーツパフェ。道路は正しく遣えや、事故るなや、邪魔くさい。邪魔臭いなあ。
地面が揺れる、それは地震みたいに内側から来る振動ではなく、外側からのもの。地殻の外側からのもの。割れるアスファルトの下に地面は無い、黒い裂け目。うちはへたり混む。逃げ惑う人に潰されることが無かったのは、うちが長身で、座高も結構あったからなんやろか。どーでもええやん、こんな事態でそんなこと。そうか? せやろ。せやなぁ。
声が聞こえる。最初は小さかったのに、段々、巨大化してくる。身体みたいに巨大になっていく。高笑い、大笑い、あはははは、あーはははは。
それは、うちの、
うちの、こえ?
邪鬼やら怨霊やら、そういうもんに耐性はあった。でも、こないな、そう――サイキック漫画の主人公がいきなり巨大化ヒーローものに飛び込んだような状況では、流石にバイタリティーもキャパシティも発揮されなかった。ただ茫然とする。空っぽの頭、がらんどうの心、入ってくるのは情報。五感を通して入ってくる。眼を閉じれば悲鳴が、破壊音が、笑い声が。木魂する。バウンドする。ああ、何人ぐらい、死んでんねやかな。怪我したんやろ。即死とか? 事故死とか? あはは、音、が、うるさい。
煩くて。
五月蝿くて。
気が、触れそう、や。
「何が怖いんですか?」
フィルターの掛かった耳に、何故かその声は凛と響いた。
「壊したかったのは貴方ですよ。壊したのは貴方ですよ。壊したがったのは貴方ですよ。何も怖くない。何も望んでいないことなんて無い。何も何も何も何も――」
「黙れ!!」
「何もかも、望みどおりの世界。破壊願望を使ってしまえばいいんですよ。こんな風になるんです。こんな世界になるんです。してみたかったんでしょう? 一度してみたかったんでしょう? 一度きりのこと、ですが」
「ちがう――ちがう、うち、は」
「これも貴方の望みの内です」
クラヤミに覆われる。それは影。自分の影。足。見上げる。ストッキング。ああ、穴が開きそうなトコがあるなあ。気ぃつかんかったわ。
蟻んこみたいな自分が。
人間サマの暴力に。
うちは――
何を。
望
ん
で
?
握っていた札の表面は、真白になっていた。力を使い果たされた証拠。ポケットに常備してあるどれもが、制服の内ポケットに入れてあるどれもがそうなっているのに気付いたのは、目を覚まして五分の内だった。汗ばんだ身体にブラウスが張り付いて気持ち悪く、ぱたぱた手で風を送る。気休めにもならなかった。
気が付けば、帰り道。夕焼けの差すいつもの帰宅路。いつからが『現実』で無かったのか、自分ではワカラナイ。意識を持って行かれて――数分、あるいは数十秒の間に、うちはあのすべてを体験した。いや、『させられた』、のだろう。
「危険、って……こと、なんやろな」
なまじ常人ではないからこそ、その衝動に従ってはいけないという警告?
この力を持って、一度してみたい―― 一度でもしてしまったら戻れない。そんな大破壊を。大崩壊を。大災厄を。望んだことがあるのか、無いのか、判らない。苛々していた時は、こないな世界なくなってしまえと思ったかもしれんけど――それに従っては、いない。
これからも従ってはいけないと?
顔の見えない相手。
クスクスと笑い声。
哄笑は自分のもの。
あるいは、あれはうちの、裏側?
それとも本質だった?
微笑は、あれは。
「ああ、そういや――」
アルカイックスマイルも、拈華微笑も、神像や仏像に見られるんやったっけな。
あいつみたいな、静かな笑顔。笑い。
それは――
何もかもを笑って見下す。
あれは、夢。なんでもない、夢。なんでもなかった、夢。
そう。
理由なんて所以なんてわからなくても、その事実さえあれば、うちは安心できた。
もう二度と見たくない、夢として、封印してしまえるから。
夢。
……やったよな?
<<"it's a small world" over>>
+-+-+ +-+-+
発注頂き有難うございました、始めまして。哉色戯琴と申します(ぺこり)
初めてのお仕事で前後編だったのでドキドキしながら書いていたのですが、どんな感じでしょうか……お気に召して頂けていれば幸いです。陰陽師さん設定をもう少し出したかったのですが、技量が足りませんでした;
勝手に展開したところも多々ありますが、大目に見て頂ければと思います……ともあれ、ご依頼ありがとうございましたっ!
|
|
|